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海の妖魔


 雨が降ったのは二日後だった。

 水不足についてはこれで一旦解消。雨が上がると多少風が強くなり、船足も速くなっていた。

 そのまま三日ほど西に進み、既に出航してから十一日が経過した。

 ヤマトの船酔いもかなり改善して、指の方も少しずつ力が入るようになってきている。

 白耳鼬の襲撃以降は大した問題はなく、その日も静かな夜だと思っていたのだが。


「外が騒がしいな」

 フィフジャの言葉に頷く。

 交代で休んでいた船員たちも、外の様子に目を覚ましたようだ。

 夜勤の歩哨の声が聞こえる。


 ――妖魔だ。


 緊迫感よりも困惑に近い声音で、物騒な単語が響いた。

 とにかく、無視していられる言葉ではなかったので皆がそれぞれ船室から甲板に上がっていく。

 ヤマトたちもそれに続くが、相変わらず元気のないグレイとクックラは船室に残していった。



「妖魔だって?」

 甲板に上がったヤマトが、先に出て船首の方から前を見ていたメメラータに訊ねる。

 他の船員たちも集まっているが、戦闘態勢という雰囲気ではないのはどういうわけなのか。

「ああ、そうだね。そうだと思うんだけどさ」

 メメラータの歯切れが悪い。確信が持てないという様子で曖昧な様子で指を差す。

 妖魔などが出たのなら、白耳鼬の時より大騒ぎになっていそうなものなのだが。

「あれだよ」

 月明かりの下、海の上を滑るように移動する黒い塊だった。


 ギュンギュン号から少し前方を、滑るように波を切りながら進んでいる。

 夜だから黒く見えるのかと思ったが、どうも実際に黒っぽい生き物のようだ。

 魚には見えない。どちらかといえば人型に近い。人が、海面に立ちながら前方に進んでいる。

 何かに引っ張られているようだと思ったら、その妖魔らしい影の前方に大きな魚がいるようだった。それに引かれて海の上を進んでいるのだ。


 見たことがない生き物でやっていることは怪しい。けれど――

「なんで妖魔だって?」

 あれを妖魔だと断ずる根拠がヤマトにはわからない。

 メメラータは、騒ぎの中で出てきたダナツとサトナの方を見た。

 父娘も、それを見て訝し気に眉を寄せる。

「まさか……ありゃあ、海モグラってか」

 ダナツの声が震える。

 恐怖や何かではなく、驚きで。


「海モグラってなに?」

 アスカが後ろからサトナに訊ねた。

 船乗りの皆が口々に海モグラだと囁き合うが、ヤマトもアスカも知らない。フィフジャを見てみたが、やはり知らないようだ。

「ああ、ごめんね。海モグラっていうのは船乗りの伝説みたいなものなの」

 困惑するヤマトたちにサトナがまだ少し信じられないという顔で説明する。


「海に住む妖魔なんだけど、別に凶暴ってわけじゃなくてね。航路の危険とかを教えてくれる代わりに地上の食料を要求するっていう」

「与太話だと思っていたんだがな」

 ダナツが言葉を続けながら、自分の目を疑うように頭を振っていた。

「夜に海を走る黒い人型だって、聞いてる噂の通りだね」

 メメラータも初めて遭遇するそれに驚きと動揺を隠せずにいた。全員がそうだ。

 見張りに立っていた者も、噂に聞く海モグラと合致するそれを見て、半信半疑で声を上げたのだろう。


 月夜の波間を切って進むその黒い人型は、船の人間が自分に気が付いたことを察したようで、軽く後ろを見て頷くような仕種をするのだった。


  ※   ※   ※ 


 妖魔は、人間と同等やそれ以上の知能を持つ突然変異の魔獣だと言われる。

 ヤマトたちが大森林で出会った《朱紋》は、決して人間に対して友好的ではなかった。

 だが聞いていたはずだ。妖魔とはそう呼ばれるだけで同じ分類にされるようなものではないと。

 人間と同等以上の知能があるというのなら、人間と敵対しない者も存在する。

 海の広さ、世界の広さを実感したと思っていたヤマトとアスカだったが、まだ自分たちが小さな常識に囚われていたと思い知るのだった。


「こン先はあんまりよくねぇだ」

 妖魔、海モグラの喋りは、かなり独特なイントネーションではあったが、十分に聞き取れる人間の言葉だった。

 語尾の方の抑揚が上がる感じ。

「よくねえってぇのはどういうことだ?」

 ダナツの言葉遣いも独特だと言えなくもないので、どっちもどっちか。


 接近してひょいっと甲板に上がってきた海モグラに誰もが困惑している中で、船長と妖魔が話し始める。

 なんとも不思議な感じがする光景だったが、言葉が通じるならこんなこともあるのだろう。

 海モグラは、黒い毛並みをした人と同じくらいの――ダナツより少し背が高いほどの大きさをしている。

 全身には黒っぽい毛が生えていて、目玉は丸い眼鏡をはめ込んだような黒い色。手の先は途中から爪のような質感で尖っていた。

 足はヒレのようになっているのに、その二本の足で甲板に立つ姿にバランスの悪さを感じさせた。


「ネレジェフ、あっちにいるンだ」

「なにぃ?」

 海モグラの言葉にダナツが唸り、船員たちからどよめきが上がる。

 海モグラが示したのは進行方向の右前方。つまり北西側で、ネレジェフを回避しようと向かっている方角。

「そんなこと今まで……」

「おらも初めてだども、間違いねぇ。ありゃあおっかねえからすぐわかンだ」

 海モグラの言うことが本当なのかどうなのか、ヤマトたちにはわからない。

 船員たちにとっては常識と大きく異なる話で俄かに信じられないという様子で、だが完全に否定する雰囲気ではなかった。

 突拍子もない話だと言って切り捨ててしまいそうなものなのに。


「海モグラってのはさ」

 困惑しているヤマトたちにメメラータたちが、やはり戸惑いを見せながらも教えてくれる。

「危険を教えてくれるって話だけどね。普通なら有り得ないってことを教えてくれるっていう伝説なのさ」

「有り得ないこと?」

「ああ、普段なら聞いたこともない嵐が来るって言われたり、今までなかった岩礁が新しく海に出来てるって教えられたりって話だよ」

「それで命拾いした船乗りが噂を広めてるって話っす、何十年も前からあっちこっちで」

 ケルハリも続ける。


 過去の数多くの実績がある。

 そして、有り得ないことを教えてくれるというのなら、まさに今の話もそうだ。

 姿形も言動も、船乗りに伝わる話に符号が合う。

「なんでおめぇはそれを知ってんだ?」

 裏を取るというわけでもないだろうが、それでも信じきれないダナツが再度訊ねた。

 海モグラが言ってるからはいそうですかとは言えない。船長は船員の命を預かっているのだから。


「見てきたってわけでもねえだろ」

「あいつのおるとこから海のもンは逃げる。ここンところずっとおかしいンだ」

「天候も妙だったし、本当かも」

 猜疑心に迷うダナツに、サトナが海モグラの話を推す。

 天候は例年と違うという話だった。海に住む生き物であるネレジェフの行動が変化することもあるのかもしれない。



「今の位置から避けていくってんなら、北か」

 海モグラの説明はあまり理論的ではなかったが、もとより疑っていたわけではないのだろう。ダナツは忠告に従う形で北の方角にちらりと視線を向ける。

 人間との騙し合いをする必要がこの妖魔にあるのかどうか。ないと決めつける理由もないのだが。

(喋り方のせいなんだけど、嘘をつくような感じに聞こえないんだよな)

 騙そうと作り話をするのなら、もっと理屈を詰めて話しそうな気がする。それも騙しの手口なのか、ただの素か。

 ヤマトが悩んでも仕方がない。船の進路は船長が決めるものだから。


「普段のネレジェフの居場所からも外れてはいるけど、バナンガ諸島に近いわね」

 頭の中の地図を思い浮かべながら確認し合うダナツ親子の様子は、あまり気が進まないという声音だった。

 もっと西にネレジェフがいるというのならそちらには向かえない。このまま北進すると、従来のネレジェフの活動範囲でもないが、その島々に近い。

 バナンガ諸島というのが何なのかヤマトにはわからないが、あまり近付きたくないらしいことはわかる。

「まあいい、本当かどうかはわからねえが、ありがとうよ」

「お礼は果物でよかった?」

「おらは別になンでもええけども」

 海モグラはそう言いながら船乗りの手から果実をいくつか受け取り、一つをしゃくりと食べる。

 尖った手というか三本爪の先に果実を突き刺して、器用に食べて見せながら。


「……」

「?」

 真っ黒な丸い瞳がアスカの姿を映している。

 アスカも視線に気が付いたようで、なぁにという顔で見つめ返していた。

 船員たちも、見つめ合う水乙女と黒い妖魔の様子に口を噤んで見守ってしまう。

「やっぱあの夜ン時の娘っこだった」

 雰囲気に負けたというわけでもないだろうが、海モグラがアスカを確認して納得したように頷いた。


「あの夜?」

「なンでもねえ。気ぃつけていくだよ」

 それだけ言い残して、海モグラは海に飛び込んでいった。

 残された全員が、海面とアスカを見比べていたが、当人もきょとんとしている。。

 妖魔の知り合いなんていつの間に作ったのかとヤマトも気になるが、本当に身に覚えがないようだった。


 答えの出ない疑問にダナツは頭を振って、自分のなすべきことに向かう。

「仕方ねえ、他の船と相談しねぇとな」

 海に、海モグラの姿はもう見えなかった。


  ※   ※   ※ 


 あまり反対意見が出ないのは奇妙に感じるのだが、進路は海モグラの話に従う形になった。

 船乗りというのは迷信深いのかもしれない。逆に、前例主義というか、過去の先達の船乗りから伝わる話を重視していると言えるのか。

 海モグラの姿は他の船からも見られていた。

 船乗りに伝承される海モグラの話であれば、突拍子もないと思える話ほど事実かもしれないと。


「昔からバナンガ諸島辺りはネレジェフの出る海域じゃないから」

 だから、その方角に進むこと自体にはあまり反対意見が出ない。

 そう言いながらも顔色は優れないサトナ。

「人が住んでるの?」

 アスカの質問に首を振って、

「逆よ。人が住めないくらい魔獣が多いの」

 気が進まない理由は明確だった。

 わざわざ魔獣が多い所に近付きたいわけがない。よほどの理由がなければ。


「浅瀬や暗礁も多いし、あそこらは潮の流れも複雑なんだよ」

 ダナツも渋い顔をしていた。

 本来ならネレジェフを避けるついでに迂回していくルートということになる。

「行ったことがあるの?」

「昔な、風が強くて流されたことがあんだ。生きて抜けられたのは運が良かったぜ」

 ダナツにはそういう経験があり、避けたいということなのだが。

 それでも、ネレジェフとの二択なら選択の余地はない。

 海モグラの言ったことが嘘なら、本来のルートを行くのが正解なのだが、船乗りの間では海モグラの話はかなり信頼されているようだった。

「まあ、行くって決まったならやるしかねぇ。なるべく島にゃあ近付かずに進むぞ」



 翌朝、船団から何隻かの船が離れていくのをヤマトは見た。

 相手からすれば、こちらが離れていくということになるのか。

「あいつらはユエフェンに向かう連中だ。ずっと西を迂回していくってよ」

 見送るヤマトに気が付いたのか、ダナツから声が掛かった。

「大丈夫なの?」

 ヤマトの言葉に、ダナツはふんっと息を吐いた。


 腕を組み、やはりヤマトと同じく去っていく船を見送る。

「勘違いすんな、坊主。船乗りが自分で選んだ道を、横からどうこう言うもんじゃねえ」

 それも海の掟なのだろうか。

 確かにダナツの言う通り、彼らの進路についてヤマトがあれやこれやと考えるのも失礼な話だ

「自分で選んだ道、か」

「まあそういうこった」

「でもさ」


 ヤマトが言い募ると、ぎろりと睨まれる。これ以上何かあるのかと。

「無事を祈るくらいはいいのかな?」

「……いいんじゃねえか。俺も連中のいくらかはまた一緒に飲みたい奴らもいるからな」

 言ってから、にやりと笑う。

「にしたって、こっちも楽じゃねえぞ」

「うん」

 魔獣の巣の近くを通るのだ。明らかに危険度が高い。

 ぎゅっと手を握る。大丈夫だ、もうほとんど違和感がない。


「僕も、今度は戦うよ」

「そうだな」

 ぽんと頭を叩いて、ダナツは索具を掴んでマストの上に登っていった。

 やはり熟練の船乗りだ。手足が長いわけではないが、その動作には淀みがない。

 帆の左に風を受けて、ギュンギュン号を先頭にした数隻は北へ舵を取っていった。


  ※   ※   ※ 


 海の中から船についていくのは難しくはない。

 ただ、船は眠らずに進むので、うとうとしていると見失ってしまうことがある。

 だから船の出っ張りに足を引っかけたりして、牽引してもらうのが都合が良かった。

 人間たちがノエチェゼと呼ぶ港町を出てから、ずっとその状態で船底あたりにいたのだった。


 もともと海モグラは夏くらいからノエチェゼの近海にいた。

 ネレジェフの異常な行動があったからだ。こういうことを船乗りに教えてやると、美味しいものをもらえることを知っている。


 世界中で色々な物を食べていたら大きくなってしまった海モグラの体。

 この体では地中には潜れない。

 地上では、海モグラの目は日光に焼かれてしまう。死にはしないが、とにかく苦痛だ。

 海に適性があった理由はわからないが、大きくなってから海モグラが暮らすのは海になった。海なら簡単に潜れる。

 船にひっついて回ることで人間の言葉も覚えた。彼らが海のことを多く知らないこともわかった。


 そこで海モグラは思いついたのだ。人間の手助けをすることで、地上の食べ物をもらおうと。

 海の食べ物は別に嫌いではないが、元々は大地の生き物である海モグラにとって、地上の食べ物を懐かしむ気持ちがあった。

 最初は何度か失敗もあったが、そのうち海モグラの言葉を船乗りが素直に聞いてくれるようになっていく。

 同じ船で手助けしたことで、彼らと親密にもなったし、彼らは海モグラのことを他の船乗りにも広めてくれた。その結果だ。


 助言をした後も、しばらく船についていくことにしている。

 海モグラの言葉が真実だったと知ると、彼らはもっとたくさんの食べ物を振舞ってくれるのだ。

 慈善事業でやっているわけではなく、単純な欲求に従っているだけ。

 今回は、少し違う興味もあったが。




 ノエチェゼで船の出航を待っている間に、川から奇妙な物が流れてきた。

 死体。

 妖獣の死骸。海モグラからすれば、見たことがないような生き物の死骸。

 何かと争い死んだその残骸に少しだけ関心を抱いて、その川を上ってみた。

 出航まではまだ時間がありそうだ。この川の上流に何がいるのだろうか、と。


 そうして出会ったのが、あの少し変わった人間の少女。

 月夜の番に水浴びをしていた少女は、見つかるはずがないと思っていた海モグラの存在を感知した。

 その時は驚いて慌てて海へと戻ったのだが、その後も気になっていた。

 とはいえ、また会えることもない。そう思いながらノエチェゼを出航した船に追随していたのだが。


(あの娘っ子が落ちてくるンだもの)

 海に落ちた少女を助けようかと思ったのだが、それは必要なかったようだ。

 船の進路は、このままだとネレジェフの待つ海域に進んでしまう。

 伝えるのなら今が一番だろう。

 どういう時点で情報を出すと最も多く食べ物がもらえるか、過去の経験がそれを教えてくれる。


(あの娘っ子、きれいだかンな)

 海モグラが大好きな丸い月とどこか似ている気がする少女に感謝されるのも悪くないと。

 そういう打算もあるのだった。


  ※   ※   ※ 

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