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夜の波間に


「…………」

 自然な流れなのかもしれないが。

 なのかもしれないが。

「…………」

 アスカはどうしても釈然としなかった。

 無言で食事を喉の奥に流し込む。



 ギュンギュン号にも調理室がある。基本が木造のこの船でも調理の為に火を使いたいので、この場所にだけ焼いた粘土と鉄で作られた調理台がある。

 船の揺れもあるので鍋は深い。多少の揺れで零れないように。

 器も、ジョッキのような深いものを使う。食事をするのも調理室のすぐ隣だ。

 たくさんの種類の食事を作るようなことはない。必要な栄養をまとめて摂取できるようにシチューのようなごった煮の食事になる。

 クックラも一緒にそれを食べている。深い器からフォークで具を掻きだしながら、もぐもぐと。


「…………」

「ほら、食べる前にこれを噛むんだ。そうすると吐き気が抑えられる」

「うん、ありがとう」

 別に食事に不満があるわけではない。

 そんな不満を言って許される環境でないのはわかりきっているのだ。むしろこの食事はおそらく船旅の中ではかなり良い方だろう。


「熱いから気をつけな」

「うん、ありがとう」

「…………」

 クックラがちらちらと隣に座るアスカの様子を窺っているのはわかっている。

 フィフジャは既に逃げ出した。

 得意分野のことではないと判断したのだろうが、その小賢しい立ち回りにも腹が立たないでもない。

 アスカの機嫌が悪いのなら、きちんと八つ当たりの対象として傍にいてほしい。まさかクックラに当たるわけにはいかないのだから。


 食事室は、いつにない緊張感に包まれていた。



「ねえちょっと、どういうこと?」

 サトナの声が聞こえる。

「いや、俺っちにもさっぱりっす。愛っすかね」

 適当なことを言っているのはケルハリか。

 小声で話しているつもりかもしれないが、アスカの耳はとてもいい。

 妙な緊張感でやや静かな食堂なら、彼らの会話くらいきちんと聞こえる。


「明日は波の見方を教えてあげるよ。船の揺れ方がわかれば少しは船酔いもマシになるさ」

「うん、ありがとう」

「…………」

 どういうことか聞きたいのはこっちなのだ。



「付き合うことになったって? まあ、さっきの様子を見てればな」

「どういうことよ!」

 船室に戻ったアスカが苛々しながらフィフジャに詰め寄る。

 さっき逃げ出した分だ。面倒事を後回しにしようとしたツケだと彼もわかっているはず。

「どういうって言われても、そういうことなんだろう」

 フィフジャはあまり関わりたくないというように何でもないように言うが。


「突然すぎるって言ってるの!」

「言ってないだろ……で、ヤマトは?」

「知らないっ」

 ぷいっと横を向くアスカに、フィフジャが深く溜息を吐いた。

 クックラは黙ってグレイを撫でることに集中している。グレイもされるがままだ。


 集団で雑魚寝の船室。船内という限られたスペースでなるべく多くの人が寝られるように、左右の壁に 二段のベッドのように台になる板が固定されていているが、プライベートな仕切りのようなものはない。。

 他の船員の姿もあるが、誰もがアスカの機嫌が悪いのを恐れて寝ているフリを決め込んでいた。

 女の機嫌が悪い時は近付かない方がいいという教訓があるらしい。経験則かもしれない。

 逃げられないのはフィフジャだけ。


 周囲の様子に自分が相手をするしかないと観念したのか、フィフジャがこめかみを抑えながら応じる。

「ヤマトも恋人が出来てもおかしくない年齢だと思うんだが」

「おかしいわよ」

「いや、それは……」

「おかしいじゃん。絶対におかしい」

「……そうだな」

 諦めたのか、アスカの意見に納得したのか。


 切波背に襲われてから夕食まで、ほんの数刻しか経っていない。

 メメラータがかっこいいのはわかるし、ヤマトが惚れる可能性がゼロだとは言わない。

 ちょっと年の差があるようだけれど。まあそれは許容範囲だ。

 それにしたってメメラータがヤマトに惚れるだろうか。この短時間で。


「……ノエチェゼにいる間に、何かしてたんだ」

 声に恨めしい気持ちが宿る。

 恨み、つらみ。

「おいアスカ、あまり悪く考えるのは」

「私がつらかった時に、いちゃいちゃしてたんだ」

「…………」

 そう考えると、自分の苛立ちに納得がいく。

 何がこんなに自分を苛立たせるのか。


 別にヤマトを取られたとかそういう怒りではないし、メメラータをお姉ちゃんと呼びたくないわけでもない。

 だけど納得いかないのは、この急展開の根拠がわからないから。

 だから苛立つし、動揺している。自分でも動揺しているという自覚はある。

 理由として思い当たったことが、自分があの港町で逃げ回っていた時に、兄がそれを放っておいて女といちゃいちゃしていたということ。

 考えればまた腹が立つ。大体、他にも女はいたはずだ。ラッサとかいう可愛げな女の子だった。

 あの女のことはどうするつもりなのか。こんな不埒な行いを母が許すはずがない。いい加減な気持ちで女の子を。


「ヤマトが戻ったらちゃんと聞いたら」

「素直に話すならいいけど」

「……いや、そういうのは本人から話すまで聞かない方がいいかもな」

 やれやれと言った感じでフィフジャが立ち上がり、グレイを撫で始めた。

 逃げた。


(自分でも面倒くさいこと言ってるとは思うけど)

 兄とメメラータの唐突な恋人宣言。

 アスカたちも船員たちも唖然としてしまった。

 散々食堂で親密な空気を演出してから、去り際に――


 ――坊やはあたしの恋人になったから、あんたら手ぇ出すんじゃないよ。


 船員の大半は男性だが、どういう意味だったのか。

 ちょっかいを掛けるなという意味だろう。ヤマトが船に慣れていないことを揶揄するような。

 もしかしてメメラータは、ヤマトをバカにする船員たちの歯止めになろうと身を切って?

「…………」

 違う気がする。


 アスカにだってわかってはいるのだ。いつかはヤマトに恋人が出来て別々の道を歩く日が来るだろうことくらい。

 相手がメメラータであっても、考える限りそれが悪いわけではない。

 ノエチェゼで会ったラッサという女でも、まあ許せる。兄がきちんとした気持ちでやっているのならアスカだってそれを否定するつもりはない。

 何かがおかしい。

(……メメラータが、ヤマトに好かれようとしてる感じ)


 ノエチェゼでも船でも、メメラータはアスカたちに憧れを抱かせる姿を見せてくれていた。

 だから、ヤマトがメメラータを好きになって夢中になっているというのなら、それなら納得できるのだ。アスカだって彼女に憧れるのだから。

 それなのに現実が逆だ。メメラータがヤマトに近付いている。ヤマトの気を惹こうとしている。

 アスカが憧れた人がなぜだか兄に媚びているような気がして、もやもやするのだ。

 ヤマトが何か悪いことをしているのではないかと、心配になってしまう。()()を握って言いなりにしようとか、性欲の捌け口にしようだとか。


(……そんなはずないけど。だけど理屈に合わない)

 自分の考えに辻褄が合わなくて、またもやもやが深まる。

 今の思考回路はダメだ。他人にも迷惑だし解決になりそうにない。

「ちょっと風に当たって頭冷やしてくる」

「ああ」

 フィフジャの声が少し軽くなった。

 わかりやすい。フィフジャのこういう部分は嫌いではない。


 船室を出ようとしたところでヤマトが戻ってきた。

「あ、っと。どこに行くんだ?」

「……別に」

 軽く睨みながら返事をすると、それ以上は聞かれなかった。

 ヤマトの方から何か言い訳があるかと少し待ってみたが、何も言わない。

 言い訳などないのか、話すつもりがないのか。アスカが混乱していることくらいはわかるだろうに。

 ヤマトは少し決まりが悪いような顔で目を逸らした。

(やましい気持ちがあるんだ)

 そういう顔だったので何も聞かない。

 ヤマトを置き去りにしてアスカは船室を出た。


  ※   ※   ※ 


「困惑しているんだ。わかってやれ」

「……うん」

 アスカの後姿に声をかけられずにいたら、フィフジャが優しい口調でそう言った。

 機嫌の悪い妹を相手にしておきながら穏やかな気持ちでいられるとは、フィフジャは本当に心が広い。

 わかっている。アスカから見たらわけがわからないだろう。

 正直なところで言えば、自分でも何をどうしたらいいのか。


「一応聞くだけだが」

 アスカを見送って背中を向けたままだったが、フィフジャはそのまま続ける。

「何か困りごととか、そういうわけではないんだな?」

「……困りごとって?」

「急に彼女と恋人だって話だからな。何か困ったことになっていないかと」

 フィフジャがヤマトを気遣ってくれているのはわかる。

 保護者代わりとして、まだ未成熟なヤマトの行動に何か困った理由があるのではないかと。


「無理やりヤられちゃったとかな」

 聞いていた船員がぼそりと言うと、含み笑いが広がった。

 メメラータの交際経験を揶揄しているのだろう。そう思うと腹が立つ。

「違うよ。メメラータは可愛いんだから」

 言った当人の方を見てはっきりと否定する。

 ヤマトは何度も庇ってもらっているのだ。彼女をバカにされるのは気分が悪い。


「っひょう、かっこいいねえ坊主」

「やめとけって。あいつに聞かれたら本当にぶん殴られるぞ」

 ヤマトの発言に少しだけ囃すような言葉をかけてから彼らは静まった。

 フィフジャはヤマトの様子に、これ以上は言うこともないかと思ったのか横になる。

 話したいことがないわけではないが、後でもいい。後の方がいい。


「…………」

 微妙な空気が停滞しているところで、船室のドアが開いた。

 入ってきたのはボーガだ。

「あ……」

「……あれを頼む」

 ぼそりと、ヤマトに向けて呟く。

 あまりにぶっきらぼうだったので、ヤマトは自分に言われたのだと気付くのが遅れた。

「あ、っと。メメラータのこと?」

「ああ」


 ボーガの表情は変わらない。

 年の近い竜人同士で、同じ村の出身なのだと聞いている。ゾカの集落なのだとか。

 ヤマトなどよりよほど恋人に近い位置にいると思うのだが。

「ボーガは……メメラータのこと、好きだったりしないの?」

 口にしつつ、聞いたらまずかったかなと思ったが、途中でやめるわけにもいかない。

 ヤマトの質問が不躾だったせいか、ボーガの表情がやや険しくなる。


(地雷だったかも)

 仮に彼がメメラータに恋心を寄せていたとして、今ここで言えるわけもない。

 彼は無骨な戦士という印象だ。色恋など表沙汰にするようなタイプでもないだろう。

「俺は」

 それでも返事はしてくれる。実直な男だ。

「俺は、俺より背が高い女は好かん」

「あ、ああ……そう、なんだ」


 地雷だった。

 メメラータの方の、地雷だった。かなり危険度が高いやつ。

(危ない……聞いておいてよかった)

 ノエチェゼでこの話で吊るしあげられている兵士を見ていたのだ。シャレで済みそうな感じがしない。

 今ここで確認できたことは、失敗だったかもしれないが、ヤマトにとっては幸運だったと言わざるを得ないだろう。


「ヤマト、失礼だぞ」

 横になっていたフィフジャから注意を受けた。

 その通りだ。面識の浅い自分がずけずけと聞いていいことでもなかった。

「ご、ごめんなさい」

「構わん。あれは勝手な女だが、ゾカの戦士だ。よろしく頼む」

「……はい」


 何と答えていいものか少し悩んでから、小さく頷く。

 色々と申し訳ない気持ちだ。

 メメラータにもらった薬のおかげで船酔いはかなり楽になってきているのに、気持ちは沈む。

 今はどうにもならない。これ以上失敗を積み上げないうちに寝てしまおう。

 そう思ったところだった。


 ――太陽の方角! 魔獣! ……くそったれ、白耳鼬だ!


 悪態と共に叫ばれた名前に船室内に戦慄が走った。


  ※   ※   ※ 


 船室を出る。

 既に日は落ちて、煌々とした月明かりが静かな波に跳ね返っている。


 海で見る月は違う。

 銀色の丸い月と、半分より少し増えている黄褐色の月。

 別物ではないはずだが、陸地の月とは違うと言われたら信じてしまうかもしれない。

 それくらい綺麗で、大きく見えた。


 心を不安定に波打たせているアスカを宥めるように、その光がアスカの全身を通り過ぎていく。

「…………」

 ただの嫉妬なのかもしれない。

 あるいは、置いてきぼりにされてしまうことを怖がっているのか。

 フィフジャには八つ当たりをしてみたが、あまり気分が晴れなかった。彼にしたらいい迷惑だろうが。


「……私、子供だなぁ」

 自分の思い通りにならないことに苛々して他人に当たるとか、本当に幼い。

 少し自己嫌悪だ。

 冷静に考えてみれば、メメラータがヤマトを好きになる可能性だってある。

 年下の男の子が極度に好きだという嗜好の人もいるだろうし、メメラータがそうではないという根拠がない。

 周囲にはむさ苦しい系の男がほとんど。逆のタイプが好みだということも考えられるか。


 ふと船の外を見ると、煙が上がっている。

(火事?)

 だとすれば大変だと思って見てみると、船の横に突き出した排気口からだった。

 調理室だ。

 既にみんなご飯は終わったと思うのだが。

「?」


 気になったので覗いてみる。

 料理長というのか、まあ一人しかそういう役割の人はいないのだが、やや年配の料理人とケルハリが調理室にいた。

「あれ、どうしたっすか? 俺っちと一緒で盗み食いっすね」

「堂々と言いやがって、阿呆が。嬢ちゃんはどうした?」

「んと、煙が上がっていたから」

 二人から問われて理由を言うと、料理長がくいっと顎で調理台を示した。


 そこには昼間獲った切波背が積まれている。

「このままだとすぐ腐っちまうからな。軽く火を通しておくと多少は持ちがいい」

「そうなの?」

「ああ」

 そう言いながら料理長は、少し切った切波背の背ビレをアスカに渡した。


 炙ってある。食えということだろう。

「はむっ」

 噛みついてみると、やや硬く繊維のような筋があった。

 ぴいっと横に噛み千切って咀嚼する。

「んむ、ぁむ……ん、ちょっと硬いけど、なんだろう。癖になる味ね」

「消化は悪いからよく噛んでな」

「うん、ありがとう」

 彼らの仕事の邪魔をしたかったわけではないが、初めての食べ物を経験できたのは幸運だった。



 お行儀悪く食べながら調理室を出て甲板に戻ると、後ろからケルハリが付いてきた。

「お兄さん、どうっすか?」

「どうって……」

 彼は本当につまみ食いの為に調理室にいたのか。アスカがもらったのと同じ、もう少し大きな背ビレを口にしながら尋ねられた。

 聞かれて楽しい話題ではないと知っていると思ったのだが。

「ああ、違う違う。ケガの話っすよ。指、ちゃんと動いてるっすか?」

「そっちのこと」

 アスカの剣呑な雰囲気に慌てたケルハリの言葉を聞いて、勘違いだったと肩の力を抜く。


 彼はどうも勘違いさせるような言い方をしやすいようだ。フィフジャともそれで揉めていたし。

「まだ十分に力は入らないみたいだけど、ちゃんと動くって。あの時はありがとう、ケルハリ」

「いやいや、まあ大したことっすけど。ロファメトの客人って言うんじゃ放っておくわけにもいかないっすからね」

 謙遜するつもりなのかそうでないのか、よくわからない人だ。


 実際に彼の使う治癒術というのは大した話だと思うし、他に使える人を知らない。

 使えることを他人に知られたくないとも言っていた。

「聞いてもいい?」

「女の子からの質問は大歓迎っす。なんでもどぞ」

 二人で甲板から夜空を見上げながら話してみる。

「治癒術……治癒術士ってどういうのなの?」

「あちゃあ、そういう話っすか。俺っちの好みの女の子とかじゃなくて」

「フィフには聞きにくいから」


 治癒術士の話が出た時、フィフジャはひどく機嫌が悪かった。怨嗟の念すら感じるほどに。

 とても聞けない。

「あの兄さんと治癒術士の関係ってんなら、俺っちは知らないっすよ」

 アスカの知りたいことがそうであれば、ケルハリの答えは意味がないと。

 それも知りたいが、とりあえず治癒術士というのがどういう扱いなのかすらわからないのだ。

「ゼ・ヘレム教会は、治癒術を創世神ヘレムが人に与えた奇跡だとか決めてるんすよ」

「…………」

「で、治癒術を使えるのは当然、神様の敬虔なる信徒の中でも選ばれた者だけって」

 そう言われて、アスカは思い返してみる。


 ケルハリの使った治癒術は、アスカの知っている代償術と全く違う。原理の根本が違っていて理解できなかった。

 それはそうだ。電気信号で傷を強制的に治すだなんてことは聞いたことがない。

 アスカの知らない手法で何かあるのかもしれないが、想像してみてもまるでわからないのだ。

 焼き付けたのだとしたら、血流が止まって末端が腐り落ちてしまうかもしれない。

 表面だけなら、今ちゃんと動くというはずがない。神経や骨も繋がっているのだから。


 神の奇跡だと言われたらそう信じる気持ちが浮かぶのは自然なことだと思う。アスカだってあの時はこの軽薄な男が神様かと思ったくらいで。

「光って傷が治るなんて、神様っぽいじゃないっすか」

「違うの?」

「俺っち神様に見えますかね?」

 なははと笑うケルハリ。こういう神様がいても悪くはないと思うが、そうではないのだろう。

「ただの血筋っすから」

「神様が?」

「治癒術っすよ。使える血筋の血縁かどうかってだけの話って。まあそれだけじゃダメなんすけどね」

 そう言ってケルハリは、アスカの手の甲に指を当てた。


 ぼわっと光る。

 ヤマトを癒した時のように光る。けれど――

「……痛くない」

 ヤマトが絶叫したような痛みどころか、何も感じない。熱さえもない。

「ケガもしてないっすからね。そもそも骨まで斬られた指の治癒とかじゃなけれりゃあんなに痛くないはずなんで」

 ケルハリはそう言うとすぐにやめた。


「何か感じたっすか?」

「?」

「まあそれが普通っすね。治癒術使えるようになるには、他の治癒術士から手ほどきしてもらわないと取っ掛かりも出来ないんで」

「私にも出来る?」

「いや、無理っす」

 ケルハリはひどくあっさりと首を振った。

 欠片も可能性がないと。


 そう言われるとなんだか出来るまで頑張りたくなってしまうアスカでもあるが。

「血筋って言ったっすよ。今ので何も感じないんだったら、使える血筋じゃないってことっすから」

「……そう」

 血が関係するというのなら、確かにアスカたちには可能性がない。

 少なくともこの世界の血は一滴も流れていないのだから。


「まあま、がっかりしないで。治癒術を使えるような人間は全部教会の本部で管理されてるんで、もし使えたら大変っすよ」

「それで教会の関係者……ケルハリは?」

「俺っちの母ちゃん」

 ケルハリは短くそう言うと、大きく伸びをして月を仰いだ。

 何かを誤魔化そうとしたのかもしれない。涙とか。

「教会から隠れてた野良の治癒術士だったんすよ」

「そう、なの」


「代々……っても、どこかの代で教会の管理から零れた治癒術士だったのかもしれないっすけど。リゴベッテの片田舎で暮らしながら、本当にこっそりと治癒術を子供に伝えていたんすけどね」

 過去形での話。

 この話の流れなら想像がつく。

 教会に見つかれば抹殺されると言っていた。神の奇跡を、野良のなにがしかが使えるというのは教会にとって非常に不都合だというわけだ。


「逃げ出そうとした船も沈められて、俺っちも近くに浮いてた木切れ掴んでぷかぷかしてたっすよ」

 おどけたように話すが、つらい体験のはずだ。

 決して笑顔で話すようなことではないのに、ケルハリは笑顔のまま。

 軽薄なだけの男かと思っていたが、それだけではない。

 こういう姿勢を貫くことで、彼の中の何かを守っているのだと。そう感じた。

「鳥にでも啄まれて死ぬかなぁって思ってたところで、本当に……」

 ケルハリが波の遠くを見やる。

 アスカもそれに並んで、進む船の先を見る。



 夜だが、月明かりは波をよく照らしている。

 夜の海は黒い。濃紺というか、ほとんど黒だ。

 波間に白いしぶきが――

「……?」

 波飛沫にしては、少し大きい気がする。

 そして、あまり揺れ動かない。


「あれ、なに?」

 アスカが指を差す。

 ケルハリも目を凝らした。

 常に軽薄な笑みを浮かべている顔が固まっていた。

「本気でマズイっすね、これ」


  ※   ※   ※ 


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