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嵐の呼び声


 ボンルは、竜人の村で生まれ育った。

 生まれ育った村では、ボンルは特別に腕っぷしが強く、また裏表のない性分で村の同世代の者からは兄貴分として慕われていた。

 ボンルがいればこの村も安心だと村の者は言い、多少粗野なところもあったが、それなりに真っ直ぐに生きてきたのだ。


 全竜武会。

 今から二年半前。当時ボンルは十七歳だった。

 村からは優勝間違いなしという声援を受けて、それなりの自信を持って出場したことを今でも覚えている。

 座りが悪い。居心地が悪い。

 恥の記憶だ。



 全竜武会はこのズァムーノ東部全域の竜人が参加する為、中央の集落で行われる。

 それもあってそこは竜人族の集落では最も栄えている場所だ。

 出場の意思表示と、組み合わせの抽選。

 ボンルは自分がついてると思った。

 遠く離れたボンルの村にまで噂が聞こえる有名な戦士は、ボンルとは別の山に名前があった。

 そちらの山には、他にも名前を聞いたことがあるような連中が偏って入っていた。ボンルの引いた抽選は、それらを避けた形になる。


 幸運だ、と。

 ほんの少しでもそういう気持ちが涌いたのは仕方がないだろう。

 ボンルの後から来た戦士が出来上がりつつある組み合わせ表を見てから、抽選を引きもせずに、その優勝候補と目される男との試合を望むのを見た時は自分が何か勘違いをしているのではないかと思ったものだ。

 いくらか物議があったものの、弱い相手を選んでいるわけじゃないからいいだろうと許可された。

 竜人は基本的に脳筋の連中が多いので、そういうバカは歓迎される。

 そして、そのバカは本物だった。

 本物のバカで、本物の戦士だった。


 決勝まで勝ち上がったボンルは、その時は強い憤りを覚えていた。

 こいつは見ていない、と。

 ボンルのことなど歯牙にもかけていない。眼中にない。

 自分が最強だと示す為に、厳しい組み合わせになるところを選んでみせたのだ。

 他の観衆に見せつけるためにそうした。

 そして、それが達成したことで満足している。

 決勝で対峙したその男は、まるで感情を表さなかった。

 つまらないとでも言うように。眉一つ動かさない。

 憤るボンルに対して、何一つ表情を見せなかった。


 それでも、だ。

 決勝まで勝ち上がったボンルにも意地がある。

 この澄ましたクソ野郎に一泡吹かせて、ここでぶっ倒してやると。


 一撃だった、

 不愉快な澄ました顔がブレたと思った後、次にボンルの記憶にあるのは寝かされていた部屋の見慣れぬ天井。


 情けない。

 何もできなかった。

 涙も出てこないボンルに一緒に来た村の者は、立派な姿だったとか歴史に残る戦いだったなどと慰めの言葉を並べていたが、そんなものに何も意味を感じなかった。

 負けた。

 負けたことさえ覚えていないほどの完敗。

 ボンルは村には帰らなかった。




 どこでもよかったのだと思う。

 たまたま、昔来たことがあったノエチェゼに来てみただけで。

 何をするでもなく、港でぼんやりと周りの様子を眺めていた。


 立派な図体をしているくせに、無茶な仕事を押し付けられている竜人を見て、何となく黙っていられなかった。

 兄貴分の気質というのか、見ていて落ち着かなかったのだ。

 お前はもっと出来るはずだと、そう言いたくて。

 それは折れてしまった自分自身に対してだったのかもしれないが。


 ウォロは、人に頼まれるとイヤと言えない性格らしく、また考えるのも苦手なようで言われるがままに重労働などをさせられていた。

 不当な酷使をさせられているウォロをボンルが管理して一緒に働くことで、少しは生活がマシになった。

 感謝とともにボンルを慕うウォロは、折れていたボンルの心を少しだけ立て直してくれた。

 助かったのは自分の方だと思う。言わないが。


 どこからかボンルが全竜武会で準優勝をしたという話を聞いてきてからは、ますます心酔するようになった。

 その話はするなと何度も言ったのだが、とにかくボンルさんはすごいんだと。

 それは居心地が悪い話なのだが、何も知らずに褒め称えるウォロにはあまり強くも言えず、少しばかりだが救われる気持ちもあった。


 半年ほど前に、ウォロが駆け込んできた。大変だと。

 近所で、コソ泥が袋叩きに遭っているということだった。

 助けたのは気まぐれだ。いや、気まぐれですらなく、助けるつもりなどなかった。

 それ以上やったら死んじまうぞ、と。そう声をかけただけだが、リンチをしていた連中は唾を吐き捨てて去っていった。


 成り行きで助けてしまっただけだが、ツウルウはウォロとは全く違う形で役に立つ男だった。

 手先も器用だし知恵も回る。色々なことを知っていて、足りない部分を補ってくれた。

 多少、手癖や口の悪いところはあったが、三人で何とかうまくやれていたのだ。




「ウォロ……」

 横たわるウォロの隣で、やるせない気持ちで名を呼ぶ。

 なぜこんなことに。

 なぜあんなことを。

 そう聞きたいが、答えはない。

「…………」

 先ほどまではウォロの母親もいたが、黙って突っ立っているボンルに場所を譲るように出て行った。

 苦労人だ。父親は船乗りだったらしいが、海の事故で死んだのだと聞いている。

 その背中も憔悴していた。

 原因は明らかだが。


「……馬鹿野郎が」

 バカなのは知っていたが、これほどまでとは知らなかった。

 金に目が眩んだのか。

 確かにボンルは金目当てに色々なことをしてきたが、それでも他人から強奪するようなことはしていない。ウォロにもさせていない。

 してはいけないことだと、そう育てられている。


 考える必要もなく、それは真っ当なことではない。他の人間がどれだけ汚いことをしているとしても、自分がそうする理由にはならない。

 たとえヤルルー・プエムが命じたとしても、子供をとっ捕まえてどうこうなんてするのは間違っている。

 そもそも、あのクソ野郎は自分が一対一で負けたところだったろうに。


「…………」

 違う。ヤルルーの話の前だ。

 その前から、ウォロはアスカたちと争っていた。

 なぜなのか。

「……()()()聞かせろよ」

 呟く。

 意識のないウォロに向けて、言葉を掛ける。


「あのクソガキに、礼をしないとな」

 ぎ、と拳を握り込む。

 爪が掌に食い込むほどに。

 あの時――


 鉈の柄を返して、刃のない背で打ち込んでくれた少女の泣き顔を思い出して。

「礼を、しないとだな」


 ウォロの寝息は少し苦しそうだったが、繰り返される音がボンルの波立つ心を静めてくれるのだった。。


  ※   ※   ※ 


 眠りから覚めて、周りを見回す。

 外の雨風は相変わらず強い。けれど。

「…………」

 風向きが変わっていた。

 主に南側からだった吹き付ける音が、西側からに変わっている。

 この様子なら、あと一日もすれば嵐は過ぎてしまうのではないか。


 嵐が過ぎたら……

(ここも、安全じゃないかな)

 暴風雨だから隠れていられるが、晴れたら追手に見つかるかもしれない。

 もう覚悟は決めた。追われたら容赦なく切り捨てるとしても、多勢に無勢ではいずれ破綻する。

 動くなら早い方がいい。だが、ヤマトの居場所がわからない。


「…………」

 待っていても仕方がない。向こうもこちらの居場所がわからないだろうし。

 気乗りするわけではないが、この雨に紛れてでも町を調べるべきだ。少しでも可能性があるなら。

「クックラ」

 起きてもぞもぞしているクックラを静かに呼ぶ。

 フィフジャは寝入っていた。彼は案外とこういう場合でも眠りが深い。体質とかそういうものなのだろうが。


「ちょっと出てくる」

「……?」

 不安そうなクックラに笑って見せる。

 もう大丈夫だ。フィフジャに話して眠ったら、少しは心の整理がついた。

 丸一日以上、この家の中で息を潜めて考える時間ができた。

 背伸びしていた自分の幼さを自覚して、今出来ることもわかっている。


「戻ってきたらドアを開けて。こういう風に叩くから」

 とん、とととん。

 頷いて、同じように壁を叩いて確認するクックラにもう一度笑いかける。


 ここのドアの閂は、少し変わっているらしい。

 普通は横にスライドするだけ。ここのドアは、スライドして捻るという形で、外から細工して開けるのが難しい。

 何があるかわからないので、少なくとも施錠はしておきたい。

「じゃあ、ヤマトを見つけてくるから」

 そう言ってアスカは、変装道具を身に着けて雨風の強い屋外に小さな身を晒すのだった。


  ※   ※   ※ 


 この嵐は本当に僥倖だったと思う。

 追手にしても何にしても、暴風雨の中を少女を探して回るほどの気概はないらしい。

 そもそも屋外を出歩いているような人間がほぼいない。当たり前のことだが。


 明け方に差し掛かるくらいの時間らしい。分厚い雲のうっすらと明るい部分が東に見えた。

 サングラスは、さすがにちょっと薄暗くて見えにくい。視界が悪い。

 しかし雨風を防いでくれるので、差し引きなら同じ程度かもしれない。

 当てはない。

 とりあえずヤマトが走り去ったかなと思う方角を、道を忘れないように気を付けながら進む。


 と、不意に。

「っ⁉」

「あ、おっお前は」

 出会い頭に、人と相対してしまった。


 道の角から出てきた男と、視界が悪かったせいで近距離で鉢合わせる。

 アスカの今の姿は、可憐な少女ではない。

 赤いタオルで顔を隠し、赤いサングラスを身に着けた状態。

 噂のスカーレット・レディだ。

 男もそれはわかったらしい。


「誰か――誰でもいい! 例の賞金首だ!」

 大声で、周囲に呼びかける。

(賞金首……なの?)

 道路には誰かがいるわけではないが、家の中には人がいる。

 呼びかけに気付けば人が集まってくるかもしれない。


「だれ――」

「やっ!」

 掌底をみぞおちに食らわせ、その声を止める。

「はぁつ!」

 前のめりになった男に対して、今度は握り込んだ拳を叩きこむ。

 肋骨の一番下の辺りに。


「ぶげ、ほ……」

 大量の雨水で見えなくなっている石畳に沈む男。

 アスカはそれを置いて走り去った。既に呼び声に気付いた人間がいるかもしれない。

 ここで真っ直ぐ引き返したら、今度は隠れている家が見つかってしまうかもしれないので、敢えてそのまま進んだ。


 しばらく進んでから様子を窺う。後方で何かしら人の気配はしていたが、まだ近くはない。

 暴風であまり周囲の音は拾えないが。


 ――ボォ


 《朱紋》の声が聞こえた。

 そんな気がした。


 ――ゴォォ


 風の音だろうか。

 少し違う気がするが。

 アスカは、その音が聞こえたような気がする方角を目指した。

 他に何か手がかりがあるわけでもない。聞き覚えのあるような声がした方角を目指してみてもいいだろう、と。


 進んでいくと、そこはかなり立派な建物だった。

 他の住宅とは違う。明らかに金持ちの建物。

(……お金、ね)

 それも必要だ。

 もし金の算段がつけば、船でこの町を出てしまうことも出来るかもしれない。


 どうせこんな邸宅に住んでいる人は、きっと悪事もしているに違いないのだ。

 人を殺すわけではない。この家でちょっと余っているお金を借りるだけ、ということでもいいのではないか。

(私の命とかかかってるんだし、いいよね)


 ――…………


 脳内の家族会議からは、特別に反対意見はなかった。

 全会一致……というわけではないかもしれないが、消極的了解を得たとみてもいい。


(それで、さっきの声……)

 低く唸るような声。

 あれも何か犯罪的なものを感じる。

 きっとこの邸宅では、覆面を被った屈強な男たちが怪しげな儀式をしていたり、御禁制の魔獣を秘密裏に飼っていたりするのだ。

 そうに違いない。

 そういうことにして、このスカーレット・レディの正義パワーで懲らしめてやったことにしてもいいか。


(もう体裁とか繕ってる場合じゃないし)

 アスカの行動を拘束するものはなかった。背に腹は代えられないというし。

(蔵を守って子が飢える、だっけ)

 それを教えてくれた人は……卑劣な裏切り者だけれど。

 一瞬だけ考えてしまい、頭を振る。


「もう……いいんだから」

 嵐の中、小さく呟く。

 どうせ誰にも聞こえはしない。

 自分の中の折り合いがまだついていないことを確認して、言葉にして吐き出す。


 ――ウォン


「…………」

 聞き間違い、だろうか。

 風に乗って、暴風の中に、聞きたかった声を聞いたような気がした。


 ――ウォンッ! オンッ!


「っ!」

 塀を飛び越える。

 飛び越える際に掛けた手が滑って少し頬を打ったが、構わず走る。

 あの窓だ、と。

 あそこから聞こえた。

 決して大きな窓とは言えないが、アスカなら通れそうだ。


 下から持ち上げて開けるタイプの窓のようだった。鍵だとかそういうものはないのではないかと考えてみた。

 いや、考えたわけでもないが、とりあえず開けた。

 中から何やら含み笑いのようなものが聞こえていたので、きっと悪だくみの最中だったのだと決めつける。


「この町の悪はスカーレ――って」


 この町、一番の悪が、そこにあった。


 妹の窮地を知ってか知らずか、ずぶ濡れになりながら兄を心配するあまりに町をさ迷い歩いていた可愛い妹の気持ちも知らずに、知っていてたとしたら更に悪いが、とにかくそういう状況で薄着の女といちゃこら談笑しながら頬を赤らめているような兄は、きっとこの世界で最悪の兄に違いない。

 よかった、これで。

 これで心置きなく、悪を裁ける。


「その女、なによ!」

 誰よ、と聞かなかったのは失礼にあたるかもしれないが、ここで癇癪を起さずにどこで起こせばいいのか。

 指を突き付けられた女は、唖然とした表情でヤマトの影に隠れようとして、ますますアスカの怒りが沸騰するのだった。


  ※   ※   ※ 

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