船出
メメラータは自分が弱くないことを知っている。
そこらの兵士数人程度ならまとめてあしらうことも出来る。
それ以上となると、さすがに一度には無理だ。動きが止まれば集団で抑え込まれてしまうのだから。
「噂にゃ聞いてたけど、本当にどうしようもないね」
ぼやきたくもなる。
腕にはある程度の自信があったのだが、たった一人の相手に何もできない。
たった一撃、命からがら躱しただけで、冷や汗が止まらない。
「大したものだ」
相手からお褒めの言葉があったが、それほどでもない。
躱したなんていうほど体裁はよくなかった。何とか逃げて当たらなかったという程度。
「デイガル・ギハァト。あんた、あんな子供を追い回して恥ずかしくないのかい?」
「雇い主の命令だ。俺が恥じることではない」
「っとに、こういうタイプは嫌いなんだよ」
融通が利かない無骨な男。
いやなことを思い出す。
そういえばこいつ、身長があたしより高いじゃないか、とも。
「どけ、お前を殺せとは言われていない」
「はっ、そう言われてもこっちも竜人の戦士の意地があるんでね」
「愚かだな」
デイガルの大剣が日の光を反射する。
嵐が去り、空には雲一つない。
明日には海に出るというのに、こんなところで。
(戦いは聞いてたけどさ。姫様の様子を見に行こうって考えたのが失敗だったかね)
今日が決戦の日だとは知らなかった。荒れる町を見て、自分を慕うラッサーナの身を案じたのは当然のこと。
ロファメトの一行はチザサと共に兵士たちが集まっている場所へ集結したのだと聞いた。まずは安心した。
町の混乱にいよいよ危険を感じてきて戻ろうとしたところで、知った顔を見つけてしまった。
ヤマトだ。
姫様がずいぶんと気に入っている様子だったのを見ている。
その実力も眼を見張るものがある。だがプエムの兵士たちに追われているようだった。
声を掛ける必要はなかったかもしれない。
助けるまでの義理があったとは思わない。
少しだけ、助けてやりたいと思う気持ちがあった。また、助けられるだろうという自信もあった。
まさかそのプエムの兵士の中に、デイガル・ギハァトがいるとは思っていなかったので。声をかけてから気が付いた。
やばい、と。
しかしもう遅い。やりかけてしまったことを半端に投げ出すのは性分ではない。
やると決めたのなら最後までやり切る。
思ったより相手が強かったのでやめます、なんていうのはゾカの戦士の恥だ。
せめてあの少年がケルハリの所に着くまでは、時間を稼いでやりたいと思っていたのだが。
(こいつは無理そうだね)
桁が違う。
正直、ヤルルー・プエム程度ならいい勝負になるかと思っていたのだが、その認識は甘かった。
ノエチェゼ最強……ズァムーノ最強なのだったか、その看板はどうやら完全な誇張ではないようだ。
(ズァムーノ最強だって? そいつは違う)
思い出して、笑みが浮かぶ。
手も足も出ないというのなら、同じような経験をしたことがあるのだ。
剣士ではなかったが、同世代の女戦士を相手に。
「あんたがノエチェゼ最強だってのは、まあそうかもしれないね」
「もういい、死ね」
「でも、竜人にはもっと強い女がいるんだよ!」
振り下ろされる大剣。
その前に、いや振り下ろされてからでもいい。一撃でもこの男の体に拳を――
「っ!」
叶わなかった。
適わなかった。
その拳も、その刃も。どちらもが届かない。
「……何者だ?」
デイガルの口から低い唸りが漏れる。
「…………」
答えない。
先端が三日月のような形をして、黒く塗られた柄に金属の縁どりをされた見事な戟を手にしたその男は、デイガルの一撃を受け止めたまま黙って首を振る。
メメラータは押し退けられた形で横に転がっていた。
「……ドゥエ」
その言葉はデイガルへの返答ではない。
言われたのはメメラータだったが、すぐに理解はできなかった。
「ドゥエ!」
もう一度、強く言われる。
は、っとメメラータの意識が戻った。竜人の言葉だ。
「あんた……」
後ずさりしつつ立ち上がる。
デイガルの一撃を受け止めて動じない様子は見事だった。
「竜人、誇り。愚か違う」
片言で、そう言って剣を受け止めている戟を強く押し込んだ。
思いの外強かったのか、デイガルが押し負けて後方にいた兵士たちにぶつかる。
「ドゥエ!」
「ああ、マ、シュスロゥファラテーサ」
「ちぃ、お前らあいつを追え」
プエムの兵士たちが、走り去るメメラータを追っていく。
戟の戦士も、デイガルに向かうことに集中しているのか、それらには手出ししなかった。他の兵士なら何とかなると見做している。
この場で自分が戦うべき相手は、このデイガル・ギハァトだと。
「どこの……巨大な岩千肢を倒したとかいう竜人か」
初めて見る竜人を相手に、デイガルは聞いていた噂を思い出した。
近年稀に見るような大物を一撃で倒したのだとか。自分の一撃を防いだとしても不思議はない。
「ヘロの子飼いになったと聞いたが……なんのつもりだ」
「…………」
尋ねても返事はない。言葉が通じないのだとわかっていても問い質したくもなる。
邪魔をする理由は何なのか、と。
「ヤー、マルセッテズァムナロフ。ワ、トルツカーユ」
「わからんが、退く気はないのだな」
大剣を握るデイガル。
邪魔をされて不愉快なはずがやや楽しそうに口元が緩んでしまうのは、ギハァトの血筋ということなのかもしれなかった。
※ ※ ※
「そこに寝かせろ。おい兄さんよ、坊主の体を抑えとけ!」
「何を……」
「指ぃ、なんとかしてぇんだろうが。とにかく言う通りにしろや」
ダナツに怒鳴られながらフィフジャが言う通りにする。
船室の簡易な寝床にヤマトを寝かせて、横からヤマトの体に覆いかぶさる。
「嬢ちゃん、坊主の手と指をちゃんと見ろ。ああ、ちょっと洗え」
アスカは水筒で持っていた指を洗い流す。ヤマトの手の方も洗う。
「うぅっ……!」
「我慢しろ、坊主。出来るだけ動くなよ。嬢ちゃんはその指の傷口を、ちゃんと向きを合わせてくっつけとけ。坊主が暴れてもずらすんじゃねえぞ。ケルハリ!」
「はいはいっす」
ダナツもフィフジャと一緒にヤマトの体を抑える。
暴れて傷口がずれないようにということだろう。
縫うのか。麻酔なしで。
「…………」
仕方がない。痛いかもしれないけれど、切れた直後ならうまく接合する可能性がある。
アスカも覚悟を決めた。
生々しい傷口……鋭利な刃物ですっぱりと斬られたその傷口を見て、元の位置に合うように目を離さない。
ケルハリが手を出す。
針や糸は持っていない。のだが。
「まさか……」
フィフジャの声は、期待とは明らかに違う。不安、恐れ、猜疑心。そして敵意。
しかし状況の為か、それらを飲み込むように首を振った。
「じゃ、やるっすよ」
――!!!
「うっぐああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁっぁっっ!:
無音だった。
何の音もしない。
ヤマトの叫び声だけが室内に響き渡る。
「いたいいいいぃいぃ、いたい、やだぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「我慢しろ坊主!」
ダナツが叱咤する。
ケルハリは、ヤマトの傷口に自分の指先を向けているだけだ。
アスカは見ていられなかった。
決して強くはないが、傷口に集中する光に――無音だが――発光するそれを直視していられなかった。
「やはり、治癒術か……」
苦々し気なフィフジャの声に、ケルハリの表情が皮肉気に少し歪んだ。
「いだい、いたいぃぃぃぃぃ」
「ヤマト!」
泣き喚くヤマトに声をかける。
なんだかわからないが、治癒術というのなら治るのだ。痛いかもしれないが、きっと。
兄が痛くて泣きわめくなんて初めて見る姿だったが、その姿を見るアスカの目にも涙が溢れるのだった。
どれくらいの時間だったのか。
実際にはさほどではなかったようだが、ケルハリ以外の全員がぐったりと力を失っていた。
ヤマトは、びっしょりと汗を掻きながら、荒い息を繰り返している。
その右手には、まだ傷跡は残っているものの、切断された直後とは思えない状態の指が繋がっていた。
「ま、なんとかなったっすね」
「メメラータを」
アスカは立ち上がった。
疲れているといってもこれは精神的な部分が大きい。それよりも、置き去りにしてきてしまったメメラータを――
「あたしならここさ」
入り口を見れば、少し頬を擦り剝いているものの、元気そうなメメラータの姿があった。
その後ろにはボーガの姿もある。
「周辺の騒ぎは少し収まった。出るなら今しかない」
「ああ、そうか」
ボーガの言葉を受けてダナツが外に出ていく。
「出るって?」
出ていくダナツに聞いてみたが、答えはもらえなかった。
そこに残ったメメラータとボーガ、ケルハリが顔を見合わせる。
「出航だよ。繋留してた縄はもう外した。でも港を出るまでは小舟で引っ張るからね」
メメラータが説明してくれる。
言いながら、ヤマトの指が繋がっているのを見て頷いていた。
彼女はケルハリならヤマトを治せると知っていて言ってくれたのだ。感謝の言葉もない。
「い、いかないと……」
「ヤマト!」
話を聞いていたのだろう、ヤマトが立ち上がろうとする。
「そんな体で」
「行かせるわけにはいかん」
ボーガがドアの前に立ち塞がる。
メメラータも、その横で頷いていた。
「貴様ら……やはり治癒術士か」
低い、恨みすら感じるような声音。
何かを呪うような。そんな表情でフィフジャがケルハリを睨みつける。
「フィフ?」
なぜそんな顔をするのだろうか。
どういう事情であれ、彼らはヤマトの傷を不思議な力で癒してくれたというのに。
「誰の指図だ?」
「フィフ、ちょっと……」
「黙っていてくれ、アスカ」
頭ごなしに言われる。
先ほど、アスカがメメラータの加勢をすると言った時とは雰囲気が違う。
拒絶。
やはり言葉が出てこなくなってしまうような、拒絶。
「なに勘違いしてんだかね」
「そうっすよ。フィフジャ・テイトー」
「!」
フィフジャがケルハリの胸倉を掴んだ。
「よせ」
ボーガが短く言う。
「大丈夫っすから。ああ、今のは失敗っすね。信用させるために言いたかっただけなんだけど、俺っちの失敗」
ケルハリが制したのはフィフジャではなくボーガだ。
仲間に暴行を加えられそうになって、戦闘態勢に移る姿勢だった。
「まあまあ、俺っちも兄さんと一緒……じゃないか。むしろ俺っちはほら、教会に見つかったら本当に抹殺されちゃうんで、もう本当に最悪」
「……野良の?」
「そゆことっす。だからリゴベッテからくる教会の関係者のことはかなーり神経質に調べてるってわけで」
「まさかそんな……そんなことが……」
フィフジャが、掴んでいたケルハリの服を離して、俯く。
誤解があったのだと。
「……すまなかった。思わず」
「いやいや、俺っちも安心っすよ。これでお互い分かり合えたってわけで」
「わけがわかんないんだけど」
むくれるアスカに、フィフジャは困ったように苦笑を浮かべるだけだった。
ケルハリの方をみても、フィフジャが説明しないことを自分の口から言うつもりはないようで、惚けた顔をする。
メメラータとボーガは……どうやらアスカと同じく意味がわからなかったようで、首を傾げた。
「助けてもらったのに、ひどいことをした。許してくれ」
深く頭を下げるフィフジャ。
ケルハリは困ったように笑った。
「まあいいってことで。俺っちもちょいと悪気もあったし。っていうか本当に情報の本人かわかんないっすね。噂を信じちゃいけないなぁ」
どういう噂を聞いているのだろうか。
アスカは気になったが、聞いていいのかどうかわからない。フィフジャの雰囲気からすればあまり楽しいことではなさそうだ。
少なくとも今ここで聞きたがる内容ではないことはわかる。
「それより、戻らないと」
ヤマトは体を起こしていた。
愛用の槍は、部屋の隅に転がっている。それを拾おうと。
「さっきも言ったが、行かせるわけにはいかん」
「どうして?」
「あんたの指だよ、坊や」
無骨なボーガに代わってメメラータが指さす。
ヤマトも、自分の指を見て、今更ながらに繋がっていることに驚いていた。
「びっくりしただろう?」
「う、うん……」
「坊やが斬られたことを見てる人間は少ないかい?」
聞かれてみて、そうではないと思う。
ゼフス・ギハァトに斬られた時にはプエムの兵士も群衆もいた。
逃げている時にも、多くの人に見られていただろう。指を切断されているかどうかまで判別ついたかわからないが、グレイに吠えさせながら逃げてきたのだから衆目を集めたことは間違いない。
だろうね、とメメラータが続ける。
「今、坊やが町に戻ったら、斬られたはずの指が繋がってるってことになる。そいつはおかしいだろう?」
「それは……でも、ほら。ラッサだって……」
「今の痛みを知っていて、それを自分で治せると思うのかい?」
ヤマトが何を主張しようとしたのかアスカにはわからなかったが、メメラータの言いたいことはわかる。
誰かが、ヤマトの傷を治したということになる。
逃げ込んだのがここだとは知られているだろう。だとすれば。
「俺っちさ、この力を人に知られると困るわけよ。まあこの船の古参連中は知ってるんだけどね」
何か理由があるのだ。知られたら抹殺されると言っていたし。
「リゴベッテにまで行けば、坊やのケガのことなんて知られちゃいない。別にいいのさ。船に乗ってる間にくっついたってことでもいい。でも今はダメだ」
わかるね、とメメラータがヤマトに、まるでお姉さんのように言い聞かせる。
ヤマトは座り込み、俯きながら首を振る。
「だけど、ラッサのことも……僕の荷物だって盗まれて……」
「ヤマト」
フィフジャが声を掛けた。
静かに、先ほど興奮してしまった自分を戒めるように、静かに。
「アスカが、この町で狙われている。ただでさえ混乱しているこの町で、プエム家に。さっきのギハァトの奴もそうだ」
「…………」
「お前の荷物には思い出の品があったかもしれない。でも、わかるな」
「……うん」
ヤマトはちらりとアスカを見た。
心残りはある。それでも、選択肢はわかっている。
「姫様のことなら大丈夫さ。チザサと連合で倉庫街に集結したって」
「それは……そうか。うん、わかった」
メメラータの言葉を受けて、ヤマトは迷いを吹っ切ったようだ。
まだ不安はあるようだが。
「わかったけど……でも」
まだ顔色が悪いくせに何を言い出すのだろうか。
この上、さらにバカなことを言い出さなければいいのだが、とアスカは思う。
「……船に乗せてもらうお金、どうするの?」
一同、顔を見合わせる。
考えてなかったの、というように。
アスカはフィフジャと顔を合わせて笑ってしまった。
こんな風に素直に笑ったのは久しぶりの気がする。フィフジャも、まだ少し憂いは残っていたが、いつもの調子に戻りつつあるようだった。
言わなければ、このままなし崩し的に乗せてもらえたかもしれないのに。
「密航は海に沈める規則だ」
ボーガの言葉は実直で、笑えない冗談だった。冗談ではないのかもしれなかったが、皆が笑うのだった。
話しているうちに、《海のギュンギュン号》はノエチェゼの港から離れていた。
名前を聞いた時にアスカが思わずださいと言ってしまったのは仕方がないだろう。
速そうで強そうだから、という命名らしい。
甲板に上がると、ノエチェゼの港が見えた。
ギュンギュン号の後にも、出航準備が不十分ながら逃げるように港を出てくる船が何隻もあった。
あちこちで煙が上がっているのが見える。
少し離れてみても、ノエチェゼの町の全体はわからない。大きな町だ。
ヤマトとアスカが初めて体験した町で、短い期間ながらも色々なことを学べたと思う。
アスカの思いとは別に、ヤマトには深い感慨があるようだ。きっと女のことだとアスカは確信しているが。
天気がいい。
オタネト山脈も遠くまで見える。竜人はズァムーノ山脈と呼ぶようだが、どちらの呼称でもいいだろう。
そのどこかの麓に伊田家があるのだ。ズァムナ大森林の中に抱かれて。
遠くに鳥の飛ぶ姿が見える。太浮顎なのかもしれないし違うのかもしれない。
いつか戻ることがあるのだろうか。このズァムーノ大陸に。
アスカにはわからない。
ヤマトにもわからない。
けれど、こんな風に逃げ出すように出てきた形になってしまったけれど。
また戻りたいと思うのだ。
ここが、生まれ育ったところだから。
(お父さん、お母さん……)
みんなは、帰りたかっただろうか。
生まれ育った故郷で眠りたかっただろうか。
「行ってきます」
アスカは、誰にともなくそう言った。
「きっと、また帰ってくるから」
ヤマトが噛み締めるように言う。
混迷するノエチェゼの町とは違って、海の波は穏やかに彼らを運んでいた。
名残を惜しむかのように、風もゆっくりと船を進めるのだった。
※ ※ ※




