海より託される想い
時は少し前後する。一行が海皿砦を通過していた頃のこと。
海を自由に泳ぐと言われる海モグラでさえ、海皿砦に近付くのは初めてだった。百年近い時の中で初めてのことだ。
ここにあるというのは知っていたし、遠くから見たことはあったが、入り口に近付くことなど考えたこともない。
人間たちの船から少し離れて海皿砦の周囲を回る。暗礁なども多く船で近付くのは難しそうだ。
かと思えば、東側はかなり広く開けている。
出入口らしいところも東側にあった。
ネレジェフは、この入り口を隠す為に東側にいるのだろうか。物を考えて動いているようには思えないが。
正午を過ぎた日差しがあるが、海皿砦はその名の通り皿のような屋根が傘になっていて、真下辺りは直射日光が差さない。
海モグラでも少し我慢をすれば平気だったので、せっかくの機会だから入り口から入ることにした。
桟橋というか、船をつけられるように海面から少し高いくらいの位置に直角に切り立った場所が用意されている。
真っ平らなその地面や壁がどう作られたのか、海モグラはそんなことは気にしない。
そこに上がると、その奥に風除けの衝立の設置された入り口があった。ドアや施錠という観点はないらしい。
建物の形状は。切株の上に大きな皿を乗っけたような形だ。灰色とも銀色ともつかない、あまり見たことのない材質の壁。
上に乗っている皿は椀状にはなっていない。わすかに中心側が膨らんだ円盤のような形で、皿というのは遠目に見た呼び名なのだろう。
奥に入ると、いくつかの部屋に分かれていた。円形の建物の中心に向かって、ぐるりと囲むようにいくつも部屋がある。
「なンろ?」
中には机と椅子が建物と一体化して備えられていて、後は椅子の正面に粒々のようなものがついた丸いふくらみがあるだけだ。
どの部屋も似たようなもの。奥に続きそうな部屋もあるが、とりあえず後回しにして見て回る。
建物を一周しようかという所だった。
その部屋に他の部屋にはなかったものを見つける。
「骨だンな」
机に突っ伏して眠る白骨。
風化してボロボロになっているが、かろうじて布を纏っていたのだとわかる程度。
衣服を着ているということは、人間なのだろう。人間だったのだろう。
他に何かあるのかと覗き込むと、その白骨の喉の辺りに下敷きになっている木板を見つけた。
「なンだ?」
海から流れ着いた木切れに文字を刻んだのか。何度も爪で引っ掻いて掘ったらしい。
船の残骸だったのなら、潮風などにも強い木材を使っていたのかもしれない。
人間の肉は朽ちてしまったが、木片はそのまま残っていた。
「……」
自慢ではないが、海モグラは文字を読めない。
人間でも読める者と読めない者がいるので、妖魔である海モグラが文字を読めなくとも不思議はないと思うのだが。
「まァ、あいつらに読ンでもらえりゃええだ」
とりあえずその木片を回収すると、動かされた白骨がごろりと倒れ、そのまま崩れた。
遭難してここに流れ着き、餓死か何かが原因で死んだ。
海モグラと違って水中での活動を得意としない人間なら仕方がない。まして普段はこの近くにはネレジェフがいる。
ここまで流れ着き、孤独の中で生涯を終えた彼……彼女かもしれないが、その人間が残した言葉。
海モグラが拾ったのも何かの縁という奴だろう。
この、何かの縁という言葉は海モグラの好きな言葉だ。
海で出会う人間たちは、海モグラの助言で命を拾うとそんなことを言うことが多かった。
広い海、広い世界で、たまたま出会ったということを指すらしいそれは、実に海モグラと彼らの関係をうまく表していると思う。
「これも縁ってやつだンろ。おらが届けておくだよ」
親しい誰かに遺した言葉とかそういうものなのではないか。
海モグラは、ひどく古びたその木板を尖った爪に挟んで海皿砦を後にするのだった。
※ ※ ※
ダナツは、その木板を見て何日も唸っていた。
いや、声は上げていないが、無言でそれを厳しく睨み続ける日々。
操船の手が空くと、船長室の地図の下に置かれたその木板につい目が向いてしまい、考え込んでしまう。
そこの書かれた中身がやや突拍子もなくて、ただ無視するには自分の人生との関りが深すぎて。
海の男の人生。
いや、世界中の海の男たちの生涯に関わること。
「……ああ、くそったれ。なんだってんだ」
海モグラのもたらした木板の中身は、事実だとすればダナツの手には余る内容だった。
船のことなら何でも聞いてくれのダナツだが、陸のことや政治的な話となれば全くの門外漢だ。アウェフフなら多少はそういったことも理解があるだろうが。
となれば誰かしらの助言を得たいところだが、船乗りたちは誰も似たようなもの。
このままノエチェゼに持ち帰るとすれば、それだけの時間をダナツが悩まされることになる。
まして、帰りの航海とて安全が約束されているわけでもない。
行きと比べると例年は楽なことが多いのだが、それでも万が一ということもあるわけで。
「こんなもん積んでたらな。俺が海に沈むわ」
普段は冗談としての常套句なのだが、今は冗談にならない。
ダナツは深く溜息を吐いた。
相談しよう。
偶然というか巡り合わせというのか、ダナツよりは頭が回りそうで、ダナツが信頼するに足る相手が今この船にいる。
彼らに託すことで良い結果を招くとも限らないが、この木板は船に乗せておくにはあまりに不吉だ。
「ネレジェフの秘密なんざ、嘘か本当か知らねえが」
そんなものを積んだ船が、無事に海を渡れるだろうか。
重い秘密は乗せない。これも海の掟だ。重さで船が沈むと言われている。
乗員の命を預かる船長として、危険な秘密を乗せていくことは許されないという判断。
逆にこれを預かった人間が厄介事に巻き込まれないとも限らないが。
それでも、この木板をきっかけに何かを為すことが出来るとすれば、ダナツが知る限り彼らしかいないだろう。
「……全ての船乗りの仇だ」
重すぎる木板を葬り去らない理由もある。
幾多の海の男たちの人生を踏み躙ってきた化け物をどうにか出来るのは、勇者と呼ばれるものに違いない。
ダナツは、自分の禿げ頭を下げる腹を決めて彼らを船長室に呼ぶのだった。
※ ※ ※
「操ってる人がいる……って、あれを?」
「そう書いてあらぁ。読んでみろ」
ダナツから渡された木板に目を通すヤマトだが、残念読めなかった。
文字はわからない。申し訳ない。
フィフジャに渡すとやや苦笑いで頷かれた。
受け取ったフィフジャだが、事前に聞いていたとはいえ、いざその中身に目を走らせれば険しい表情にならざるを得ない。
疑念と戸惑いを見せながらも、彼自身の心を鎮めようとするようにゆっくりと口を開く。
「……海の悪魔ネレジェフ。やつはただ海で暴れているのではない」
今ほどダナツから聞いた内容と、話し方は違ったが同じ話だった。
「ジェゼック王国があれを操っている。やつらはネレジェフを操る何かを持っている」
「……」
口は挟まない。全員が――ヤマト、アスカ、サトナ、ケルハリ、ボーガとダナツがそれを聞いている。
難しい話だというのでクックラはグレイと一緒に船室に置いてきた。
「ジェゼックの卑劣な企みを誰かが防いでくれ。そして、これを見た誰か。どうかネレジェフを倒してくれ」
(このフレーズは……)
どこかで聞き覚えがある。
フィフジャの声ではないが、ヤマトの記憶に引っ掛かるものがあった。
――誰か、これを聞いていたら。ネレジェフを……
(……牙城で聞いた、牙の声)
「ベニエサ山の麓、ナハレ村のクモフラ。ここに記す」
読み終わったフィフジャが一同を見渡して、一呼吸おいてからダナツに木板を返した。
静まり返る船長室。
ダナツは腕を組んで黙ったまま、しばらくしてから木板を受け取った。
波に揺れる船の上で、その揺れとともに気持ちも揺れる。
激しくではないが、なんとも言えない落ち着かなさで上へ、下へと。
大きく息を吐くダナツに、ヤマトは呼吸を忘れていたと我に返った。
「ネレジェフは、海に生きる連中全ての仇だ」
溜息交じりに吐き出す言葉に、ヤマトたちも頷くしかない。
返された木板を顔の前に掲げてダナツが続ける。誰にともなく。
「この木はな。もう今じゃ高すぎて使えねえが、ユエフェンの一部で200年以上前まで造船に使われてたカスタニって木材だ。かてえし柔らけえ上に水にさらされてもなんともねえって、最高級の材料だな」
木板の材質について蘊蓄を語るダナツ。
「こいつで作られた船が、今でもそりゃあ堂々と海を渡ってんだぜ」
言いながら、やや憧れめいた瞳をしていた。船乗りにとってはマニア心をくすぐられる材料なのか。
船の木材のことはヤマトにはわからないが、子供っぽいと思う反面で理解できる部分もある。
「どんだけの年数だか知らねえが、ずっとあそこで待っていたんだろうよ」
「ジェゼック王国って?」
アスカが訊ねたのはフィフジャにだったが、彼は唇を結んで頭を振る。
「いや……聞いたことがない。ベニエサ山地ならリゴベッテにあるが、村の名前まではわからない」
国の名前には聞き覚えがないというが、山の方の名前は知っていた。
この木板を書き残したクモフラという人物の出身地。
わかるのはそれくらいだと。
「俺は陸のことはわからねえ」
「……」
「だけどよぅ。ネレジェフは海に生きる連中全ての仇だ」
先ほども聞いた言葉。
ダナツの握られた拳が震える。
釣られて、ヤマトの拳にもつい力が入ってしまう。
「頼めた義理じゃあねえ。そんな責任もお前らにはねえ。こいつぁ俺の個人的な頼み事ってだけだ」
「船長……」
フィフジャの声には迷いがあるが、ダナツはその木板をフィフジャに差し出した。
「こいつの中身を、誰でもいい。なんとか出来そうな奴に繋いでくれ」
「……」
「出来るなら、あのクソったれなバケモンをぶっ倒してやれる奴に」
フィフジャは受け取らない。
渡された所でどうしたらいいのか想像もつかない話で、そしてその中身は重い。
沈黙の時間――
「ふぅん」
迷ってるフィフジャをよそに、ひょいとアスカが受け取ってしまった。
「お、おい……」
今ここはもっと何か悩み入る場面ではないのかと、そもそもそんな簡単に受け取っていいものではないのでは。
ヤマトの方を見もしないで木板を観察するアスカに、フィフジャは何も言わない。
「悩んでも仕方ないじゃない。これ、本当かどうかもわからないし」
「そ、それは……そうだけど」
「こんな物騒なこと書かれたもの乗っけて海を渡るのもイヤでしょ?」
あっけらかんと言って、違うのと言うように船乗りたちを見回した。
アスカの言い分に、押し黙っていたサトナが小さく噴き出す。
不穏な内容を書かれた木板の未来のことより、差し当ってこの船のことを。
「そうね、その通りよ」
ケルハリも肩を震わせ、ボーガでさえ口元に笑みを浮かべていた。
こんな物騒なもの、ごめんだと。
「じゃあ受け取るしかないでしょ。フィフ」
「……」
「ただの作り話とか妄想かもしれないんだから」
根拠がないというか、事実確認が出来ない話。
刻まれた想いと入手した状況は無視できるものでもないが、突拍子もない内容で俄かに信じがたい。
与太話。法螺話。そんな可能性も。
何にしても船に乗せておくにはあまりにも不吉な印象が拭えない。
これをダナツが手に入れたことなど他のものは知らないとしても、何かネレジェフに狙われそうな内容でもある。
狙われたとしたら、事実という可能性が高まるが。
(そんな命がけの確認はさせられない)
あのネレジェフの姿を見て、その大きさの全容さえわからなかったが、巨大な脅威であったことだけは確認できた。
人間が太刀打ちできる相手ではない。
そんなものを、誰かが操っているかもしれないなどと。
(もしそうなら、許してはおけないけど)
ネレジェフが海で奪った人の命はどれほどになるのか、想像も出来ない。
誰かがそれをさせている。誰も考えもしなかった話だが、もし事実だとしたら。
(絶対に許しちゃいけない)
海との関りが深くないヤマトでも、姿の見えぬ悪に怒りがこみ上げてきた。
「捨てちゃうか、受け取るか。だったら受け取って、そのベニエサ山? そこの家族とかを探してもいいかもしれないし」
場所はフィフジャが知っている。そこにはまた別の手がかりがあるのかもしれない。
アスカはそれ以上は言わずにフィフジャの判断を待った。
どうするにしろ、フィフジャの判断に任せると。
「……あれをどうにか出来るとは全く思えないが」
アスカの言葉を受けて、しばらくの沈黙の後にフィフジャがダナツに頭を振りながら答えた。
真偽は不明だが、これを放置するのは少し憚られる、というように。
「何も約束できない。それでも良ければ受け取ろう。どこかで捨てるかもしれないが」
「ああ、構わねえ」
約束できることなどない。これを受け取り、あの海の悪魔の討伐を請け負うことなど約束できない。
この船の重荷をとりあえず受け取るだけだ。
ヤマトたちにとっては、過去に誰かが書いたというだけの木板に過ぎない。船に乗せておくよりはいいだろう。
陸の上までネレジェフが追ってくるはずもないのだから。
フィフジャが知らないということは、その黒幕とされるジュゼック王国とやらはこの近隣にあるわけではない。
だとすれば、持っていてもヤマトたちが直ちに危険に晒されるということもないと考えていいのか。
「俺だってネレジェフの脅威は知っている。今回は直接見たから余計に、な。出来ることなら、あの海の悪魔を何とかしたいと思うよ」
受け取りながらフィフジャが呟いた言葉は、船乗りたちの気持ちに配慮したものだった。
「そうよね。あんなの使って悪さしてる人間がいるなんて許せないし」
アスカの発言は、正義感というより純粋な怒りだろう。
卑怯な行いを許せない。
年の若いアスカだから素直に言える言葉でもあるし、ヤマトの気持ちとも重なる。
古びた木板はそうしてヤマトたちの手元に残ることになった。
いつかこの海からネレジェフがいなくなれば。
そんな微かな希望とともに。
※ ※ ※
「そういうの、先に言いなよ」
「言う時間がなかったんだよ。さっきまで忘れていたし」
――その骨の人の声、僕聞いたかも。
ヤマトから、あの木板を書いたと思われる人の声を聞いたと言われて、とりあえず頭がおかしくなったのかと心配した。
前からお化けが怖いとか言っていた――怖くないと言い張っていたような気もするが――なので、白骨死体とか聞いて変な声を聞いてしまったのかと。
とりあえずそうではなく、ノエチェゼの牙城の中で聞いたのだと言う。
一人だけではなく他の人たちも聞いていたと言うから、とりあえず幻聴などではないと考えられた。
そうでなければ本当に幽霊が出たのかも、と言うアスカにいやぁな表情を浮かべて口を尖らせていたが。
(ほんと、怪談話は苦手なのよね)
兄のそういう部分が情けないのやらおかしいやら。
「それで、どう思う?」
漠然とした質問だが、産まれた時からの付き合いだ。何となく意図は通じる。
「たぶんだけど、あれはDENWAみたいなTSUUSHINSETSUBIなんだと思う」
あれ。海皿砦と牙城と。
遠く離れた場所に声を伝えるための設備で、中継地点などになっているのではないかと。
海モグラから聞いた話も合わせて、大昔の超魔導文明とか言われる時代に使われていた設備なのではないか。
海の中でも朽ちない材質で出来ていて、似たようなものが別の大陸にあるのだとすれば。
(私も、トランシーバーでしか見たことないけど)
大森林の家で、あまり使うことはなかったが無線のトランシーバーという道具はあった。
地球ではそれと似た機械で、大陸を超えてどこにでも通信できる道具があったと。その通信を繋ぐための電波塔というものの存在を聞いている。
父の社会の副教材に載っていた。
形などは違うが、用途は似ているのではないか。
「やっぱりそうか……」
答えについてはヤマトもそう目星は着けていたらしい。
アスカに訊ねたのは答え合わせのためだ。
「何の話だ?」
フィフジャが置き去りになってしまうのは仕方がないが、どう説明したものか。
面倒だなーという顔でヤマトを見てみたが、アスカに任せるといった風に肩を竦めるだけだった。
「簡単に言えば、別の大陸に声を届けるための建物ってこと」
「海皿砦が?」
「牙城とか、他の地域にもあるっていうそういうのが。全部……かわからないけど」
アスカは見ていないのでわからないのだが、ノエチェゼの牙城の中にもマイクに相当する何かがあったのかもしれない。
とにかく音声を発信、受信する設備ということで間違いはないのではないか。
意味のない建物ではなかった。
「……超魔導文明、では」
アスカたちの言葉を受けて記憶を探るように目を閉じていたフィフジャが、自分の覚えに自信がないのか、言葉を区切りながら話す。
「声を、どこにでも届ける。そういう魔術が、あったとか……そんな逸話があったはずだ」
「それじゃない?」
「いや、違うんだ」
適合すると言うアスカの言葉に否定が返された。
何が違うというのか。
「あんな大きな建物ではなくて……そういうことを出来る魔術士がいたとか」
「……」
大仰な装置を作らなくても、身一つでそれを可能にする魔術士が存在したとか。
だとすれば大規模な建物を建造する必要はない、と。
「……それ、本当?」
「それは……それこそ御伽噺のような話だから。実際はあの建物で行っていたことを、大げさに伝わっているのかもしれない」
遥か太古の時代の話では確認しようがない。
たとえばここでヤマトたちが、人間は昔――便宜上、昔――巨大な鋼鉄の船で月まで行ったのだとか話したとして、夢物語としか思えない。
理解も及ばないし、真偽もわからない。そういう類の話。
ただとりあえず状況証拠として確認出来ていることは、ネレジェフに関わる人が海皿砦で野垂れ死に、その声らしいものをヤマトがノエチェゼで聞いていること。
「そうだな。遠目だったが、海皿砦の壁は牙城に似ていた。共通の目的の建物なのかもしれない」
「でしょうね」
結局はアスカの言葉に頷いて、フィフジャは疲れたように呻いた。
さっきのネレジェフの話といい、脳に疲れが溜まっている。
「君らは本当に、色々なことを考えられるんだな」
「理由とか知らないと落ち着かないじゃない」
「……師匠と同じタイプか」
ぼそり、と。
その言葉は、知りたがりということを言っているのか、危険人物と同じだと言っているのか。
フィフジャの師匠はこの世界では珍しい魔術の研究者だという。アスカたちと似通った部分があっても不思議はない。
「ちょっと休む。わけがわからなくなってきた」
そう言い残して船室へ引っ込んでいくフィフジャ。
残されたアスカとヤマトは、顔を見合わせて苦笑を浮かべた。
わけがわからないのはこちらも同じなのだ。
「で、もうひとつ」
「なぁに?」
「治癒術、どう思う?」
フィフジャがいなくなった所でのヤマトの話題は、フィフジャの嫌いな治癒術に関してのことだった。
聞きたかったのだろうが、それこそタイミングがなかったのか。
「何を、どう思うっていうのよ」
また漠然とした質問を投げかけてきた兄に突き返してみた。
いつもいつも兄の言葉の足りないところを補って考えてあげていたら、本人の為にならない。
質問は明確に。
「どうって言うか……あれの仕組み、とか」
自分でも、自分の質問の根っこをきちんと理解していない。
何が聞きたいのかわからないのに、気になっていたから聞いた。それだけだ。
「そんなの私がわかると思うの?」
「う、ぅ……」
やれやれと溜息交じりに冷たい目で見ると、ヤマトが決まりの悪そうな顔で押し黙った。
(……可愛い)
やり込められて黙ってしまうヤマトがおかしくて、ちょっと優しい笑顔を返す。
何しろ、わかってしまうのだから。
理解できるとは言いすぎだが、その理屈は既に考えていた。船では考える時間がたくさんあったのだから。
「仮説だけどね」
自分を天才とは言わないが、そうなりたいという気持ちがあるので。
知らないことをそのままにはしない。
「あれは魔術とは違って電気とかじゃない」
「それはわかるけど」
「時間よ」
短く結論を言った。
「……?」
きょとんと、その言葉を脳内で反芻するヤマト。
それがアスカの推論だ。
「たぶんだけど、あれは時間を加速させているの。時間の流れも物理法則だって本に書いてあったじゃない」
「書いてはあったけど……」
本を読んだからといって理解しているわけではない。知っているという程度。
家にあった本は、実用書から漫画、教科書など全部読み尽くした。
屋内での娯楽が少なかったので。
「宇宙でも、場所によっては時間の流れが違うとか。ブラックホールは光を吸い込むけど、放出されるエネルギーもあるとか」
「……」
「治癒術を使う時に光るのは、たぶんそういう副次的な――光るから治るんじゃない。時間を加速させた時に光が発生しているのよ」
ヤマトはアスカの話と聞きながら、自分の指の傷跡を見ている。
それを見ていたから行きついた仮説なのだが。
「致命傷や病気には効かない。治す時には痛みを伴う。その傷を治す時に物凄く痛かったのは、治るまでの時間を凝縮して受け止めたからじゃないかって思う」
「……そうかもしれない」
泣き喚いていた自分を思い出したのか、苦い顔で頷くヤマト。
まだ納得はしていないようだが。
(もう一つ、そこで思ったの)
仮説を立てて、その仮説を説明出来るだけの根拠を探す。
「精霊種、なんだと思う」
アスカの言葉が唐突過ぎたせいか、ヤマトが何を言われたのかわかっていない。
精霊種。
かつてこの世界に存在したと言われる神と呼ばれるものが滅びる際に、その血肉などを浴びたものが変質して生まれたとされる不可思議なもの。
治癒術士はそれなのではないかと。
「神様だとかっていうのは、これはただの想像なんだけど、たぶんもっと上の次元……より高次元の分野に干渉出来る力を持っていたんじゃないかって」
「高次元……? 三次元じゃなくて、四次元とか?」
「五次元とか、ね」
そんなことが出来たから、神と呼ばれる存在だったのではないかと。
もし本当にこの世界にそんなものが実在していたとして、永遠の時を生きられるような存在なのだとしたら。
精神世界ではなく、物質的に神というのが存在したのだとすれば、それは相応の特殊な技術を有した何かだったはず。
「その神様の中に、時間に関わるような特殊な能力を持った人……神? がいたとして、ね」
「時の神様?」
「それが滅びる時に、そこに居合わせた人とかが影響を受けたとしたら」
治癒術士の始まり。
というか、この場合は時魔術士と呼んだ方が正しいのかもしれない。
不完全ながらも時間に干渉するような力を発現させた人々が治癒術士の始まりだったのではないかと。
「時間に関する粒子みたいなものがあったとして、電子みたいな。そういうものを感知して自分の意志で操作できる。そういう五感っていうか……私たちの知らない感覚を、何かのきっかけで得た人たちがいるのかなって」
アスカが立てた仮説はこうだった。
「……本当に?」
「さあね」
確認してくるヤマトにあっさりと首を振って笑った。
別に根拠のある話ではない。
「ただの妄想……っていうか、私の空想だもの。まあ一応は見た事実から作ったから説得力は少しはあるかも」
私の考えた治癒術士の設定、というところ。
実際に目にした治癒術や、フィフジャから聞いたこの世界に生きる色々なものを加味しての空想だけど。事実かどうかはわからない。
(少しは自信があるけど)
ヤマトに説明しながら、本当にそうなんじゃないかという自信もふつふつと湧いてきた。
少なくともこの世界にはかつて神が存在したというのだし、精霊種などの実在が確認されているという。
まだアスカたちは見たことがないけれど。
「どう、信じた?」
にやっと笑ってヤマトに聞いてみると、ヤマトは少しだけ悔しそうな顔で笑う。
「……お前、すごいよな」
参ったというように頭を掻きながら。
自分だって、ぴょんぴょん勇者と名を馳せているくせに。
「知らなかったの?」
二人で良かったと、アスカはそう思う。
アスカの話は、やはり突拍子もない話だし、ある程度の知識がないと何を言っているのかわかってもらえないだろう。
理解されないというのは孤独だ。
せっかく考え付いたことを、誰も理解してくれない。それはきっと寂しい。
こうして共有して、共感できる相手がいる。
兄妹だからと言えばそうだけれど、肉親でも理解し合えない場合もあるはず。
(一緒で良かった)
言葉にするのは気恥しいので言わないけれど。
「知ってたよ」
たぶん相手も同じ気持ちだ。
くすくすと笑う二人を、遠巻きに見ている船員たち。
船での旅は、もう終わりに近づいていた。
※ ※ ※




