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ノエチェゼの真紅

 良かった、と。


 無事でよかったと思う気持ちがあったのはもちろんだ。再会できてよかったとも思っている。

 けれど、行方不明の妹を放置して女の子とキスをしていたりするような場面を取り押さえられなくて良かった、と。

 最初にそう思ってしまったことは否定できない。

 その後に、無事だったとかやっと会えただとかそういう安堵が浮かんできて。


「アスカ……?」

「私がどんな……どんだけ大変だったと思ってるのよ!」

 知らない。

 何があったのか知らないが、その姿を見ればわかる。

 スカーレット・レディの正体が誰だったのか。というか最初にそう考えるべきだったのだが。


 よもや初めてきた町で世直しもどきのことをしているのが自分の妹だとは思わなかったので。

 祖母のサングラスやらで変装して。

 だいたい竜人だって言われていたのに、違うじゃないかとも言いたい。

 しかしそれよりも、何よりも。


「無事でよかった」

「よくない! なんで? ねえなんで、私を放っておいてそんな女といい雰囲気でいられるの⁉」

 はっ、とラッサを見る。

 いい雰囲気というわけでは……そうだったけれど、でもその誘惑に耐えた兄に対して妹が激怒している。兄の苦労も察してほしい。

 ラッサは、状況に圧倒されているままだったが、とりあえずヤマトと目が合うと、こくこくと頷いた。


「なんで目と目で通じ合ってるの!」

「いや違うから。そういうことじゃなくて」

 妹も混乱している。

 ヤマトも十分に混乱しているが、アスカの興奮具合がひどい。

 それは先日からの乱闘騒ぎだったり信用して裏切られてだったりという経験をしてきたアスカの立場からすれば当然の憤慨だったが、ヤマトはそれを知らない。


(大好きなお兄ちゃんに恋人が出来たと思って怒ってるのか)

 可愛いところもあるじゃないか、とか。

 そんな考えが脳裏に浮かぶ程度で、頭に血が上っているアスカの気持ちを察してやることはできなかった。

 サングラスを外してヤマトを睨みつける目が涙目なのか雨に濡れているだけなのか。

 そういえば、最後に喧嘩別れした時にもこんな風に睨まれていたのだった。


「アスカ、とにかくよかった。宿で伝言を聞いたんだろ」

「とにかくって……宿なんて知らない。それどころじゃなかったの」

「あれ? そうなのか。一体何が……フィフは?」

 アスカがロファメト邸に来たのが伝言を聞いたからではないと。

 仮に伝言を聞いたにしても何にしても、窓から人様の家に押し入るのはやめてほしいのだが。


 グレイの声を聞いて大慌てだったというのは理解できるとしても、やはり兄として恥ずかしい。

「フィフは、隠れてる。追われてるから」

「追われてるって……ああ、お前」

 スカーレット・レディだ。追われていることを知っている。

 フィフジャも巻き添えで一緒に町中から追われているのだと。


「お前がその、そんな怪盗ごっこしてるから」

「それは違うの! 違うけど、追われてるのは私っていうか……」

 アスカが少しバツが悪そうに言い淀み、ふいっとそっぽを向く。

 自分のせいだという自覚はあるのだ。


 ――こっちだ! ここに入っていったぞ!


 開けっ放しの窓の外から、風雨に乗って人の声が聞こえてくる。

 スカーレット・レディを追う人々の声だろう。こんな暴風の中をご苦労なことだ。

「ラッサ、ここは……」

「ここがどこなのかわかっているとは思うけど、十万クルトの賞金となれば目の色変えて追ってくると思う」

 ロファメトの邸宅でも無関係に踏み込んできてしまう。

 貧しい者からしてみれば、そうそう手に出来る金額ではない。多少の無茶はしてしまうか。


「っとに……アスカ」

「なによ」

 この状況でなおヤマトを突っぱねるような態度を取る妹をどうしたものだろう。

 もう少し余裕があれば、その嫉妬を可愛いと思うことも出来たかもしれないが。

「誤解だって。別にラッサと何かしていたわけじゃない」

「ラッサ、ね……」

 声音が冷たい。


 仕方がない。誤解は後で解くとして、今は状況が切羽詰まっている。

 強引に、アスカの手からサングラスを奪い取った。

「僕が引き付ける」

 言いながら、自分の荷物からも真っ赤な金属の防具を引っ張り出して身に着ける。

 赤い装いで目を引けば注意を引けるだろう。

「……でも」

「お前はフィフをここに連れてこい。クックラは?」

「無事……一緒にいる」

「よかった。ここのロファメトさんはいい人だから大丈夫だ」

「善い人……」

 アスカの顔が曇る。一体何があったというのか。

 聞いている暇はない。


「いいか、もうすぐこの町で戦いが起きる。御三家が戦うって話だ。町は危険だから、とにかくここに集まろう」

「……わかった」

「チザサの当主が、この人も変な人だけど信用できると思う。黒鬼虎の毛皮を買ってくれるって言ってた」

 屋外の喧騒が近くなってきている気がする。

 塀を乗り越えてこようとしているのだ。


「ラッサ、ごめん。ヒュテさんの家の場所を教えてもらっといてもいい?」

「いいけど、そっちは大丈夫なの?」

「大丈夫じゃなくてもやるしかない」

 大金に目が眩んでいる人間たちにアスカを渡すわけにはいかない。どんな目に遭うか。

 だいたいに火付けは死罪だとも言われていたのだから、絶対に引き渡すわけにはいかない。

 ヤマトが身代わりになって引き付けている間にアスカを逃がして、フィフジャと一緒に戻ってきてもらえばいい。


「ヤマト……」

「アスカ、僕がバカだった。許してほしい」

 やや乱暴に、妹の頭を撫でる。

 濡れた頭を撫でると、アスカは少しだけ不満そうに口を尖らせてから顔を下げた。

「ほんとだよ、バカ」

「ああ、ごめん」

 言っている間にも声が近づいてくる。

 話している余裕はなかった。


  ※   ※   ※ 


「ラッサ、何か盗まれたって言ってくれ」

「わかったわ」

 窓から飛び出すヤマト。

 それは薄暗い光を反射する紅の甲冑を身に着けた小柄な人影。

 赤い輝き。

 追手の目を引くのに十分に目立つそれは、この時の為に用意されたのかと思うほどの輝きを放っていた。


「いたぞ!」

 見つけてくれる。

 強い風が吹きつける中、ヤマトはロファメト邸の外に向かって走り出した。


「うちの家宝を盗まれたわ! 捕まえて!」

「ロファメトの宝だとよ!」

「追え! 十万クルトだぞ!」

 ヤマトの逃げた後を追って、勝手に入り込んだ連中が走っていく。

 他にも周辺に騒ぎを聞きつけた人々が集まってきているようだ。

 嵐の中を、嵐のような騒ぎが過ぎ去っていく。


 追っていく連中は別にロファメトのことを心配して集まったわけではなく、スカーレット・レディの賞金を求めているだけだ。目的の人間がいない家に踏み込むまでのことはなかった。

 ヤマトの姿が消えていった方角に喧騒が移っていった。


「…………」

 窓を閉めた後も心配そうにその方角を眺めている女の表情。

 経験がないアスカにも直感でわかる。これは恋する乙女の顔だ。

 どういうわけだか知らないが、あの兄に惚れてしまっているらしい。

 この女。

 きっと脳みそが筋肉でできているのだ。単純でちょろい女に違いない。

 おそらくこの女が危険なところを颯爽と助けてくれたヤマトにころっと参ってしまった。実に単純な話。


「……ありがと」

 それでも何かしら兄が世話になったのは間違いない。礼を言うべきだとは思った。

 女――ラッサと呼んでいたか――は窓から視線をアスカに移して、小さく首を振った。

「いいのよ。ヤマトの妹なんでしょう? アスカ、って言ったかしら」

「……そうだけど」

 気安く呼ばないでほしい。


 兄が世話になったにしろ、自分は違う。

 それとも何か、アスカと親しくなることでヤマトとの距離をより強固にしたいという気持ちがあるのかもしれない。

 大体、ロファメトってなんだ。奴隷商だというのではないか。

 そんなのが善い人だとか言われても、兄の頭がおかしくなったのかと思うだけだ。

 ご飯を食べさせてくれたら全部善い人だとでも言いそうな単純な兄のことだし。


「ヒュテ・チザサの屋敷は、ここからちょうど牙城の方角に進んだところにあるわ。牙城まで行かないところで左手に、大きな青い屋根の家があるから。青い旗も出てる……この嵐だと旗は出ていないかもしれないけれど、天気がいい時は出てるはずよ」

 沈黙するアスカに居心地が悪かったのか、早口で身振りを交えながら説明した。

 アスカが隠れていた家からここまでは速足で一刻ほど。それと同じくらいを歩くとチザサの本宅らしい。


 ヤマトは飛び出していった時に何とかすると言っていたが、本当に何とかしていたのか。

 この女に惚れられてしまったのは仕方がないとして、本当にちゃんとやるべきことをやっていたとは。


(私は……騒ぎを起こして、逃げ回っていただけで……)

 アスカにだって言いたいことはある。

 だけどこうして結果を見てみれば、ヤマトのことを信じて待っていたら良かったのではないかと。

 認めたくない。

 アスカだって頑張ったのだ。自分なりに必死だった。兄がいなくてどうしたらいいのかわからなかったから、自分なりに考えて。


 軽はずみな行動だったし、こういう町が初めてで悪ノリしていた部分が多くあったのは認めるけれど。

 先に失敗して、勝手にいなくなったヤマトの方が悪いはずなのに。

 それでもやはり、ヤマトは兄としての責任感を持って行動していたのだと思えた。

 この女のことはおまけだ。おまけ。副賞みたいなもの。

「ありがとう」

「いいのよ。私もヤマトに助けられたから」

「…………」


 そうだろう。

 ヤマトは、本当に善い人なのだ。

 自慢の兄とは言わないけれど、少し嬉しい。

 顔に出ていたのだろうか。ラッサの表情が少し和らいだ。

「他にも連れがいるのよね?」

「うん。今のうちに戻って合流する」

「それがいいと思う」


 ヤマトが引き付けている間に戻る。

 追手の人数が多いとはいえ、悪天候の中を一人で逃げるヤマトを捕まえるのは難しいだろう。

 ヤルルーや、それに並ぶような実力の追手であればヤマトも苦労するかもしれないが、見ていた限りそういう相手はいない。


「ありがとう、助けてくれて」

「いいって言ったわ」

「そうだけど、でも、ありがとう」

 少しだけ、自分の子供じみた態度を反省して、礼を言う。

 ラッサは軽く頷いた。


 少し照れくさくて、アスカは誤魔化すように訊ねてみた。

「ヤマトに、何か盗まれた?」

 ラッサはしばらく何を聞かれたのか考えるような顔をして、いたずらっぽく笑った。

「勇気とかをもらったかしら」

 すっかり心を盗まれている顔で。

 何があったのかは知らないが、良い思い出のようだった。


 ヤマトにとっても良い記憶なのだとしたら、無駄な時間ではなかったと言えるだろう。

 アスカにとっても自分を知る時間になった。そういうことなら無駄にはならない。

「また人が集まってくる前に行く」

「気を付けてね」

『クウ?』

 アスカの足にすり寄る毛並みがあった。

「ああ、グレイ……グレイ、よかった」

 ぎゅうっと抱きしめる。


 ついヤマトやラッサのことに気を取られて、愛するもう一人の家族に触れていなかった。

 嵐だとはいえ気温が低いわけではないし、濡れたアスカの体は不快かもしれないのに、グレイは大人しくされるがままだった。

 安心する。数日離れ離れになっていただけなのに、ずいぶんと久しぶりな気がする。

「……一緒に行く?」

『オン』

 当たり前だというように鳴くグレイの姿が頼もしい。

 町の連中に追われていた時にもこのグレイがいてくれたらもっと助かっただろう。

 心強い味方だ。

「そうした方が安心すると思う。ヤマトには言っておくわ」

「うん」


 アスカはグレイを伴って、窓を開けた。

「え、っと……」

「じゃあ、またね」


 ばっと身を翻して雨の中に消えていく少女と狼。

 それを見送るラッサは、少し唖然としながらぼやくのだった。

「次は、玄関からがいいと思うわ」

 窓は出入り口ではないのだから。


  ※   ※   ※ 


 ある程度は引き付けたと思う。

 だが、今度は自分が帰りにくい状況だ。ロファメト邸に戻っても追手も一緒では意味がない。

 自分が息を潜める路地の周辺に、多数の人の気配が散っている。

 どちらに行っても見つかってしまいそうだ。まさか皆殺しにしていくわけにもいかない。

 金に目が眩んでいるとはいえ、普通の町民だ。殺し屋だとかそういう類の人間ではなくて、普段ならただ真っ当に生きているだけの人々。

 町を騒がせた賞金首を追っているのも、別に悪事というわけではない。


(……仕方ない)

 散っているのが困るのだ。

 集めてしまえばいい。

 ヤマトは少し気合を入れ直すと、周囲の中で一番目立ちそうな場所を探すのだった。


「ふぅはははははぁ!」

「いたぞ、あそこだ!」

 目立つ場所というのは、やはり高い場所だろう。

 雑然とした街並みの中で、ひょこりと高い屋根。そこに上ってみて高く笑う。

 いや、低く笑うというのか。

 出来るだけよく響くように。

 見つけたぞという声と共に、何か小さなものが飛んできた。

 左手の籠手で払いのける。


 ――カッ!


 空も、歓迎しているかのようだ。

 稲光が瞬き、紅い甲冑を輝かせる。

 嵐の中、一際高い場所で稲妻を背景に笑う赤い影。


「スカーレット・レディだ!」

「捕まえれば十万クルトだぞ!」

 指を差して集まってくる有象無象。

 高い場所から見下ろすとそういう風に見えてしまうのはなぜなのだろうか。

 支配者というのはこういう場所からいつも人を見ているから、人の気持ちがわからないのかもしれない。

 そうならないように気を付けなければ。

 人々と同じ視線で、気持ちを共感することで見えることもあるだろう。

 別にヤマトは支配者ではないが。


「違うな、間違っているぞ!」

 彼らの呼びかけに否定を。

 違うのだ。

 ここにいるのはスカーレット・レディではない。

 勘違い、間違いを訂正する。


「私の名は、ノエチェゼの真なる紅。この町の悪しき者を裁く正義の使徒」

「何言ってんだぁ?」

「女じゃなかったのか?」

 どよめきと共に視線が集まる。

 散らばっていた人々も次々に集まってきた。


 頃合いだろう。

 ちょうど練習していた()()もある。

 こんな時の為に、こんなこともあろうかと――というのはさすがに嘘だが。

 まさにこの瞬間の為にあの努力があったのだと、ヤマトは確信した。


「真紅の戦士、クリムゾン・ボゥイだ!」


 ――クリムゾン・ボゥイ……ボウイ……ボゥィ……


 周囲一帯に響き渡るその名乗りと共に。


 ――カッ!!


 稲光が、その紅い雄姿を再び輝かせるのだった。


  ※   ※   ※ 


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