深夜の逢瀬
昨晩と変わらず、夜のノエチェゼは波の音が響く。それは町ができてから変わらず続いていることだろうし、これからもそうなのだろう。
広い街だが、石造りの建物の合間を縫って波音は海岸線からかなり離れても聞こえる。
それと共に酒場や歓楽街の喧騒。
どこかで何かの生き物の鳴き声と、諍いなのかそうではないのか大きな声でのやり取り。
そういう中で、奇妙に静かな一角がある。
まるで息を潜める理由があるかのように、その区画は波音さえ響かないようだ。
不自然なのは、それが自然なように感じられること。
この空間自体が、ここが息を潜めるべき場所だと戒めているかのような。
日のあるうちには気が付かないことだった。
何でもない倉庫。
石畳の道を歩き回るのは、森を走るのとは違った負担があった。足首が痛い。
それでも迷子の兄を探すのを諦めるわけにもいかない。
クックラは弱音を吐かずについて来ようとしたが、大人のフィフジャや大森林育ちのアスカと同じだけの活動は無理だ。
一度宿に戻り、ヤマトが帰ってくるかもしれないからと留守番を頼んで待機させた。
そうして歩き回った際に、夕方にふと見かけたのだ。
見覚えのある男──リァッカと呼ばれていたウュセ・キキーエの傍にいた男がこの倉庫に出入りしていたのを。
ちらりと見えた所で、西門で見かけた材木を積んだ荷車が収められているようだった。
――製材所でもないのに。
その時はただそう思っただけだったのだが。
後から思えば、何かおかしい。
工場のようなものが近くにあるようにも見えなかったし、船の補修材として保管するには港から離れている。
どちらかといえば不便な場所。通常、使わないような区画。
そんな所に、ボンルたちの話では決して安くはない材木を運び込む理由があるのだろうか、と。
宿に戻り、疲れから早くに眠ってしまったアスカだが、そんな疑念を抱いて目が覚めた。
(何かおかしい)
再度、スカーレット・レディの登場である。
何を隠そう、このアスカこそ町を騒がすスカーレット・レディその人なのだから。
幸いというか何というか、フィフジャも眠っている。彼を起こさないように何かをするのは、アスカにとってはあまり難しくはない。
昨日もそうしたように、昼間の服装とは変えて赤いズボンと赤いシャツ。それに祖母が使っていたメタリックな赤のサングラスを掛ける。夜なのに。
幸い二つの月明かりが十分に照らしてくれるので、そもそも視力の良いアスカには問題がない。
後は赤いマフラーで口元を隠せば完璧だ。
(この町の悪事は、このスカーレット・レディが許さないわ)
悪乗りだ。
昨夜の通り魔事件──アスカの世直し事案一号については、思ったほど大きく影響を与えられなかった。
それはこの町の治安自体があまり良いものではないので、ちょっと小悪党が痛い目に遭った程度では珍しい事件でもないから。
つまらない。
アスカの気持ちとしてはそこだ。
別に、あの貧民の労働者が損をしていることを憐れんだわけではない。助けてやろうなどという気持ちはない。
悪事を働いて人生を楽しんでいる奴がいることが不愉快だっただけだ。
正義感ではなく、不快感。
不快な輩が大きな顔をしていることが不愉快なので、懲らしめてやっただけのこと。
それに大義名分をつける為に、あんな演出をしてみたのだが。
もっと噂になってスカーレット・レディの名を広めたかったのに、あんなものでは足りない。
じゃあどうすれば?
――もっと大きな事件を起こせばいい。
この思考は、注目を集める為に火付けをするような犯罪者の考え方なのだが、残念ながら今この町にアスカのこの考えを正せる人間はいなかった。
アスカの行動を制御できるような人間も。
そのストッパーとなるはずのヤマトを見つけるためにも、噂は広めるべきだ。
(自覚はあるんだよね。ちょっと悪ノリして歯止めが効かないかもって)
ただ、昨夜思ったのだ。
痛みのあまり悪事を詫びるシワロを見て、こんな輩をきちんと罰すればいいのに、と。
正しくないことが横行している。
不愉快だ。
12歳のアスカにとって、世の中というのはもっと正しくあってほしいと思わずにいられない。
もう少し年齢を重ねれば清濁併せ呑むということも考えられたかもしれないが、アスカは若い。幼い。
誰かが正さないのなら、私が正す。
困ったことに、大森林で生まれ育ったアスカの身体能力は、それを実行するのに十分なスキルを有していた。
不愉快で、正しくないもの。
このノエチェゼでアスカにとって最もその言葉が当てはまる相手は誰か。
──ウュセ・キキーエ。
彼からすれば、相手の弱みに付け込んで最大限利益を得るように商談をするのは正しい。ウュセは商人なのだから。
アスカの立場からすれば、不当な取引で利益を得ようと他の商売人に圧力を掛けているウュセのやり口は正しくない。
利害の対立。
これは戦いだ。
ウュセ・キキーエに後ろ暗いことがあるのなら、それを裁くのは誰か。
(このスカーレット・レディが許さない)
スカーレット・レディ参上、というわけだ。
※ ※ ※
昼とは違う雰囲気の町の中で、目当ての倉庫を見つけられたのは幸いだった。
アスカは自分の記憶力に感謝しつつ、そっと入り口のドアに近付く。
丸太を運び込めるような建物だ。外側から中の気配まで察知することはできない。
少なくとも話し声などは聞こえないが。
(……鍵?)
石造りの大きな建物に、木製の門のようなドア。
これを開けば軋みで大きな音を立てるかもしれないと思いながらそっと押してみたが、開かない。横に引いても開かない。
疑問はそこではない。
鍵穴のようなものはないし、表側に何か閂のようなものもない。
それなのに戸が固定されているということは、内側からなのだろう。
他の出入り口があるはずだ。そうでなければ内側から戸を固定した誰かが中にいることになる。
「?」
建物の裏側に回ろうとしたアスカだったが、咄嗟に影に隠れる。
人の気配。
物音を潜めてこの建物に近付く人間の。
(なんでこんな時間に、こんな倉庫に?)
相手からしたら、アスカに言われたくないだろうが。
とりあえず自分のことは棚に上げておく。
この近くに住んでいるのでもなければ、真っ当な理由とは思えない。そもそも足音を忍ばせているのだから何かしら秘めた理由があるはず。
月明かりの下、周囲を気にしながら倉庫まで来て、裏手に回る。
その後を慎重に追う赤い影。
裏手には、表の大きな門のような戸とは違う人間用の出入り口があった。
「開けて、リァッカ」
そのドア越しに、息を潜めながら呼びかける女の声。
中に誰がいるのか知っているのだ。完全な不法侵入目的のアスカとは事情が違う。
少し間を置いて、ドアが開かれる。
「来るなと言っただろう。どうして」
責めるような言葉だが、その声音は疑問ではなく理解の色だ。
「そんなの決まってるじゃない」
「声が大きい。兄に知れたら……」
そう言って女をドアの内側に招き入れる男は、声の様子からリァッカで間違いない。
だとすれば女は、キキーエの商店でヤマトに蒸留酒を飲ませた女……ビィズ、と言っただろうか。
あの時も、二人は何か見つめあっている瞬間があった。
やはり何かしら二人にはただならぬ関係があったのか。
(なんてことなの。興味本位じゃなくてぜひ確認しないと)
ドアのすぐ傍に立ち、中の会話に聞き耳を立てる。
幸い、リァッカの方はビィズを早く帰したいのか、ドアのすぐ近くで会話をしているようだった。
奥まで連れ込まれて何かが始まってしまったりしたら、アスカはどうしたらよかったのかと。
始まっちゃうって、いったい何が始まっちゃうのか。
(どうしたら良かったのかしらねー)
なんて考えながら聞き耳を立てることに集中する。
「兄に見つかったら言い訳が出来ない。こんな」
「いつまで私はあんな男の……あなたは平気なの?」
「平気なはずがない。だから、こうして……」
「どういうこと?」
「……町を出るんだ」
息を飲む、そんな息遣いを壁越しに感じた。
「それは無駄だって言ったのはあなたじゃない。あいつが追ってくるって。そうしたらリァッカ、あなたは殺される」
殺されるとは穏やかではない。
どうやらビィズは、おそらくウュセに望まぬ関係を強いられている。
本来はリァッカの恋人だったのだろうが、権力によって社長の愛人にさせられてしまった。
そのウュセは、今の話の流れではリァッカと兄弟ということなのだろうか。だがその上下関係は明らかのようだ。
一緒に逃げたところで、追手が掛けられて捕まれば殺される、と。
「ああ、だから船に乗るんだ」
「船? でも、そんなお金……」
「ここにあるんだ」
(なるほどね)
ここにあるのは値段の張る材木。
「…………」
そうではない。
いくら木材が不足しているからと言っても、数万クルトだと言われる船代二人分になるとは思えない。
そうではなくて、別の後ろ暗い何かがここにあるのだ。
「兄は、俺がお前を譲ったと思ってほとんど警戒していない。だから今日の見張りを俺に任せたんだ」
「これ……?」
「俺がこれに気付いていることも知らない。ただの荷物の番だと」
(さて、どうしよっか)
話は概ね理解した。
西門をノーチェックで入ってきた材木には、本来はないはずの荷物を内側に抱えていた。
キキーエが七家の中で権勢を増している理由の一つでもある。
税金逃れ。裏取引。横流し。
なるほど、正しくない。
リァッカはそれを知り、自分と恋人が新天地に向かうために利用しようとしている。
正しくはない。だがこれは理解できなくもない。
恋人との逃避行。
アスカもとりあえず女の子ではあるので、ラブロマンスだといえば法に抵触することも仕方ないのではないかという判断もできる。
〇〇だけど愛があればいいよね、とか。
(だけどそれだと、あのウュセ・キキーエをぶちのめすことが出来ないんだよね。悪いけど)
彼らの幸せよりも、アスカの目的が優先だ。
所詮は赤の他人。大体、あの時蒸留酒をなみなみ注いだビィズとかいう女も悪い。
(というか今の話だと、ここには船代として十分な何かがあるってことね)
さて、どうしよっか。である。
──殺してでも奪い取る?
ここで二人を亡き者にしてそのお宝を奪うというのも選択肢ではあるが。
──駄目よ、アスカ。
──駄目だぞ、アスカ。
──本気でバカなのかお前は。
母、父、兄から否決された。脳内で。
──そんな選択肢が出るところか?
脳内フィフジャも否定的だった。
仕方ない。この案は保留にしておく。
あらゆる可能性を否定しないというのは外交における基本姿勢。
いつでも戦うといへども可なり、だ。
「話は聞かせてもらったわ」
別の選択肢を採るなら、行動は早いほうがいい。
他の誰かに見つかる前に行動を起こした真っ赤な人影を、一組のカップルが驚愕の表情で凝視していた。
月明かりの下に現れた真っ赤な人影を。
「スカーレット・レディよ」
名乗る。
だが彼らは動かない。お互いを庇うように寄り添いあって、唐突に表れた不審者でも見るかのように注視しているだけだ。
深夜の逢瀬に現れた、真っ赤な装束で顔を隠している・・・不審者の他には見えないか。
「スカーレット・レディよ。復唱して、すかあれっと、れでぃ」
名を知らしめる為には、きちんと名乗っておかなければなるまい。
同じ失敗を繰り返すほどアスカは愚かではなかった。
別の部分が残念なだけで。
※ ※ ※




