小さな意志
ケルハリの様子がおかしいことは気が付いていた。
太浮顎の襲撃以降、軽口は叩くもののどこか上の空というか。
「グレイ、元気になったみたいね」
「ん」
甲板でグレイが海を眺めていた。
ようやく船に慣れたらしい。もっと早ければ魔獣の襲撃にも対応できたかもしれないが、逆に不慣れな海上での戦闘で不覚を取ったかもしれない。
何が良かったのかわからないものだが、とりあえず元気になってよかった。
クックラの頭にはいつも通り黄色のヘルメットが。
ヤマトとフィフジャも、ずっと船室にいるより甲板に出ている方が気分がいいらしい。
少し気になっていたことで、ヤマトにメメラータになぜ脅迫されていたのかを聞いてみた。
――スカーレット・レディの正体だよ。
どこで知られたのかはわからないが、それを秘密にするから偽装恋人になってくれと。
そういうわけで、まあ船にいる間だけならと承知したのだと。
ラッサという女のことを聞いたら、関係ないだろと目線があちこち彷徨っていたので、そちらも何か裏取引があったのかもしれない。
今となってはどうでもいい話だ。
甲板で、他の船員の邪魔にならないよう振舞うアスカたちだったが、船員たちの方がアスカたちを放っておかない。
水乙女アスカは大人気だったし、フィフジャはそれを救った勇敢な海の戦士として称えられていた。
ヤマトにも、ちょっとした呼び名が付けられている。本人は納得していないようだが。
クックラとグレイはマスコット役というか、荒っぽい海の男たちからはちょっとした癒しとして扱われている。
「俺、いつか故郷に帰ったら銀狼みたいな魔獣を飼うんだ」
コデーノのそのセリフはどう聞いても死亡フラグだからやめておけと思ったものだが。
いつぞや白耳鼬に噛まれた肩はすっかり治っているようだ。ケルハリが治したのかどうか聞いてはいない。
そう、そのケルハリだが。
「……あのさぁ」
ちらちらと様子を窺うケルハリにアスカが詰め寄った。
「な、なんすか?」
急に話しかけられてびっくり、という体を取るケルハリに、アスカは深く溜息をついた。
ここの所ずっとだ。
太浮顎の襲撃後、ネレジェフから逃げて海皿砦まで来て、そして北へ進路を取るようになっても。
ことある事に、ちらちらとアスカたちの方を見ている。
フィフジャは当初、彼が何かスパイのようなものではないかと勘違いして喧嘩になっていた。
それが勘違いではなくて事実なのではないか。そう思わせるような不審な態度を。
「……ラジカさんの船に乗らなくてよかったの? 命の恩人だったんでしょ」
とりあえず別の話から切り出す。
治癒術士として逃げ延びたケルハリが、海で漂流していたところを拾ったのがラジカだったと。
実際には、ラジカの乗る兎壬迸が食べようとしたのがケルハリだったという話だが、それが本当なのかどうなのか。
ラジカの伝手でダナツの船に乗ることになったのだと聞いたが。
「いやいや、ラジカの姉御の船に乗ったら俺っちなんか一週間で死んじゃうって。三日かもしれないっす」
メメラータも怯えていたが、どんな扱いを受けるのだろうか。
ラジカ以下、あの船には猛者しか載っていないのかもしれない。
「じゃあ、何をコソコソ私のこと見ているのか言いなさいよ」
本来の質問をする。
じゃあも何もないのだが、とにかく気になるのだ。
ケルハリの方も聞かれるのは覚悟していたのか、うーんと唸ってから頷いた。
「フィフジャの兄さんたちも一緒に、下で話をしましょっか」
観念したのか、踏ん切りをつけたのか、そういうケルハリの目には黄色いヘルメットを被った幼女だけが映っていた。
※ ※ ※
「クックラが……治癒術士?」
聞き返したフィフジャは、色んな感情を混ぜこぜにしたような声で呻くようだった。
頷くケルハリと、状況が飲み込めずにぼぅっと見上げているクックラ。
状況についていけていないのはアスカもヤマトもそうだ。ケルハリの告白の意味がわからない。
船室には他に誰もいない。他の人間に聞かせたくない内容だから、こういうタイミングを待っていたのか。
「勘違いしてもらうと困るっすけど」
そう前置きをして、ケルハリは肩を竦める。
「治癒術士の才能……血が混じっているってことっすよ」
「使えないの?」
「……」
アスカの質問にケルハリは答えず、フィフジャの顔を見た。
波で揺れる船の中で、フィフジャの心も揺れているようだ。
「……」
沈黙が続く。
彼は治癒術士というものに何かイヤな思い出があるようで、クックラがそうだとしたら捨てると言い出すのかも。
「……俺っちが言うのも変っすけど、フィフジャの兄さん」
重い空気を嫌ってケルハリが再度前置きをした。
「治癒術ってのはただの力っす。どういう理由で治癒術士を嫌っているか知らないっすけど、治癒術が使えるから悪人だっていうのは滅茶苦茶っすよ」
「そんなつもりは……」
「この子たちにくらいは、ちょっとは事情を話してあげた方がいいんじゃないっすか。兄さんがそんなんだと――」
ケルハリに促されて、フィフジャの視線がアスカを、ヤマトを、クックラを捉える。
フィフジャの目が揺れた。感情の波で。
「……悪い。そうだな」
不安な目で見上げていたことに気付いてくれたのだろう。
フィフジャは静かに謝ると、近くの寝台に腰を下ろして眉間を抑えた。
「余計なお世話かもしれないっすけどね」
「いや、どちらにしてもリゴベッテにつく前に話すべきことだった。ちょうどいい」
アスカたちも座る。ケルハリもちゃっかりその辺に座って聞く姿勢だが、フィフジャも今更気にしないようだ。
「大した話じゃあない。聖堂都市の一角に治癒術士たちが住む区画があるんだが」
「有名な黄の樹園ってやつっすね」
ケルハリの言葉にフィフジャは頷いた。
「教会が管理している治癒術士は、基本的にそこに暮らしている。他の地域の教会に出向いていることもあるが」
治癒術士の総本山ということになるのか。
「俺もそこで育った」
フィフジャの言葉は、アスカの耳から脳にすぐに処理されなかった。
「俺は孤児だった。黄の樹園には、治癒術士の他に身寄りのない者や奇病に冒されたような人間もいる」
「……」
何のために、とは聞かない。
おそらくアスカの想像が正しければ、きっとそれは。
「人体実験をしているんだ。治癒術の修行という言い方もあるが」
「……」
「奴らは腐っている」
フィフジャの言葉は静かだったが、そこには深い感情が込められていた。
アスカも、ヤマトも、言葉が出てこない。ケルハリでさえ口を挟まなかった。
孤児などを集めて人体実験をしているような施設にいたフィフジャが、恨みを抱いてその話をする。
その理由は聞く必要がない。聞いてはいけない。
「治癒術は、大きな武器になるんだ。教会から派遣される治癒術士を、国の重鎮や大きな商家が有り難がって厚遇する」
「……」
「過去には治す方法がわからなかった病気も、実験や研究で治すことも可能になった。そういう成果も武器にして、治癒術士は大きな権力を持っている」
そして教会は、その治癒術士を一手に管理している。
リゴベッテで広く信仰されているという民衆への強みと、医療分野での独占。
文明的に進んでいないこの世界では、それは大きな権力になるのだろう。
「教会にも色々な派閥があるんだ。別に全員が悪人だというわけじゃない」
「それは……」
「だが治癒術士はダメだ」
フィフジャの実体験が、首を振らせる。
強く、アスカたちに向けて、はっきりと首を振る。
「あいつらに関わることだけは許さない。やめてくれ」
「……」
詳しい事情など聞く必要はないだろう。アスカはヤマトと目を合わせて、そっと頷いた。
「わかった、フィフ」
「僕も約束するよ」
フィフジャとしても言いにくかったのだろう。言い出しにくかったのだろう。
リゴベッテは安全な地域かもしれないが、やはりどこにでも腐った人間はいる。
ケルハリが治癒術士だったことで、ヤマトがそれに助けられたことで、余計に言いにくくなってしまった。
おそらく幼い頃に陰惨な光景を目にしてきたのだろうし、フィフジャ自身だって……
「それは尤もっすけど」
それまで黙っていたケルハリが口を開いた。
否定的な口火を開く。
「それでも、治癒術そのものは使えれば有用な力っす」
「……」
全員の視線がヤマトの手に向かった。そこに事実がある。
「お二人はきっと、リゴベッテに行っても魔獣退治とかするんじゃないんすか?」
「それは……たぶん、必要だったら」
「ケガをした時に、それがかなりの重傷でも、治癒術があれば解決するかもしれないっす。可能性の話ってだけなんで怒るのはなしっすよ」
フィフジャの目が少し血走ったのを察して、慌てて言い繕った。
ケルハリの言いたいことはわかる。事実、ヤマトはそれで指を失わずに済んだ。
いざという時に使えるのなら、それは確かに重要なことだ。
「間違っても、教会の治癒術士には頼めないってことっすよね?」
「ああ」
「クックラ嬢ちゃんが使える可能性を、それもフィフジャの兄さんが否定しちゃっていいんすか?」
「……」
ケルハリを睨むフィフジャだったが、考えるように目を伏せた。
自分の過去のトラウマを、治癒術全てに当て嵌めるのは違うと。
フィフジャの様子からすれば、ヤマトが治癒術を受けた時の激痛に相当する経験をさせられてきたのだろうと思う。実験的に。
だから治癒術そのものに嫌悪感があり、否定的になっている。
「過去の先祖の誰かが治癒術士の血縁だったってだけっすよ。で、ボーガの治癒をしてた俺っちの傍にいたクックラ嬢ちゃんが反応しちゃったってだけで」
太浮顎に襲われた時、負傷したボーガが船室で治療を受けていた。
船室にいたクックラはそれを手伝い、ケルハリの発した光の影響を受けた。
アスカにはまるで何も感じられなかったそれを、クックラは感受して反応したのだと。
「このまま手ほどきすれば、クックラ嬢ちゃんは治癒術が使えるようにもなるっす。使うかどうかはまた別の話っすけど」
「あ……」
クックラの口が小さく声を漏らした。
アスカはそれを、どうすればいいのかわからない。
不安そうにアスカとヤマトを見上げるクックラに、何を言ったらいいのか。
「お姉ちゃん……?」
それでも答えを求めるクックラに、何かを言ってあげなければならない。姉として。
「……治癒術が使えるって知られたら、教会に追われたりするんだよね?」
「黄の樹園に入るか、追われて死ぬか、だ。人に知られたらな」
「知られなかったらいいの?」
フィフジャの言葉にヤマトが返すのは楽観的な言葉だ。
当たり前の話だが、知られなければ罰しようも捕えようもない。
「こうして、世界中に過去の治癒術士の血縁者はいるっすからね。潜在的なそんなのまで把握しきれないんすよ」
ズァムーノ大陸の農園で下働きをしていた子にそんな血が流れているのだと、知り得るはずもない。
そして、その血が流れていたとしても、こうして治癒術士の指導がなければ実際の治癒術も使えない。
「……私は、賛成しない」
アスカは言った。
「クックラが危険な目に遭うかもしれないもの」
「僕もアスカと同じだよ。最初っからケガしなければいいんだし」
「それはあんたが言うのは違うでしょうが」
ごつんと、気楽なことを言ったヤマトの額を軽く小突く。
自分の身に起きたことを忘れてしまったのだろうか。本当に能天気なことを。
(わざと、かな)
クックラを思い悩ませないようにわざと楽観的な言動をしているのか。
いや、素か。
どちらでもいい。アスカたちの答えを聞いてフィフジャが安堵したように息を吐いた。
この選択でいい。これが正解だと。
「ああ、そうだな」
「ちがう」
結論が出た。
はずだったのに、たどたどしい声でそれを打ち消す。
どうしてなのだろう。
「クックラ……」
「ちがう、よ」
なぜそんなことを言い出すのか。
誰も、その小さな体に厄介事を背負わせたくないのに。
「おねえちゃんや、おにいちゃんの……やくに、たちたいの」
小さな声だったが、その灰色の瞳は真っ直ぐで、アスカでさえ目を逸らすほど強く、自分の意思を訴えていた。
※ ※ ※




