第12話
インターフォンの前で、どうしていいのかわからずに思わず立ちすくむ。
まさか、今日また会いに来てくれるとは思ってもいなかった。あんな風に立ち去って、どんな顔をして会えばいいというのか……。
でも、ずっと外で待たせるわけにもいかないし、わざわざ来てくれたのにこのままインターフォン越しに追い返すのも申し訳ない。かといって、部屋に上げるのは気がひける。
テーブルの前では、おあずけ状態でじぃっと目の前の食事を見つめているラウル。
玄関で、とは思っているが、ラウルがいつまで大人しく待っているかわからない。
焦って考えがまとまらず、どうしたらいいのかわからなくなったときだった。
「ぬぁ!?」
ぽうっと自分の体が光り、短い声をあげるラウル。光が消えると、黒猫ラウルとなっていた。時計を見ると、ラウルが人の姿戻ってから時間がかなり経っていた。人間でいられる時間が過ぎたということだろう。
椅子の上で、くやしそうにぷるぷる震えるラウル。椅子から飛び降りると、早くもとの姿に戻せと言わんばかりに私に向かって猛ダッシュしてきた。早くキスをしろと言うように、私の足を前足でぺしぺしと叩くラウルを抱き上げる。
「ちょっとまった、ラウル」
腕の中で背伸びをして唇に頭突きをしようとするラウルを、がしっと押さえる。黒猫は不服そうに、じとっとした眼差しを向ける。
「外の人とお話してくるから、その人が帰るまでその姿で待ってて。そんなに時間はかからないから」
短く鳴いたラウルの返事を快く了解してくれたと都合よく解釈し、脱げたラウルの衣服を隣の和室に隠した。部屋に上げるつもりはないが、念のためだ。
「さっきはごめん」
玄関の扉を開けると、柳くんは静かな声でそう言った。申し訳なさそうに、少し困ったような微笑を浮かべている。
「葵と一緒にいたくて、つい……。怖がらせちゃったかな?」
「ううん。私こそ、急に帰ってごめんなさい」
「いや、俺こそゴメン」
そして、請うように私を見つめた。
「中で話しちゃ、ダメ?」
「…………」
日が落ちて、薄着の柳くんは確かに寒そうだ。こんな時間に玄関先で男の子と話しているのも、近所の目が気になる。
「どうぞ」
とりあえず玄関の中に導き、扉を閉める。すると、柳くんの視線が私の後ろに移った。
「葵、ネコ飼い始めたんだ」
「あ……うん」
振り向けば、リビングから顔だけちょこんと出し、値踏みするような眼差しで柳くんを見つめているラウルがいた。食事を邪魔されて、少々不機嫌な様子だ。私と目が合うとふいっと部屋の中へ姿を消した。
「ネコ、抱いてもいい?」
「え?」
止める間もなく、靴を脱いでリビングへ向かう柳くん。
予想外の行動にしばし硬直する。家に上げたくないからあの時帰ったんですが、と心の中でしか突っ込めない自分が情けない。
どうしようと困惑しつつリビングに入ると、柳くんの腕の中でラウルが暴れていた。
「元気だなー、このネコ」
抱く事をあきらめたのか柳くんがラウルを床に降ろすと、ラウルはダッシュで私の後ろに隠れ、威嚇するように精一杯の低い声で鳴いた。しかし子猫の為、どんなに頑張っても可愛い声なので微笑ましいくらい愛らしい。
「ラウル、そんなに怒らないの」
男の人に抱かれるのはお気に召さないらしいラウルを、軽く諌める。
ラウルはすねたような眼差しで私を見上げると、文句を言うように小さく鳴いて部屋の片隅へと歩いていった。
「葵、実は俺を呼ぶ気だった? 早く言ってくれればいいのに」
「え?」
ラウルに気をとられているうちに、柳くんはテーブルの料理に気づいたらしい。
二人分用意されたご馳走。一人暮らしの私がそれを用意していた事で、勘違いしたようだ。
「いや、あの、それは友達を呼ぼうかと……」
「素直じゃないな、葵は」
そう言って微笑むと、ゆっくりと私に近づく柳くん。
すっかり彼のペースにもっていかれ、どうしたらいいのかわからなくなる。
他の人が相手なら、思っていることをいくらでも言えるのに……。
「葵」
目の前まで来た柳くんは優しく私の名を呼ぶと、うつむく私の顔を指先でくいっと上に向ける。そして、近づく顔……。
「……てっ」
されるがままになっていた私の目の前で、柳くんの顔が僅かに歪む。
鋭く向けた柳くんの視線の先を追えば、彼の足もとに噛み付いたラウルの姿……。
「子猫でもいっちょまえにヤキモチやくのか?」
柳くんにひょいっと持ち上げられ、抗うラウル。
柳くんを止めてくれた事にほっとしつつ、その手からラウルを受け取り胸に抱く。しっかりと私の胸にしがみ付きつつ、怒りのためかぷるぷる震えている。
「あの、ごめんなさい。その料理、本当に他の人のためにつくったから、だから……」
そっとラウルの背をなでつつそう言うと、柳くんは小さくため息をついた。そして、少し乱暴に髪をかきあげる。
その瞬間、見たことのない冷たい眼差しの柳くんがそこに現れた。
微笑は失せ、柔らかな雰囲気が消え去る。
びくっと身を震わせた私に何かを感じたのか、腕の中のラウルも柳くんを振り返った。
「ほんっとめんどくせー女。一人暮らしだから、もっと簡単にやらせてくれると思ってたのにな」
「え……」
彼の言葉に自分の耳を疑う。
だけど、彼の表情から、雰囲気から、それが現実なのだと信じるしかなかった。
2013.4.11 21:02 改稿