チザサの当主
「戻ったらロファメトの家まで案内するんじゃ。それの倍をやる」
「……わかった」
この後、雨は強くなるばかり、と。
帰宅途中にダタカのいる宿を聞いたヤマトに、アウェフフがそのまま向かうと同行してくれた。
向かう方向としても、目的の宿の方角はロファメト邸とは離れていく。それなら一度戻るよりこのまま向かう方がいいだろうと。
外見はいかついが、案外と面倒見の良い人柄なのだと思う。
気に入った相手にだけかもしれないが。
「今は向こうも探しておるんじゃろう。夜に戻れば伝言を聞いてくるはずじゃ」
「ありがとうございます」
宿にアスカたちはいなかった。空振りだったが、少なくともここ数日ここに滞在していることはわかった。
伝言を言づけて、金まで払ってもらってしまい、なんだか申し訳ない。
宿の主人は金をもらえるとなれば案内してくれるだろうし、七家であるロファメトの要望を無視することもないだろう。
「わしもおぬしの妹とやらを見てみたいだけじゃ」
アウェフフの気づかいに感謝しつつ、遠回りになった帰り路を行くのだった。
ロファメト邸の前まで来たら、玄関のところでラッサが待っていた。
その後ろにはギャーテの姿もある。
本降りではないにしろ雨の中を屋外で帰りをまっているとは。
(可愛いなぁ)
アスカでは想像できない感覚だ。いじらしいというか健気というか。
「お父様、お客様よ」
と。
雨の中、ヤマトの帰りを待ってくれていたわけではなかったのか。
父親に手ぬぐいを渡している姿にちょっとだけ残念に思う。まあ仕方がないけれど。
ヤマトはギャーテから渡された手ぬぐいで頭と顔を拭いた。
「遅かったじゃない」
責めるような言葉はヤマトに対してだ。
拗ねているようにも聞こえる。それはヤマトの気のせいかもしれないが。
「探してた宿がわかったから……ああ、そうだった。ありがとう、見つけてくれて」
うっかりしていたが、ラッサがギャーテに言って探してくれていたのだ。礼を忘れていた。
別に、と素っ気ないラッサと、苦笑いのギャーテ。
「留守だったけど伝言してきたから……お客様って?」
「応接間で待ってるわよ」
ラッサが視線で方向を示す。
「チザサの当主様が、ね」
※ ※ ※
ヒュテ・チザサ。
落ち目というか最近はあまりぱっとしないと表現されていた、このノエチェゼの町の興したという一族の末裔。
とても若いという点が目立つ。
若いといえばジョラージュ・ヘロも白髪という特徴ではあったが若かった。二十代中盤から後半。
だがそれよりも若い。二十歳にもなっていないのではないかと思うほど。
その若さで当主というのは、何か理由があるのだろう。
「なんじゃ、来るならそう言っておれば真っ直ぐに帰ったものを」
「あはは、怒られちゃったよ。いつもなら寄り道なんかする人じゃないからすぐ帰ってるかと思って」
チザサの当主ということは御三家なのだからロファメトより格は上だと思うのだが、遠慮のない言い方をする。
アウェフフの言葉に怒るでもなく、会議室での態度と違ってさばさばと笑うヒュテ・チザサという青年。
会議の時は、余計なことを言わない物静かな落ち着いた雰囲気だと思ったのだが。
「怒るというならさきほどの件じゃ。なんじゃあれは」
「ええ、何のこと?」
「惚けおってからに。ヘロの若造にいいようにさせただけではないか」
若造だって、と言われた言葉をアウェフフの後ろにいるラッサに返す。
ラッサはそうね、と小さく返答するだけだった。
若いというのならヘロよりこちらの方が若いのだ。
「まあまあ、叔父さん。そんなに怒ると血管切れるよ」
「誰のせいじゃと……ああ、まあいい」
ヒュテが座るソファの対面にどっかりと腰を下ろしてから、アウェフフがヤマトを顎で促す。
「わかっておるかと思うが、こやつはヒュテ・チザサ。チザサ家の現当主じゃ」
「あ、はあ……初めまして。イダ・ヤマトです」
「これはこれは、ヒュテ・チザサです。どうぞよろしく」
ヤマトが会釈すると、少し楽しそうに返礼をするヒュテにラッサが嘆息する。
「あまりまともに相手しなくていいわよ、ヤマト。人をからかうのが趣味みたいな人なんだから」
「え、いや……ええと」
「その通り。さすが従兄妹殿、よくご存じで」
遠慮がないのは親戚だからなのか。
御三家も七家もこの町の有力者同士なのだから姻戚関係があっても不思議はない。まるでないという方がおかしいのかもしれない。
にこにこと笑ってヤマトを観察している青年に、どうしたものかと思案に暮れる。
どうしようもなさそうだ。ラッサをちらりと見て、軽く肩を竦めて口を閉ざした。
「さっき牙城にも来ていたよね」
「えっと、はい」
話しかけられてしまった。
顔を覚えられていたのか……最後の方に大声出して注目を集めたのだから覚えられていて当然だが。
恥ずかしい。10万クルト程度で目の色が変わる貧乏人みたいに思われているだろう。
彼らにとっては何でもない金額なのだろうし。
「いやはや、確かにちょっとした犯罪者を捕まえたら10万クルトは法外だよねー」
「あ、やっぱりそうなんだ」
ヤマトの驚き方は恥ずかしかったにしろ、普通の相場ではなかったらしい。
そう言ってもらえてちょっと安心する。
ラッサの方は話が見えないらしく疑問符を浮かべていたが、後で説明すればいいだろう。
「あ、すみません。偉い人なのに」
つい気安く話してしまったが、相手は町でトップの偉い人だ。気さくな雰囲気だったので失礼な言い方をしてしまったかと不安になる。
「いや、そういうのやめてくれよ。他ではともかく、俺はここでは取り繕わないことにしてるんだから」
「少しは取り繕ってくれてもいいんだけど」
「今更その方が落ち着かないでしょ。叔父さんもさ」
同意を求められたアウェフフは、ふんと軽く鼻を鳴らしただけで否定はしない。
ラッサも言ってはみたものの本気ではなさそうだ。
ヒュテ・チザサはこのロファメト邸では素の自分を晒すことが許されている。己に許している。
ということは、他では違うということだ。
「いやさ、こういう若さで立派な家の当主とかになっちゃうと、色々と大変なわけよ。わかる?」
「はあ……いえ、わかりませんけど」
「素直だねぇ。まあそうだね、わかる人なんてそうはいないよね。あのジョラージュのクソ野郎も若いっていえばそうなんだけどさ」
「……ヘロの家とは仲が悪いんですか?」
ヒュテがヤマトに話しかけてくるのを、アウェフフもラッサも止めない。
会話をしてもいいのだろうかと、とりあえず気になっていたことを聞いてみる。
「ああ、そりゃもう……っていうか、元々家同士はそんなに仲がいいわけじゃなかったけど、これは僕がジョラージュを嫌いなだけかな」
「ジョラージュ……」
ヘロの当主で、さっきの会議の司会進行をやっていた白髪青年。
落ち着いた感じで、ギスギスした空気をうまく取り持っていたようにも思う。
それほど悪印象はないのだが。
「個人的に嫌いだっていうなら、あっちも相当なもんでしょうね」
「そりゃごもっとも。というか僕の方は別にどうでもよかったのに、あいつの逆恨みだっての」
いやだいやだと言ってしかめっ面をして見せるヒュテの様子は、本当に素顔のままのようだ。
よほどジョラージュ・ヘロのことが嫌いなのだろう。
何があったのかは知らないが。
「こやつは昔から芸達者でな。ラッサほどではないが天才という部類じゃ」
知らなくてもいいかと思っていたヤマトに、アウェフフが語りだす。
引き合いに出されたラッサが親馬鹿な発言にげんなりした顔をしていたが。
「ジョラージュの方もな、幼い頃からヘロ家の神童とかヘロの歴史上有数の逸材だとか言われておった。このノエチェゼでは珍しい格のある魔術士としての才能を見せたかと思えば、採算の合わなかった農園を立て直したりと」
「へえ」
格のある魔術士、という言葉は聞きなれない。
だがフィフジャが説明してくれた中に、代償術でも肉体強化でもない魔術を十分に使える人というのは限られるという話があった。それに該当するのだろう。
「しかしな。その数年後に、ジョラージュの功績をさらに年少で上回る逸材が現れた」
「それが俺ってわけですね」
「やかましいわ」
合いの手なのか茶々なのかわからないものを入れたヒュテに、アウェフフが軽く手を振る。
「わしの姉に似たのだろうが」
「そこ重要?」
「ともあれ、自分の実績をあっさり塗り替える年下のライバルとなれば、ジョラージュとすれば面白くはなかったんじゃろう」
「なるほど」
確執の原因があった。
所詮は人間なのだから、他者の成功を素直に喜ぶことが出来ない気持ちはあるだろう。
身近に、自分より年下で自分よりうまくやる人がいる。
それまでは自分が一番だと思っていたジョラージュにとって、自分の存在を脅かす存在。
人の感情の中でも嫉妬というのはとりわけ強い力を持つことがあるという。
ヤマトだって、アスカに対して嫉妬心を持つこともある。
(魔術のこととか、さ)
理論からあっさりと体得してしまう妹の天才性は、頼もしくもあるのだが、やはり兄として悔しい気持ちもある。
それを八つ当たりすることはなくとも、ひがむ気持ちがないとは言えない。
僕だって、と。
「周囲の人間も悪かったんじゃな。ジョラージュに対して、ヒュテに負けるなヒュテならもっと出来ると」
「俺だって、ヘロに負けることは許さんみたいに言われて育ったんだけどさ。よっと」
ヒュテが人差し指を立てて軽く声を上げる。
すると、
――ジバパッ
小さな振動音のようなものを上げながら光る塊が浮かび上がった。
「わ、わぁぁぁ!」
形は、丸いようで楕円のようで、ぐにゃぐにゃと安定しない。ふにゃふにゃと、と言ってもいいか。光るシャボン玉のようだと思う。
目を輝かせてその現象に見入るヤマトに、ヒュテは少し戸惑うようにラッサの方を見る。
「初めてみたの?」
「うん、うん! なにこれ?」
「子供みたいに……珍しいっていえば珍しいけど、これが魔術でしょ」
何を当たり前のことを、というようにラッサは言うが、ヤマトはこんなものは見たことがない。
プラズマの球体なのだろうか。触ったら熱かったりビリビリしたりするのかもしれない。
「もっと小さな火花みたいな魔術は割と使える人も多いけど、まあ人に見せるようなものでもないわね。これを安定して半刻続けられたら魔術士って呼ばれるのよ」
「へええ、フィフは使えなかったからなぁ」
フィフジャは魔術の才能がないと言っていた。小さな火種程度も起こせないと。
彼も、自分が出来ないことはヤマトたちに教えられないだろう。だから今まで見たことがなかった。
「ちょっとした探検家なら、こういう魔術も使って森で狩りをしてるはずだけど」
「魔術士って呼ばれなくてもこれに近いことくらいは出来たりするからね」
二人の説明に何度も頷いて応じる。目はこの光る塊から離せないが。
(これが魔術……っていうか、代償術とか身体強化は違うのかな?)
何か分類が違うのかもしれないけれど、聞いたらますます世間知らずだと思われるかもしれない。
フィフジャの所在もわかったことだし、後で彼に聞けばいいだろう。
「これ、どうやるの?」
「どうやるって言われても、ね。すごく集中したら出来るっていうか……火種の魔術は出来る?」
首を振る。横に。
あらら、という顔をされてしまった。
「出来ない人が半分っていうから仕方ないか。あれが出来れば、その力をもっと持続させて強くする感じなんだけど」
「火種の魔術ってどうやるの?」
「それこそ教わってやったわけじゃないからなぁ」
教えようがない、と。
物心ついた頃には出来てしまっていたのかもしれない。歩き方を教えろと言われても教えられないように、何をどう説明していいのかわからないのか。
「魔術の才能が乏しい人は、火種を作る程度が精一杯って言われるわね。私もこれを作れるけど、十も数えたら頭が痛くなっちゃうのよ」
身体強化の術は使っていそうなラッサだが、この魔術は不向きらしい。
この辺は肉弾派と技巧派の違いなのかもしれない。
「これって熱い?」
「熱湯程度には。でも離れるとどんどん弱くなるよ」
そう言ってヒュテがひょいっと指を振ると、球体はふらふらと天井に上がりながら小さくなり、途中で消えてしまった。
残念そうにそれを見送るヤマトを見て、ラッサとヒュテが苦笑する。小さな子供みたい、と。
「僕にとっては一人で遊んでいた時にやっていただけなんだけどね。才能があったもんだから」
それでジョラージュとの比較対象になってしまったと。
「ま、対抗意識を煽りすぎた結果、この二人はこんな風になってしまったわけじゃ」
周囲に煽られた結果、二人の間に深い溝が出来てしまった、というわけか。
だとすれば、個人的な恨みはなさそうなものだが。
「あのクソ野郎、他人の目がないところで俺に色々と嫌がらせしてくるんだよ。いつもは公平で公正ないい子ちゃんみたいな顔しておいて。それが一番むかつく」
ちゃんと個人的な確執もあるのなら仕方がない。
そうした年月を経て、今のように嫌いあっている状況になった。
今更変わるものでもないだろう。
「さすがに今回はキキーエを庇いきれないみたいで、ざまあみろだ」
「ええと」
「キキーエは裏でヘロと繋がっていたんだよ。あそこの裏取引の利益はヘロにも回る。ヘロは隠蔽の手助けをするってな」
「そうなんだ」
表向きは公平な立場を取りつつ、実際には裏では協力関係にあるということだ。
これだけの町を取り仕切る立場とすれば、綺麗事だけでうまく回っていくわけではないことくらいは想像できるが。
キキーエを庇わなかったのは、変に肩入れすると裏取引がバレるということなのだろうか。ヤマトにはそれくらいしか考えられない。
「とりあえずはこれで、今回の出航が済んだらキキーエもおしまい。っていうところで、ウュセの奴の死体と遺書が見つかるって段取りだ」
ウュセ・キキーエに対しては、ヤマトも良い印象はない。
人の弱みに付け込むがめつい商売人だ。
そのせいで色々とややこしいことになってしまっている。ヤマトにとっては恨みこそあっても親しみなどない相手。
「…………」
だけど、とも思う。
殺したいわけではない。
他にどんな所業を繰り返してきたのかは知らないが、少なくともヤマトに対してやったことは、酔わせて大切な思い出の品を二束三文で買い叩こうとしただけ。
それは許しがたいけど、殺したいほど憎んでいるわけではない。
「不満そうだね」
ヤマトの沈黙にヒュテが問いかける。
「えっと……いえ、なんていうか。ちょっと利害が対立したりするだけで、殺したり死んだりっていうのが」
「へええ、君はどこの生まれなんだい?」
座っていたソファから身を乗り出して、面白いものでも見るかのようにヤマトを覗き込む。
常識的な返答をしたつもりだったのだが、何か間違えただろうか。
ラッサも気になるようでヤマトの答えを待つ。アウェフフも、気にしていない素振りだが耳の辺りがひくひく動いていた。
「え、と、いや……。故郷は、その……」
「ごめんごめん、別に詮索するつもりはなかったんだ。旅人の過去を聞くのは少し配慮が足りなかったね」
言い淀むヤマトに、質問が悪かったとヒュテが笑って謝った。
流れ者の過去を聞くのはマナー違反だと。聞かれて問題ないものもいれば、聞かれたくない人もいる。
ヤマトの場合は聞かれたくないわけではないのだが、話しようがないというか。
「いやしかし、それにしても本当に平和なところで育ったんだろう。貴族ってのも違うな。あれはもっと酷く殺伐としているって話だし」
「普通の、農家なんですが」
普通かどうかはそれぞれ基準が違う。ヤマトにとっては自分の育った環境が普通なのだから嘘ではない。
「ふうん、普通のねぇ。まあいいさ」
追及するつもりはないらしく、軽く頷いて続けた。
「利害の対立で人を殺すなんて当たり前だよ」
「そう、ですか」
「もっとひどけりゃ、利害関係さえないのに殺したり殺されたりってこともある。わずかな金や食料をめぐって殺し合うこともあれば、好いた嫌ったで憎み合うこともあるんだから。まして町の権力者同士ともなれば、少しの弱みを見せれば廻躯鳥が群がるように他の連中に食い散らかされるもんさ。俺だって例外じゃない」
考え方が甘いと。
弱みを見せたら命に関わる。それは大森林での生活でもそうだったが。
人間社会でも、多少の意味合いは違ってもそういう意識をなくしてはいけない。
そういえばウュセの商店でも、気が緩んでいたから迂闊な言動をしてしまい、困った結果になったのだった。
もっと警戒が必要だった。
何も考えずに出された飲み物を飲んだが、あれに毒物や眠り薬が入っていた可能性だってある。
相手の持ち物を奪うのにそれが有効なら実行する者もいるだろう。
ゼヤンの村でも言われたはずだ。殴ってでも、騙してでも奪い取ろうとする輩がいると。
「世の中、あまり優しくないって聞いてはいるんですが」
「その言い方も面白いけど。実感できない?」
「出会う人が運よく良い人ばかりで。竜人の集落でも、ノエチェゼに案内してくれた人も。それに、ラッサやアウェフフさんも」
「おやおや、愛されてるじゃないか。ラッサ」
「バカ言わないで。ぶん殴るわよ」
「ふん」
少し大きめに息を吐いたアウェフフに、若い三人が視線を合わせてからくすくすと笑う。
機嫌は良さそうだ、と。
「しかしまあ、ヤマト君。もう少し用心した方がいい。今ここで俺が君を襲わないとも限らないんだからな」
「それは……はあ」
本気ではなさそうだ。それくらい用心して生きろと言いたいのだろう。
「ご忠告、ありがとうございます」
「ラッサのどこが好きだい?」
「っ⁉」
「ほらほら、また油断していた」
「ちょっとヒュテ! いい加減にしなさい!」
けらけらと笑うヒュテを赤くなったラッサが叱りつけるのだが、全く反省する様子はなかった。
「っと、子供をからかうのはまあこれくらいで。叔父さん、今後のことを相談しときましょうか」
「それが用件か」
「それも用件です。他にもありますが」
なんだろうか。からかうことだろうか。人をからかうのが趣味だという話だったのでそうかもしれない。
悪趣味だ。妹とは少し違うが、厄介な趣味であることは同じだ。
「嵐が収まったらそれなりに混乱するからね」
「ヒュテ……おぬし、わしを舐めておるのか?」
不意に、アウェフフが低い声で問う。
機嫌が悪くなったというのも違う。声の調子が日常から非日常に切り替わったような。
「からかっているのかも」
対するヒュテの様子は変わらない。
雰囲気の変わったアウェフフの正面に座っていながら、大した胆力だ。
知り合いだとはいえ、少しは緊張感が増してもよさそうなものなのに。
「……試されておるのか。ワシが耄碌したかどうかと」
「おっと、怖い顔になってますよ。ああ、生まれつきだったっけ」
「やかましいわ」
深く息を吐くアウェフフ。
悪戯好きな親戚の悪ガキと叔父といった雰囲気に戻る。
「ワシは隠居ではないぞ」
「よかった。現役で」
「ふん、耄碌扱いしたくせに言いよるわ」
ヤマトには意味が分からない。
ラッサの顔を見るが、彼女も何の話なのかわからないらしく首を振る。
「純真さも悪くはないんだけどね」
「どういう意味?」
苛立つラッサの声に、ヒュテはアウェフフを見て頷いた。
「嵐が過ぎた後では手遅れということじゃよ」
「手遅れって、何が?」
「準備が、じゃ」
「まあ今からだと既に後手に回ってるけどね」
だから何が、とさらに苛立つラッサに落ち着くようにヒュテが両手を広げる。
落ち着かせたいならちゃんと説明すればいいのに。
「ヘロが戦争を仕掛けてくるってことさ」
「……え、っと?」
説明されても理解ができないこともある。
あまりに唐突に、現実感のない言葉を聞かされても。
「お前の世代では仕方があるまい。ワシとてワシの婆さんから聞かされた話じゃからな」
そう言ってアウェフフは座るように促した。
ラッサと、ヤマトに。
どうしたものかと思うが、ヒュテが座る場所を詰めてくれたのでそこに二人で座った。
「今から八十年ほど前にも抗争があったという話じゃ」
「ええと、そういう話は聞いたことがあるけど」
ラッサは知っているらしい。ヤマトはもちろん知らないけれど。
そういえば地々球でも、父や母が生まれる数十年前に戦争があったとか。だが戦後に生まれ育った世代では戦争というものに実感を持つことは難しかったような話を聞いた。
「そもそもノエチェゼは平和な町というわけではない。均衡が崩れては抗争を起こし、疲弊したら沈静化する。そういう歴史を繰り返してきておる。この数十年は静かすぎたという話じゃ」
荒くれものの町だったと聞いている。
言われればそうなのだろうと納得できるが、この町で生まれ育ったラッサにはやはり実感が涌かない様子だった。
「そろそろ、誰かが何かを始めてもおかしくない。人口が増えておったしの」
「今の町の人口は統計よりかなり多いんだ。意図的に隠してる部分もある」
それも関係があるのか、ヤマトにはよくわからないが、彼らが言うのなら無関係ではないのだと思う。
「仕掛けるのであれば気の抜けるタイミングじゃ。交易船の出航は年に数度の大事になる。皆の意識も自然とそれに集まる」
注意がそれに集まれば、悪事を企む人間には好都合。
悪事かどうかヤマトにはわからないとしても、何か争いごとを仕掛けるというのは悪事と判断していいだろう。
「均衡も崩れかけておったからの」
「親父の代で結構失敗続きだったからね。母さんがいなかったらとっくに破綻してたかも」
ヒュテの言う母というのは、アウェフフの姉ということだろうか。
「本来は姉が婿を取ってロファメトを継ぐという話だったんじゃがな。だからワシは海に出られたのだが、まあチザサの先々代と先代には当主としての資質がなかったというか。見かねてうちから嫁に行ったわけじゃ。あのままでは抗争以前に自然消滅じゃったと」
「あはは、笑えないよねぇ」
笑ってるじゃないの、という目でラッサがヒュテを見ている。
「それでしばらくは保たせてみたものの、やはり歪みは大きい。ひび割れは簡単に塞ぐことはできんからの。もしかしたらヒュテをジョラージュの当て馬のように育てたのは、対立をそこに集中させようという意思だったのかもしれん」
「いや、あれは親父の逆恨みっていうか、自分が何度もやり込められたヘロに対する復讐心だよね」
「そんな様子でヘロとチザサは遠くない将来に争うだろうというのは誰の目にも明らかじゃった。そこでこの騒ぎじゃよ」
スカーレット・レディによる襲撃事件。
そちらではあるまい。
キキーエの不正が明るみに出たことで、このまま舵を切ることに踏み切っただろうと。
「後手っていうのは」
「もともと準備はしておっただろうが、おそらく今朝のうちからあちこちに根回しやら人手を集めたりしておるだろうよ」
「だったら、ヒュテはこんなところにいる場合じゃないじゃない」
こんなところ、とラッサが言うのは自分の家なわけなのだが。
確かに、ここでのんびりしていていいのだろうか。ヘロが攻撃したいのはヒュテ・チザサの本拠地のはず。
ヤマトには集団での戦闘行為というものがよくわからないが、襲撃があると予測できるのなら備える必要があるのではないかと。
「その辺は大丈夫。開戦は少なくとも船出の後だからさ」
「そう……なの?」
「というか出航直後かな。今、混乱が起きると港も被害があるだろうからね。それはお互いに大損になっちゃうんだよ」
交易船はノエチェゼの町にとって大きな稼ぎになるので、船出は見送りたいと。
そこで気が抜けた相手にすかさず攻撃を仕掛ける。そういう算段だろう。
「規律正しい軍隊でもないんじゃ。混乱が起きれば船の方を略奪するバカも出てくる」
火事場泥棒というやつだ。
町中で戦闘行為があれば、そういう混乱も発生する。
「ちゃんと備えているよ。うちの兵士には、嵐の間はゆっくり休むように言ってある」
そんなことでいいのだろうか。
戦士は休息も仕事のうちだと言うけれど、ヒュテの様子からはあまり危機感を感じられない。
「うちも、今日までで人手は戻してある。多少の手助け程度はなる」
「それを期待しているんで。何しろ、うちの兵士は練度は高くても数が少ないから。まあ金が不足して養いきれなかったんで仕方ないけど」
そう言ってまた笑うヒュテ。
(本当に、笑いごとじゃないんじゃないかな)
危機感がない。
ヤマトにもっと用心しろと言っておきながら、当人にはあまり困った様子が見えない。
困っていない状況ではないと思うのだが。
「まあ、そういうわけじゃな。しばらく荒事になるから、お前は外を出歩くでない」
「……はぁい。どっちにしても明日からは嵐だけど」
ラッサが渋々と言った風に返事をする。
そういえば最初に会った時も町に出ていたが、何か用事があったのだろうか。
「働きに出ている奴隷どもが無理な扱いを受けていないか見て回るなども、な。町にいる連中は既にあらかた呼び戻してあるが」
そういうわけだったらしい。
奴隷を管理するロファメト家の一人としての仕事と言えなくもない。
それをヤルルー・プエムが捕捉して絡んでいたということで、ヤマトが現れたのはそういう場面だった。
「勝てるの?」
ヤマトは気になっていることを聞いてみる。
ヒュテとアウェフフに。
二人は視線を交わしてから、軽く頷いた。
「その質問は意味がないぞ」
「勝つしかないわけだからさ」
脳筋な答えに聞こえる。
理屈や策を無視して、精神論で言っているような気がするが。
「まあこやつが考えていない分はワシが考えてやるが」
どちらかといえば、見た目ではより脳筋なアウェフフの言葉が不安だ。
ヒュテの方は、気楽な様子で笑っているだけ。
「…………」
「おぬしの心配することではないわ。まあ、ラッサーナを娶ってロファメトの一員として戦うというのなら歓迎するが」
「そいつはいい。一人でも人手はほしい所だからね。銀狼もいるんだっけ」
「え、ええと、それは……」
「お父様! ヒュテも、そういう冗談はやめて」
ラッサに怒られてしまった。
男三人で顔を合わせて、怒られちゃったと肩を竦めた。
もちろん冗談なのだろうが、そういう冗談が出る程度の余裕はあるのか。
(もともと予測してたみたいだし、ちゃんと準備は出来てるってことかな)
今回のこれは、ヘロが動きそうなタイミングの確認と、ラッサへの説明という意味合いが強いのだろう。
ついでにヤマトがそこにいただけで。
ヘロの戦力がどれほどのものかわからないが、ロファメトの奴隷も協力するのなら簡単に負けることはないかと。
ジョラージュよりもこのヒュテの方が上手という話なのだから、大将同士の比較ならこちらに軍配が上がるのではないか。
「あれ、銀狼って……知ってるの?」
この場にグレイはいない。部屋で待っているはず。
ヤマトたちが戻る前に先に会っていたのかもしれない。
「そりゃあもちろん。俺は君と話すのが目的で来たんだからさ」
「?」
話が見えない。
用件は、と聞かれていた。ノエチェゼの動乱に関わる話し合いに来たのではなかったのか。
そういえば他にも用件があるような感じのことを言っていた。
「君だろう。黒鬼虎の毛皮を持ち込んだっていう探検家っていうのは」
「え、あ……ああ、うん。そうだけど」
銀狼を連れた余所者の探検家が黒鬼虎の毛皮を売り込みにきたという話なら、たぶんあちこちに伝わっている。
キキーエがその話を広めているのだから。
ヒュテは、戸惑うヤマトに商売人のような笑顔を浮かべて言った。
「その黒鬼虎の毛皮を買いたい」
「あ……え、あ……」
「出来ればうちの厳しい懐事情を考慮して割引してくれると助かるんだけど。よければラッサつけるから」
「ヒュテ!」
度を過ぎたからかい文句に、とうとうラッサの鉄拳が振るわれたのだった。
※ ※ ※




