商機
小雨。
ノエチェゼの石造りの町をしとしとと濡らす。
水溜まりが出来るほどではない。落ちた雫は石畳に吸い込まれるように消えてしまう。
道の脇には水路のような窪みもあるので、大雨になればそれなりに水の流れは制御されるのだろう。灌漑というやつだ。
溢れるほどの降雨になった場合にどうなるのかわからないが。
「存外、子供らしいところもあるんじゃな」
屋外に出たアウェフフが、ごきごきと肩を鳴らしながら言う。
牙城の中は決して狭い空間ではなかった。
だが、あの空気には肩が凝るのだろう。窮屈なところから解放されたという風情で、小雨に濡れるのを構わず腕を回している。
「ちょっと、びっくりして」
「子供の小遣いには多すぎるかもしれん」
大きな声を出して注目を集めてしまったヤマト。恥じ入るような様子を見ているのが楽しいらしい。
機嫌は良さそうだ。
「さっきの、エレメ……予言って、どういう意味ですか?」
「んん、エメレメッサの予言か。まあ二十年くらい前のやつじゃな。ワシも聞いてそうだったかと思っただけじゃから詳しく覚えておらん」
先ほどの牙の声の中にそれに相当するフレーズがあって思い出したということか。
昔聞いた歌を、歌詞を聞いて思い出すようなものだろう。二十年前とはずいぶんだが。
「詳しそうな奴なら……ああ、見てみい」
アウェフフに促されて目をやると、赤い服の男が去っていくところだった。
ヤルルー・プエムの弟として参加していた人だ。ヨーレンとか呼ばれていた。
彼が詳しいのだろうか。
「…………」
護衛だと思われる男と共に去っていく。
プエムの直系なのだからヨーレン自身も弱くはないのだと思うが、立場のある人間なら供くらい連れているものかもしれない。
それを言えばアウェフフもヤマトを連れているのだから。
「あれと、戦いたいと思うか?」
アウェフフが尋ねるのは、ヨーレンの護衛の男のことだろう。
年齢は、二十代中頃に見える。短めの黒髪に端正な顔立ち。背丈はヤマトより頭一つほど高いので、六尺五寸(195cm)というところ。かなり高身長だ。
すらりとした体躯だが、無駄のない筋肉の付き方をしている、スポーツの出来そうなイケメンと評価できる。
「ええと、勘違いされてるかもしれないけど、僕は別に強い人と戦いたいとかそういう趣味はないんです」
「強いとは思うのか?」
「歩く姿だけなら体にブレがないし、攻撃を仕掛けても当たりそうにないってくらいには」
隙がない、というのはこういうことなのだと。
森の魔獣は、身体能力には優れていても、その立ち居振る舞いに隙がないというわけではない。
戦闘技術を磨いているわけではないので、どこかしら付け入る隙がある。
とはいえ、非常に強靭な肉体を持っているので、半端なダメージでは止まらないのが魔獣の厄介なところだとも思う。しかし所詮は獣。
隙がなかった相手もいる。《朱紋》だ。
朱紋と相対した時、ヤマトはどう動いてもダメージを与えられる気がしなかった。
格が違いすぎて完全に飲まれてしまっていたとも思うが。
獣ではない人間。
生態ではなく技術で戦う人間は、また少し違う。
ヤマトやアスカは、魔獣に対する観察眼は磨いてきたが、人間に対する観察眼は経験が足りない。
だから読みにくいのだが。
「……あれは、ちょっと勝てなさそうかな」
未熟なヤマトにでもわかる程の実力を備えている。
去っていく背中が、まるで朱紋が歩いていくような雰囲気に見えるのだ。
それは、そういう強者を見た経験があったから判別出来ているのだが。
「あれとは戦わんことだ」
アウェフフはそう言って歩き出した。
ヤマトもそれに続く。
「間抜けでないのは幸いじゃ、ヤマトよ」
「はあ」
こんな風に名前を呼んでもらったのは初めてだろうか。しかし、あの男が気になって気の抜けた返事になってしまう。
「あれはこの町で最強の男よ。長生きしたければ相手にせんことじゃな」
最強の男。ギハァト家のトップということか。
別に戦いたいわけではないが、どれほどの実力なのか見る機会があったらな、と。
興味はあるが、彼の実力を見るような修羅場という展開は避けたいと思うのだった。
「エメレメッサの予言というのは、あの人と?」
「ああ、あやつではないんじゃが。たまたま目についたんで、お――」
ふと、アウェフフが少し頭を傾げて歩く。
雨が気になって俯いたのか、と思ってから、間違いに気が付いてヤマトもそれに倣う。
通り過ぎる道に並ぶ家の中に一軒、縄に結わえられた石がぶら下がったドアがある。
使い古された短い縄だ。それに、どこにでもありそうな石が結んで括り付けてあるだけ。
「…………」
通り過ぎてしばらくすると、アウェフフの頭がまた上がった。
「知っておったか」
「ええ、来た時にも同じ家があったんで、ボンル……案内してくれた人に聞きました。弔いなんですよね」
「まじないとも言うがな」
この辺りの風習なのだと、聞いていた。
その家の人が亡くなって、その家が空き家になった場合にドアに吊るされる石の付いた縄。
亡くなってからしばらくは、他の人間がそこに住むと悪いことが起きるとか。
前の住人が、まだその家を自分の住まう家だとして、入ってきたものに災いをかけるのだという言い習わしだ。
それを防ぐために、ああしてドアに、生前にそこにあった縄や紐を使って、魂を移す為の石を吊るしておく。
しばらく置いてから、それを海に帰せばいいのだとか。
(お化けは出ないって話だけど)
そうだとしても、やはり死者を弔う気持ちもあるし、その家で人が亡くなったのだとしたら何も気にしないでいられるとも言えない。
必要な手順なのだ。
様々な心境を整理するための。
それとは別に伝染病などの感染を防ぐためという衛生的な理由もあったのかもしれないが。
表のドアに吊るすのは、空き家になった場合。
他に家族がいる場合は、生前によくいた部屋の戸にかけるものらしい。
石縄が吊るされている家の前を通る時には、死者への敬意を払うべきだと。アウェフフが頭をわずかに下げたのはそれだ。
「余所者には奇妙に見えるかもしれんが」
「死者の弔い方はそれぞれだと思うんで。何が正しいってこともないんじゃないかと」
「…………」
ヤマトの受け答えに、アウェフフは立ち止まって振り返った。
珍しいものでも見るように。
水滴が額から鼻筋へと流れていく。
「リゴベッテの生まれではないんじゃったな」
「ええ、違いますけど」
「……まあそうじゃな。あそこは教会の連中が多い。リゴベッテに行くならその考えは伏せておけ」
ゼ・ヘレム教会。
そこの教義とは相反するということか。
郷に入りては郷に従え。知っていれば揉め事を回避できるかもしれない。
「わしはお前さんの考えの方が好きじゃがな」
「ありがとうございます」
初老のマッチョからの好意に何と答えたものか、とりあえず礼を述べてみた。
いや、今の忠告に対しての礼か。
ヤマトには世間の常識がない。些細なことでトラブルに巻き込まれるかもしれないのだから。
(……アスカはトラブルに突っ込んでいきそうだけど。というかトラブル起こしそうだけど。僕がしっかりしないと)
妹に聞かれたら激怒されそうなことを思うのだった。
「大旦那様、ちょいとすいやせん」
話し込んでいるアウェフフとヤマトの所に進行方向から駆けてくる男があった。
左手に青黒い丸印。奴隷の一人だ。
「なんじゃ?」
「ああ、ええと……その、ヤマトさんに伝言でして。姫さんが行くって言うのをギャーテが止めていやした」
「僕に?」
走ってきた男は、切れた息を整えながら頷く。
アウェフフが顎で続きを促すと、もう一度深く頷いて。
「探してた、ダタカって奴のいる宿。今朝帰ってきた連中の中で知ってるもんがいたんで」
「あ……ありがとう!」
馴染んでしまっていて、自分の状況を少し忘れかけていたヤマトだった。
※ ※ ※
「どうしてあんなことを……」
責めるように、不満げに言う。
この僕に対してその不満を示すことが適切かどうかも判断できない愚か者が。
そもそも己の失態の結果だろうに、なぜ僕を責めようとするのか。
冷静な判断が出来ないから愚か者なのだ。
「まあまあ、落ち着いて下さい」
僕は違う。
気に入らない態度を取る愚物に対して、それを表したりしない。
多くの人間は感情で行動を左右され、それにより失敗をするものだ。常に冷静であれ、と。
時に敢えて感情を表現することもあるが、それも必要な演出だからだ。
珍しく僕の機嫌が悪い、となれば相手も配慮する。一歩引く。
普段から機嫌の振れ幅が大きいプエムの単細胞とは違う。僕の感情は計算で制御されている。
どれだけ不愉快でも。
「あそこでああ言わなければ、あなたへの糾弾が始まっただけですよ。あの場でね」
「それは……そうでしょうが」
「彼らがあの場では事を荒立てなかったのは、キキーエへの捜査を行うとしたからです。今のような上辺の疑惑で糾弾するよりも、より深い内情を調査して言い逃れのできない状況であなたを……キキーエを徹底的に潰す方が利益になる。そう判断したからでしょう」
「それでは……」
「出航前の忙しい時期です。どこも今はあまり大きく物事を動かしたくない。腰を据えて有利な状況を作ると考えるのは当然です」
彼らも素人ではない。長くこの町を取り仕切ってきた歴史がある。
目先に掲げられた餌よりも、恒久的な餌場を得る方が利益になると知っている。
今日、キキーエを叩くのは楽な話だった。けれどそれでは一時の勝利にしかならない。
商売敵が一つ減れば、その分だけ自分たちの取り分が増える。
町の体制的な問題で完全に潰さないとしても、立ち直れないほど弱体化させればいいのだ。後は飾っておくだけで。
「ジョラージュ様、私は……」
「スカーレット・レディに襲われたというあなたの庶子はどうです?」
老人の自己弁護などが聞きたいわけではない。
僕にとって役に立つ情報が欲しい。それが優先だ。
「ひどいケガで病床で呻いているという有様です。あの役立たずめが」
「他には何か言っていなかったのですか?」
「…………」
老人は口を閉ざす。
知らない。役に立たないのはお前だ。
おそらく会ってもいないのだろう。謎の襲撃犯と接触した貴重な情報源だというのに。
もともと妾の子ということであまり関わっていなかったようだから、今更顔も出しにくいのかもしれないが。
(だから感情で動く愚か者は嫌いなんだ)
どういう事情であれ、それなりの関係を築いていればこそ話せることもあるだろうに。
どこで、何の役に立つか。先のことなどわからないのだから、出来るだけつながりを保っておけばいいものを。
「あ、あの……」
「黙れ、馬鹿者」
馬鹿者はお前だ。
後ろからおずおずと口を開きかけた老人の息子――ウュセ・キキーエは、父に頭ごなしに叱りつけられ開いた口を閉ざした。
「いえ、ミァレ。どんな話がきっかけになるかわかりませんから。ウュセ、言ってみて下さい」
「……」
父、ミァレの顔色を気にしつつ、ウュセが続ける。
「あの・・・リァッカのうわ言ですが、次はセーテレーだと言っていたとか……」
「ほう」
犯行予告。
ノムァヤ、キキーエときて次にセーテレーだと。
セーテレーは古くから力のある商会だから、キキーエほど悪どいことはしていないと思うが、何も純白だとは思わない。
そんな商売人はいない。いないというか、それでは続かないものだ。
堅物のモクツでさえ、いくらかの誤魔化しや不正な取引の一つや二つはあるはず。大きな組織になればなお、末端にまで目が行き届くわけでもない。
「セーテレーですか」
かといって鵜呑みにすることもない。
竜人はあまり知恵の回る人種ではないが、次の襲撃先を漏らすほどまでに愚かではなかろう。
若干、そういうのもいるとは聞いているが。
しかしその話から推察できることもある。
「まだ続くようですね」
捜査を攪乱する意図がある。
話の通りにセーテレーを襲うつもりがあるのかもしれないし、そちらに注意を向けて別の何かを襲撃するのかもしれない。
わざわざそんな情報を残したということは、おそらくセーテレー以外のどこかを襲うのだろう。
まだ終わらない。
ならば、それは利用できる。
僕の目的に。
僕の野望に。
「ミァレ、良かったですね」
「え、あ……」
理解していない。それは仕方がない。彼は今、自分の家を守ることで頭がいっぱいだ。
このままでは船が出たらキキーエの商店や事務所に調査が入り、言い逃れが出来ない証拠が出てきてしまう。
証文や手形であれば隠して町の外に持ち出すことも可能だろうが、現物は重量も体積もある。
こそこそと町から持ち出すのは、この状況ではさすがに他の連中が見逃さないだろう。既に町の周囲に見張りくらいは立てているか。
「スカーレット・レディは捕縛の際に抵抗した為に反撃、死亡。その筋書きでもいいでしょう。どこで裏取引のことを知ったのかは興味がありますが、ちょうどいい目くらましです」
「……と、言いますと」
「落ち着いて考えて下さい、とさっき言いませんでしたか。今の我々の敵はなんです?」
「…………」
尋ねてみるが、返答はない。
当然だ。わかりにくい質問をしたのだし、これに即答できるようならこんな状況になっていない。
「時間です」
「は、はあ……」
理解が及ばない。本当に愚物だ。
こちらの意図である程度動かすにはいいが、共に謀るには頼りにならない。
まあ、勝手な判断で動かれるよりはマシか。小利口な者の余計な行動力というのも困りものだから。
「このまま時間が過ぎると、キキーエは窮地だ。死地だと言ってもいい」
「それは……」
「僕としてもね、キキーエの窮地は困るのですよ」
もちろん嘘だが。
「協力しているからこそ出来ることもある。今回の件の責任を全てあなたの息子にかぶせて逃げてしまうこともできますが、それでは損失を諦めることにしかならない」
「っ……」
ウュセが息を飲む。
彼とてわかっているだろう。このままの筋書きなら、ウュセ・キキーエが独断でやったこととして自死を持って問題の収束を図るという程度のことは。
それで、被害は一定のところに留まる。
今後の商売はやりにくくなるだろうが、それでも全滅というわけではない。
「好機なんですよ」
思わず笑みがこぼれる。
普段は感情をコントロールする僕だが、この笑みは自制を外れていた。
それほど、この先を想像すると楽しくなってしまう。
僕の理想が叶う。こんな好機が転がってきたのだと。
「ミァレ。商機とはなんです?」
「商機、ですか。それはもちろん、時流に乗った商いの時期だと思いますが……」
「これはね、戦いの勝機とも同じです。まさに我々で言えば乗る波を見極めること。ただ待っていても良い波が来るとは限りません」
「はあ……」
つい言葉にも熱がこもってしまう。
熱弁。
非常に珍しい僕の熱弁を聞くものが、この老人と欲の皮が張った中年男というのも残念ではあるが、仕方ない。
他の者に聞かせられる話でもない。
「今は守りの時期ではありません。攻める時なんですよ、ミァレ」
「攻め、ですか?」
さっきから自分を守ることしか考えていない老人には理解できないか。
そもそも老人というのは保守的なものだ。
「これまでの我々の協力で、十分な資金は既に集まっているはずです」
「それはもちろん……」
「使う時なんですよ。今なら、スカーレット・レディ捕縛の為に大っぴらに人を集めても誰も疑いません」
「…………」
キキーエが襲われたのも都合がいい。
躍起になって襲撃犯を探しているとしても不自然なことはない。
「時間をおけば、騒ぎが収まってキキーエへの内部調査が始まる。その前に仕掛けてしまえばいいです」
「と……なると、ジョラージュ様。もしや」
ようやく老人の目にも理解が見えてきた。
僕は、少し興奮した自分を抑えて、静かに頷く。
「以前から言っていたでしょう。そろそろノエチェゼも変わる時だ、と」
「た、確かに。それでは」
「ええ」
それでも胸の高鳴りが抑えきれないのは仕方がない。
この数日後には、このノエチェゼの歴史が変わるのだ。
僕の、このジョラージュ・ヘロの名によって。
「落ち目のチザサ程度ならヘロの兵士だけで十分。面倒なプエムには執心のロファメトの娘をくれてやればいいでしょう。ただ奴隷どもの頭数がいますからね」
「このキキーエの資金で人を集め、そやつらを抑え込めば」
「今なら貧民でも荒くれものでも集めても誰も見咎めない……確かに」
ごくり、とキキーエの親子が喉を鳴らす。
いい目をしている。
先ほどまでは敗北者の惨めな目だったその表情が、今は希望と野心に燃えるぎらついた色に。
「三竦みの体制で続いてきたこのノエチェゼにも王が立つ時が来たと、僕はそう思っていますから」
「チザサを潰してしまえば、知恵のかけらもないプエムなどいずれ潰してしまえるというわけですな」
「時間が敵だというのなら、味方につけてしまえばいい。折も良く嵐が来る。嵐が明けたら船団の出航と合わせて全面攻勢に出られるよう準備を」
感謝しなければなるまい。スカーレット・レディとやらに。
僕が密かに支援してきたキキーエに傷を負わせた。
そのことで、他の連中は油断をした。
奴らは船出が終わったらそれからキキーエ叩きの時間だと思っているだろう。
見えていない。
この町は、そもそもが暴力と闘争が支配してきた町だ。
数百年前に、おおよそ今の体制が出来上がったと聞く。その後も多かれ少なかれ武力衝突はあった。
数十年ほど今のような均衡状態が続いたからといって、それが永遠に続くと思い込んでいる愚か者たち。
続くと思う理由もわかる。それぞれの勢力が極端な力の差がないように調整されてきたのだから。
伸びすぎれば叩かれ、目立ちすぎれば足を引っ張られる。
そうして続いてきたノエチェゼの、一見平和な日常。
それは絶対ではないのだと知る日が来た。
機先を制する。
時代を読む。
このキキーエの窮地という好機を活かして、油断している愚か者どもが築いてきた全てを奪い去るのだ。
「このジョラージュ・ヘロが、ノエチェゼに新たな歴史を作る日だ」
※ ※ ※




