歓楽街の事件
朝の港町は騒がしい。
早朝から漁に出る者もいれば、夜の漁から戻る者もいる。
それらの買い付けや荷物運びに従事する人々もいれば、港町の朝が普通の村より騒がしいのは仕方ない。
「……何かあったな」
フィフジャのぼそりとした呟きに、ぴくっと顔を上げてきょろきょろと周囲を見回すアスカ。
クックラと一緒に朝御飯を食べに来ていた所だ。
昨日とは違う店で、よく言えばオープンテラスというのか、そんな食堂。
屋根だけ天幕のように張った場所に、テーブルと椅子が並べてあるだけの店だが。
おおよそ食べ終わったところで、フィフジャが呟いた。
「何があったのかな?」
「わからないが、何か様子がおかしい」
町の外に向かってどたどたと走っていく数人の男たち。
昨日はほとんど見なかったが、巡回するように歩いている兵士たち。
白服と青服の兵士をよく見るが、赤服の兵士は今のところ見ていない。
「……警戒が強まったような感じだが」
「ふうん。ヤマトが何かしたのかも」
「どうだろう、アスカじゃあるまいし」
「それってどういう意味よ」
むう、とフィフジャを睨んでみるが、あまり気にした様子もない。
どうやらアスカの扱いに慣れてしまったようだ。
「ま、確かにヤマトが一人で問題起こすことはないかもしれないけど」
「ん」
「でも一人じゃなかったら?」
「それは……どういう意味だ?」
さっきとは逆に、フィフジャが言葉の真意を問うてくる。
ふふんとアスカは笑って、皿に残っていた芋をふかしたような食べ物をもぐもぐと口に運んだ。
粉っぽく、口が渇く。
一緒に頼んでいた水で喉を潤して、口を拭った。
「…………」
「どういう」
「たとえばさ」
焦らされて再度問いかけようとしたフィフジャに満足して、指をぴっと立てた。
簡単に、扱いやすい女だと思われたら困るのだ。
と、アスカは思っているが、間違ってもフィフジャはそんなふうに見ていない。機嫌を損ねると存分に面倒くさいと思われている。
「薄暗くなってきた町の裏路地から、女の子の悲鳴が聞こえてくる。そんな場合にヤマトはどうすると思う?」
「その女の子がアスカのようなタイプかどうか警戒する?」
「どういう意味か説明しなさいよ」
「いや、説明していいのかどうか」
「私を納得させられたら、生きてこの町を出られるけど」
「嘘だ」
もちろん嘘だけど。
にっこりと笑顔を向けるアスカからフィフジャは視線を反らして、軽く息を吐いた。
「助けるだろうな。事情はともかく、そういう場面に出くわしたら」
「放っておけばいいのにね。それで何か暴力沙汰になったりして、まあヤマトが簡単に負けるとは思わないけど」
面倒な事態になることはあるかもしれない。
「あの兵士の人たちも、銀狼を……魔獣を連れた余所者の少年を探していたりするんじゃないかな?」
「殺傷沙汰を起こして逃げ回ってる、というわけか。ないとは言い切れないところか」
ふぁぁぁと、先ほどより深く息を吐く。
迷子の挙句に面倒ごとだとすれば気苦労が絶えない。
そんなフィフジャを見て、ぺろりと舌を出すアスカ。
「ま、そうじゃないと思うけど」
「なぜ?」
問われて、アスカは少し考えた。
なぜそう思うのかと尋ねられたら、納得させられる適切な答えを用意しなければならない。
「銀狼を連れてるって段階で、この町の人たちは私たちに行き当たると思う。目立つもの。もしそうなら、最初に私たちのところに取り調べに来るんじゃない?」
「……そうなるか」
町に入ってから、銀狼のような魔獣を連れている人間はアスカたちだけだった。
ニトミューや狐のような獣を連れている人はいたが、銀狼やそれに匹敵するような魔獣は他にいない。
もし銀狼関連で調査しているなら、どこの宿に泊まっていたのかなどすぐに知れるだろう。
銀狼を連れている探険家というのはお前たちか、と。
そう言われてない以上、銀狼を連れたヤマトが何か問題ごとを起こしたという可能性は低いのではないか。
「たぶん別件。か、そうじゃなければヤマトが、あの古狸を暗殺したか」
「アスカじゃああるまいし」
古狸はもちろん、ウュセ・キキーエのことだ。
バレないように隠密で暗殺したのなら、誰がやったかは知られない。
まあ昨日のあれこれがあるので、結局それで疑われるのはアスカたちということになるが。
「ヤマトは、あれだな。悪事を働くようなことはないと思うんだが」
「ん」
クックラも頷く。
アスカだってヤマトが善良な種類の人間だとは知っている。
「善人だから、余計に面倒ごとに巻き込まれそうなんだよね。あるいは厄介ごとに突っ込んでいくか」
「ん」
放っておいたら勝手に帰ってくる、という期待は出来なさそうだった。
「なあなあ、あんたたち」
と、不意にアスカたちに声をかけてくる人がいた。
ヤマトではない。ヤマトよりは年上だがフィフジャよりは若い。少年と青年との間くらいの年齢。
同じような年頃の男女がその後ろに控えているのは、おそらく連れなのだろう。
男女二人ずつの四人の若者。
その中の一人が代表して声をかけてきた。
「あんたら、この辺の人じゃないよな。リゴベッテの人か?」
そう問われても、アスカには答えようがない。
どう相手にしたものかわからないのでフィフジャに視線を送った。
「そうだが、君らは?」
「やっぱり。今の話し方聞いててそう思ったんだ。ほらな」
彼は得意げに振り返り、仲間に自分の洞察が当たっていたと誇る。
いったい何なのだろうか。
「ごめんね。あたしたちもリゴベッテに行くつもりなのよ」
訝し気な顔をしたアスカに謝罪交じりに説明をする女。
リゴベッテに向かうつもりでいて、たまたま食堂で目的地の出身らしい人間を見かけたから声をかけたのだと。
「なあ、リゴベッテってここより寒いって本当か?」
「どうかな、俺はズァムーノ大陸の真冬を知らないからわからんが、ユエフェンはもっと寒いらしい」
親切に答える必要があるのかとも思うが、こちらも聞きたいことがある。
「真夏の日差しなら聖堂都市はここまでじゃあない。あそこは雪も少ないんだが」
「へえ、聖堂都市サナヘレムスってリゴベッテの真ん中くらいにあるんだろ。行ってみたいなぁ」
「だから行くんでしょ。ミシュウったら」
彼らはすでにリゴベッテに行くことを決めていて、世間話がてらの情報集めに話しかけてきたのだ。
四人の雰囲気はかなり親しい雰囲気だ。古くからの友人であり、恋人でもあるのかもしれない。
「そうだけど……ネフィサ、どうしたんだよそんな顔して」
「……わざわざその女の子に話しかけたでしょう。可愛いから」
それまで黙っていた女の子が、ミシュウと呼ばれた最初に話しかけてきた男に刺すような視線を向ける。
フィフジャではなくアスカに声をかけてきたことに嫉妬しているのか。
さすがに幼いクックラに話しかけても仕方ないのだから、声をかけるのならフィフジャかアスカになるわけだが。
(可愛いってのも困りものよね)
ふうとアンニュイなため息をつく。フィフジャが呆れたような顔をしているが、気にしない。
「ところであなたたち、船の手配って出来てるの?」
彼らの興味に付き合うのが目的ではない。こちらの聞きたいことはそれだ。
リゴベッテに渡る手段はあるのか、と。
「もちろんよ。そのお金を用意するために、四人で何年も働いたんだから」
彼ら四人は農園の生まれだということだった。
それぞれ魔術の才能が多少あったらしく、農園の仕事よりも危険な仕事――魔獣を狩ったり、入りにくい山脈奥地の鉱物資源を採取などが出来る程度の腕があった。
農園を出て、もっと大きな都市に行きたいと。
そう思い立ち、四人でノエチェゼに来たのが五年前。それから色々な仕事をしながら渡航費用を貯めてきたのだという。
参考にならなさそうな話だった。
というか、至極真っ当な話だ。
「まあ、安く乗せてくれるってところを探したり、そこの仕事を手伝って信用を勝ち取ったりだな」
「偉そうに言ってるけどミシュウはそういう知恵は全然出してないからね」
ミシュウにちくりと言うのはネフィサと呼ばれていた女の子だ。
どちらにしろ、何年もかけてコツコツと重ねた結果だというのなら、今のアスカたちに即座に真似できることではない。
フィフジャの目にも落胆の色が見える。
運良く何かしら渡航の手段が見つからないかと思ったが、残念ながらハズレか。
「あなたたちは今回の出航で出ないの?」
「ちょっと兄とはぐれちゃって、そっちを見つけないとならないんだけど。ああ、銀色の魔獣を連れているはずなんだけど知らない?」
もののついでに訊いてみるが、返事は空振りだった。
それから少しだけ会話をして席を立った。
「またリゴベッテででも会えたらよろしくな」
そう言ってアスカに笑いかけるミシュウを、もう一人の男が軽く小突きながら去っていった。
※ ※ ※
店を出たところで、見知った顔に出くわす。
「おお、お前ら」
「今日は早いのね」
ちくりと嫌味は欠かさない。
昨日はずいぶんと待たされたのだから、少しは仕返しをしてやらないと割に合わない。
「そ、そりゃあなぁ。普通だぜ、普通」
「……?」
ふと、アスカは不審に思った。
「あれ、ボンル?」
「な、なんだよ」
「……なんでもない」
体臭が薄くなっている、と思ったのだ。
不愉快な臭いを感じない。
もしかして、私の鼻が慣れてしまってあの不快な臭いを嗅ぎ取れなくなってしまったのではないか、と。
そう思うと怖くて。
怖くて。
「うん? 風呂にでも入ったのか?」
そう思っていたらフィフジャがあっさりと訊ねてしまった。
ボンルはぼりぼりと頭を掻きながら、
「まあ、な。普通だぜ、普通」
「ふうん」
何か怪しいと思わないでもなかったが、とりあえずアスカの鼻が悪くなったわけではないようだ。
体臭が薄くなったので、もしかしてボンルそっくりの偽者かもしれないと思ったが、さすがにそれはないようだ。
「そ、それよりお前らよ。何やらかしやがったんだ?」
話題を変えるようにやや早口で問いかけてくるボンルに、アスカはすっと目を反らす。
子分の二人――ツウルウとウォロの姿がない。
近くにいるのかと見回してみるが、どうやらいない様子だった。
「何かあったのか?」
「今朝早くにキキーエ商店の奴が来て、お前らのことを色々知りたがるんでな」
「それで?」
「まあ俺様も、勝手にお前らの話をするわけにもいかねえからよ。かなり腕の立つ探検家で、リゴベッテに帰るって話くらいだ」
ぺらぺらとこちらの手の内を喋るほどバカではないという。
とはいえボンルにしてもこちらの内情を深く知らないので、聞かれても答えようがないはず。
ヤマトの得意武器が槍であるとか、アスカの得物が鉈であることは見ればわかる。
フィフジャの代償術だって、主に使う人間は珍しいとしてもそれだけのこと。切り札として隠しているカードではない。
知られて困るような内情は、急ぎでまとまった金がいるということくらい。
それを知られて足元を見られているのだから。
「昨日の今日でボンルの所に辿り着くものなのね」
「グレイが目立つからだろう。見たことのない魔獣を連れた余所者のことを聞けば、ボンルが同行していたのを見ていた人もいるわけで」
ボンルの方も目立つというか声の大きな人物なので、顔と名前はよく知られているのか。
目撃証言を少し集めれば簡単に行き着くのかもしれない。
情報が大事だと言っていたウュセ・キキーエなら当然のこと。
「キキーエとのいざこざは誰も好まねえ。御三家だってな」
「そうなの? 御三家の方が上なんでしょ?」
「財力ならキキーエもかなりのもんだ。金があるってのはつええぞ」
だったら気前良く払ってくれたっていいのに、と思わなくもないが。
出費を抑えるから、財産を作っていくことが出来るのかもしれない。
「ま、ちょっと交渉が難航してるだけよね、フィフ」
「そうだな」
「それだけか? 随分としつこかったからよ……ヤマトの坊主は?」
きょろきょろと見回すボンルに、アスカは軽く肩を竦める。
「別行動中よ」
「初めてくる町で……女か?」
「そんなわけないでしょう。そんなわけないよね、フィフ」
「あー、ああ……そう、だな」
ボンルの下卑た憶測を否定するアスカに、曖昧に応じるフィフジャ。
この状況で女性にお金を使うようなことをしていたとしたら、命知らずだと思うのだ。
(このアスカちゃんを本気で怒らせたいんだとしたら、大したもんよね)
初めて来る町で男が単独行動をするのが、どうして即風俗産業ということになるのだろうか。
「まあ、あの坊主ならそうじゃねえとは思うけどよ」
「ボンルが竜人の村じゃなくてこの町にいるのって、そういう目的?」
「い、いや、俺様はなぁ……その、まあ、ガキにゃあまだ早えって話だぜ」
少なくとも、通ってきた竜人の村には、性的なサービスを提供するようなお店はなかったように思う。
見てわからないだけで、実際には何かあったのかもしれないが。
限られた村の中では、性風俗に従事する人というのは難しい立場になるだろう。
大昔の地球では、神に仕える人という立場で、そうした仕事を与えられていた人がいたのだったか。
「……別に、ボンルが自分のお金を何に使ってもいいと思うけど」
「お、おう」
アスカの目にボンルの挙動が不審に映るが、別にどうでもいい話だ。
(お父さんは、お母さんだけを大切にしてたから)
家での二人を思い返して、少し穏やかな気持ちを取り戻す。
そんなアスカの心の平穏に、土足で余計な言い訳を募らせるボンルをどうしたらいいのか。
「まあ、男だったらな。当たり前の話なんだぜ。なあ?」
「俺に振るな。俺は興味ないから」
「嘘つけよ。興味ないわけねえって」
アスカの思い出を汚すようなことを言い合う二人に、指を突きつけた。
「黙らないと殺す。死ぬまで殺す」
「…………」
静かになった。
二人以外の周りを歩いていた人間も静かになったが、まあそれでいい。
(お父さんも、こんな町に来たら浮気とかしたのかな……)
それよりもきっと、お母さんを他の人に奪われないか心配したのではないかと思うが。
想像したら何だかおかしかった。
「ウォロとツウルウはどうしたの?」
「あ、ああ……朝からいねえんだ。どっか出かけたらしくてよ。いなくても別に困るわけじゃねえし」
四六時中一緒というわけでもないのか。一人でいるのは初めて見たので、体臭の変化もありボンルではないような気がする。
「にしても、なんだ? 兵士が朝からあちこち巡回なんて」
ボンルから見ても珍しいことらしい。
警備強化週間、とかそういうわけではない。
「盗人でも出たか?」
「そういうものなの?」
「御三家か七家のどっかに盗人でも入りゃあ、こんな警戒になるかもしんねぇ」
商売人が取り仕切る町だ。泥棒が出て捕まっていないとなれば騒ぎになって当然。
この町というかこの世界には、銀行というような仕組みはなさそうなので、財産は現金や高価な物として保管されているはず。
大きな商いをするような家には、相応の金庫や保管の蔵などがあるだろう。
「お、ちょうどいいぜ。なあおい」
アスカの思索をよそに、ボンルが通りかかった兵士に声を掛ける。
青服の兵士だ。ということは、チザサ家の兵士ということになる。
昨日の太浮顎襲撃の際に、大矢を無駄に打った兵士の仲間か。
「なんだ?」
「聞きてえのはこっちだぜ。何の騒ぎなんだ?」
「騒ぎってほどのことじゃあないが」
一人の兵士が足を止めて、ボンルとその後ろに立つフィフジャとアスカを見る。
二人一組やチームを組んでいないのは、そういう習慣がないからか。人手が足りないからなのか。
兵士は、アスカの姿を頭からつま先まで観察する。
なんだろう、可愛いからだろうか。それは仕方のないことだけれど。
「その娘は竜人……じゃあないな」
「ああ? 見りゃわかんだろ」
「一応確認しただけだ、お前が竜人だから。確か……ボンルだったな」
兵士がボンルを見て記憶を探り当てる。
「おお、よく知ってんな」
「ダナツさんから、お前が悪さしたら俺が殺すから捕まえとけって言われてるんだ」
「お、おぉ……」
声と一緒に肩幅も小さくなるボンル。
悪い方向で知られていた。
「それでなくても、お前は全竜武会で準優勝なんだろう? 一応、町の兵士としちゃあ名前と顔くらいは覚えておくさ」
悪いことばかりでもなかった。
だが、全竜武会の話はどうもボンルには誇りではないらしく、居心地悪そうに鼻を擦った。
それにしても、この兵士は優秀なのではないだろうか。職務に必要なこととはいえ、きちんと記憶と現実を照合できている。
「んで、何があったんだ? 町の巡回なんて普段はしてねえだろ」
そんな聞き方で答えてくれるのかとアスカは不安になる。
守秘義務とかそういうものがあったりするのではないかと。
「俺らも今朝聞いたところだが、商会の使用人が襲われたって話だ」
あっさりと答えてくれる。
法律など厳密に定まっていないし、情報を集める為にもこういうことがあったと他人に話しても咎められない。
本当に口止めされているようなことは言わないのだろうが。
「商会? まさかキキーエの……?」
ちら、とボンルの目がアスカに向けられる。
フィフジャも、やや眉を顰めながらアスカに視線を落とした。
(何なのかしらね、このマイナスの信頼感は)
自業自得だとは認めないが。
「キキーエ? 何だか知らんが違うぞ」
あからさまにほっとした表情を浮かべるフィフジャの脇を、拳で軽くつつく。
無鉄砲な暴力女だと思わないでほしいものだ。こんなに愛らしいのに。
「こんなに可愛い私がそんなことするわけないでしょ」
「どれだけ可愛いかは知らないが、か弱いわけではないことは知っているんだ」
物を知らない男だ。
きっとモテない。
一生モテないに違いない。そう思えば憤りよりも哀れみを覚える。
「見ていた奴の話だと、襲ったのが小柄な竜人の女らしくてな」
「それでアスカが竜人か確認したのか」
町で何か事件があり疑いを向けられたのだとすれば、フィフジャとすればきっとアスカならやりかねないと思っていたのだろう。
やましい気持ちがあるから、今まで口を閉ざしていたのだ。無関係だと気が軽くなったのか会話に加わった。
「竜人の言葉らしい名前を名乗って、この町の悪を裁くとか言っていたって話だ」
「へえ、偉いんじゃない?」
アスカの言葉に、兵士は曖昧な苦笑いを返した。
子供が短絡的に悪い人を懲らしめるのを偉いと言うのを、兵士としてなんと答えたものかと悩ましいところ。
「襲われた人も怪我をしているからね、それも良くないんだ」
「だけど、その人が悪いことをしていたんでしょ?」
「それは……まあ、そういう話もあるらしいんだけど」
「襲われたのは誰なんだ?」
兵士は一瞬だけ悩んだようだったが、ここまで話せば別にいいかと判断して頷く。
「ノムァヤ商会の使用人だ。昨晩遅くに、歓楽街から商会の宿舎に帰るところで襲撃されたと」
「歓楽街、ね」
アスカの声音は冷たい。
先ほどの話題にも出ていた性風俗に係わるお店も、その区画にある。
「な、なんで竜人だってわかったんだ?」
「だから竜人のような名前で……あと、文字を。普人族の文字を書けるかと聞かれたって」
「その襲われた奴が?」
「いや、通りがかった目撃者だ」
兵士は、順序立てて説明してくれた。
昨夜遅くに、歓楽街から帰るところだったノムァヤ商会の使用人の前に、真っ赤な装束に身を包んだ小柄な何者かが現れた。
名前を確認されて、酒が入っていた彼が素直にそうだと答えると、胃液を吐き出すほど強く殴られたのだと。
そして、地面に着いた手を踏み砕かれた。
痛みの余り意識を失った彼から襲撃者は金を奪い、何を思ったのかその金をそこらじゅうに投げ散らかしたのだと。四方に向かって、遠投するように。
襲われた男とは無関係に、その場に居合わせた別の個人商店の店主がそれを見ていた。
突然の事態に、商人は足をもつれさせて尻餅をついてしまっていたが。
襲った小柄な女は、商人に何事か言った。
酔っていたせいばかりではなく、人族の言葉ではなかったということで聞き取れなかったという。通じないと知ったからか、ややたどたどしい標準語で言い直した。
その小柄な女は名を名乗り、この男の不誠実な行動を咎めるという主旨のことを伝え、商人はこくこくと頷くしかなかった。
彼女は近くの壁の傍に倒した男を転がすと、商人に尋ねた。
──普人族の文字を書けるか?
商人は言われるがままに壁に木炭で文字を書き、彼女はそれに満足したようで去っていった。
服装は赤。
頭にも口元にも赤い布を巻き、目にも不思議な光沢の赤いガラスのようなものを装着していて、顔はわからなかったという話だ。
「なんて言ったの?」
アスカの質問に、兵士は困ったように首を振る。
「人族の――竜人の言う普人族の言葉じゃなくてわからなかったと」
「名前」
「うん?」
「名前、名乗ったんでしょ」
「ああ、名前ね。聞いたんだけど妙な名前で……すか、すかぁと、違うな……すかあらとれい。スカアラトレイ、って言ったか」
「そんな変な名前?」
不満げにアスカが口を尖らせる。何が不満なのかと言われたら困るが。
ボンルも顔をしかめていた。
「そんな名前、竜人でも聞いたことがねえな」
「聞き違いじゃない?」
「そんな感じの名前だったんだ。集合した時に一度聞いただけだったから、違ったような気もする」
「竜人族とは限らないんじゃないか?」
今の話だけでは状況証拠だけで竜人と決め付けているようで、フィフジャがそれを指摘する。
兵士も軽く頷いた。
「かもしれないが、見ていた商人の話が誇張でなければ、消えたと錯覚するほどの速度での一撃だったらしい。総合的に竜人の小柄な女だと判断している」
酔っ払いの話だけどな、と兵士は軽く笑った。
竜人的な言葉を使い、異常な身体能力で目的の人間を襲って、金銭はあちこちにばら撒いてしまう。
金銭に執着しなかったことも、竜人族ではないかと思われる要因になっているのだと補足で説明された。
竜人の村では、あまり金銭による取引が盛んではない。
襲われた者については、不当な金銭の詐取をした悪党だと、壁に大々的に書かれていたのだという。
何らかの事情で正義感に駆られた竜人の若者による犯行と見ての捜査。
「名前、なんていうの?」
「ごめん、ちゃんと覚えてないんだ」
アスカの再度の問いに、素直に謝る兵士。
「違う。あなたの名前」
「ん、ああ。俺はコトムだ」
「そう、コトム。ありがとう」
「お嬢ちゃんたちも、もし小柄な竜人の女を見つけたら教えて……いや、まずは気をつけてな」
コトムはそう言って去っていった。
去っていく彼を見送り、ボンルはぼりぼりと頭を掻く。
「小柄な竜人、ねえ」
彼とすれば、同族がそんな犯罪をしたことに複雑な思いがあるのだろうか。
「まあ俺たちには関係のない話だな」
とりあえず無関係ということで落ち着いて、フィフジャの声が軽い。
アスカはクックラの顔についていた食べかすをハンカチで拭いてから、フィフジャを見上げてにっこりと笑った。
「そうだね」
もちろん、嘘だけど。
※ ※ ※




