見えない前置詞
1996年冬
‘’19歳の誕生日にシルバーリングをプレゼントされた女性は幸せになる‘’
ヨーロッパの風習だろうか、大学生はこう言う類いのネタに見事なまでに振り回される。
19歳の誕生日が後数カ月に迫った頃、私は初めて付き合った彼にあっさり振られた。
「心変わり」と言う、世界で最も分かりやすい理由で別れを切り出された私は、話し合う余地も、引き留める余地もなく、何も言わず、泣きじゃくることもせず「友達に戻る」事に承知した。
(もっと我儘を言えばよかった)
(この気持ちはいつから一方通行だっんだろう)
そんな感情は、18歳のまだ恋に免疫のない心を削り、私に一つの結論を出させた。
【結論】
恋とは期間限定の気持ちで、純愛ドラマはその一頁を切り取ったに過ぎない。
永遠なんて無くて、もしも世界中探してどこかにあったとしても、そんな奇跡を手にする力は私なんかには無くて。最初から永遠を信じなければ傷は浅い。
そう考えることで、気持ちは随分軽くなった。
寂しい気持ちが漏れ出ているからなのか。
“隙のある女”はそれなりにモテる。
いや、その人本来の魅力で人をひきつける人も居るには居るのだろう、ただきっと一握りで。
私のこれは「隙」なんだと俯瞰する自分が、冷めた目で空から見張っている感覚だった。
だって永遠なんて無くて。
彼らが言ってくれる「好きだよ」も、 「今は」と言う見えない前置詞がついてまわるのだから。
「(今は) 好きだよ」
それでも一人よりマシかな
そう思ってつき合った社会人の彼からもらったシルバーリングは、驚くほど無機質で。
「恋愛では自分の気持ちがどれだけ重要か」
そんな当たり前のことを
優しい人達を傷付けながら、私は思い知った。