労働の対価
何か当てがあるわけではない。
逃げ出しただけだ。
居辛かったから逃げて、後のことはそれから考えようと。
「バカだな、僕は」
怒られて当然だ。怒らせて当然だ。
どこをどういう風に走ったのかもわからないが、見知らぬ場所に出てそのまま何となく歩き続ける。
立ち止まると振り返ってしまいたくなりそうで。
「お金、か」
そういえば無一文だ。飛び出してしまったものの、自分で宿に泊まることさえ出来ない。
まあ野宿と変わらないとすれば大した問題でもないが、そういえば食料もリュックサックに何か入ってるだけだ。
「お金、だよな」
必要なものはお金だ。
寝泊りするにも食事をするにも、船に乗るにもお金が必要だ。
わかりきったことだが、今までの人生でお金を必要としたことがなかったから。
──いいか、ヤマト。家族以外に大事なものが三つある。お米と、お金と、楽しむ心だ。
父の言葉を思い出す。曾祖父からの教えだったとか。
食べ物と、お金と、人生を楽しむことを失くしたらいけないと。
そういえば父はいつも楽しそうだった。そんな父と一緒にいた母も楽しそうだった。
黒鬼虎との戦いで腕を折られてしばらく痛そうにしていた時も、名誉の負傷だと言っていた。
その黒鬼虎の肉を食べて、まずいなーとか笑って……
「父さん、母さん。ごめんなさい」
失敗したことではない。
その失敗した自分に耐え切れなくて、妹を置き去りにしてきてしまった。
多分これは怒られて仕方ないことだ。怒らせてしまうことだ。
いや、悲しませてしまうだろうか。
「何やってんだか、僕は」
今更、どんな顔をして戻ればいいのか。
それでも戻るのが正しい判断だとはわかる。いつの間にか歩みは止まっていた。
「…………」
合わせる顔がないという気持ちはこういうものだろう。
何とかするなんて吐き捨ててきたという体裁の悪さもある。
だが、今日は散々間違えた。
もっとひどい間違いをしてしまったのだ。これ以上、間違いを重ねる方が愚かしい。
アスカに罵声を浴びせられても、仕方ないことなのだと受け入れる気持ちで。
「……ここ、どこだろう?」
改めて夕焼けに照らされた町並みを見渡す。
見覚えのない通りだ。どれだけ走ったのか、何度曲がったのかも覚えていない。
いや、どこも似たような建物で、見覚えがあるのかどうかさえわからない。
「どうしよう」
自分のバカさ加減に下限がない。際限がない愚かしさだ。
町行く人々は、立ち尽くすヤマトをちらりと見て、家路へと早足に歩いていく。
家路。
そういえば、こんな風に一人きりになったのは初めてだ。
幼い頃に森で迷子になったのだと祖母が言っていたが、そんなことは記憶にない。
「…………」
不安な気持ちを押し隠して、ぎゅっと石槍を握り締める。使い慣れた確かな感触だけが頼りだ。
泣きそうになる動揺を堪えて、恐る恐る来た道を振り返る。
「…………」
――これからどうする?
そう問いかけるように小首をかしげるグレイの姿があった。
だから思わず、ヤマトの目から涙が溢れてしまったのは仕方のないことだろう。
※ ※ ※
どういう経緯を辿ったのかは覚えていない。
気がつくと宿の部屋に戻っていて、ベッドにつっぷしているアスカをクックラがやや離れて見守っている状況だった。
「少しは落ち着いたか?」
フィフジャの声が後ろから聞こえる。
「……うん」
つっぷしたまま振り向かずに答えた。
固いベッドの布から古臭い匂いがする。
「あのままアスカまで迷子になられたら困ったからな」
ヤマトが走り去ってからしばらくは、興奮した頭が何も考えさせてくれなかった。
しばらく経ってからふと、このままヤマトがいなくなってしまうと不安がよぎって、探しに行くと急に走り出そうとしたアスカをフィフジャが拘束した。
かなり抵抗したようにも思うが、結局振りほどけなかった。
「グレイが追いかけてくれたから、多分ヤマトは大丈夫だ」
「……うん」
「酔っていたんだ。二人とも、な」
そう言われて、改めて先刻のやりとりを思い返す。
確かに、冷静さを失っていた。
それはヤマトも同じだ。こんな状況で後先考えずに飛び出してしまうなんて。
(私を、置いて行っちゃうなんて……)
普段なら有り得ないことだ。特別に仲の良い兄妹だという自負があるわけではないが、ヤマトはあれでアスカの保護者のつもりなのだから。
父母に代わって、アスカを庇護しなければと思っている節がある。
言い過ぎたと思った。口から出た言葉は本心で、取り消すことは出来ないけれど。
「お酒のせい?」
「あの男の常套手段だったんだろう。酒を振舞って判断力を低下させる、ってな。部屋が暑いのも飲ませるのに都合がいいってことかもしれない」
そういう算段もあっての酒の振る舞い。
安酒ではないというのも、相手に飲みたいと思わせるため。
酒に強い弱いは程度があるだろうが、アルコールが入れば大抵の人は饒舌になる。商売には情報が大事だと言っていた。
より有利な取引をする為の経費を使う。結果として後で回収できればよし、と。
無駄な経費になるかもしれないが、それも踏まえての商売人だ。
「ウュセ・キキーエ」
「思ったより狡猾な男だな。商売人としてやり手だと聞いていたはずだったが、油断していた。すまない」
相手は商売を生業としている男で、この町でも有数の実力者なのに。
なのにアスカは、相手を見下していた気持ちがあった。
所詮は文明レベルの低い世界での話だと。
少なくとも商取引において、ウュセはアスカなどより遥かに多くの場数を踏み、多くの利益を上げてきたというのに。
それに対して、ヤマトやアスカは未熟な十代前半の子供で、世の中のことをほとんど知らない。
「フィフのせいじゃない」
「いや、俺の油断だ」
全員の気が緩んでいた。
魔獣や妖魔を相手にするわけではない、命の危険はないと思って。
失敗した。
彼にとって今の時点で何の得にもなってはいないが、少なくともこちらの思惑は外された。
言い値で黒鬼虎の毛皮を売るか、他の手段を取るか。
ウュセとすれば、最悪でも他の商売敵が利を得なければよしというところなのかもしれない。
諦めて安く手放すか、今年は渡航を見合わせてエズモズとやらに行くか。
あの男にとってはどちらでもいいが、アスカ達にとってそれは障害だ。
「もう大丈夫。落ち着いた」
ぐっと体に力を入れなおして立ち上がる。
泣いてなどいられない。
「そうか」
「このまま負けてられないもの」
「いやまあ、ああ……元気になるならいいが」
振り返り、フィフジャの顔を見上げる。
赤く三本線が頬に刻まれた彼の顔を。
頬にぴいっと入った三本の線。
「……って、フィフってば何その顔おっかしいぃひぃぃネコみたいぃ」
「お前のせいだお前の!」
けたけた笑うアスカに怒るフィフジャだったが、安心した様子でもあった。
アスカを拘束した際に暴れられて頬を引っかかれていた傷跡。
「ん、おかしい」
「クックラまで……ああそうだろうよ。っとに」
アスカが笑うことでクックラも気持ちが楽になったようで、フィフジャの顔を指差して頷いていた。
「もういい。俺は何か食い物を買ってくる。ヤマトが戻ってくるかもしれないから」
「わかってる。考え無しにどこかに行ったりしない」
「そうしてくれ」
宿の代金は昨日と同じだけ払った。同じ部屋に泊まっておきたかったので。
ヤマトがここに辿り着いた時に、違う部屋だとわからないかもしれないから。人数が減ったのに宿泊費が同じなのは損をしているようにも思うけれど。
フィフジャが買い物に出るのを見送り、そのまま宿の周辺を歩く。もしかしたら近くまでヤマトが帰ってくるかもしれないから。
この辺りは町の外周側に近いようで、港の方に比べるとやや貧しい人たちが多いようだ。
海岸線に近づくにつれて建物も住んでいる人間も豊かな傾向。中心街とでも言うのか。
ただ、本当に海岸に近い区画は倉庫や海産物の加工場などになっていて、居住区画ではなさそうだ。
今日アスカたちがみた港は西港というらしい。西港が一番大きく、他に中央港、東港もあるのだと言っていた。
沈みかけた夕陽の中で、数人の男女が話しているのを見かける。
路地裏の少し開けた所だった。
「…………」
立ち止まって見てしまったのは、お金を渡していたからだ。
一人だけきちんとした服――といっても高級なものではないが――を着た男が、ぼろきれより少しマシといった服を着た男女四人に金を手渡していた。
数十枚の鉄貨を、代表らしい男が両手で受け止める。
貨幣が入っていた袋を逆さにして、中身を全てその手の中に落とした。
「じゃあな、明日からはどうする?」
「ありがとうございやす、シワロさん。まだ仕事があるならやらせてくだせえ」
「船が出るまでは忙しいからな。ムグーテさんにゃ言っとくから、まあ来てみてくれや」
どうやら給料の支払いを終えたらしい男は、後ろ手を振って去っていった。
残された四人、男三人と女一人はその背中にしばらく頭を下げていた。
「ん?」
アスカの裾をクックラが引っ張る。
少し待ってと目で伝えると、小さく頷いた。
「…………」
彼らは何か労働をして、その賃金をもらったのだろう。
働いた対価として金銭を得るのがサラリーマンだとか。
父はそんなようなことを言っていたが、実際に目にするのは初めてだ。
彼らはその場で座り込み、もらった金を地面に置いて囲む。ここで分配するらしい。
(私も、何か働いたらお金を稼げるかな?)
どの程度の労働で、どのくらいのお金になるのだろうか。
彼らの前に置かれたのは鉄貨と大鉄貨ばかりだが、それでも両手で山になる程度の量がある。
一つ一つは小さいとはいえ、あの量の金属なら重さもかなりあるだろう。だからここで分配してしまうのか。
「おい、取り過ぎじゃねえか」
「そうかぁ? こんなもんだろう」
「あんた前もそうやって多く持ってったんじゃないか」
と、見ている間に諍いが勃発していた。
言われた方はぽりぽりと頬を掻いている。何か悪意があったような雰囲気ではない。
「って、目分量で分けるの?」
「なんだぁ嬢ちゃん」
思わず声を上げてしまったアスカに、四人が振り返る。
金の置いてある場所を体で隠そうとしているのは警戒させてしまったからか。
「ああ、ごめんなさい。盗んだりしないけど驚いちゃって」
中年から初老の男女四人は、声をかけてきたのがアスカとクックラという年少の女の子二人ということで、戸惑いながらも少し安心したようだった。
アスカは、自分が驚いたのも仕方がないと思う。
彼らは積み上げた貨幣を、ざっくりと、目分量で取り分けようとしていた。
棒倒しとか将棋崩しといった風に、山からざっと四分の一くらいを取ろうというだけの。
かなり乱暴な配分の仕方だ。だが別に暴力的にそうしているのではなく、ただ公平な配分をする手段を考えていないだけのように見えた。
「ちゃんと計算して分けたらいいんじゃない?」
「っても大鉄貨もあるからなぁ。嬢ちゃんは商家の子かね」
大鉄貨は鉄貨4枚分なのだったか。それが混ざっていて、計算が面倒くさいと。
簡単な掛け算割り算だし、別に足し算引き算でも出来る問題だが。
(違うか。計算するっていう習慣がないんだ)
見たところかなり貧しい部類の人たちに見える。教育などという言葉とは無縁だろう。
計算して当たり前だと思うアスカのような日本的な感覚とは違い、そんな面倒はしないのが彼らにとって普通の意識。
四人とも今の分け方に疑問はないようで、顔を見合わせていた。
いつもこれでだいたい均等になっている、と。
「別にちゃんと計算しなくっても出来るでしょ。ええと、盗まないからちょっといい?」
アスカが間に割り込んでいくと、彼らは戸惑いながらも場所を空けてくれた。
「まず、大鉄貨と鉄貨と分けるね」
山に戻した貨幣を、大きさが違う二つを分ける。
大鉄貨は27枚あった。
「27? なんで割り切れないのかわかんないけど、ええと、大鉄貨は鉄貨4枚分でよかったよね?」
「そうだぁ」
「じゃあ、まずこれを一枚ずつ」
四人の前に、左から一枚ずつ置いていく。
27枚を配り終えると、最後の一人分だけが足りない。
「一枚足りないから、代わりに鉄貨を4枚ね」
「なら一緒だねぇ」
中年から初老に差し掛かる女性が頷く。
「で、同じように今度は鉄貨を」
左から一枚ずつ、
「いち、に、さん、よん。いち、に、さん、よん……」
数えながら置いていく。このようにすれば誰にでも出来るだろうと。
山が少しずつ減っていくのを、四人はほうほうと声を上げて頷いて見ていた。
「……って、あれ? 二枚残った?」
同じように仕事をしたのなら割り切れるはずが、余る。
「あれ? 一日いくらもらうってそれぞれ違ったりするの?」
「いんやぁ。荷物の量にもよるけんども、一日だいたい鉄貨5枚って話だ」
「かなりアバウトなのね」
「そんでも、1旬働くと最後の一日は休みにしてくれんのはムグーテさんのとこだけだって」
「ムグーテ?」
「知らんのんか? 七家のムグーテ・ノムァヤさんを」
また七家か。
大きいとはいえ限られた町の中なのだから、大手の商売人が手広くやっていたらあちこちで名前を聞いて当然なのかもしれない。
(1旬……9日働いたら1日お休み、か。他の所は休みなしで働かせるのかな?)
労働者に定期的な休日という概念がないのかもしれない。
だとすれば、ムグーテ・ノムァヤとやらは画期的な仕組みを取り入れていることになるが。
(大森林で生活してる時は休みなんて考えたことなかったけど。まあお父さんとかは、毎日が遊びみたいだって言ってたけど)
雨が降ったらお休み、という感じで生活していたので、休日という概念はアスカにも希薄だ。
農園の人たちなどもそうだろう。家畜などは雨が降ろうが何だろうが休まず世話をしなければならないのだし。
「ええと、一日鉄貨5枚で9日間働いて、45クルトのはずね」
並べられた鉄貨を見てみる。
「…………」
足りない。
そもそも45クルトって、食事が鉄貨3枚程度だったから、一日ニ食するだけでも10日間には不足する。
(この人たちは多分、ああいう外食はほとんどしないだろうけど)
生活費として不足するという意味もあるが、そうではなくて。
「37クルト……と、余り2」
渡された金銭が、約束と違う。
「もう一度聞くけど、一人あたりが、、一日5クルトで、九日間働いたのよね?」
「そうだけんども、絶対に一日5クルトだってシワロさんも言っとらんだったから」
初老の男がぼそぼそと自信なさそうに答える。
荷物の量にもよる、という話だが、外部の人間を雇って荷運びをさせているのだから、決して暇なはずはない。
仮に荷物が少なかったとして、給料が安い日があったとしても。それでも。
(割り切れないのはおかしいのよ)
余りが出るはずはない。同じ条件で同じ日数を働かせた賃金なのだとしたら、四等分できなければいけない。
高度な計算が必要な問題ではない。日本で言うなら小学生レベルの話だ。
「わかった、この二枚は話し合って分けて」
彼らは事態を荒立てたくない様子だ。
そこには色々と事情や思惑もあるだろう。この町で七家の人間と対立したくないという気持ちがあるのは今なら理解できる。
「ああ、あんがとよ。嬢ちゃん」
「で、その七家の……ムグーテ・ノムァヤさん? の場所を教えてほしいんだけど」
不審そうにアスカを見る四人。
アスカはにっこりと、自分の可愛らしさを存分に発揮した笑顔を向けてみた。
「私も、働かせてもらえないか聞いてみたいの」
※ ※ ※




