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世間知らず

 銀狼の帰巣本能は頼りになる。


 大森林で祖父健一や父日呼壱はそんなことをよく言っていた。

 実際にヤマトが大森林で迷子になったのは物心つく前の一回だけで、銀狼の帰巣本能を体感したことはなかったけれど。

(あの時はシャルルが迎えに来てくれたんだっけ? ドゥゼムの方だったかな。トロワはまだ生まれてないはずだ)

 その時は猫が連れ帰ってくれたのだと祖母は言っていたか。

 とにかく、グレイが迎えに来てくれて一安心だ。

 銀狼は迷う素振りもなく、日が沈んだけれどまだ赤い空の下、石畳の上を歩いている。


「…………」

 こんなに歩いたのだろうか? 走っていたからよく覚えていない。

 周りの町並みが見覚えがあるのかないのかわからないのは仕方ない。似たような建物で、時間帯が違うせいで判断がつくわけもない。

 喧嘩別れした商店の方に向かっているのではなく、宿の方に向かっているのか。

 だとすれば距離感も何も全然あてにならない。


「……グレイ?」

 前を歩くグレイに声を掛けてみる。

『クゥ……』

 振り返らず、小さく鼻を鳴らした。

 そして歩みが止まる。

「お前、もしかして……迷った?」

『ォン……』

 銀狼の背中が小さく見える。


 ここは大森林ではない。大都会……とまでは言わないが、多くの人が暮らす町だ。

 グレイの嗅覚でも、雑多な人が多く行き交う中で目的の相手を探すのは困難なのだろう。

「ああ、いい。ごめんな。お前のせいじゃないから」

 顔を上げないグレイを見ていると少しおかしくて、よしよしと撫でる。


 一人きりだと泣きたくなったかもしれないが、グレイがいてくれて心に余裕がある。

 どうしようもなくなったら、一度町を出てしまってもいいかもしれない。入り口から入りなおした方が自分の現在位置を把握しやすいか。

 グレイがいれば野宿になっても問題ないだろうし。

「とはいえ、本当にどうするかな」

 真夏の空は、太陽が落ちてもまだしばらく明るい。

 逢魔が時、とか言うのだったか。それは日が落ちる前のことだろうか。


(お化け……)


 ふと頭に浮かんだ言葉を、ふるふると頭を振って払う。

 別にヤマトはお化けが怖いとか思っているわけではないが、怖くないかと言うのであればまあ普通程度には。

 真夏の夜に一人きりとなれば、まあ怪談話の定番ということになるだろうが。

(一人じゃないし)

 今は頼りになる相棒がいる。

 その相棒は、今はぴんっと耳を立てて、どこか中空を一点に見据えているのだが。


「……?」

 そういえば猫も、時折何もいない空間をじいっと見つめることがあった。

 それはまるで、その方向に何か見えないものがいるかのようで……

「グレイ?」

『ウォン!』

 不意に駆け出すグレイ。

 慌ててヤマトもそれを追う。置いてきぼりはごめんだ。

 今の一声も、ヤマトに行くぞと号令をかける合図だった。一応は置いていかないつもりはあるのだろう。

 ただ、銀狼の駆け足はまともな人間より遥かに早いのだが。

 ヤマトにとっては、追いつかないまでも一緒に行けるスピードなので問題ない。


『ウォンッウォンッ』

 大通りを駆け抜け路地へと抜ける銀狼と少年を、ぶつかりそうになった人が慌てて避ける。

 避けて過ぎ去った後、今の魔獣なんなのと小さな騒ぎになっているのも聞こえるが、それは仕方ないか。

(もしかしてグレイ、誰か知り合いの匂いとか……ボンルさんとかを見つけたのかも)

 ボンルの体臭なら、多少離れていてもグレイなら気づくかもしれない。

 かなり臭かったから。

 などと失礼なことを考えているうちに、どうやら目的地に辿り着いたようだった。

『ウウゥゥ』

 低く構えて牙を剥くグレイ。

 その背後には、少女……というには少し年齢が高めの、だが女性というほどまでもない女の子がいた。


  ※   ※   ※ 


「なんなの?」

 ヤマトと同い年というくらいだろうか。彼女は自分の前で盾になろうとするグレイの姿に困惑の声を上げる。

 グレイは彼女を守るような立ち位置だ。

 彼女の周辺には、三人の男が倒れて呻いている。

 それはグレイの所業ではない。ヤマトも見ていたが、グレイがそこに辿り着く以前に既に倒れていたのだから。


「なんだ、面白そうなのも飼ってんじゃねえかよ」

 グレイが対峙する相手から発せられたのは、さも楽しそうな声音。

「ユェフェンの犬とかいう奴か?」

「知らないわ」

 グレイを挟んでの二人の会話。

 庇われている女性と相対しているのは、いかにも反社会的な雰囲気の数人の男だ。ゴロツキとかチンピラとかそういう。

 その連中に、彼女の連れていた男三人がやられたのだと見て間違いないだろう。

 倒れて呻いている男たちの手の甲には、青黒い色の丸が描かれている。

 刺青、なのだろうか。全員にあるからお揃いのようだ。こちらも決して柄が良いという雰囲気ではない。

 そんな二つのグループがどうして暴力沙汰になっているのか、というのが問題だが。


「僕の相棒だ」

 とりあえず、声を掛けてから進み出る。

 状況はわからないが、グレイが庇おうとしている女の子の方を庇うのが、正解?

(今日は色々間違えてるからな)

 何かするごとに裏目に出る。そんな日なのかもしれない。

(これは僕じゃなくてグレイが選んだことだから)

 とりあえず自分に言い訳して、腹を括る。


 この状況で女の子を助けないという選択が正解だとしたら、そんな世の中が間違っている。たぶん。

「どういう事情かわからないけど、女の子に対して褒められた扱いじゃなさそうだから」

「はん、助っ人気取りか。この町のもんじゃあねえな、坊主」

 長い髪をつんつんと立てさせた若い男が、グレイと並んで立ちはだかるヤマトを小馬鹿にするように鼻で笑った。

 その隣の赤い帽子の中年男がひひっと笑う。

 釣られたように他の連中も声を洩らした。

「なんだなんだ、格好いいじゃねえか若いの」

「余所モンが、誰を相手にしてんのかわかってねぇな」

「うーん、確かにそうなんだけどさ」

 否定できないし、する必要もない。

 事情を話してくれたら、案外とヤマトの早とちりなのかもしれないし。


 とりあえず、事情を把握しているだろう女の子の顔色を窺う。

「ええっと、君は困ってた?」

「困るというほどでもないけど、いつもいつもイヤになるとは思っているわね」

 うんざり、といった様子で溜め息混じりに言う彼女からは、それほどの危機感は見えない。

「もしかして僕、余計なお世話だったかな?」

「そうでもないかしらね。早く帰りたいし」

 何でもないことのように言う。絡まれて帰りが遅くなるのが疎ましいと。

 もしかして、独力で解決できたのだろうか?

「ええと、君は見かけによらず凄く強くて、この人たちを軽くやっつけられちゃったり?」

「はぁ?」

 心からの疑問の表情。

 次には呆れた顔と、やはり鬱陶しそうな様子に変わった。


「この状況でそんなわけないでしょう」

「がははは、面白いな小僧。なんだ、護衛じゃなくて新しく道化でも雇ったのか?」

 赤い帽子の男から大笑いしながら聞かれると、女の子は沈痛な面持ちで無言で頭を振った。

「道化って?」

「ぶぶ、お前本物かよ。なんなんだ、今日はずいぶんとおもしれえな」

 知らない言葉だったから聞いただけなのに、今度はつんつん頭にひどく笑われた。

 やはり今日は選択肢を間違える日らしい。


「あのねえ、あなた。私を助けたいのか恥を掻かせたいのか、どっちなのよ」

「悪気はないんだ。ただ、ええっと……世間知らず? なんで」

「っくぅ、わぁっはははっ、小僧面白すぎるだろお前」

 赤い帽子の中年男を筆頭に、爆笑だった。もしかして気のいい船乗りなのかもしれない。

 そういえばどこか見覚えがあるような気がしなくもない。


「おい、坊主……」

 倒れていた男だった。

 腹を押さえながら、膝を着いた姿勢でヤマトに何かを伝えようとする。

「油断するな。そいつらはギハァトの――」

「っ! 待てグレイ!」

 仕掛けた側からすれば、ちょっとした威嚇のつもりだったのかもしれない。

 会話に気を取られたヤマトを、隙ありと見ての仕掛け。


 踏み込みからの突き。

 鞘のついたままの剣で、ヤマトの脇腹を狙って突いてきたのは、つんつん頭の取り巻きの一人だった。

 数歩離れていた為にその最初の踏み込みの段階でグレイが反応し、それに対してヤマトが制止を掛けた。

(グレイだとやりすぎる)

 事情もわからないのに相手に大怪我をさせたりしたら不味いかもしれない。

 少なくもと倒されていた男たちも、呻いてはいたが目立った外傷はなかったのだから。殺し合いではない。

(ギハァト?)

 なんだっけ、と頭の片隅で考えながら、咄嗟にリュックサックを背中に抜き落とす。

 一瞬、宙に浮いた槍を手に、くるりと身を返しながら相手の突きを受け流し、懐に入った。

「んなっ!?」


 男の左顎先に右の掌底。


 それを寸止めにした状態で、つんつん頭と赤帽子に視線をやる。

(あのつんつん頭が中心って感じだったからな)

 取り巻きの雰囲気から、彼が集団の中心人物だと見えた。一番強いのかもしれないが、そういうものを見抜く能力はヤマトにはない。

 赤帽子の中年男は、つんつん頭の太鼓持ちのような役割かと見えた。

「やめようよ、こんなの意味がない」

「…………」

 軽く、とんっと顎を突いて、突っかかってきた男を相手側に押し戻す。

 ふらふらっとたたらを踏んで、男はつんつん頭に背中からぶつかった。

「本当におもしれえガキだな、てめぇ」

 ぶつかってきた男を軽く横に押し流して、つんつん頭は改めてヤマトを見る。

 にやにやしてはいるが、先ほどまでとは少し違う。

 値踏みするような、つま先から頭まで、ヤマトのスペックを測るように眺めた。


「やめろ、坊主。相手が悪い」

 先ほどヤマトに彼らの情報を伝えてくれた男が、腹をさすりながら立ち上がり、ヤマトの肩に手を置いた。

「ギハァトって?」

「ギハァト一家。ノエチェゼ最強を名乗る戦闘集団で、そいつはそこの三男、ゾマーク・ギハァトだ」

「おいおい間違ってんぞ、こら」

 つんつん頭、ゾマーク・ギハァトが手にしていた剣で男を指し示して訂正を促す。

 ちっちっち、と。

「ノエチェゼ最強じゃねえ。ズァムーノ最強だって決まってんだろうが。世間知らずかてめえも」


 見事な剣だ。やや幅広なので刀と言う印象ではないが、それでも今まで見てきた武器とは比べ物にならないほど良い造りをしている。

 武器で勝敗が決まるわけでもないが、やはりこれだけの剣を持っているのは相応に実力もあるのだろう。

 戦闘――荒事で生計を立てる程度の実力がある。

「そういえばそんな話を聞いたっけ」

 ギハァト一家は、ノエチェゼ最強だったか何だったか、そんな触れ込みで。

(ええっと何だっけ? どっかの偉い人に雇われてる、とか)

 そんな説明を聞いたはずだ。

 だが、この一日でいくつか多くの家柄の話を聞いたので、何がどうだったか覚えていない。

 関わり合いになることはないだろうと思っていたから、記憶しておく必要性を感じなかった。


「って、あの時港にいた人だ」

 先ほどちらりと見覚えがあるかと思った理由に辿り着く。

 このつんつん頭は、港で赤い兵士を殴っていた人だ。大矢を外した兵士に体罰を与えていた人と、その隣にいた赤帽子。

 あの場末のゴロツキみたいな二人だと。

 だとすれば、御三家の一つの赤い……プエムだったか、武闘派っぽい感じの家の所属だ。

(やっぱり敵に回すのはあまり良くなかったんじゃ……)

 どうにも、今日は裏目ばかりが出る日のように思う。


「それにしたって、どうして御三家の人がこんな女の子襲ってるのさ?」

「人聞きが悪いぜ、坊主。俺たちぁその情けない護衛どもに、そこのお嬢様を守る訓練をつけてやってるだけだ」

 物は言い様というのか、本気でこの街中で襲撃をしているわけではなく、親切にも最強のギハァトの看板で訓練をしてくれているのだと。

「別に護衛じゃないわ。一人だと面倒が多いから連れてるだけよ」

 そういうのを護衛と言うんじゃないだろうか。

 どうやらこのお嬢様も普通の家柄ではないようだ。最初からそんな風情ではあったけれど。

「もしかして君も、御三家の……チザサだとか、ヘロ? とかのお嬢様なの?」

「はあ……あなたが世間知らずなのは十分にわかったけど、そんなわけないでしょう。だったら兵士でも連れて歩くわよ」

 違った。

 そうだとすれば、プエムの家と険悪になっても差し引きゼロになるかと思ったのに。


 中々うまくいかないものだ。というかヤマトの引きが悪いのか。

「チザサやヘロの家の誰かに直接こんなことしたら、結構な問題になるし」

「そう、か。そうだよね」

 ノエチェゼの御三家と呼ばれるのだから、表立って争いごとを仕掛けて無事にすむはずはない。

 それが御三家同士であっても、意味もなく喧嘩を売るわけにもいかない。

 下手を打てば、自分たちの既得権益が損なわれるかもしれないのだから。


「坊主、お前かなりおもしれえな」

「そうかな?」

 つんつん頭……ゾマーク・ギハァトが何かに納得がいったように頷いた。

 しばらくヤマトと女の子のやり取りを黙って見ていただけなのに。

「抜けてるようで、俺が動いたら対応できるように常に備えてやがる」

「そりゃあまあ、死にたくないし」

「はっ!」

 ヤマトの返答に、まさに我が意を得たりといった風に短く笑う。


「それだよ、その根性だ。中々甘っちょろくねえところがおもしれえ」

 気に入っていただけたようで何よりだ。

 そういうわけで、プエムの家にうまく取り成してもらってお金とかもらえないだろうか。

 でも雇われたりして自由がなくなったら船に乗れない。

 やはり取り成してもらうのはいらないので、穏便にお引取りいただけないだろうか。


「今日のところはお前に免じてここまでにしといてやろう」

「そうだよね、そう簡単には……あれ?」

 穏便にお引取りいただけるようだ。

 坊主にも訓練だとか教育が必要だとかで襲ってくるのかと思っていたのに。

「そろそろ帰らねえとメシが冷めるからな」

 赤帽子がそんなことをぼそっと言う。

 なるほど、大事なことだ。


「その坊主に感謝するんだな、ラッサ」

「あんたに呼び捨てにされる覚えはないんだけど、まあ私もいい加減に帰りたいからそれでいいわ」

 面倒くさそうに言って、周囲でまだ倒れていた男どもを睥睨する。

 特に助けようとはしない。最初に立ち上がった男が、他の二人を介抱していた。

 本当に護衛だとかそういう意識ではなく、虫除けに連れていただけの関係のようだ。

「じゃあまたな、ラッサ」

「…………」



 赤帽子からの言葉に、彼女は否定も何もせずに口を噤んで立ち去る背中を見送っていた。

 否定したところで、この町で暮らす以上はまた絡まれるのが明らかだ。

 そういう物分りが良さそうなタイプの女の子には見えないのだが。

(アスカと同じと言うか、気が強そうだから)

 苦手だなぁ、とヤマトは思う。

 改めて見れば、身なりが良いこともあるが、顔立ちが整った平均以上の外見値のお嬢さまだ。

 アスカほどではないが、美少女と言ってもいいのではないだろうか。

(妹が基準とか、僕がイヤすぎる)

 今まで他に比べる相手がロクにいなかったのだから仕方ないが。

 実際に、アスカの見かけはこの世界の標準よりかなり整っている。これまで見た限りでは。


「さあ、行くわよ」


「……って、僕?」

「他に誰がいるのよ? ああ、この魔獣もいたわね」

 いや、あなたの連れもいるでしょう?

 と言いたかったヤマトだが、どうやら彼女の中では護衛(?)の三人は人数の勘定に入らないらしい。

 不憫な感じがするが、男たちは気にした様子もない。

 彼女を庇って痛い目に遭ったはずなのに、労いの言葉もないことを疑問にも思わないとは。

「銀狼のグレイ。僕の弟みたいなもんだ」

『ウゥ?』

 何か疑念の色を含んだ声だったが、気のせいだろう。グレイがいくら賢くても人間の言葉はわからないはず。

「そう、グレイね。いい名前……なんじゃないかしら」

 褒めるつもりがあるのかないのか、口にしてみてから変な名前、と思った様子。


「ええと、それで僕はヤマト。イダ・ヤマトって言うんだけど」

「そう。私はラッサ……ってさっき聞いてたわね」

「よろしく、ラッサ」

 下ろしていたリュックサックを拾って背負いながら挨拶を交わす。

「助けてもらったお礼に、今夜はうちに来るといいわ」

「何もしてないし、そもそも女の子の部屋になんか行けないよ」

「誰が私の部屋に来いなんて言ったのよ! バカじゃないの! バカなの?」

 断ろうと思っただけなのに、顔を赤くして怒られた。


 真っ赤に見えるのは夕焼けに照らされているせいだろうか。

 日が完全に消える直前の空は、本当に美しい茜色になるから。

「あいつが言ってたでしょ、感謝しろって。恩人をそのまま帰したらうちの名折れになるのよ」

「うーん、そうなのか? でも、帰らないと……帰れないんだけど、まあ……」

 帰り道がわからないし、どんな顔をして帰ればいいのかもわからないのだった。

 自分の状況を思い出して、ずーんと沈むヤマト。


 ラッサはふぅと息を吐いて、

「食事と寝床くらいは用意するわよ。どうやら計画性のない旅人のお坊ちゃんって感じなんだから」

「……そう、だね。その通りだね、うん」

 言われたことを頭の中で反芻して、反論の余地がないことにさらに落ち込む。


「一応、連れがいたんだけど……」

「あ、ごめんなさい。つらいことを聞いたわね」

 ヤマトの表情に何かを察したラッサから、しおらしい謝罪の言葉。

 何を謝られたのか咄嗟に理解できなかった。

(つらいこと……? 何で喧嘩別れしたことを知ってるんだろう?)

 そう考えて、自分の勘違いに気がつく。

 いや、ラッサの勘違いだ。

「違う違う。死んじゃったとかそういうんじゃなくて、ええっと……」

「紛らわしいわね。そんなつらそうな顔しといて」

「いやその……」

 苛立っている様子を隠そうともしないラッサは、やはりアスカと似ている気質だ。

 こういう相手には、素直に話した方がいい。面倒くさいから


「はぐれたって言うか……迷子になったっていうか」

「……はあ」

 ラッサは、わざとらしいほど深く溜め息を吐いてみせる。

 呆れた、と。

「別に確認するまでもないけど、あなたが迷子になったのよね」

「どうして確認の必要がないのかわからないけど、そういうことになるかな」

「本当に世間知らずのお坊ちゃんなのね。エズモズあたりの豪商の子かしら」

 違うけれど、詳しく話すわけにもいかないので黙っていることにする。

 そんな風に勝手に解釈してもらっておけばいいだろう。


「どこで落ち合うとか決めてなかったの?」

「泊まってた宿なら……ああ、もしかして案内してもらえたりする?」

「なんていう宿?」

「…………」

 知らなかった。

 というかあの宿、名前なんてあったんだろうか。

 沈黙するヤマトに、ラッサの目が細められる。

「……で、宿の主人の名前は?」

「ええっと……」

 あの宿の主人に名前なんてあったんだろうか。

 いや、あったに決まっているが聞いていない。フィフジャは聞いていたかもしれないが、ヤマトは覚えがない。

 フィフジャとアスカに頼りきりで、何も考えていなかった。


「ああ、下働きの人の名前だったら……確か、ダタカ? だったかな」

「ふざけてるの? もしかして私、バカにされてる?」

「真面目だってば」

 やれやれ、という擬音が耳に聞こえるくらいゆっくりと、噛み締めるように首を振られた。

「この町でずっと暮らしていればそれなりに名前と顔は頭に入るけど、下働きの名前なんて覚えてるわけないでしょう」

「普通そうだよね」

「お黙りなさい」

 ぴしゃり、と。

 切り捨てるように言い放ってから、彼女はそっとグレイの頭を撫でた。


 ――愚かな主人で大変ね。

 ――いつものことだから。


 なぜかそんな意思疎通が見られる。

「もういいわ。ギャーテ、ダタカとかいう下働きがいるような宿を知っている者がいないか聞いておいて」

「はあ、お嬢様。ただ俺らには宿に用事がないんで、期待しないで下さいや」

「仕方ないわ」

「ありがとう、ギャーテさん」

 とりあえず礼を言っておく。ギャーテは先ほどヤマトに注意を促した護衛の一人だ。

 礼を言われたギャーテは少し面食らったように瞬きして、小さく頷いた。

 居心地悪そうに頭を掻く左手の甲に、青黒い刺青の丸模様が見える。

 何か間違えたのだろうか。


「本当に、世間知らずなのね。危なっかしいから、連れが見つかるまでうちにいなさい」

「いや、でも……」

「そうした方がいい……です。坊主……ちゃん」

 ギャーテが変な言い方をする。

 先ほどまでとは違い距離のある感じだ。言い回しは明らかに間違っているが。

「じゃあ行くわよ、グレイ。っと……イダヤマト?」

「ヤマトでいい」

 グレイの名前はすんなり出てきたが、ヤマトの名前は抜けてしまったらしい。


「そう、ヤマト。私もラッサでいいわ。あなたも家名が先なのね」

 家名、という言葉は初めて耳にしたが、文脈から意味はわかった。

 まだこの世界の言葉は知らないものも多いが、会話の中でも一つずつ理解していける。

 言語習得には現地での会話が一番の手段だという話は、地球でもここでも変わらない。

「そうなんだ。僕の地元では標準的……らしいけど」

「そうなの? うちの出自と近いのかしら」

 そんなはずはないが。


 ノエチェゼは色々な地域から集まった人々が作った町だというから、文化的にも雑多なのだと聞いた。

「ええと、ラッサの家ってお金持ちなのかな?」

 どういう風に聞いたものかと思いながら、結局直球で尋ねてしまう。

 彼女は気を悪くしたようでもなく、まあねと軽く頷いた。

「お金が欲しいのかしら?」

「いや、そうじゃないんだけど」

「そう、そうでしょうね」

 嘘です欲しいんです。

 むしろ金に困ってここにいるんです。

(って言えないよな。この流れで)

 ラッサはヤマトをどこかのお金持ちのぼんぼんだと思っているので、お金に困っているのだとは思わないのだ。

 ヤマトもつい流れで受け答えてしまったが。


「世間知らずなヤマトは知らないでしょうけど、うちはノエチェゼではけっこう有名なのよ」

「へえ、そうなんだ」

 お金の云々の会話で失敗したかと思っていたヤマトは、ラッサの言葉を上っ面で受け流すような答えを返す。

 気のない返事。

 そんなことより僕はなぜさっきお金が欲しいと答えなかったんだ、僕のバカ。とか。


 上の空の雰囲気を感じたラッサは、むっとヤマトに厳しい視線を向けた。

「あ、いや、その……」

「ロファメト・ラッサーナよ」

 両手を腰に当て、やや屈んだ姿勢から上目遣いに睨むラッサは、ちょっと可愛かった。

「知らないかしら?」

 澄ました顔より、こういう挑戦的な仕草の方が魅力的だな、とか。

 ヤマトがそんな風に思って少し挙動不審に視線を泳がせたのを見て、ラッサは勝ち誇ったような笑顔を浮かべた。

「し、知ってる。うん、ロファメト……?」


 ──知っているのか、ヤマト!?


 頭の中に誰かのナレーションが響いた。

 ああ、聞いたことがある。


 ──奴隷商人のロファメトには近づかない方が。


「……ロファメト、さん?」

「ラッサでいいって言ったわ」

 確かに言われた。

 護衛だと思っていた皆さんも奴隷なのか。納得する。

 そりゃあ護衛じゃないとも言うし、倒れていても特に助けもしないでも不思議はない。


 どうしてこうなったのか。

 いや、大体全部自分の所業だとはわかっているが。

 動揺したヤマトの様子に、さも嬉しそうに腰に手を当てたまま笑うラッサの姿を、もうだいぶ暗くなった夕陽が照らす。

 何かヤマトのコメントを待っているようで、その姿勢から動かない。

 何と言ったものか。こういう時はどうすればいいのか。

 お宅の家の子とは遊んじゃいけませんって保護者から言われているんで――というわけにもいかない。

(ええと、クックラが髪を切った時にはちゃんと褒めろって怒られたっけ)

 保護者の言葉の中で役に立ちそうなのはこれくらいか。


「……笑っている方が可愛いと思うよ、ラッサ」


 もうこうなれば破れかぶれだ。

 どうせ今日は裏目を引く日なのだから。


  ※   ※   ※ 


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