第16話
猫に変身する異世界の王子様やとんでもない失恋など、非日常的な週末を過ごしたものの、あたりまえの日常は当然のように再びやってくる。
月曜日の朝。ラウルは朝食の後片付けをする私の後ろで、渋い顔をして悩んでいた。
「もうすぐ時間切れよ」
「わかっておる」
唇を尖らせて、不服そうに答えるラウル。
ただ今、留守中の間の自分の処遇についてお悩み中である。選択肢は二つ。
一つは人の姿のままで庭を含む外出厳禁。
もう一つは、猫の姿で交通事故に気をつけて外出可。
人としてのプライドと、気ままに散策できる自由を天秤にかけているらしい。
「さ、どうするの?」
エプロンをはずし振り向いた私に、ラウルは小さくため息をついた。
「今日はこのままの姿で待っておる」
「じゃ、私が帰ってくるまで家からでないのよ。誰か来ても出ないこと。あと、火は使わないのよ。お昼ごはんはお弁当用意してあるから、お腹が空いたら食べてね。それから、お菓子は食べ過ぎないこと。あとは……」
「お前は教育係かっ!」
延々と続きそうな私の留守番の注意に、がなるラウル。
「それくらいわかっておるわ」
ふんっとふんぞり返ってそう答える。
しかし、どうも怪しい。しぶしぶ答えを出したわりに、なんだか瞳はキラキラしている。
「出かけても私が帰ってくるまでに戻ればばれないだろう。とかいう考えは甘いからね」
「べ、別にそのような事は……」
図星だったのか、明らかに目が泳いでいる辺りが素直で可愛らしい。
「靴は没収していきます。それに、注意を守らなかったときはご飯抜きだからね!」
「なぬっ? なんと非情なっ!」
「んじゃ、いってきまーす!」
ラウルの叫び声を背に受けながら、私はしっかりと戸締りをして学校へ向かった。
しかし、ちゃんと言いつけを守って大人しく留守番できてるかな……などと度々思い出す辺り、すでに子持ちの心境のようである。学校がすぐに終わらないかと思う日に限ってやたら長く感じるもので、昼休みもようやく来たかという感じだった。
「なんですぐに連絡よこさないかな、葵は」
柳くんとの事を今日になって報告したのが不服だったらしく、親友の佐倉 桜子は不機嫌だった。報復とばかりに、私のお弁当から玉子焼きを奪って口に運ぶ。
「だって、週末はバイト三昧って言ってたから」
「二十四時間働いてるわけじゃないわよ。ったく、葵はすぐ一人で抱え込むんだから。少しは頼りな」
「はーい」
桜子には何でも話しているつもりだが、さすがに『猫に変身する男の子を拾ったのでうっかり連絡を怠りました』とは報告できない。それに、柳くんに襲われたことも話せなかった。桜子が柳くんに報復しかねないし、どうやって助かったかを説明するのに、ラウルの存在なしに説明できるほど話を作れそうになかったからだ。なので、『柳くんには他に本命の彼女がいたので別れた』としか話せていない。
「ま、そのわりには元気そうだからいいんだけどさ」
肩まである真っ直ぐなセピア色の髪をうるさそうにかきあげながら、桜子は安心したように微笑んだ。そんな彼女の背後にある教室のドアが、勢いよく開く。
「よぅ、ひまわり! 誕生日おめでと! んで、失恋したって……ぐふっ」
最後まで言う前に桜子と私のお弁当箱の蓋が顔面にヒットし、その場にしゃがみこむ袴田蓮。桜子同様、中学からの付き合いである。
「いってぇ……」
小柄な体を丸め込むようにしゃがみつつ、くりっとした焦茶色の瞳で恨めしそうに見上げる蓮。しかし、自分より背の高い桜子のクールな眼差しに見下ろされ、続くはずだった不平は飲み込んだようだ。
「なんだよ。元気そうじゃん、ひまわり」
顔をさすって立ち上がり、拾った蓋を机の上に戻しながらにっと笑う蓮。私の名を並び替えると『向日葵』となるからと、蓮はいつも私をそう呼んでいる。
「悪い?」
「いや、別に。ひまわりの猫かぶりが見れなくなって残念だけどな」
ニッと笑い、蓮は近くにある椅子を引き寄せて私と桜子の食事に混ざるように座り込んだ。
「何よ、猫かぶりって」
「あんな大人しいひまわり、ありえなくね?」
そう言いつつ私のおかずに手を出そうとしたので、ぴしゃりとそれを叩く。ちぇっと残念そうに呟き、蓮は頬杖をついて私を見つめた。
「男見る目ないんだよ、ひまわりは。見た目に騙されて惚れるから、自分らしさのかけらも出せない相手と付き合って痛い目にあうんじゃねーの?」
「う……」
見た目に弱い事は否定できない。柳くんも、ルックスに一目惚れだったのだ。歴代の好きな人も、ほぼ見た目から入っている。
痛いところをつかれて言い返せない私の変わりに、桜子の漆黒の瞳が冷たく光る。
「あーら、お子様には言われたくないんじゃない?」
「どういう意味だよ」
「へー、言っていいんだ」
「桜子姐さんっ!」
意味ありげに微笑んだ桜子を見て、蓮は瞬時に降伏を決めたらしい。どうも弱みを握っている節があるのだが、桜子は蓮の秘密を私には教えてくれないのだ。
蓮は桜子のご機嫌をとるようににっこり微笑むと、ポケットからふわりと一枚のハンカチを取り出す。
「食後に甘いものはいかがでしょうか?」
そう言って片方の手のひらの上にハンカチをかぶせた蓮を見て、教室の中にいた他の生徒達がわらわらと寄ってきた。蓮のパフォーマンスが始まる事を、もうみんな知っていた。
「そうね、チョコレートとか食べたいかな」
「かしこまりました。それでは……」
皆が注目する中、紳士のように礼儀正しく桜子にお辞儀をすると、蓮はハンカチの上にもう片方の手をそっと重ねた。
「スリー・トゥー・ワン――」
楽しげにカウントダウンすると、ぱっとハンカチをとる。先ほどまで何もなかった手のひらの上に、桜子の希望通りチョコレートがあった。蓮の得意技の一つ、出現マジックである。
わぁっと周りから拍手が起こる。
「どうもどうもー!」
にこやかに観客に応え、それから桜子にチョコレートを渡す。
「どうぞ、桜子姐さん」
「どうも。それにしても、相変わらず芸が細かいこと」
「趣味ですから」
おほほほほ……と、何やら奇妙に笑いあっている二人を見て思わず噴出すと、蓮が私のほうを見てにっと笑う。
「それだけ元気ありゃ、十分だな」
今度は散っていった観衆に見つからないように、こっそりとハンカチを取り出す蓮。
「こんなのもご用意してあります」
「おー、いいね」
新たに出てきた物体に、桜子が笑顔を浮かべた。
出てきたのは、色んなクーポンを抱えた可愛いぬいぐるみストラップ。
「カラオケにボーリング、ゲーセンに食べ放題等々、今日の放課後は何処へっ!」
どうやら、蓮がやってきた目的はこれだったらしい。軽く嫌味をいいつつも、ぱーっと遊んで気晴らしをさせてくれるつもりだったのだ。そして、可愛いぬいぐるみはきっと誕生日プレゼントのつもりだろう。
「ありがと。でも、今日は早く帰らなきゃいけないんだ」
何気ない優しさに感謝しつつも、初めてのお留守番中のラウルの心配の方が勝っていた。さすがに、今日は遊んで帰る気にはなれない。
「何故?」
私のいつもの行動パターンを知っている二人は、不思議そうに私を見つめる。
「えーっと、実は子猫を拾ってね、ちょっと心配だから……」
せっかくの優しさに嘘をつくのは忍びなく、一応本当の事を言う。しかし、二人の瞳が面白い事を聞いたといわんばかりにきらりと光ったのを見て、私はしまったと思ったのだった。
2013.4.13 0:05 改稿