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凶鳥の娘

「なるほど」

 壁の前に立ち、したり顔で頷いてみる。

 荷物は持ったままなので身軽ではないが、背負って行動するのに慣れてしまっていて気にならない。

 ラッサは置いていったらと言ってくれたが、途中でアスカたちと合流できたらロファメトの家には戻らないつもりだったので、荷物は手放さなかった。


『クァ……』

 ヤマトと並んで壁の前にいたグレイが欠伸をする。

 きっとグレイもヤマトと同じ気持ちだったのだろう。

(読めない)

 壁に書かれている文字は、当たり前だがこの世界の文字。

 ヤマトも短い期間でもだいぶ会話に慣れたが、文字はちんぷんかんぷんだ。もちろんグレイにも読めないはず。


「何かわかったのかい?」

 そう尋ねるのは、付き添ってきてくれたメメラータだった。

 もしかしたら何か手がかりがあるかもしれないと思い、ヤマトはスカーレット・レディの犯行現場に行きたいと言った。

 兵士から場所を聞いてラッサが案内してくれるというのだが、場所が歓楽街に近く決して治安がよろしくない。

 ギャーテとメメラータを護衛に、四人でここまで来たのだが。


 その手がかりになるかもしれないと思った、スカーレット・レディの残した壁の文言。

「いや、読めないんだ」

「じゃあ何で来たいって言ったのよ」

 嘘をついても仕方ないと思い、素直に読めないと言ってみたら、ラッサに呆れられた。

 メメラータも肩透かしを受けたように少し気が抜けた表情を浮かべる。


「ごめん、何て書いてあるの?」

「あなたのことが本当にわからなくなってくるわね。ええと、ノムァヤ商会のシワロ。この者、他者が受け取る報酬を盗む不届き物。不当な行いには必ず罰が下る。この町に悪が栄えることはない。スカーレット・レディって」

 壁の近くには青服と白服の兵士が二人ずつ立っている。

 とりあえず現場を保存しておく為なのか、あまり壁に近づくと離れるように言っていた。

 ノムァヤ商会の人間からすれば、さっさとこんなもの消してしまいたいだろうが。


「なるほど」

「何かわかるの?」

「いや、全然。この町には前から、こういう感じで悪は許さないっていう偉人がいたりするのかな?」

「……昔話で、盗人は波に飲まれるっていう話はあるけど」

「チェゼ・チザサが、裏切り者のプエムの弟を斬首して、その血で海が真っ赤になったとかいう話もあったね」

 ノエチェゼに伝わる悪事とその報いというのに該当する話を、ラッサとメメラータがそれぞれ挙げる。


 人間の血で海が真っ赤ということはないだろうが、言い伝えなので誇張されているのだろう。

「その斬首されたヒシャレ・プエムが、夜の港で夜遊びしている奴を殺す、とかさ。あれも真っ赤な装束なんだって言うじゃないか。自分の血で」

「お、お化けとかいないんじゃないの?」

 話が違う。

 やっぱり異世界なのでそういう存在もあるのか。

 少し声が震えてしまった。メメラータはきょとんとした顔でヤマトを見て、それから楽しげに笑った。


「ははっ、なんだい。こんなの子供に夜遊びさせないお話ってやつさ」

「ヤマトってば意外と怖がりなのね」

 そんなことない、と言ってみるが、くすくすと笑われただけだった。

 それからふと、思い出したように続ける。

「そういえば牙城でも時々、この世のものとは思えない声が聞こえたりするって話よ。誰もいないのに」

「へえ、そうなんだ」

 近づかないようにしよう。特に用事もないのだから。

 別にお化けとか信じているわけではないけれど、用事もない場所に行く必要もない。


 それよりアスカ達を探さなければならないし、このスカーレット・レディとも接触したい。

 地球の手がかりになりそうな相手なのだから、なんとしても話を聞きたいところだ。

 犯行現場に来たのは、アスカもこの噂を聞けばここに来ると思ったからなのだが、とりあえず周辺には見当たらなかった。行き違いになったのかもしれない。

「小狡い使用人が横領するのも、歓楽街で強盗が出るのも、どっちも珍しい話でもないわね」

「こんな落書き残してなけりゃ騒ぎにもなってないさ」


 誰も気にしないような出来事。

 その通りなのだろう、野次馬もいないのだから。

 朝早くならもっと気にする人もいたのかもしれないが、今は通りがかる人が何かあったのかと見ていく程度のこと。

 だが、大々的に名前を書かれてしまったから、ノムァヤ商会として体裁が悪く収まりがつかない。

 兵士たちは、目立ってしまったから事件として対応をせざるをえない状況になっている。


「赤い服の……プエムの兵士がいないのはなんで?」

「ノムァヤはプエムの子飼いだからよ。プエムとしては騒ぎを大きくしたくないんでしょう」

「そういうものなの?」

「そういうものなの。放っておけばすぐ忘れられるんだから」

「この落書きはさっさと消しちまいたいだろうけどね」

 メメラータの口元が気分良さげに緩んでいる。

 他人の不幸は蜜の味というのはここでも同じ。それが商売敵の困り事となれば実に楽しいのだろう。


「プエムの家とは仲が悪いの?」

 昨日も絡まれていたし、昨日だけではないようなことも言っていた。

 ヤマトが尋ねると、ラッサは視線を迷わせて、メメラータは軽く肩を竦めた。

 今まで沈黙していたギャーテが、後ろで溜め息をつくのが聞こえる。

「なんか僕、また間違えた?」

「そうじゃあないのよ。何て言ったらいいのか」


「言い寄られてるのさ」

 言葉を探すラッサの横から簡潔に言われて、やや非難めいた視線が送られる。

「本気じゃないでしょ」

「二年も続いてて本気じゃないってんなら、正気じゃあないね」

「一年半だから」

「大して変わらないよ」

 やや顔を朱に染めて膨れるラッサ。


 一年半前ということは、今より一年半若かったのだろう。当たり前だ。

「ラッサが、あのゾマーク・ギハァトに?」

「違うわよ」

 むぅ、とふくれっ面がヤマトに向けられる。

 事情を知らないので怒られても困るのだが、そんな言い訳は状況を悪化させるだけだとアスカから学んでいる。

「ヤルルー・プエムに、よ」

「……結構、年の差あるね」

「そうね」


 ふん、と横を向くラッサ。その横顔は整っている。

 言い寄る男がいても不思議はない。

 ゾマーク・ギハァトなら二十歳前のように見えたので年齢的にそこまで無理はないと思うが、ヤルルー・プエムとなると。

(あの赤帽子の人、少なくとも三十はしっかり過ぎていると思ったけど。控えめに見ても。一年半前だとすると、ラッサはまだ13歳くらいのはずなのに)

 今のアスカと同じくらいか。


 もし仮に、三十過ぎの男がアスカに求婚してきたとして、ヤマトはそれを認められるだろうか。

(ダメじゃないかな。普通、保護者として)

 この世界の基準では違うのかもしれないし、地球でも年の差カップルは存在したはずだが。

 それでも、素直に認められるものではない。

「いい年してこんな幼い子に言い寄るなんてさ。おっと」

 メメラータを叩こうとしたラッサの手は簡単に受け止められた。本気の殴打ではないが、幼いと言われての抗議の意思表示。


「あ、やっぱり年の差は問題なんだね」

「金持ちが若い娘を何番目かの嫁にするってのはあるけど。ロファメトの姫様を、ってなるとね」

「一人娘なの?」

 そういえば父親以外の家族を見ていない。

 朝御飯も、父とラッサとの二人で食べるという話だったし。


「兄は三人いるわよ。娘は私だけだから」

「ああ、甘やかされてるんだ」

「そういう……そうなんだけど」

 男親というのは娘には甘くなりがちだ。息子ばかりだったところに最後に女の子となれば、余計にそうなるだろう。

 言い返そうとしてみたものの、否定はできないと口を閉ざす。


「あの男、もう5人も妾がいるのよ。信じられない」

「一応のところヤルルーの息子の嫁候補としてもらいたい、って言ってるんだと」

「まだ7歳のね」

「そういう名目で、あの中年男がラッサの若い体を隅々までぺろぺろしたいってことか」

 状況は理解できた。


 ふむ、とヤマトが納得していたら、なぜかラッサがぷるぷると震えている。

「?」

 ヤマトが視線を上げて視線が重なると、物凄い勢いで顔を背けられた。

「あんた、すごいこと言うね」

「え、間違えた?」

「間違ってはないと思うけどさ。ああ」

 豪放磊落な印象のメメラータの歯切れが悪い。

 ごほん、とギャーテが咳払いする。


「……ヤマトのバカ」

 ヤマトだってそうしたいと思うのだから、きっと他の男もそうなのだろうと。

 ヤマトは素直なバカなのだ。


  ※   ※   ※ 


 居心地悪そうなラッサたちと共に屋敷に戻ると、そこには――

「ふんぬぅぅ」

「ぬぉぉぉりゃぁぁ」

 半裸の初老男性二人による地獄絵図が。


 がっしりと両手を組み合い、片方は日焼けした厳つい顔を、もう片方は傷跡の残る顔を、ギリギリまで近づけて血管を浮き立たせている。

 広い芝生の庭が狭く感じる暑苦しさ。


(美しくないなぁ)

 メメラータの胸に顔をうずめるラッサの姿を思い返して、この絵と比較してしまう。

 暑苦しいし、ヤマトの精神衛生上よろしくない絵面だ。こちらは記憶から消去しておいた方がいい。

「あれ、いいの?」


 ヤマトが尋ねると、ラッサはびくんっと怯えるように距離を離しつつ首を振った。

「い、いつものことだから」

 ぎゅっと身を守るように両手を体の内側に構えながら答える。

 なるほど、過保護に育ってきたので、男の欲望が具体的にどういうものか知らなかったのか。

 初心な少女。

 アスカはなぜか耳年魔というのかこんな恥じらいを見せたことがなかったので、この反応は新鮮だ。



「老いぼれたんじゃあないか、アウェフフ」

「ぬかせダナツ。航海に出るお前に怪我させんように加減しとるんじゃ」

 血管ぶち切れそうなくらいに額に浮かんでいるのに、ぐふふと笑って煽りあう二人の男。

「口はうまくなったようだな、老いぼれ」

「お前ほど阿呆ではないのは昔からじゃ」


「大将、そのくらいにしときなよ」

 ラッサは止めないと言っていたが、メメラータが口を挟んだ。

 初老の二人はメメラータを見て、舌打ちしながら手を離した。

「出航まであと六日なんだろ。あんたが怪我してどうすんのさ」

「やかましい。お前が邪魔しなけりゃ出航前にこの老いぼれに引導渡すくらい何でもないわ」

「でかい口叩きおって。帰ってきたら改めて相手をしちゃるぞ。逃げなければの」

「やめろって言ってんだよ」

 メメラータが低い声を出すと、ふんっと二人で顔を背けた。

 仲良しな雰囲気だ。おそらく。


(出航まで六日……だっけ?)

 記憶と違うような気がするが。

 ラッサはヤマトに警戒心高めの雰囲気だったので、まだ一緒にいたギャーテに聞いてみる。

「出航って六日後なの?」

「知らん」

 奴隷が主の前で言葉を発するのは好まれないのか、短く小さな返答だった。


「ふうん。ラッサのお父さんって強いの?」

「ああ、有名だ」

 有名らしい。

 ヤマトとギャーテのひそひそ話が聞こえたのか、メメラータがにやりと笑う。

「ロファメト・アウェフフを知らないのかい? 大波を砕くアウェフフって、ノエチェゼの船乗りじゃ有名なのさ」

「へえ、すごいんだ」

 マッチョのダナツと組み合ってもまるで見劣りしない筋肉は、初老とは思えないレベルだ。

 若い頃はぶいぶい言わせていたのだろう。


「ふん、昔の話だ」

「それを言うのはわしのセリフじゃろうが」

「今じゃ老いぼれアウェフフよ」

「やめろって言っただろうが、あぁ?」

 なおもアウェフフ氏を煽るダナツ・キッテムの顔面を鷲づかみにするメメラータ。

 マッチョだが身長はそれほど高くないダナツの体が、メメラータのアイアンクローで吊るし上げられる。

「うがぁぁ、わかったぁ。わかってるわかってるもうやめる」

「っとに」


 メメラータの腕力はどうなっているんだろうか。

 朝も兵士を掴み上げていたが、今は片手でおそらく70キロ後半のダナツを持ち上げていた。

 竜人は肉体強化に優れているという話だが、元の筋力も尋常ではない。

 雇い主にアイアンクローを極めていいのかどうかは知らないが、多分問題はない。


「お、お前な。お前が帰らないから探しにきた船長に向かってアイアンクローはねえだろうが」

「そいつはすまなかったね。船長が怪我したらまずいと思ってつい、ね」

「嘘つけこの不良船員が……」

 問題ないことはなさそうだが、まあ別にいいだろう。

 船長の身を案じての咄嗟の行動と言っているし。


「どこに行っていた?」

「例のノムァヤの使用人が襲われた現場よ、お父様。詐欺みたいなことをしてたから罰するって書いてあったわ」

「今更そんなことをする馬鹿がおるとは、余所者だな」

「この町で悪は栄えないとも書いてあったから、案外町の誰かなのかもしれないけれど」


 ふぅむと思案しながら汗を拭うアウェフフの顔を改めてよく見る。

 左頬に、割と広い範囲で傷跡が残っている。火傷だと言われればそうかもしれないが、港町の荒くれ者だったのだろうから火傷ではないのかもしれない。

 そんなヤマトの視線にアウェフフの傷跡がひくりと痙攣する。


「ワシの傷が気になるか、若いの」

「イダ・ヤマトです。ヤマトと呼んでもらえれば」

 昨日も挨拶はしたはずだが、覚えてもらえなかったようだ。

「それなりの腕前らしいな。一つ見せてもらえるか?」

 名前は呼んでもらえなかったが、少しは興味を持たれているらしい。


 今朝方、奴隷を何人かまとめて相手にしたのを聞いたのか。

 ダナツの方も、メメラータと共に面白そうに見ている。

「ええと、どうやって?」

「ラッサーナ」

「はいはい、お父様」

 やれやれといった感じで、ラッサが応じる。

 既に用意していたのか、アウェフフの周囲に控えていた奴隷の一人がラッサに二本の木の棒を渡した。ヤマトの身長よりまだ長い。


 受け取ったラッサが、ヤマトに向けてその片方を差し出す。

「え、と?」

 これを使えということなのだろうが、どうすればいいのだろうか。

 一本の木の棒なら簡単に折れるが三本束ねれば、とかやったらウケるかな。ちょうど兄は三人だと言っていたし。

 ヤマトは自分の荷物と槍を置いて棒を受け取る。

 受け取る時に少し手が触れたら、ラッサがびくっと大げさなほど反応して手を引っ込めた。

(いや、そんなに警戒しなくても、ぺろぺろとかしないのに)

 こんな父親の前では、特に。

 そんなことを出来る度胸はない。


「どうすれ、ば……?」

 もう一本を持ったラッサが、ヤマトから5歩ほど距離を取る。

「やぁ!」

「っ!?」

 問答無用の一撃だった。


 一切の無駄のない動きで喉に突き刺さる棒。先が丸くなっているとはいえ、その勢いで当たれば最悪命に関わる。

「っと」

 先は尖っていないのだ。

 突き出された棒の先端を手で受け止めて、横にずらしつつラッサの首元に自分の棒を――

「のわっ!」

 受け止めた棒が、急に軽くなった。

 不意打ちが無駄に終わったと悟った瞬間、ラッサは棒にこだわらず手放し、とんぼ返りのついでにつま先でヤマトの顎を狙った。


 徹底した首周りへの攻撃。

 鋭い一撃を受け止めて油断していたヤマトは、身を躱すので精一杯だった。

「つ」

 口元を彼女の靴が掠める。

(靴を舐めるのは趣味じゃないんだけど)

 そんなことを考えながら距離を取るヤマトに、とんぼ返りから綺麗に着地を決めたラッサが薄く笑う。


「やっぱり、それなりの腕前みたいね」

 海賊の娘、といった風情の笑顔。

 親も同伴だが。

 それなり程度の腕だと鼻で笑われる。ぺろぺろで動揺させたことに対して、仕返しして精神的優位を保ちたいのかもしれない。

 素直に白旗を揚げてもいいのだが、さてどうしたものか。息を吐いて軽く手を振る。


「まあ、それなりにね。グレイ、待て」

 唐突に始まったヤマトとラッサの戦闘に、グレイが半身になりつつ様子を窺っていたので、とりあえず声をかける。

 味方のはずなのに、ヤマトと争うのなら敵なのだろうか、と。

 声を掛けられて、戦う必要はないのかと低めにしていた姿勢を普通に戻した。


「不意打ちの対処なんだから、もう少し褒めてもらってもいいんじゃないかな?」

「大したもんだよ。風を斬る凶鳥ラジカの娘の不意打ちを躱してんだからね」

 メメラータが評価してくれた。

 ラジカというのはラッサの母親のことなのだろうが。


「その凶鳥とか大波を割るとか、そういう呼び名ってみんなあるの?」

「大波を砕く、さ。有名なやつだけだよ」

「男日照りののメメラータとかなあぎゃぁぁぁギブギブメメラータ待てだ待ていっがぁぁ」

 横でまたアイアンクローをくらってるダナツさん。懲りない人だ。


 そんな二人をよそに、不遜な雰囲気の笑みを浮かべているラッサとアウェフフ。

 見れば、ギャーテや他の奴隷たちも、自慢げな笑顔をヤマトに向けている。

 どうだ驚いたか、と。

「なるほど、やっぱり世界は広いんだ」

 先ほど受け止めたラッサの棒は、蹴りを避ける際に落としてしまっていた。

 拾い上げて、ほいっとラッサに向かって投げる。


「自分が世間知らずだってわかったのかしら?」

 ぱしりと片手で受け止めて軽く振ってみせるラッサの姿は様になっている。戦えるタイプの人間だ。

「まあ、それは大体」

 わかっているつもりだった。

 つもりだったのだと、理解した。

 可憐な女の子だと思っていたラッサでさえ、牙を剥けば森の魔獣のような戦闘力を発揮する。

 ヤマトは頷いて、自分の木の棒を握り直した。


「でも、知りたいのは僕の実力なんだよね?」


「……そうだったわね」

 挑発と受け取られたかもしれない。確認のつもりだったのだけど。

 ラッサの表情から笑みが消える。

 研ぎ澄まされていくその危険な感覚は普通の少女ではない。ああ、奴隷商の娘だった。


「遠慮しなくていいのかしら」

「謝るなら先がいいよ。姫様は、大波を砕くアウェフフと凶鳥ラジカの血を引いた天才だからね」

「ありがとう、メメラータ」

 偉大な二人の親を持った天才少女だから気をつけなさい、とメメラータのありがたい忠告だ。

 本気を出したら怪我では済まないかもしれないと心配してくれたのだろう。


 だが、そんな女の子の相手ならヤマトは慣れている。場数からいえば専門家だと言ってもいい。

「そういう……じゃじゃ馬? の相手は得意だから」

「言ってくれるじゃない」

 ぴく、とラッサの顔に色が見える。怒りの色だ。

 ヤマトが、ぺろっと舌を出すと、今度は違う意味で赤い色を浮かべて、すぐにそれを掻き消す。


「僕もね、ヒコイチとメイコの子供なんだ。誰かに負けるつもりはないさ」


「今回の負けは公表しないであげるわよ」

 せっかく父母の名前を挙げてもらったのだから、こちらもそう名乗ってみる。

 武士の名乗りという習慣は本で読んだことがあるのだが、こうして自分がする機会があるとは思わなかった。人生、わからないものだ。


「…………」

 それ以上、言葉はない。

 静かに、ヤマトに向かって低く構えるラッサに対して、ヤマトは自然体のまま斜めに片手で棒を構える。右手は添えるだけ。

 女の子相手に先に仕掛けるのは躊躇われるので、そのまま待つ。


 そんなヤマトの姿勢を、侮られていると感じたのだろうか。

 ラッサは両手をぐっと握りこみ、無言のまま踏み出しつつ薙いだ。

「っ!」

 今度は木の棒で受け止める。


 が、そのラッサの薙ぎの威力が尋常ではない。

 少女の腕力とは到底思えない、先ほど力比べをしていた老マッチョの力にも劣らないのではないかと思えるほどの豪腕。

 ヤマトが軽く構えた棒は、その威力をまともに受ける。

「バカが! 舐めてるからっ」

 メメラータの悲鳴にも似た声が上がった。


 胴にでも食らえば肋骨が折れるのではないかという一撃。その前に木の棒が砕けるかもしれないが。

「なっ」

 ヤマトの持つ棒を軽々と打ち払いその場を引き裂くように一閃するラッサの棒。

 空中を薙ぐ。

 ヤマトが、その受けた棒を支点にくるりと側転した後の空間を。

 先ほどとんぼ返りをされたのを、横の回転でやり返す。


「ちょこまかと!」

 舞うように避けられた一閃。

 自分だってさっき似たようなことをしたくせに、他人にされるのは不愉快なのか。

 ラッサはその勢いのままもう1回転して、さらに勢いを増しつつ着地したヤマトを連撃で襲った。

 さすがに側転直後の姿勢では避けきれない。


「はっ!」

 骨がばらばらに砕けそうな攻撃を、冷静に見る。

 一流の卓球選手は、近距離で猛烈な速度の弾の軌道を見切る。

 それに比べれば、ラッサの体を軸に向かってくる棒の軌道を見るのはまだ易しい。

「うそっ!?」

 薙ぎ払いに対して、突き。


 まさかラッサを突くわけにもいかないヤマトとしては、ラッサの攻撃手段になっている木の棒を無力化したかった。

 フルスイングの棒に対して、一点を貫くヤマトの棒。

 鈍い音と共に、半ばから折られた木の棒の先が宙に舞う。

「っ、まだ!」

 折られた棒を手に、今度は突きを繰り出すラッサ。


(いや、折れた切っ先とか危ないから)

 その動きはひどく読みやすかったので、仰け反って切っ先を躱しつつ下から掬い上げるようにラッサの持ち手を打つ。

 今度は、折れた残りの方が宙を舞った。


「ったぁ」

「ごめんね、ラッサ」

 打たれた手を押さえて呻くラッサに、ヤマトは慌てて棒を投げ出して駆け寄る。

 思ったより相当強かったので加減が難しかった。怪我をさせてしまっただろうと。

「……まだ終わってないわよ」

「そう、かな? でもラッサに怪我をさせたら」

 父親に殺されかねない、と。

 今も怖い顔で見ているのだし。恐る恐る様子を窺う。


「…………」

 ふと気が付けば、ラッサの瞳がヤマトを映して揺れている。

 頬も朱色だ。運動して体温が上がったのだろう。

「お前の負けだ、ラッサーナ」

「……やらせたのはお父様じゃない」

「負けるとは思わなかったんでな。ゾマークがおとなしく引き下がったというのは嘘でもないわけじゃ」


 手を抑えている娘を心配するでもなく、納得の表情を浮かべて頷くアウェフフ。

 メメラータやギャーテ以下の奴隷たちは、少し口を開けたまま呆然としていた。

 ダナツは、頭を抱えてうずくまっていたが。アイアンクロ―の痛みのあまり見ていなかった。


「イダ・ヤマト、だったな」

「はい」

「そうか」

 アウェフフは、傷跡の残る左頬を引き攣るように上げて、大きく頷いた。

「この顔の傷はな、ワシがまだ船に乗っておった頃に、海の化け物と格闘したときのもんじゃ」

 そう言って、何かを両手で抱えるような仕草をしてみせる。

 おそらくその海の魔獣か何かを掴み、締め上げた時なのだろう。


「息の根を止めた時には、やつのざらついた鱗でこの辺の肉が削ぎ落とされとったわ」

「戦った印なんですね」

「大層なものでもないが、ワシを舐めて見る輩はいなくなった。代わりに、真っ直ぐに見てくるのも家族以外は少なくなったがの」

 ふん、と軽く鼻を鳴らして、メメラータの横でうずくまっているダナツをちらりと見る。

 友人と呼べる相手。

 ヤマトにはそういう関係の相手はいないが、喧嘩友達の二人の間柄を羨ましく感じた。


「行く当てがないならラッサの相手でもしてやってくれ。知っての通り、じゃじゃ馬でな」

「もう、そんな風にしてるのはお父様のせいじゃない」

 アウェフフは娘の抗議に軽く眉を上げて、そのまま去っていった。奴隷たちもギャーテ以外はそれに従っていった。



 見送るヤマトの背中をメメラータが叩く。

「大したもんだ。気に入られたじゃないか」

「そうなの?」

「お父様が傷跡の話をするのは認めた相手だけよ」

 先ほど打たれた左手を右手でさすりながらラッサが続ける。


「思ったより強かったわ」

「真面目にやらないと怪我しそうな勢いだったから。っと、ごめん。怪我させたよね」

 左手の中指と薬指が酷く腫れている。

 内出血か、もしかして骨折させてしまっただろうか。

 あんな強撃を繰り出せたとは思えないほど綺麗な手なのに、傷つけてしまったことを悔やむ。

 意外なほど強かったのはラッサの方だ。武器を取り上げるのに少し強く打つ必要があった。


「ごめん、指が……」

 そっとラッサの手を取って、痛々しいその指を包む。

 ヤマトが怪我をした時、母はこうやってくれたと思ったので。

 ぼうっとその様子を他人事のように見ていたラッサだったが、はっと気を取り戻して手を引っ込めた。


「ばっ、ばか。これくらい大丈夫よ」

 そう言って彼女は自分の手を庇うように体の内側に隠して、ぎゅっと握りこむ。

 痛いのではないだろうか。

 疑問に思ったヤマトの目に、顔をしかめるラッサが映る。痛いのだ。

「…………」

 唇を尖らせ目を瞑るラッサが、数秒後の沈黙の後にその手を解放する。


「……?」

 ん、と突き出される左手。

「え、と……あれ?」

 綺麗な手だ。戦闘に慣れているようには見えない、綺麗な手をしている。

 そこには先ほどまでの腫れがない。

 まだうっすらと赤いが、明らかに腫れが引いている。

 錯覚、ではないはず。


「あ、れ? これ、僕が……?」

「違うに()()()()()でしょ! って、本当にどこでどんな生活してきたのよ」

 決まっていると言われても、何が決まっているのか見当が付かない。

 だがラッサの様子からは、世間一般の常識だということのようだ。

「他人の傷を癒せるのはゼ・ヘレム教会の治癒術士だけに決まってるでしょ。私も見たことないけど」

 そういうことに()()()()いる、らしい。


 だとすれば今のは、ラッサの魔術で自分の傷を癒したということか。

「打ち身くらいだったら私でも治せるわ」

「姫様は天才だからね。こんなにあっさりと、あたしにゃそこまでは無理だよ」

 さすが魔術社会だ。

 簡単な傷なら、自己治癒能力を集中して高めることで回復させてしまう。

 危険が少なくない世の中なのだから、必要で有用な能力だ。


(動物でも、怪我をした時だけ免疫や回復力が高まったりするんだったかな)

 決して異常な能力ではなく、生物として本来持っている機能を強化しているだけなのか。

 だとすると先ほどの言い分で、他人の傷を癒すことが出来るというのは、特異な能力ということになる。教会の治癒術士だけだと。


(この世界で生きている人たちには常識なんだろうけど、僕らは違うから。知りたくても、どんな常識を知らないのかさえわからない)

 世間知らず、と。

 当分はその評価は覆らないだろうし、むしろそれでいい。この世界の常識を教えてもらわないと困る。


「ごめん、僕は本当に物を知らなくて。何を知らないのかも知らないくらいに」

「そうみたいね」

「とりあえず、ギャーテさんたちが護衛じゃないっていうのはわかったよ」

「そう言ったでしょう」

 言っていたが、あの時点ではラッサの方が遥かに強いとは思わなかったので聞き流してしまった。


 逆に、疑問も浮かぶ。

「これだけ強かったら、あのゾマークとかもどうにかできたりするんじゃないの?」

 ラッサの戦闘力は侮りがたい。勝ったヤマトが言うのもなんだが、常人の域にはないように思えた。

 武力を表に出してくる相手を、正面から突破することも不可能ではないのではないか、と。


「さすがに厳しいわね。あれは戦闘大好きな変人だし、ヤルルーもいたら強引にどうにかするのは無理だわ」

「偉い人だから?」

「そういう意味じゃなくても」

 ラッサが首を横に振り、メメラータが縦に振る。


「ヤルルーは……いや、御三家の直系は強い。権力とは別にだ」

「七家とは違って、ね。うちは例外だけど」

「見た目は歪んだ性格の半端者って感じなのに」

 あれでいてメメラータやラッサが警戒するほどの実力だとは、想像がつかない。漫画なら、出てきた次のコマでやられていそうなキャラなのに。

 見かけによらないというのなら、ラッサもそうなのだが。


「船乗りは気性が荒いのが多い。特にこの町はね。そういう中で頭を張るのには、家柄とかそんなんじゃ続かないんだよ」

 わかりやすい暴力的な力が統治に必要になる。

 ヤンキーの集団をまとめるには一番喧嘩が強い奴がいいと。

 時はまさに世紀末――いや、中世以前か。


「本当に、知らないことばっかりだ」

 この世界の攻略本や手引きがない以上、手探りで生きていかなければならない。

 見かけで判断せずに、慎重に揉め事に関わらないように生きていこう。

 ヤマトはそう思いながら、黙って付き従うグレイの頭を撫でていた。

(戦闘力測定器、あったらいいのに)


  ※   ※   ※ 


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