空を舞う猛威
「ええい、くそっ! 主帆をたため!」
「船足が!」
「このまんまじゃ帆がダメになっちまうわ!」
帆船の帆が使い物にならなくなったら、あとは流されるだけ。
主として使われる横帆だけでなく、副次的な縦帆もあるが、こちらだけでは推進力が不足する。
船長の判断に従い、ロープを巻き上げて横帆を畳む。
縦帆は畳まなかった。多少の推進力と、これの角度と舵とで船の進行方向を定めているので畳むわけにはいかない。
どちらにしろスピードが出すぎても困るところだ。普段進まない航路で、所々に浅瀬があった。
荷を積んだギュンギュン号の喫水は深く、場所によっては船底を擦るかもしれない。
舵を切るダナツと、船首で目を凝らして水深を見極めているサトナ。
サトナの手で示す方向に舵を切りながら進んでいく。親子の連携は息が合っていて、サトナの見立てに従いダナツが声を上げる。
「花ぁさん!」
人の名前ではない。左手方向に三割ほどの力でというような意味合いらしい。
その言葉に従い、縦帆に繋がるロープを握った船員たちが、右へ左へと角度を調整していた。
猛威の中を。
腕に、腹に、傷を受けながらもロープを離さない。
「このクソ鳥どもがぁ!」
憎まれ口は叩くが、己の仕事はやり通すという気概。
自分の仕事を命がけで全うしようとする姿に、ヤマトは改めて心を動かされるのだった。
叩き落とす。
船で借りた手斧で、飛び交う凶悪な牙を叩き落とす。
ダナツに食いつこうと飛びかかってくる青黒い魔獣――小浮顎を叩き落として、次には自分に向かって牙を剥くそれを叩き割った。
手斧に食い込んだ小浮顎の死骸をすぐに振り払って、次に備える。
「数が多い!」
その名の通り、太浮顎を小さくした魔獣。大きさで言えば一尺七寸――50センチより少し大きいほど。
小さなワニのような姿で、四枚の翼を羽ばたかせて次々に襲い掛かってくるのだ。
小浮顎だけでなく、廻躯鳥のような魔獣もいた。白い廻躯鳥。
それらが合わせて船にたかり、船員たちを糧にしようと牙やら爪やらを向けてくる。
肉が目当てなので、索具のロープや帆は狙われない。
狙われないが、狙いと無関係に傷つけられることもある。
ギュンギュン号の帆は、普通の布ではなく布と魔獣の皮とを繋ぎ合わせた強靭なものだったが、小浮顎は魔獣を食いちぎる牙を持っている。
勢いよく帆に刺されば穴が開くし、傷が一定の範囲を超えたら修復もできない。
帆だけではなく人間も傷む。
数十、数百の小浮顎に群がられたギュンギュン号を始めとする船団は、その猛威に晒されていた。
(役割分担、か)
海の掟。自分の役割に命をかけろと。
船を進める者たちは、その役割に全力を尽くす。
たとえ魔獣が目の前に迫っていても、己の役割を放棄することは全員の命を危険にさらすことになるのだから。
そして、それとは別の役割を負う者もいる。
「お嬢にゃ傷一つつけさせないよ!」
船首で海面に目を凝らすサトナの左右には、メメラータととボーガの姿がある。
襲い来る小浮顎を迎撃しながら声を荒げたのは、おそらくサトナを安心させるためだ。
安心して、自分の仕事をしろと。やはりメメラータは優しい。
アスカとフィフジャは、船尾の方で帆を操る船員たちを守って戦っている。
ケルハリの姿はない。彼は戦えないらしい。クックラとグレイも船室の中なのでとりあえず安全なはず。
(この船が沈まない限り)
自分の中に生まれた弱気な気持ちを振り払うように、襲ってくる小浮顎を手斧で切り裂いた。
「ダナツさん!」
肩口に噛みついた小浮顎を、舵を握るダナツは無視している。
小さいとは言えワニに噛まれているのに、その隆々たる筋肉はその痛みを感じていないらしい。
ヤマトが駆け寄り、小浮顎の首根っこを掴まえて――
「このぉ!」
握りつぶした。
握力を込めて、その頸椎を握りつぶした。ダナツに近すぎて斧を振るうのが怖かったのだ。
「おせぇぞ坊主、いてぇじゃねえか」
痛くなかったわけではなかった。だが文句を言う程度の元気はある。
「ごめん!」
言いながら、なおも襲い掛かってくる小浮顎を迎撃。
これ自体は難しくない。何しろ見えている。
(皮穿血は物陰から襲ってくるから)
速度だけなら、皮穿血と同じかそれより早い。
だが、皮穿血と違って見えてる場所から飛んでくるので、ヤマトの感覚的には遅く感じられる。対応できる。
百を超える数でなければ。
――なめんじゃねーぞ!
光った。
ちかりと光った方を見れば、イオックの船に乗っている若者が空に向かって手を掲げている。
もう一度光る。
「魔術か」
かなりの速度で打ち出される光弾が、彼に向かっていた小浮顎を打ち落とすのを見た。
離れていてよくわからないが、打ち落とされた小浮顎は海に落ちて、今度は別の小浮顎たちがそれに群がる。
共食い。死んだ仲間の肉でさえこの魔獣にとっては食事なのか。
(ヒュテさんの光弾に比べたら弱いかな)
ダナツに近付く小浮顎を切りながら、今の魔術のことを思う。
ノエチェゼで見たヒュテやジョラージュの魔術なら、小浮顎の体を粉々にしてしまいそうな威力があった。
魔術が使えるとは言っても個人差がある。あの若者は魔術士と認められるほどまでの力はないのかもしれない。
それでも。
(僕も使えたら……)
上空には、無数の小浮顎が旋回しながら襲うタイミングを窺っている。
自分たちの領域に入ってきた餌に食らいつく順番待ちをしているかのように。
悔しいがヤマトに魔術は使えない。あの若者の半分程度の力でも使えたら、空を飛ぶ奴らを倒せるのに。
自分の手に届く範囲のものしか相手に出来ない。
「それが僕の役割なら!」
役割分担だ。自分の役割をしっかりやるのが海の男。
ヤマトは海の男ではないけれど、今は海の男たちの仲間なのだから。
出来ないことから頭を切り替え、牙を突き刺そうと迫る魔獣を切って落とす。
敵も同じだ。魔術のような遠隔攻撃をしてくるわけではない。
相手の牙が届く位置は、ヤマトの手も届く。なら対応できる。
「いくらでも来いっ!」
「かんべんしろってんだ! 阿呆!」
ヤマトの気合は船長には不評だった。
※ ※ ※
アスカの得物はいつもの鉈だ。
船員たちの背中を守り、鉈を振るう。
「大丈夫か、アスカ!」
「こんなの!」
平気だ。一匹一匹は大森林の魔獣よりも弱い。
天気も良く、視界が広い。この状況で簡単に後れを取るアスカではない。
しかし数が多い。
アスカの首元を狙ってきた一匹を切り落としながら、足首に噛みつこうとしてきた別のを片足を上げて避けた。
「こいつら、なんか弱点ないの⁉」
切り裂きながら叫ぶ。別に誰にということもなく、ただの愚痴だ。
「寒さに弱いとは聞くが、なっ!」
律儀に答えてくれるフィフジャだが、残念ながらアスカの望む答えではなかった。
夏が過ぎたとはいえまだ残暑もある。
それどころか、海に出てからまた暑くなったような気がする。
(赤道周辺ってこと?)
そういう気候だから繁殖しているのだとすれば、フィフジャがくれた情報に何の意味もない。
意味がないとまでは言えないか。利用価値がないというだけで。
「とっても参考になりそうね!」
「俺に当たるな、っと!」
フィフジャはアスカの死角を補うように立って、小浮顎を手斧で迎え撃っていた。
小浮顎はやや直線的な動きをするのに対して、白い廻躯鳥はやや変則的な動きでこちらの攻撃を躱す。
(鬱陶しい)
同じ感覚で対応しようとすると、するりと逃げられるところが腹立たしい。
苛々しても有利になるわけではないので、距離が離れたら相手にしないが。
「島が見える!」
ちらりと斜め前方に見えた島。
岩山と、それを囲むような木々の島。
あそこにどういう生き物がいるのかわからないが、地上で迎え撃つ方が楽なのではないだろうかとアスカは思う。
「島はダメだ!」
船員の一人が叫んだ。
帆を操りながら、苦々しい顔で。
「島に近付くのはヤバい! 大将!」
――わかっとるわ!
進路を変えたいのだが、風向きや暗礁で難しいらしい。
小浮顎にたかられているせいもあって、進路が限られてしまう。
他の船は、ギュンギュン号のすぐ後ろをついてきていた。
先行する船があれば少なくとも水深の問題はない。また、散り散りになったら魔獣の集中攻撃を受けかねない。
どうにもならないまま、小浮顎の数が多少は減ってきたかと思った時には、島の姿はかなり大きく見える場所に来ていた。
島から飛び立つ四枚の翼。
何十匹と今しがた倒してきたものと同じような牙を持つ魔獣が、島から飛び立つ姿が見える。
その大きさ質量は、小浮顎の十倍を超える威容を伴って、奴らは島に近付いた船団を新鮮な食料と見做し、その巨体を大空へと舞い上がらせるのだった。
※ ※ ※
太浮顎。
ヤマトがノエチェゼの港で見た時にも思った。大きいと。
一丈七尺と表現するのか、5メートルを超える巨体を空に浮かばせて、鋭い牙のみならずその質量自体が凶悪な武器になる。
港で見たものよりまだ大きい。6メートル以上あるのではないかと。
そんなものが集団で、二十匹を超える数が島から飛び立つのを見て、熟練の船乗りたちも言葉を失っていた。
小浮顎の襲撃が止んでいる。
太浮顎の動きに脅威を感じたのは人間だけではないらしい。小浮顎や白い廻躯鳥も、太浮顎の姿を確認して遠巻きに旋回していた。
強大な太浮顎が襲うのであれば、巻き添えにならずにお零れに与ろうというかのように。
魔獣たちは知っているのだ。この太浮顎の猛威がどれほどの破壊力を有しているのかを。
この船団の進路を塞ぐ強大な暴力の塊に、誰もが息を飲むのだった。
「一応聞くけど、あれの弱点は?」
いつの間にか船尾から前の方に来ていたアスカの言葉に、誰もが呆けていた自分に気が付く。
ゆったりと、というように見える羽ばたきで迫ってくる巨体に、アスカは戦意を失っていない。
「寒さ以外で」
むう、と顔を歪めるフィフジャ。
ワニなら寒さに弱いかもしれないが、今ここで吹雪など期待できるわけでもない。
有効な手段で何かないのかと。
「長い距離は飛べないはずよ」
答えたのはサトナだ。
あれだけの巨体では、長距離を飛ぶことは難しいことは理解できる。
だから島に近付くまで襲ってこなかった。
問題は、今も船は島に近付きつつある進路だということ。
「水に弱いわけじゃないけど、体が冷えると動きが鈍くなるって」
「わかった。動きを止めたらフィフ、お願い」
代償術を、ということだろう。体が傷むと躊躇していられない。
フィフジャは頷くが、決して明るい表情ではない。一匹二匹ならそれでも済むが、やはり数が多すぎる。
「あの島ぁ過ぎたら帆を張るぞ」
ダナツが指さすのは、島より少し遠く。
ヤマトの目で見る限り、少しだけ海の色が濃い気がする。
「あそこからは深いと思う。全速力で逃げるしかないわね」
「ああ、誰が食われてようが、海に落ちてようが構わず行く」
あそこまで生き延びていれば、後は逃げるだけだと。
そこまでに犠牲になった者を助けている余裕はない。ダナツの視線がサトナの足元に向いたのは仕方がないことだ。
「俺が食われていても構うんじゃねぇぞ」
船長としての命令だったが、父親としての気持ちは言葉にならなかった。
太浮顎の体当たりで、船縁の木材が砕け散った。
大きく船が揺れる。巨体がぶつかったのだから当然だが。
船に乗り込んだ太浮顎に、船員たちが一斉に攻撃を仕掛ける。
投げられた手斧は、硬い鱗に阻まれたのか当たり方が悪かったのか、表面で弾かれた。
「どべぇっ!」
振り払われた尻尾で、船員が数人薙ぎ払われる。
重い一撃。
質量があるというのはそれだけで強い。
機敏な動きではないが、船のような限られた空間では手が付けられないような力を有している。
「負けるか!」
再度振るわれる尾に、ヤマトの手斧が叩き込まれた。
「ぅっぐううううぅぅっ!」
全力で力を込めて踏ん張るが、太浮顎の力に押し負けて弾き飛ばされた。
太い尾に突き刺さった手斧はそのまま、払いのけられたヤマトの服がずたずたに裂けている。
胸にも、ひどい擦り傷のような跡があった。
ざらっとした表皮で服ごと少し削られてしまった。
「く、つぅ」
「ヤマト、大丈夫かい!」
平気だと手でメメラータを制する。平気でないことがあるとすれば武器を失ったことくらい。
太浮顎にも痛みはあるのか、尻尾に刺さった手斧を気にするように体を揺するが、深く食い込んだそれは抜けなかった。
しかし致命打にはなっていない。甲板という不安定な足場でなければ、もっと切れ味の鋭い武器だったら、あの尻尾を切断できたかもしれないのに。
ないものを願っても仕方がない。
足元に転がるのは、先ほど太浮顎の体当たりで砕けた辺りにあったロープくらいか。
「……これでも」
使い道はある。
己を傷つけたヤマトを敵として睨む太浮顎と、ロープを手にしてにらみ合うヤマト。
「後ろから!」
アスカの叫び声。
ヤマトの背後から、大口を開けて飛び込んでくる太浮顎。
鋭い牙がびっしりと生えた大きな口が、ヤマトを背中から捕えようと――
「わかってる!」
跳び上がる。
太浮顎のように飛ぶことは出来ないが、跳ぶことなら出来る。
そして太浮顎の動きは決して素早いものではない。小浮顎よりも遅いし、あまりの巨体の為に急な方向転換も出来ない。
「よっと」
ヤマトが立っていた場所を通りすぎて甲板をそのまま過ぎていく太浮顎。
その先には、ヤマトが正対していた最初の一匹がいた。
『ギュアァァァ!』
突っ込んだ勢いのまま別の太浮顎と激突する。
質量が大きいことが武器になるのであれば、それを利用することも出来る。太浮顎同士の衝突エネルギーは決して小さくない。
「よし!」
衝突でふらつく太浮顎に、ヤマトが手にしていたロープを巻き付けた。
体にではない、その翼に。
四枚の翼の根元をロープで巻いて、反対側をアスカに投げた。
「うん!」
「せえのっ!」
思い切り引っ張る。
ヤマトとアスカの思いっきり、だ。その力は尋常ではない。
荒縄が翼の根元に食い込み、ぶちぶちという感触を残しながら引きちぎった。
『ギエェェェァァァッ!』
悲鳴を上げる一匹の背中から大量の血が吹き上がる。
この巨体を支える翼の付け根なのだから、かなり太い血管が通っていて当然。
次の一匹というか、尾に手斧を指されたままの太浮顎が、体勢を立て直してヤマトに襲い掛かろうと足に力を籠める。
「させるか!」
横から飛び込んできたフィフジャの持つ手斧が、その目玉あたりに深々と突き刺さった。
のたうち回る巨体にフィフジャも弾かれたが、頭へ食らわした一撃は尻尾への攻撃と違って十分な有効打だった。
「負けてらんないね!」
「ああ」
ボーガはどこにあったのか船を漕ぐ櫂で、船首のサトナに食らいつこうとした太浮顎を叩き落とした。
その一撃で櫂の方も折れているが、太浮顎は海に叩き込まれて姿を消す。
折れた櫂を手にしたボーガに、今度は正面側から別の太浮顎が口を開けて飛び込んできた。
「ボーガ!」
サトナの悲鳴。
「ぬううぅ!」
大質量の巨体が牙を剥いて迫る中、ボーガは折れた櫂を縦に構えた。
その顎に捕えられたのは、つっかえ棒のようになった櫂と、その勢いのまま後ろに吹き飛ばされたボーガ。
構わずに噛み千切ろうと口を閉ざすと、半分の櫂ごとボーガの腕を噛み砕く。
「ぐぅっ」
『ギェェッ!?』
噛みついた直後に、その口を離した太浮顎が飛び立った。
口内に折れた木が突き刺さったのだろう。痛みで口を開けてくれたおかげでボーガの腕は食い千切られなかった。
血塗れの腕で立ち上がるボーガ。
「ボーガ! 中にいけ!」
「ぐ、う……だが」
「邪魔だってんだよ!」
船首から吹き飛ばされたボーガはダナツのやや後ろにいた。ダナツに怒鳴られ、反論しかけたところにメメラータからも怒号が飛ぶ。
食い千切られなかったものの、その両腕には無数の牙が突き刺さっており、どくどくと血が溢れていた。
ボーガは歯を食いしばり、痛む手でドアを開けて船室へと急いでいった。
ケルハリに治療してもらえばまだ戦えると、そう思っての急ぎ足か。
だがボーガの戦線離脱で、状況はより厳しくなるのだった。
他の船の状況もひどい。
ギュンギュン号とは別にそれなりの戦力も有しているが、惨状という他にない。
太浮顎の顎に捕えられた船員が、空の上で断末魔を上げながら複数の太浮顎に食い千切られていた。
サブマストを圧し折られている船もある。
甲板に乗り込んだ太浮顎に決死の覚悟で手持ちの武器を叩き込む船員たち。
「ミシュウ! ミシュウ、しっかりして!」
泣きながら光弾を叩き込む若者がいる。叩き込まれる太浮顎の口には別の若者が咥えられている。
叩き込まれる光弾を鬱陶しそうに尻尾で振り払うと、太浮顎は空へと舞い上がった。
「……ネフィ、サ……」
状況は最悪だった。
正直なところを言えば、ヤマトやアスカにとっては、決して限界ではない。
太浮顎の動きは大振りで、巨体なので姿を見失うこともない。
避けて攻撃を加えるというだけならまだ当分は続けられる。なかなか有効打になりにくいとは言え、太浮顎とて不死身ではない。
落ちている折れた木の破片でも、攻撃後の動きを止めた太浮顎の目に突き刺すことは出来るし、翼の付け根は柔らかく攻撃が通る。
繰り返して一匹ずつ倒すことは出来るが、その数がまだ十よりかなり多い。
ヤマトたちが無事でも、船が致命的な損傷を受けたり、航行するための船員がいなくなってしまったら意味がないのだ。
「あとどれくらい!?」
進行方向を確認するサトナに聞くが、頭を振られた。
メインの横帆を畳んでいて速度が出ない。かといって今帆を張って、そこに太浮顎が突っ込んだらどうなるのか。
ヤマトはメインマストを見るが、張られた索具のロープと、青空と、悠々とはばたく太浮顎の姿があるだけだ。
ジリ貧というところか。
削られながら、ここを離脱できるタイミングを待つしかないのか。
――いやああぁぁっミシュウゥ‼
すぐ斜め後ろを並走する船から叫び声が聞こえた。
また一人削られる。
食われる。
大海原の空を舞う巨大な魔獣の群れに飲み込まれ、散っていく。
「こんな……」
歯を食いしばりながら、サトナを抱きしめてジャンプした。
サトナを狙って飛び込んできた太浮顎。ヤマトには手持ちの武器がなかったので、引き付けたところで全力でジャンプした。
「ひゃあっ!」
「ごめんっ」
声をかけている余裕がなかった。
船首辺りからマストに向けて斜めに張られたロープを掴み、飛びかかってきた太浮顎を避けた場所に降りる。
船の揺れには慣れた。
地上と変わらないとまでは言わないが、それに近い動きが出来る。
波に合わせられたらもっと出来るかもしれない。それくらい海に慣れてきたのに、まだヤマトの力は足りない。
サトナを狙った太浮顎を、アスカが牽制したところをメメラータが斧を叩き込んだ。
荒い息で肩を揺らすメメラータ。彼女もかなり消耗している。
「た、助かったよ、ヤマト」
メメラータが礼を言うのはサトナのことだ。
彼女の代わりに守ってくれたと。
当のサトナは、放心したように島の向こうを見ているが。
「大丈夫だった?」
どこか怪我をしたのか、それとも何かまずかったのか。
「あ……あ、違う……」
ヤマトが訊ねると、サトナは弱々しく首を振る。
ゆっくりと、手を、島の向こうを指さして。
「何か…来る……っ!」
ジャンプした時に見えたのか。
ヤマトは足元の太浮顎に気を取られていて見えなかったが。
太浮顎の脅威が去っていない船首だというのに、この瞬間だけ時間が止まったかのように静けさが支配する。
島の向こう。
まだ決して近いとは言えないその方角から何か来ると、それが視認できたというのかと。
「まさか……」
ヤマトの背筋に冷たいものが流れた。
メメラータの顔も青い。応急手当を終えたのか、船室からボーガも顔を出した。
「……ネレジェフ、か?」
指を差した方角は西側。そちらを見てフィフジャが口にした最悪の存在。
それは程なく他の船からも視認できた。
海面を、ジェット噴流でも起こすかのように爆発的な水飛沫を巻き上げながら、猛烈な速度で迫ってくるそれを。
間違いなくこちらを、ギュンギュン号を目指して加速しながら突っ込んでくる水飛沫に、誰かが呟いた。
「兎壬迸……」
初めて聞く名前だった。
「凶鳥だ」
※ ※ ※




