追剥と光る靴
翌朝には、アスカはツンデレのことなどすっかり忘れて気持ちの良い目覚めを迎えていた。
また川沿いを北に向かう。
これまでと違い遠くまで見渡せるし、足元の地面も固い。明らかに進行速度は速くなった。
川沿いを進むのは、他に道がないための目印として、または水源として。あとは、集落があるのも水辺から遠くないだろうという判断。
一日半を進むと、荒地のエリアから草原地帯に変わっていった。
草原といっても、夏の草は伸びが速く、膝から太腿あたりまでの草むらを掻き分けて進む。
たまにぬかるみのような所に靴を突っ込んだり、少し小高くなった辺りに生えている木の木陰で休憩をしたりして、それは三日目の昼間だった。
『ウウォンッ!』
森を出てから初めて、グレイが何かの警戒の声を上げた。
木陰で休憩していた一行に緊張が走る。
見れば、北側から草むらを進んでくる何かがいた。
「……人?」
「竜人だ」
フィフジャが指を指す。
耳の上が特徴的に赤い。それが竜人を示している。
それ以外は人間と大きく違うところはない。
若い、おそらくは二十歳前後の男性。背丈はフィフジャより少し高く、引き締まった肉体に、大きな弓と何かの骨で作った槍を背負っていた。
(筋肉)
引き締まった筋肉、とアスカが思ったのは仕方がない。
彼が着ている服は、おそらく夏場だからなのだろうが、前ボタンがないチョッキのような形で腹筋や肩が丸出しだったのだから。
膝あたりまでの草が生い茂る中を進む細身だが筋肉質な竜人。
フィフジャたちが休憩していた小高い木陰の傍まで、まるでためらわずに歩いてきた。
警戒している三人と1匹に、少し距離を置いたところで止まる。10歩程度の距離。
一足で戦闘というほどの距離ではないが、振り切れるほど遠くもない。
茶色っぽい長ズボンに、チョッキのような上着。弓や槍を背負った肉体美。
槍の穂先にはギラリと光る銀色の輝きが。
小さな三日月のような形をしていて、槍というよりは戟と言った方が正しいのだろうか。突くことも出来るが斬ることも出来ると。
柄は漆のような黒塗りの木だが、それを覆うように両側に金属の縁どりがされている。普通の木だけなら折れてしまうかもしれないので補強を兼ねているのかもしれない。
他と比べることが出来ないが、それなりに上等な槍――戟に見えた。
肌は、日に焼けた日本人というところだろう。顔立ちはやや鋭い印象だが、それは目の上に書かれた化粧のせいかもしれない。
(案外と目は垂れ目っぽいかな)
垂れ目を誤魔化すために瞼に赤黒い化粧をしている、というわけではないとは思うが。
赤茶色の髪に、腰にくくりつけた荷物袋。
そんな姿の男が、アスカたちを眉を寄せながら一行を観察していた。
「マー、ドゥトリウハ」
彼が何かを言ったが、アスカにはわからない。
ヤマトも理解できないという顔だ。フィフジャを見るが、彼も知らない言葉のようで首を横に振る。
竜人の若者は、それを見てうーと息を吐いた。
それに対してグレイが低く唸り声を上げる。
「なんだ?」
とりあえずのフィフジャの問いかけだが、言葉が通じるかはわからない。
通じたのかどうかは不明だが、すっと片手を上げて人差し指を突き出す。
竜人の若者はヤマトの背中のバッグを指差して言った。ドラゴンの絵の描かれたリュックだ。
「マ、デニエセミリウワ、ケヘイッコ」
――お前たちの荷物を置いていけ。
そう言っているようだった。
追剥、か。
ヤマトとフィフジャは顔を見合わせ、頷いた。
それから男に対して頷いてみせて歩み寄る。
「わかった、お前の言うとおりに」
フィフジャが喋りかけながら歩み出し、次の瞬間――
「するかよ!」
瞬間的な踏み込みからのショートアッパー気味の掌底。
かなりのスピードのそれを、竜人の追剥は後ろに身を逸らして躱す。
「セイ――」
「このっ!」
ヤマトが槍の柄で殴りつける。さすがに人間相手にいきなり突き刺す選択はなかった。
追剥は身を捻りながら背負った戟の柄でそれを受け止め、正面側のフィフジャを蹴りながら立ち位置を入れ替える。
かなりの身のこなしだ。フィフジャもヤマトも殺意まではなくとも昏倒させるくらいのつもりで仕掛けたのに、二人を同時に相手に無傷。
少し甘く見ていたかもしれない。
「ヤマト、気をつけろ。竜人は身体強化の魔術が得意だ」
「うん」
気を引き締め直して槍を構えるヤマト。
殴りかかる前に、リュックサックはするりと背中に落としている。手に持っていた他の荷物も。
フィフジャは無手のままだが、竜人はそれを無力とは見ていなかった。
当然だ。この世界には魔術があるのだから、武器を持っていないと見えても牙はある。
竜人も、どさりと自分の荷物を手放して、戟を構える。
「セイム、マーレレンタノッカ」
構えつつも、左手の手のひらをヤマトたちに向けて何かを言った。
――やめておけ、ケガをするだけだ。
とでも。
おそらく追剥竜人とすれば、フィフジャとヤマトを脅威と見做し、アスカは非力な少女と判断したのだろう。
さきほどフィフジャがヤマトに声をかけたのも、注意を引き付けるためでもある。
アスカは、見た目にはただの女の子だ。
フィフジャとヤマトと対峙する一方で、アスカの存在は無視する。
この中で最も冷徹な判断を下せるかもしれないアスカに背中を見せた。
グレイは……なぜだか、戦闘態勢にはなっていない。
この銀狼は人を襲うことがなかった。
竜人も、銀狼の目から見たら人間にしか見えない。
攻撃していいのかどうかわからないのだろう。どうしたものかとアスカの顔を窺うが、突っ込んでいってあの戟の餌食になったらと思うとアスカに指示は出せない。
少なくとも、フィフジャとヤマトの攻撃をいなす程度の腕はあるのだ。油断は出来ない。
戟を持ってヤマトたちに向かって構える竜人。
「……」
竜人にしてみても、フィフジャとヤマトの戦闘力は脅威だったのか。
沈黙。少しの対峙の後、口を開く。
「マ、――」
話しかけようとするそのタイミング。
黄色いヘルメットは、内側は衝撃を和らげるように出来ているが、外側は固い。当たり前のことだが。
この場で最も危険な生き物に晒された無防備な後頭部を、容赦のない勢いでアスカのヘルメットが打ち据えた。それはもう容赦のない一撃だ。ヘルメットの内側の紐を握り、ボクサーのグローブのように嵌めたアスカの右一閃。
「ぶぉっ⁉」
衝撃で前につんのめりそうになりつつ、戟の柄で体を支える追剥竜人。
後頭部は竜人でも弱点だったのだろう。まあ頭部が弱点でない生き物は少なくともアスカは見たことがないのだが。
彼はふらふらと体を揺らしながらアスカの方を向き直った。
いや、向き直ったというには足元が覚束ない。
目が泳いでいる。頭を殴られて、目が廻っているのだろう。
だが、まだ意識はある。
ボディには、鍛えられた筋肉の壁も見える。
「ふっ!」
その竜人の股間に、アスカの靴がめり込んだ。
「――!」
光る靴。
比喩ではなく、アスカの靴は母親から譲り受けた地球の製品で、衝撃で光る。
「「ぉふ……」」
呻いたのはフィフジャとヤマトだ。哀れな被害者の声は聞こえない。
へなり、と膝から力が抜けて軟体動物のように崩れ落ちる竜人。
頭を打たれたもののかろうじて保っていた意識。それをさらなる苦痛で断ち切った。
右手にヘルメットを持ったアスカが、その竜人の倒れ方に軽く舌を出して見せる。
「やりすぎちゃったかな」
「…………」
このぺろり顔は可愛くなかっただろうか。
ヤマトとフィフジャは、かなり苦い顔を合わせるのだった。
※ ※ ※
「他にも仲間がいるかもしれない」
というわけで、追剥竜人は木に結び付けてアスカたちはこの場を離れることにした。
縄は竜人が持っていたので、それで木にくくりつける。
アスカもロープを持ってはいるが、こんな奴の為に残していくつもりはない。縄がなかっただどうしただろうか。念の為仕留める、ということはなかったと思うが。
彼は縄を持っていて幸いだった。
このまま死んで干からびたりしたらイヤなので、食料や水はそのまま近くに残しておいた。足ででも掴めばなんとか飲めるのではないだろうか。
目が覚めて、四苦八苦すればいずれ縄も解けるだろう。簡単に解けたら困るのである程度はしっかりと結んでおくが。
立派な戟は……まあやめておこう。
これを奪っていったら今度はこちらが追剥みたいだ。
そもそも荷物になる。持ってみたら結構重かった。
「こんな場所に来るんだから、竜人の中でも腕に自信はあったんだろうけど」
フィフジャの言い分だが、確かに身のこなしは悪くなかった。
不意打ち気味のフィフジャとヤマトの連続攻撃に対応していたのだから、弱いとは思えない。
いや、かなり強いのではないか。
二人に加えてグレイにまで注意を払っていた。襲い掛かってきたら対応できる様子で。
腕に自信があるけれど集落でははみ出し者。
だから腕自慢か狩りの為なのか、大森林に向かっていて、途中で見かけた人間から荷物を強奪しようとしたのか。
ヤマトのリュックサックはドラゴンの絵が描かれたものだから、竜人が欲しくなったとしても不思議はない。彼らは竜を信仰しているという話だし。
「…………」
早く行こう、というアスカを無視して、ヤマトは木に縛り付けた竜人の追剥に両手を合わせていた。
妹の所業の残酷さを詫びている。人として。
男として。
懺悔の後、歩み始める一行。
フィフジャが歩く位置はいつもより一歩遠い。アスカとの距離が。
待たされて不満そうなアスカの気配を察して、さらに一歩遠のく。
「仕方なかったじゃない、ねえ」
『クゥ』
同意を求められたグレイは、少し困ったように曖昧に鳴くのだった。
※ ※ ※
森での行程を思えば、圧倒的に楽な進行になっていた。
視界がよく、障害物や険しい地形を先に発見して、それを回避しながら進むことができる。
森では、進んでみたらかなりの高低差に迂回したり、ロープを掛けて登ったりすることもあった。
視界が広いというのはとても助かる。
また、凶悪な獣が少ない。
草むらの中には山狸がいたり小さな鳥が巣を作っていたりとしているが、これらは凶暴ではない。
一部、狐のような生き物が小さな群れで狩りをしていたが、その程度だ。
廻躯鳥が群がっている場所には動物の死骸が転がっていた。死肉を食らうのも廻躯鳥の役割なのか。
森で見た廻躯鳥より小さい個体が多い。餌が少ないせいなのかもしれない。少し違う種類という可能性もある。
枝などで擦り傷を作る心配がないので、ヤマトもアスカも上はシャツだけになった。
防具も必要なさそうだったので、ヘルメットごと荷物にくくりつけて、頭には日差しを避けるための帽子だけにしている。
ヤマトは祖父の幼い頃の野球帽。アスカは母親が使っていた水色の帽子だ。
フィフジャは頭にタオルを巻いている。森の中では日差しはそれほど気にならなかったが、平野では夏の日差しが強い。
「そういえばヤマト、何歳なんだ?」
歩きながら、ふとフィフジャが訊ねた。
「ええと、いち、よん……14。もうすぐ、秋に15」
「そうなのか」
フィフジャが意外そうな顔をした。アスカが見る限り、フィフジャの感覚ではもっと年齢を下だと思っていたのだろう。
それからフィフジャはアスカを見て、何となく得心した顔をした。
「なぁに?」
「ああ、いや……アスカは?」
「12」
だよな、と答えて勝手に納得するフィフジャ。
アスカのような大人びた――こまっしゃくれた――妹がいるのだから、ヤマトの年齢はそんなものかと納得したのではないか、
(絶対、私に無礼なことを考えたんだよね。きっと)
フィフジャの心理を読み解くアスカの視線は厳しい。
「フィフは?」
「俺は22歳だよ」
アスカの追求より先にヤマトからの質問があり、フィフジャが即座に答える。
「どうして急に?」
「ああ、いや……ほら」
なぜそんなことを今になって聞いたのかと聞かれて、フィフジャは立ち止まる。
そして、ヤマトと向き合った。
「背が伸びたなって」
ヤマトの頭に手を当てて。自分の口元あたりに水平に動かす。
初めて会った時は、顎の下くらいまでの背丈だったヤマトが、数十日の間に唇くらいまでに大きくなっている。
歩きながらそれに気がついたからそんな話題になったのだと。
「15になったら準成人だな」
「じゅんせいじんって?」
「大体どこの地域でも、10歳までは子供、14歳までは半人前。15になったら大人の見習い。16からは大人として扱われるんだよ」
また歩き始めて、そんなことを説明してくれた。
仕事の手伝いから独り立ちまでの慣習。
暦の数え方。夏の二旬の翌日が夏至、その後70日までが夏として数えられる。
春九旬。90日。地球の暦でいえばおよそ3月頭から5月の末まで。
夏九旬。二旬目と三旬目の間に夏至の日を挟んで91日。6月頭から8月の末くらいまで
秋九旬。90日。9月から11月の末まで。
冬九旬。二旬目と三旬目の間に冬至の日を挟んで91日。12月から2月の末まで。
冬の終わりと春の始まりの間の日が元日。地球で言うなら2月29日あたりだろうか。
全部で363日で一年。
8年に一度、冬至の日がずれるので、新年の変わり目の元日を二日間にするとか。閏年ということなのだろう。
今はおよそ夏の八旬目になるはず。夏九旬目が終われば、次は秋の暦がまた九旬続く。
一般的な庶民は、誕生日という細かい日付はなく、秋に生まれたなら秋の初日で年齢を数える。
人々の多くは農業や酪農に従事している。
フィフジャと森に同行した探険家のような種類の仕事をする人間は少ない。
腕に自信がある人間が害獣駆除ついでに狩猟を主な生業としていて、そこからさらに特化したような職業だ。
農業に飽いた子供たちからは憧憬を抱かれるが、実際には何か地元に居づらい理由があるような人間がやっている場合も多い。
中には、凶暴な魔獣を対峙したり、山奥から巨大な宝物を得たりして富と名声を勝ち得る者もいる。超魔導文明の遺物など見つければ状態によっては破格の価値もある。
当然、人里に近い場所にはそんな価値のあるものは残っていないので、そんな一攫千金を狙うのなら危険な場所に赴くことになる。ズァムナ大森林だとか。
フィフジャと一緒に来ていたのは、一定以上の堅実な実績のある探検家たちだった。
彼らも生活に困っていたわけでもないが、一生を遊んで暮らせる金銭を手にすれば老後も安泰なのだから、この探索に参加する意味はあったはず。
命は、落としてしまったわけだが。
それも探検家の宿命。珍しい話でもない。
農業、探検家以外にももちろん、商人や鉱山夫、加工職人、料理人という職業のものもいる。
いずれヤマトやアスカも、そういったものの何かになるのだろう、と。
「戦士とかは?」
「戦士って言っても、リゴベッテじゃ別に四六時中戦いがあるわけじゃないからな。城勤めの兵士だとか、商人の警備とかはいるけれど」
ただ戦うだけの職業などない、というわけだ。
「よほどの腕前と信用があれば、偉い人に護衛として雇われたりするかもしれない」
フィフジャの言葉だが、アスカにはあまり興味が抱けなかった。
偉い人に使われるのは気質に合わないだろうと。ヤマトも同様の様子だった。
そんな二人の心情を察したのか、フィフジャは苦笑する。
「普通の村なら、畑仕事をしながら近場を荒らす獣を退治して生活するのがほとんどだよ」
「それなら、今までとあまり変わらない」
森での生活もそうだったのだから、普通に暮らしていくことが出来るだろう。
(たぶんお母さんも、そうやって平穏に生活してほしいって願っていたんだから)
偉い人の護衛という仕事も、ひどく危険なものではないだろう。気遣いはするだろうが。
ヤマトが暴走して探検家になるとか言い出さないように制御しなければ、と思うアスカだった。
※ ※ ※




