~ 閑話 ~
「しまったのぅ」
不意にそう漏らして、頭を掻いている父。
何か問題だろうか。
問題と言うのであれば、町の混乱がいまだ治まりきらず、港湾設備の復旧も進んでいないという現状は色々と問題なのだけれど。
なんだかそういう雰囲気でもなかった。
「どうかした?」
聞こえてしまった以上、気になる。
私に話せない内容であれば言わないだろうし、そうでなければ言ってくれるだろう。
そう思って聞いた私に、父はミスを見咎められた子供のような表情を浮かべた。
やべ、というように。
「?」
「いや、大した話ではないが」
そんな前置きをしてから。
「忘れとったわ。あの坊主にエメレメッサの予言のことを教えてくれと言われたのを」
「エメレメッサって、精霊の?」
有名な精霊種の名前だ。おそらく世界で一番に有名な。
何が有名なのかと言えば、それの声を多くの人間が耳にしているから。
「予言って、私が生まれる前のことよね?」
その日、世界中の者が耳にしたというその予言。
生まれていなかった私は、もちろん聞いていないのだけど。
父、ロファメト・アウェフフがあの坊主と呼ぶのは、ヤマトのことで間違いないだろう。
「ああ、そうじゃ。あれ以降、どこかで予言を残したとは聞いておらんが」
エメレメッサ。光の精霊とも呼ばれ、過去にも色々な予言を残したという伝承が残っている。
山が火を噴くだとか、妖獣に率いられた魔獣の大群が町を襲うだとか、空から火の玉が降ってくるとか。
未曽有の事態が近づくと、その影響のある地域に声が響くのだとか。
二十年以上前の春の日に、その声が全世界に響いたという話。
――円環因果断つもの、今生まれしもの。
――其れ母なくば龍を沈む。
――其れ母あらば世を枯らす。
物騒な予言だ。
それ以前の予言と言われるものが地域限定で伝えられたのに対して、これは全世界に同時――当時の証言からすれば――に響いたというのも、世界的に影響があるからだと。
どうやって世界中に同時に声を届けたのかはわからない。精霊種なのだから人知が及ばぬこともある。
「その予言のことも、何も知らなかったの?」
「そのようじゃな」
世界中の人が聞いたと言うのだから、本人は知らなくても親などから聞いていそうなものなのに。
改めて、世間知らずという言葉だけでは説明がつかない不自然さを感じるが。
(……でも、好きなのよね)
ふっと顔が緩んだのを父に見られてしまった。
「……ん。でも、その予言のことなら、だいたい誰でも知ってるんでしょう?」
別にあえて父が教えなくても、知りたいのなら他の誰かに聞くなりするだろう。
とりあえずその予言は成就した様子はないから、間違いだったのか、回避できたのか知らないけれど。
「それはそうなんじゃがな。お前も知らなんだか」
{?}
父が言いたかったのはその予言の中身ではないらしい。
「その予言の日に産まれた子は、呪い子と呼ばれとる」
「それは……まあ、仕方ないかしら」
物騒な予言の日に産まれてしまった巡り合わせで、無関係な赤子がそんな扱いを受けたとしても。
「多くの命が失われた。自ら赤子を殺した者も少なくない」
「……」
仕方がないとは言えない。
嘘か本当かもわからない予言の為に、罪のない命が失われたのだとすれば。
(エメレメッサは……)
何を思ってそんな予言を世界中に伝えたのだろうか。
精霊種は人間とは大きく異なると言う。だがもしそれに人格のようなものがあったとしたら。罪の意識などがあったとしたのなら。
(……二度と、予言なんかしないんじゃないかしら)
それ以降、予言を聞いたものがいないということを思えば、そうなのかもしれない。
ただ単に予言する必要がないだけなのかもしれないが。
「いるんじゃよ」
「何が?」
「呪い子じゃ。ギハァトにな」
それをヤマトに伝えるつもりがあったのに、忘れていたと。
用心するように言いたかったのか。やはり父はかなり彼を気に入っている。
「長女と次男が呪い子でな」
父は、窓を開けて外を見上げた。
「今頃はどこにおるのやら。あまりに凶暴で、父ゼフス・ギハァトも長男のデイガルも持て余して放逐されたんじゃが」
「危ない人たちなのね」
「10年くらいになるかの。今のお前よりまだ小さかったが、手の付けられない双子じゃったわ」
私が五歳くらいのことなので、記憶にないのは仕方がない。
父は深い溜息を吐いた。
「ゼフスは複数の女に子を産ませておったが、あの双子はまさに呪い子と呼ばれるのに値した。むしろあれらが予言の子なのかもしれんと思ったわ」
「そんなに強かったの?」
「まだ成人前じゃったから、さすがにゼフスやデイガルに及ぶわけではなかったらしいがの」
そんな双子が、野放しになっている。
予言の話のついでにそれを伝えるつもりで忘れていたと。
「どうしてゼフスは、その……」
聞こうとして、言葉を噤んだ。
何を聞こうとしたのか。聞くまでもなく親子であれば当然のことながら、
「始末しなかったのか、とな」
私の質問の続きを紡いで、父は皮肉気に笑った。
よしよしと頭を撫でられてしまう。子ども扱いだが受け入れる。
「別に親子の情などではないだろうて」
私の考えた答えを否定した。だから皮肉っぽい表情なのか。
「惜しかったのじゃろうよ」
兇刃狂と呼ばれる男に親の情などない。
惜しかったのは、子の命ではなく、己の血筋に連なる者の力。
ゼフスを超えて、長男のデイガルも超えて、世界で最も強いという頂きに届くかもしれないその才能だったか。
複数の女に子を産ませたというのも、その一環だったのだろう。
ただの性欲だったのかもしれないけれど。
(ヤマトは……違う、よね?)
ふと不安になる。
私がヤマトと過ごした時間は短かったけれど、何か通じ合ったような気持ちはある。
あるけれど、それは別に確かなものではない。
可愛いとは言われたけれど、もしかしたら誰にでも言ってしまうのかも。
(他に女とか、出来ちゃうかも)
「……」
一緒の船に乗っているはずのサトナは結構可愛いし、彼女は行動力もあるだろう。
(うう……キスくらいしておけば良かったかな)
しまった、しまった。
可愛い妹がいたにしても、それはただの妹だ。妹のはず……?
とにかく、ヤマトの様子からしたら現時点で親密な関係の女性などなさそうだった。
(ヤマトなら、いつでも恋人とか出来ちゃいそうだし……)
「……?」
悶々としている私の前で、父が不審そうな顔をしていることに気付かない。
焦燥感から、部屋の中を歩き回る。
あっちへ、こっちへ。
「……それほど心配せずとも、世界は広い」
「だから心配なの!」
「そ、そうか……そう、じゃの」
失敗だった。あんなに素敵な少年を手放すのではなかった。
縋りついてでもお願いをしたら残ってくれたかもしれなかったのに。
一緒に、ついていくことも出来たかもしれない。
(……)
二人で世界を旅する。
好きな人と二人で……
(悪く、ないかな)
そんな想像を膨らませて、なんだか顔が熱くなってきた。
「……」
いけないいけない、と頬をはたく。
そんな妄想に酔っていても現実は変わらない。
今まさに、ヤマトに近付こうとする女がいるかもしれないのだ。
「……仕方ない、か」
ふう、と息を吐いた。
お互い、子供から大人になりかけの時期を、ほんの少し共有しただけ。
好いた惚れたと言っても、海の向こうの相手をいつまでも想っていても現実的ではない。
初恋だった。たぶんそういうこと。
母なら、欲しければ海を越えて無理やりにでも奪い去ってくるだろうけれど。
(だけど)
きつく唇を結び、先ほど父が開けた窓から外を睨む。
「……」
北の方角。その方角に向かったはずだ。
初恋の彼のいると思われる方位の空に、強い視線を送る。
(……恋人が出来ても、結婚していてもいい。元気で――)
「また、会えたら」
その時は、初恋の思い出話などをしよう。
私にだって恋人が出来ていて、子供だっているかもしれない。
ヤマトがどうしていようが責めることはないし、私も負い目に感じることなどないのだ。
「また、会いたいな」
父は何も言わず部屋を出て行った。
※ ※ ※
「バナラゴ・ドムローダは海都ウェネムにいるはずでしたね」
柔らかな声が響く。
決して広い部屋ではない。
窓は高い天井の近くに一つ、色のついたガラスが絵のように嵌め込まれた飾り窓のみ。
綺麗に磨かれた石を積んで作られた建物で、薄暗さから寒々しさを感じさせるはずの部屋。
そんな部屋に響く彼女の声は、その部屋の雰囲気と相反して暖かい。
季節はこれから暖かくなっていく。
農地では新しい穀物が植えられている時期だろう。
(今年こそは豊かな実りがあれば良いが)
ムース・ヒースノウの脳裏にリゴベッテの村々で見てきた田畑の様子が浮かぶ。それは少し昔の光景だが。
ここ数年、近隣ではあまり農作物の収穫がよくないという報告だ。
巡教司――ゼ・ヘレム教会の中で、各地を巡って人々に教えを導く立場にある位階の低い立場だった頃は、リゴベッテのあちこちへ向かった。
各地を巡るというのは、決して安全な旅路ではない。
他と比べて平和なリゴベッテ大陸にもならず者は存在する。魔獣などの被害もある。
そういう中を少人数で行く巡教司という役割は、それ相応の力が必要だった。
ムースもその一人であり、こと戦いという点では他の同僚より抜けていたという自覚はある。
数年前に推挙を受けて、若くして主衛士長という役となってからは聖堂都市サナヘレムスから出ることはほとんどなくなった。
「貴方もウェネムに向かうと?」
はっと意識を戻す。
彼女の声は柔らかく、安らぎを感じさせる。
最初の頃は緊張のあまり何を言っているのか理解していなかったこともあるが、さすがに数年も務めればそこまでの緊張はない。
だが、決して楽な相手だとは思っていないのだ。
カリマ・セスマムコーレ。
黄金色の教母と呼ばれるゼ・ヘレム教会の上級幹部。
教皇、総主教に次ぐ権力者であり、治癒術士たちの長でもある。
聖下と敬称をされる現存する三人のうちの一人。最上級はまた少し違うのだが。
うかうかとしていていい相手ではない。
「いえ、教母聖下」
慌てずに、心静かに返答する。
非礼をしてはならないが、セスマムコーレ教母は決して無闇に他者を責めるようなことはない。
「ウェネムまでは……ヘレムスを出るつもりはありません」
海都ウェネムはその名の通りの大きな港を持つ都で、このゼ・ヘレム教会の中心であるヘレムス教導区からは国二つを越えなければならない。
徒歩では急いでも五旬以上。乗り物を使ってもその半分ほどはかかる。
気が向いたから行くと言える場所ではない。
「南に、魔獣が増えてきたと聞きましたので」
「その対処に、ですか」
「農繁期になれば人の被害も出ましょう。許可をいただければと思い、お願いに参りました」
膝をつくムース・ヒースノウを見下ろす教母カリマ・セスマムコーレ。
その瞳は楽し気だった。
「そのように畏まらずともいいのですよ、ムース」
「はっ」
言いながらも、姿勢は崩さない。
片膝と片手を床につき頭を垂れる様は、王に仕える騎士のようだ。
役割としては教会内で近いものになるのだから、それが正しい姿か。
「わたくしはてっきり、貴方がウェネムまで迎えに行くと言うのかと」
「……」
「早ければそろそろ帰るか……そうでなければ、帰れぬか」
「考えてもおりませんでした」
ムースの言葉に偽りはない。
カリマに言われてみて、そういえばと思い出した程度。
「冷たいのですね。弟弟子には」
「彼は……彼とは、あまり話すことがなかったので」
「魔獣による民の被害には心を割く貴方が、あの子には無関心なのはどうしてなのでしょうね」
「……」
返事はできない。
関心がない。そうとばかりは言えない。
気になるから、気にしないことにしているのだ。
師匠から……ラボッタ・ハジロから、特別に指導を受けていた弟弟子に対して、嫉妬心もあるし、興味もある。
ローダ行商組合から依頼を受けて、ズァムーノ大陸に渡ったというのは聞いていた。
ずっとまともに探索されたことがないズァムナ大森林の探索など、本当に出来るのかと。
(彼なら……死なぬフィフジャ・テイトーなら、帰ってくるのかもしれない)
死なない。
それが弟弟子の特徴だった。
黄の樹園を生きて出た孤児であり、師匠の非人道的な指導でも死ななかった弟弟子。
教会内部では割と有名だった。本人は気に入らないだろうが。
「ドムローダ会長としては、帰ってくると確信があるのでしょうね」
「それは……商売人は、成功の見込みのない投資はしないのではありませんか」
バナラゴ・ドムローダ。ローダ行商組合会と呼ばれるリゴベッテ最大の商人組織の長を務める商売人。
彼が依頼したというズァムナ大森林の探索とやらを、なぜ教会幹部が知っているのか。
そんなことをムースは知りたくない。知らなくてもいいことを知るのは無益どころか害悪だ。
知っているのは、フィフジャがズァムーノ大陸に渡り、問題がなければそろそろ戻ってくるかもしれないということだけ。
中身や裏側などというものは関係ない。
「まあいいでしょう、ムース」
何を許されたのか、それを考える間が必要だった。
「貴方はもともと巡教司でしたからね。サナヘレムスの中ばかりだと窮屈だったと思います」
「はっ……あ、いえ。決してそのような……」
町を出て魔獣討伐に向かっていいと、許可されたのか。
それを理解すると同時に、本音の半分も言い当てられて答えに困窮する。
そんなムースに、カリマは楽しそうにくすくすと笑った。
年齢は……決して若いはずはないのだが、そうは感じさせない。見た目の通り30代のはずはない。50よりかなり多いはずだが、本当に若く見える。
白を基調とした法衣に黄色の帯を巻いている体は、ほどよく豊かというところ。
初めて会った時、彼女を見て教母と呼ばれていることに納得したものだ。
「違うのですか?」
「いえ、その……そういう気持ちがないわけではありません」
生真面目に答えると、より一層楽しそうな笑い声が響いた。
民を救う為にという方便も嘘ではないが、聖堂都市は堅苦しい相手が多い。
町を離れる仕事を受けられたら、と思っていたのも事実。
主衛士長という役割のムースの現在の職務は、主に黄の樹園周囲の警護任務になる。
同じ役割の者が三人いて、他に部下が数十人。
指揮系統の違う衛士もいるので、この町だけで数百人規模の衛士が黄の樹園の為に常駐していることになる。
教会本部の方にはまた別にもいるので、聖堂都市サナヘレムスの常駐戦力としては数千を超えていた。
衛士……他の国で言えば兵士たちは、町の警備などの役割はもちろんあるが、平和なサナヘレムスでは持て余す過剰戦力。
巡教司のようにヘレムス教区を巡回して、害のある魔獣を駆除したり、堤などを整える作業に従事したりすることもあった。
ムースは、ここ数年はカリマの周囲に配属されていたので、長く外回りをしていない。
たまには偉い人の目がないところで気楽に仕事をしたいと、そう思うのも普通の人間だろう。
(そういう意味では、フィフジャが羨ましい……いや、そうでもないか)
さすがに死地に送られるのは気が進まない。
それに、ズァムナ大森林など探索しても、誰が喜ぶわけでもない。
ムースはゼ・ヘレムの信徒だ。ヘレムの信者たちの安全を守り、感謝されることは嫌いではない。
「確かに、外の空気を吸いたいという気持ちもあります。ですが、ヘレムスの民が心安く過ごすことを願う気持ちも偽りではありません」
「ええ、わかっています。少しからかっただけですから怒らないで下さいまし」
「滅相もない」
再度頭を下げなおして、びしっと固まるムース。
カリマはそれを見て静かに頷いた。
「ではムース。ヘレムス南部の危険の確認と排除を許可します」
「はっ」
最初から許可は出ているのも同じ。
立場が高い者が、いちいち一つ一つの案件を確認しているわけではない。
ムースは衛士のグループの中で、ヘレムス教区に上がってきている報告を精査して、それの対処策を決めてきている。
その報告と、形だけでも上からの命令を受けたという体裁を取っているだけだ。
教母の方で何か気まぐれに話を横に持って行っただけのこと。
ムースが教母に気に入られていることを衛士内では知られていて、それでお役が回ってきたという話だった。
礼をして立ち去るムースを見送って、カリマ・セスマムコーレはもう一度楽しそうに笑う。
声には出さずに、吐息だけで。
「予言の子が、帰ってくるのですね。わたくしの」
自愛に満ちた吐息で。
※ ※ ※
「フィフジャさーん!」
海都ウェネムの港に、やや高く透き通るような声が突き抜ける。
港の喧騒などまるでないように、真っ直ぐに。
「やっぱり、フィフジャさんだ!」
港に降りた直後に知り合いに見つかるというのは、よほどフィフジャの顔が広いからなのだろうか。
ヤマトもアスカも、不思議そうにフィフジャを見てみると、彼は物凄くイヤそうな顔で口を閉じていた。
「……」
そんなフィフジャの様子を知っているのかどうか、天真爛漫といった雰囲気の笑顔で手を振って、速足で駆け寄ってくる金髪の少年。
少年……のようにアスカには見えるが、背が少し低いだけで二十歳を超えているのか。
ヤマトと同じくらいの背丈だったので成人男性の平均身長よりは低い。
さらさらの金髪の美少年。少年……ではないのかもしれないけれど。
「あれぇ、フィフジャさん。なんでそんな顔なんです?」
「……」
近付いてきて、小首を傾げながら不思議そうに訊ねてくるのだが、フィフジャが応じない。
少し心配になってアスカが聞いてみる。
「フィフ……知り合い?」
「……いや」
「いやじゃないでしょ、イヤって! ひどいですよフィフジャさん」
確かに彼の言う通り、いくらなんでも無理がある。
どう見ても相手はフィフジャを知っているのだし、フィフジャだって知り合いだからそんな反応をしているのだろう。
知らない相手だったらもう少しまともな応対をしているはず。
港町の港は騒がしい。
それはノエチェゼもそうだったが、この海都と呼ばれるウェネムも同様……というか、ノエチェゼ以上に人が多い。
建物は、ノエチェゼは石をそのまま削って作った雰囲気の建物が多かったが、ここは形を整えて焼いた石材を積み上げたような建物が多い。粘土を焼いて作っているのか。
港も大きい。さすが海都と呼ばれるだけのことはある。
そんな中でよくフィフジャを見つけたものだと感心するのだが。
「ノエチェゼからの船が入ってきたって聞いたから、食事を詰め込んで慌てて来たっていうのに」
そういうことなら、確かにノエチェゼからの船は四隻だけだったので見つけるのは難しくなかっただろう。
相変わらずフィフジャは渋面だが。
「……」
「あのねえ、フィフジャさん。よくないですよ。無口なのは昔からですけど、友人がこうして再会を喜んでいるんですから」
「フィフに友達がいたの?」
「違う」
「違いませんよ! ひどいじゃないですか……って、この子たちは?」
そこで初めて、金髪の彼が不思議そうにアスカとヤマト、クックラ、グレイを見る。
グレイを見て、びくぅっと後ろに飛びずさっていた。
「なわぁっ! わたた」
手にしていた本――白い装丁の本を落として、慌てて拾いながらグレイを指さす。
「まっ、まじゅ……」
「……この子は大丈夫だよ」
ついでのように、グレイの近くにいるヤマト、アスカたちも指さして、後ずさっていった。
物珍しそうにグレイを指差されるのは好きではないが、ここまで怯えられると怒る気にはなれない。
腰を抜かしている彼に向けて、クックラとアスカで左右からグレイを撫でて見せる。
グレイは気持ちよさそうに身を捩りながら、グゥゥと喉を鳴らした。
「はあぁ」
深々と、深々と息を吐くフィフジャ。
少し情けなさそうな顔でアスカたちを見て、軽く首を振った。
「……エンニィ・ガドリィだ」
「?」
この金髪君の名前なのか。
あまりにやる気のない紹介だったので、何だかわからなかった。
「あ、はい……エンニィです」
尻もちをついたまま、照れたような笑顔で自己紹介をする金髪君。
それがエンニィとの出会いだった。
「にしても、ひどいですよ。フィフジャさん」
立ち上がり、白い本を持っていないほうの手でズボンを叩きながらエンニィが口を尖らせる。
まだ恐ろしいのか、グレイと――なぜかヤマトとも距離を置くように、
「……」
「まぁたそうやって無視とか、人としてどうなんですか。人として。僕は友人として言ってるんですよ」
アスカが見ていても、確かにフィフジャの態度は褒められたものではない。
相手は一生懸命にコミュニケーションを取ろうとしているのに、フィフジャは迷惑そうにそれを黙殺している。
「もしかして、彼がフィフジャの嫌いな人?」
会いたくない人がいると言っていた。
この喧しさは確かに鬱陶しいかもしれない。朗らかで人懐っこいとも言えるが、人によってはそれを疎ましく思うだろう。
フィフジャの口から直接言いにくいのなら、とりあえずアスカが。
「え、えっ? そ、そうなんですか?」
「違う……いや、違わないが」
「違って下さいよ! 今のは違うで良かったじゃないですか! ねえ、お嬢さん?」
フィフジャの対応に抗議をしつつ唐突にアスカに同意を求めてきた。
ヤマトとは距離を置いているからアスカに話を振ったのか、それともアスカが可愛いからだろうか。
「う、うん……フィフ?」
アスカも、どうしたものかとフィフジャの判断を仰ぐ。
見知らぬ人が、馴れ馴れしくフィフジャに話しかけてきて、冷たくあしらわれている。
関わってはいけない人なのかもしれない。
「……はぁぁ」
もう一度、深く肩を落として息を吐くフィフジャ。
「どうして……そっとしておいてくれなかったんだ」
「心配してたんですよ、フィフジャさんのことを。予定だったエズモズからの船には乗ってなかったし、何かあったのかって」
なんだ、善い人じゃないか。
フィフジャの知り合いで、彼の予定を知っていて、予定外のことが起きたのかと心配してここで待っていたのだと。
友人と主張するエンニィとやらの言葉が本当なら、フィフジャの友人ということでいいと思うのだが。
「お前、そんなに暇じゃないだろう」
ジト目のフィフジャに言われると、エンニィは舌を出して惚ける。
「まあ、行商組合としては交易船の季節の海都は大事ですからね」
「なんだ、お仕事でここにいたのね」
フィフジャを心配していたというのも嘘ではないかもしれないが、エンニィには彼の都合があってここにいただけ。
行商組合というのだから、交易に関わるのは自然な話だ。
ちょうどズァムーノ大陸からの船が着いたということで、そこにフィフジャが乗り合わせていたという巡り合わせか。
「……いるんだろう」
「何がです?」
「お前がいるんだから、あいつも……」
フィフジャの質問がわかっているのか、エンニィは意地の悪そうな笑顔で頷いた。
仲の良い友人とは言えなさそうだ。
「そりゃあね。フィフジャさんだって僕の立場知ってるでしょう」
「あの野郎の小間使い」
「会長の秘書です。やめてくださいよ、いくらクソ野郎だからってそんな言い方するのは」
クソ野郎なのは事実なのか。エンニィがそれをクソ野郎と言い放ったけれど。
部下のエンニィがクソ野郎と呼ぶ会長とやら。
どうやらそれこそが、フィフジャを憂鬱にさせている相手ということでいいのだろう。
「リゴベッテ最大の行商組合のトップですからね。善人で務まるわけじゃないんですよ」
「それはそうだろうが、俺には……」
「どっちにしたってフィフジャさん、会わないと報酬受け取れませんよ?」
エンニィの笑顔は、フィフジャが嫌がることを楽しんでいる様子だった。
会長……リゴベッテ最大の行商組合の長が、フィフジャにズァムナ大森林の探索を依頼した本人。
組織として依頼したのかもしれないが、なんにしても依頼主というわけで。
船の上で、会わなければならないと言っていた相手になる。
「まさか急に……」
心の準備が出来ていない、と。
船から降りてすぐに、その当人がいるとは思っていなかった。フィフジャの言い分はそういうことだった。
(……私たち、まともに紹介してもらってないけど)
必要があるのかないのかわからないが、面倒な相手なら紹介されなくてもいいかと。
ギュンギュン号から荷物が下ろされ、ダナツたちがそれらの作業に追われている。
今日は、ダナツの紹介の宿に泊まることになっていた。
というか、ダナツの奥さんでありサトナのお母さんの経営する宿だと。
海の男は各地の港に宿となる女がいるだとか、そういうロマンなのだろうか。
アスカには理解できないが。
「フィフ。面倒な……大事な話だったら、私たちはサトナたちと宿に行ってるね」
逃げることにした。
フィフジャの縋るような瞳がアスカに向けられるけれど、してあげられることはない。何も。
大人なのだから、自分が請けた仕事はちゃんと最後まで自分でやり切ってもらわないと。
「そうですよ、フィフジャさん。覚悟を決めて会長のところに行きましょう」
エンニィに促され、それでもフィフジャはいやいやと言うように口を結んで動かない。
子供か。
そんな様子を楽し気に見ていたエンニィが、ふと思い出したように言った。
「フィフジャさん、お帰りなさい」
※ ※ ※
新岡琉人は記者である。
記者と言っても色々なものがあり、日ノ本で記者と言う場合ハイエナのように他人のプライバシーに踏み入り知る権利だと主張する者が多いように受け止められることもある。
そういった記者も存在するというだけで、それが全てではないだろうが。一般的な日常を送る人が記者などに関わる場合は、あまり好まれないケースになりやすい。
新岡琉人は、そういう記者とは違った。
取材スタイルが違う、というわけではない。一般人の心情を考えて無茶な取材はしないだとか、そういうプライドを有しているわけではない。
ただ単にジャンルが違うだけだ。
どちらかといえば、世間で多く見られる記者以上に、一般的な人からは鼻つまみ者として扱われやすい部類の。
「新岡さん、やっぱまずかったっすね」
そう声を掛けてくるのは、でかいカメラの入ったバッグを肩から掛けている宇津志栄三。カメラマンだ。
頬に濡らしたハンドタオルを当てながら、まぁなと答える新岡。
殴られた頬が痛む。
暴力沙汰だ。訴えればこちらが有利かもしれないが、そんなつもりはない。
普段はあまり人様に迷惑を掛けない取材をする新岡だったが、今回は少しばかり他人の触れられたくない領域に土足で踏み入ってしまった自覚がある。
だから、これはお互い様だ。取材料だと言ってもいい。
ふとポケットに手を突っ込むと、何やらじゃらっとした感触が触れた。
「……」
見てみれば、木の葉っぱだ。
殴り倒された際に、そこにあった木を咄嗟に掴んでしまったのだろう。
その時に掴み取った木の葉。
そのうちの一枚を手に取り、片手はタオルで頬を冷やしながら、空に翳してみる。
見たことがない葉だ。
だが、そもそも新岡は別に植物に興味があるわけでもないので、見覚えがないという程度のことでしかないが。
「なあ、宇津志」
「なんすか?」
とりあえず他に誰がいるわけでもないので、同僚に聞いてみる。
「これ、なんて木だ?」
「知らないっすよ。そういうのは自然派のカメラマンに聞いてください」
「だよな」
もっともな意見だった。
どちらもそんな風情を楽しむ方ではないし、植物に関心もない。
関心があるのは、そういう自然的なものではなく、もっと超自然的なもの。
二人はオカルト雑誌の記者とそのカメラマンだった。
日ノ本でも絶滅危惧種ではあるが、オカルト雑誌とかそういったものが消滅するのはまだ先のようだった。
オカルト、超常現象。そういった分野に関しては、もしかしたらずっと先まで消滅することはないのかもしれない。
誰もが、見知らぬものを見たがるし知りたがる。
ちょっと今回は失敗だったが。
「しっかし、なぁんにもなかったっすね」
「もう七年も前の事件だからな」
日ノ本の片田舎で起きた、一家消失事件。
前日まで何の異常もなかった一つの農家が、突如として姿を消した。家まるごと。
直前にその家に回覧板を届けたという近所に聞いても、いつも通りそこには家があり、住人も来週の田植えの話などをしていたのだと言う。
誰も知らぬうちに、それらが丸ごと消えた。
何一つ痕跡を残さず、近所の人間に聞いてもわずかに遠雷のような音を聞いたかという程度の証言しかないまま。
その敷地が、更地になっていた。
住人や、そこに訪れていたという親戚、犬猫なども含めて。
誰が見ていたわけでもないが、一瞬でその家が姿を消した。現代の神隠し。
当時は大いに世間を騒がせ、その一週間ほど後に一人が見つかったという報道もあったのだが。
出てくる話は、科学的説明できるだとか一家の夜逃げだとか、あるいはオカルトな超常現象でどこかの世界に送られたのだとか。
結局真相はわからぬまま、いずれ忘れられた。
オカルト記者としての新岡琉人が今更それを拾い上げようと思ったのは、ただネタがなかったからである。
七年越しに明らかになる一家消失事件の真相。
そんな風に銘打って記事でも作ろうかと案を出したら、案外とそれが通ってしまい、取材に来たわけだが。
「娘をなくしてるんだもんな」
勝手に踏み込みそこの写真を撮っていた彼らに、その地主が激高して食いかかってきた。
話を聞いてもらおうとしたのがまずかった。
事件直後の当時も雑誌記者などに散々な取材を受けただろう男性は、新岡たちに拳を振るった。
出ていけ、と。
そうして退散してきたわけだが。
「……まあ、記事は何でも書けるからな」
どちらにしろ、作文をするだけだ。真偽などわかるわけもないし、真実を追っているわけでもない。
オカルト雑誌的に人目を集める記事を創作するだけのこと。
日ノ本の片隅まで取材に来たのは、旅行的な気分という意味合いの方が強い。
とりあえず、証拠風なその木の葉を密封出来るタイプのビニール袋に入れて、封をした。
そのまま着古したジャケットの内ポケットに放り込む。
「よぉし、一度宿に戻ったらなんか食いに行こう」
「そうっすね」
金を払えばそれなりにうまいものが食える。
全国あちこちに取材に行く新岡たちの楽しみはそんなものだった。
※ ※ ※




