1.2 ステーキの力
ウノは市場の賑やかで楽しげな声を避けるように、薄暗い裏道を力なく歩いてた。
一日中ほとんどずっと日陰で、湿度が高く、そこかしこに水溜りがある。
水分をたっぷり蓄えた土は粘土のように足跡を残し、ひとたび足の力の入れ方を間違えれば容赦なくすっ転ぶこと請け合いだ。
ただでさえ、先程の出来事で気持ちが地まで沈み込んでいるといのに、更に転んでビールに泥を被せるようなことだけは避けたかった。
ウノは足元に細心の注意を払いながらも、頭の中では別のことを考えていた。
「何で俺を追わずにあいつらの相手なんてしたんだ?」
――俺のためにやったことなのか?
そんな考えが頭をよぎる。
ウノは呆れるほど楽観的でご都合主義な想像を打ち消すように激しく頭を振った。
これはそうであってほしいという願望に過ぎない。
きっと、元々、あの特徴的な目元の酔っ払いたちに因縁でもあって、それを晴らすための行動でしかないんだろう。
昼間から飲んだくれて所構わず憂さ晴らしするような奴らだ。その可能性の方がずっと高い。
「そもそも、俺のためにあんなことやる意味がどこにあるんだよ」
だが、ウノの心に最もひっかかっているのは彼女の目的ではない。
彼女は、炎を操る男に立ち向かい、見事に報復を果たしたという事実。
威勢よく吠えるだけ吠えて、震えながら逃げ出した哀れな男とはあまりにも対照的だ。
「何のための鍛錬だよ。このやろっ!」
やけくそになって蹴った石が跳ね転がり、ぽちゃりと水溜りのところで止まった。
水に浸った石を見捨て、跨いでしまおうと足元に注意を向けたとき、今にも泣き出しそうに口をへの字に結んだ顔が写り込んだ。
――『弱虫の転生者もどき』にお似合いの顔だな。
と波打つ水溜りの中の顔が力なく笑った。
ビールを滴らせ、水溜りに情けなく笑いかけているこの少年は、フサ男に『もどき』と揶揄されてはいたが、正真正銘の転生者である。
約1年ほど前に息絶えたはずの15歳のウノ少年は、あの世ではなく、別の世で目を覚ますこととなった。
15歳の姿のままで。
正式な名前を”ヴィエンデンバートル”というこの街に住む人々にとって、『転生者ウノ』の存在はそう珍しいものではないらしかった。
というのも、不定期ではあるものの、それなりの頻度で転生者なる出自経歴不明の不審者が突如現れているからである。
目覚めた瞬間、死地を彷徨うはめにはなったウノだったが、なんとか生き延び、秘儀『ヤバい奴からは逃げる』を駆使して1年間再び死ぬことはなく過ごしてきた。
そうして過ごすうち、この世界について色々とわかったことがある。
その中の1つが必殺技についてである。
まつ毛フサフサ男が使っていた“地獄豪火”なるものを思い出してほしい。
まつ毛男も狐目男もウノと同じ転生者であり、前触れもなく現れた炎は転生者特有の力によって生み出されている。
狐目男もウノも転生者は例外なく力を有した状態でヴィエンデンバートルにやってくる。
この力を転生者は口を揃えて『必殺技』と呼ぶ。
“必殺”という名に相応しく、彼らの持つ力は生物の命を刈り取ることに特化した性質を持つ。
凶暴で凶悪な”魔物”という生物に脅かされている街の人々にとっては、転生者たちは共存に利のある存在なのである。
必殺技には様々な種類があり、フサ男は火を操ることができるが、狐目男の方は火ではなく水を操ることができる。
”水脈弾丸”という名のその必殺技も、もちろんウノは身をもって体験したことがある。
今日は、転生者でなくても実行可能なビールをかけるという嫌がらせだったわけなのだが、鬱憤を晴らすという目的においては、狐目男は技を使うよりも遥かに素晴らしい手段を取ったと言えよう。
「あいつらなんか、必殺技が使えなけりゃ、ただの飲んだくれのおっさんなんだよ。今に見てろ、必殺技なんて使わなくても、俺の剣技で……こうだっ!」
ウノは胸に渦巻く不快な感情を右足にのせて、見捨てかけた水溜りの石めがけて振り下ろす。
しかし、ぬかるんだ足場では、激情に任せた蹴りを支えきることはできなかった。
ウノの視界はくるりと空を向き、激しい衝撃とともに、ビールからの泥を浴びるという最悪のフルコースをいただくことになってしまったのであった。
泣きっ面に蜂とはまさにこういう時に使うのだろう。
石への八つ当たりに失敗したウノは、もはや立ち上がる気力もないほどに消沈していた。
もういっそのこと、このまま泥たちとランデブーを決め込んでやろうか、なんて考えていると、
「こんなとこで昼寝か? あんま寝心地よさそうではねぇな」
という声とともに、ウノの視界が誰かの影に覆われた。
「グラッツさん」
ウノは相変わらず地に身を投げ出したままの姿勢。
“グラッツさん”と呼ばれた影は、ウノの足元に回り込むと、手を差し伸べた。
浅黒く焼けた肌。
衣服に覆われている部分ですらも、その存在を主著してくるほどの筋肉の隆起。
ウノの胴ほどの大きさの剣を背負い佇むその姿は、薄暗い裏道で初めて出会ったなら我が命ここまでと諦めてしまうほどの威圧を放っていた。
「ここで寝たら風邪ひいちまうぜ、ウノ。おっと、これまたすんごい格好だな。――んお、ビールの匂いまでしやがる。こりゃひでぇや」
ウノを軽々と引き起こすほどの巨躯を持ちながらも、飄々とした話し口と無造作に伸びた髪と髭が幾分か雰囲気を和らげている。
「ビールがひとりでに降ってきたんで、日向ぼっこして乾かしてました」
「日向ぼっこ、日向ぼっこねぇ……」
ウノがあまりに真面目な顔をして言うものだから、グラッツは太陽の“た”の字も感じられない裏道での日光浴に関して、つっこむべき冗談なのか悩むのだった。
転生者に寛容な街ヴィエンデンバートルではあるが、突然の来訪者を温かくもてなすほどの歓迎っぷりというわけではない。
命絶えたと思ったら、見ず知らずの異世界と形容するしかない場所で目覚めることになる転生者は、どんな必殺技を持つものであってもまずは衣食住を自ら確保しなくてはならない。
街の大方の人々のスタンスとしては、『魔物倒してくれるなら街にはおいてやる。あとは自力でなんとかせい』という感じなのである。
約1年前、ヴィエンデンバートルで目を覚まし死にかけることとなったウノも例に漏れず、生活基盤はもとより命も危ない状態であった。
そんなウノの前に神のごとく現れ、命の危機を救うのみならず、師弟として共同生活まで持ち掛けてくれたのが、このグラッツという男だった。
そんなこの世界での父とも呼べるような存在に対して、
「サンドバッグにされた挙句すってんころりんと転んじゃいました、てへ」
とは一目瞭然の状況であろうと言いたくはないというのがウノの心情というわけであった。
「今日は“陽熊”を狩れたんだぜ」
土の中から掘り起こしてきたかのように泥だらけの羽織のフードを深々と被り、俯いて歩くウノ。
その横で、グラッツが呟くように口を開いた。
狭い道にザクザクという二人分の足音だけが響く。
数メートルほど進んだところで、ウノは今ようやっと声を認識したかのように顔を上げた。
「“陽熊”、ですか」
もうウノからの反応はないものだと諦めたように口を結んでいたグラッツは、突然の返答にくしゃりと笑顔を浮かべながらウノの顔を覗き込む。
「おうよ。こおぉぉんなでっかいやつだったんだがな、出会って10秒で仕留めてやったぜ」
いや、もっと大きかった、こんなだ、と巨体全部を使って今日の収穫を説明する様子はさながら貰ったプレゼントを一生懸命に自慢する子供のようであった。
大の大人が身振り手振りで話すのを見るうち、ウノの鼻先まで上り詰めていた惨めな感情は胸の奥底へと帰っていった。
「ウノは見たことないだろうが、あいつらの毛皮は『太陽の分身』と言われるくらい明るく光っててよぉ。その光に吸い寄せられるようにやってきた動物たちを狩る姿から、”森のチョウチンアンコウ”とも呼ばれてんだとよ。んでもってあいつらの毛皮を使って作られたローブは――」
ウノからリアクションを貰えたことに気をよくしたのか、相変わらず激しくボディランゲージを交えながら“陽熊”なる生き物について嬉々として語っていた。
しかし、目頭から感情を零すのは阻止できたとはいえ、ウノは地を抉り込むほど落ち込んだ気持ちを再浮上させるのに手間取っており、楽しそうに解説するグラッツに対して愛想マシマシの笑顔を向けるので精一杯だった。
そんなウノの哀愁漂う微笑みに気付き、グラッツは「てゆーのは置いといて……」と前置きして話題を変える。
「まあ、なんだ、要するに高値で換金できたから、夕飯はステーキでも食うかってことよ」
「ステーキですか!」
ウノ。齢16。まだまだ食べ盛りなお年頃。
頑なに地面から離れることのなかった気持ちが”ステーキ”という一単語ですぐさま腹の位置まで起き上がってくる。
急に爛々と目を輝かせるウノを見て、グラッツは苦笑とも安堵ともとれる笑みを零した。
「その前に、その服をなんとかしないとな」





