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 ~ 閑話 ~

 60日を越える行程。

 フィフジャにとっても、戻りたくて仕方なかった場所。諦めかけていた風景。

 ヤマトとアスカの二人にとっては生まれて初めての景色。


 森から少し離れた丘まできて、三人と1匹はそこに倒れこんだ。

 日はもう落ちている。

 空から照り返すうっすらとしたオレンジ色の光が、ヤマトとアスカの頬に残る涙の筋を露にしていた。


「…………」

 言葉はなかった。

 夏の日差しを受けていた大地が熱い。

 茶色い地面だがそのまま土ではなかった。茶色っぽい短い草が生えていて、おそらく日差しで焼かれている状態なのだと思われた。

 危険かもしれない、とフィフジャは思わなくもない。

 森からまだあまり離れていないし、森の外にも危険な野生動物はいる。

(……人間も)

 こんな場所で可能性は低いとはいえ、そういう危険な何かに襲われるかもしれない。


 だが、それを言葉にするよりも早く、空の明るさが完全に消えてしまうよりも早くに、フィフジャの意識は闇に落ちた。

 ヤマトもアスカも、眠りに落ちていた。

 半分少しの赤い月と、丸い銀色の月が、眠る三人と1匹を照らしていた。


  ※   ※   ※ 


 精霊と呼ばれる存在がある。

 魔獣や妖魔などとは異なるもので、その始まりはこのように伝えられていた。


 はるか太古には、神々は人々の近くにあり、人の暮らしを助け導いていたと言われている。

 そんな時代が長く続き、人の文明は繁栄を極めた。

 超魔導文明。

 今の人はそのように呼ぶ。魔導の力で不死に近い医療を可能として、各地に巨大な都市を建設した。

 空想ということはできない。今日でも、その都市の成れの果てを町としているところが少なくないからだ。

 破壊されかけてはいるものの、今では建てることが出来ない巨大な塔と永久に朽ちないと言われる材質の壁。そんな建物の跡を利用している場所はいくつもある。

 フィフジャ・テイトーが伊田家の建物を見た際にそう思ったことも無理はない。


 そんな超魔導文明は、不遜な野心を抱いた。

 神を研究する。

 超魔導文明の最高位の魔導師は《肉の種》と呼ばれるものを作り、不死に近い存在になったと。

 だが、完全な不死ではない。老いは避けられなかった。

 だから、より完全に近いそれを求めて、当時実在していた人々と共存する神を研究することを求めた。

 そして争いが起こった。


 超魔導文明の力は神に匹敵するほどの境地にあり、大地を焼き払い、山を消し飛ばすような力で戦ったと。

 神々の怒りも激しかった。

 結果、超魔導文明は滅び去り、神々もその大半が失われた。

 わずかに残った人々と神は、またこの世界で共存の道を選んだという。


 神が滅ぶ際に、その血肉を受けて生まれたものがいる。

 精霊種。

 有機物、無機物問わず、神の血肉を浴びたものが一定の知性や力を得て進化したものというように解釈されている。

 精霊の精神は、人間や他の生物と大きく異なる。

 恨みを持って散った神の呪いのようなものもあれば、享楽に耽るものもある。


 精霊種について理解は不可能。

 発生の端緒は異なるが、妖魔や妖獣と同じように決まった法則がなく、精霊という括りにはなっていても個体ごとにまるで違う存在。

 そういうものが世界には存在していると、ヤマトたちはまだ知らない。

 

  ※   ※   ※ 


「これでよし、と」


 言葉はなるべく現地のものを使う。慣れていくために。

 まだわからない言葉の方が多いから、都度フィフジャに聞きながらになるだろうが。

 森の終わり、岩場の始まりは緩やかな坂になっていた。少し下がってから、また上がったり下がったりする丘陵地になっている。

 赤っぽい地面はところどころに地層の線が見える。断層とかそういうものなのかもしれない。

 ヤマトの記憶でなら、家にあった世界の名所の写真集で見たグランドキャニオンという場所の色に近い。あんな大峡谷ではないが。

 少し遠くの低くなったところに川が流れている。

 あの川が何百万年も地層を削り続けたら、大峡谷が出来るのだろうか。


 森との境は、思ったよりはっきりしていた。

 この辺りの地質が違うだけなのか、あるいは過去に大きな災害か何かでこうなったのかヤマトにはわからない。

 最後に出てきた辺りの、ひときわ大きな木の幹に目印になるビニール紐を×印にして結びつけた。

 この日の為に持ってきた黄色のビニール紐。

 その紐をかけた幹に、ステンレス製ナイフで文字を刻み込んだ。


『伊田家 伊田大和14歳 伊田明日香12歳』


 これでこの森のここまでは伊田家の領域、というわけではないが。

 でも、祖父の健一は喜ぶのではないだろうか。

 ここまで伊田家の足跡を刻んだと。

 ひとつの大きな目標を達成できた証として刻み付けた。

「これでよし、と」



 アスカは日陰でフィフジャを見ている。

 顎の傷のせいなのか疲れからなのか、熱を出してだるそうなので今日はここで休むことにする。

 傷には塗り薬を塗った。

 塗る分とは別のビンに入れてある薬をお湯に溶いて飲ませたので、休息を取れば元気になるのではないだろうかと思っている。

 休息は、ヤマトとアスカ、グレイにも必要だ。

 ここまでの行程でも疲労は蓄積しているし、昨日の戦闘、危機、そして休まず歩き続けることになったせいでヤマトの体も悲鳴をあげていた。

 グレイだって、色々と無理をさせてしまっている。今日はお休みでいいだろう。


(この森を離れるのが寂しい気持ちもあるけど)

 気持ちの整理も必要なこと。

 この伊田家の文字を刻むこともそのひとつだ。足跡を残しておきたい。

 森の中からあの朱紋や黒鬼虎が飛び出してくる、ということもなかった。

 このあたりの様子を見れば、森を出たら食料に困るだろう。おそらくここは彼らの領域ではない。

(だから森に入ってくる侵入者を攻撃するのかもしれない)

 自分たちの食料を奪う外部からの来訪者を許さない。そういう心理なのか。


 答えの出ない思索をしながらアスカのいる日陰に戻る。

 日が昇ってきて気温が上がってきた。季節は夏なのだから、日差しで体力が損なわれる。

 森を出て旅が終わりというわけではないのだから。

「僕たちの旅は、まだまだこれからだ」


  ※   ※   ※ 


 夕方にはフィフジャの熱も下がり、川のほとりに移動して野営することにした。

 夕食は魚だ。森の果実や食肉はないが、川には魚がいた。

 フィフジャが地面に地図を書いて現在地や目的地を説明してくれるのを聞きながら焼き魚を食べる。

 歪つな形のイモを、上から割ったような絵。下の方は断ち切れていない。

 これが今いる大地。

 割れた部分の右側を示して、ここから見て西側の山脈だと説明を受ける。そしてその東側の中央一帯が、今まで進んできた大森林。


「ズァムナ大森林」

 そしてその森林の北、山脈の麓辺りが、現在いる場所。

 割れたイモの形の大陸──ズァムーノ大陸、と呼ぶらしい。

 ズァムーノ大陸の右上と左上に、また同じくらいかそれより大きいくらいの丸を描く。

 その間は、海なのだと。


 海という言葉は、フィフジャにあげた図鑑の中の写真で教わった。海はこの世界にもあるのだと。

 やはり水は塩っ辛いということだが、ヤマトもアスカも海を見たことがないので地球との違いはわからない。

 右上の大陸、リゴベッテ大陸と呼ぶらしいそこに向かう。


「どうして、行くの?」

 アスカの疑問。

 なぜ、その大陸を目指すのか。

 フィフジャはうーんと頭を掻きながら、

「この辺りは危険だから、かな」

 危険。その言葉は森で教わったからわかる。

「リゴベッテは平和……わりと安全だから」

「フィフの家は?」

「ああ、うん」

 続けざまにアスカが質問すると、フィフジャは少し言いよどんだ。

「俺に家はない。農民でもないし、市民でもないし」

「のうみん?」


 途中のわからない言葉を確認しながら説明を聞く。

 農民なら農地があり、家がある。

 定住地がないということは、多数派ではないが、この世界では珍しいことではないようだ。

(まあ僕らも帰る家を失ったのも同然だから同じか)

 また60日を――いや、それ以上の日数を彷徨いながら、あの家に戻ることなど現実的に不可能。

 家はどこですか。ズァムナ大森林の中です。なんて答えたら法螺吹きか頭がおかしい扱いになるんじゃないかと。


「そうだな。君らも、大森林の出身だとは言わない方がいい」

 フィフジャに言われて、アスカと顔を合わせて頷く。

 世間知らずなのは事実だとして、あまり無用なことは言わない方がいいのだろう。

「危険って、人間が危険?」

「そうだ、一番危険かもしれない」

 フィフジャは真剣な顔で頷いた。

 森の魔獣の危険性とは異なる人間の悪意。

 父にも母にもそのようには言われたが、それほど危険なのかとヤマトは少し気分が悪くなった。


「フィフは、いい人間」

 アスカがフィフジャの頭を撫でる。

 真剣な表情のフィフジャを宥めるように。

「あー、あぁ、うん……ありがとう」

 照れた様子で頬を掻きながら目線を下にずらしながら礼を言うフィフジャ。

 にっ、とアスカの目が緩んだのをヤマトは見逃さない。


 ちょろいな、と。

 父に甘える時にもこんな目をしていた。

(この妹のほうが怖い)

 なるほど。妹でさえこれなのだから、他の人間などたやすく信用すべきではない。

 ヤマトにも、言葉ではなく心で理解できた。

 少し赤くなっているフィフジャは取り繕うように咳払いした。

「北に向かっていけば、竜人(りゅうびと)の集落がいくつかと港につくはずだ」

「竜人?」

 ヤマトもアスカも、まだまだ知らないことばかりだった。


  ※   ※   ※ 


 竜人(りゅうびと)族。

 遡ること500年ほど、その頃に空から現れたと言われる異界の真なる龍。

 それを呼んだのが竜人族だとされている。

 これには諸説あり、確たる証拠はない。

 ただ、竜人族はその真なる龍を信仰の対象としている人々であることは事実だ。

 そういう理由で教会からは疎まれている。


 彼らの居住地はこのズァムーノ大陸北東側で、この辺りは教会――ゼ・ヘレム教会の勢力も弱いので迫害や虐殺という事態にはなっていない。

 そもそもズァムーノ大陸の北東側沿岸部は、ずっと昔にリゴベッテ大陸やユェフン大陸から逃亡した海賊もどきの居留地から発展した港町になる。

 脛に傷のある半分海賊のような荒くれ者の末裔と、竜人族が共存しているのがこのズァムーノ大陸北東地域。


 教会が人間社会で大きな権勢を誇っていても、ここまで遠征に来るほどの力はなかった。

 遠征も難しい上にまして海戦となれば、やる前に結果が見えている。

 今では港町として他の大陸の港と交易を行っているのだから、昔話のような海賊の町というわけではない。

 一部の港町にはゼ・ヘレム教会の建物だってある。海賊なんて過去のことだ。

 それにしても成り立ちからして穏やかな気性の人々というわけではないので、安全に子供が暮らせるような環境とは言えない。

 竜人族の集落にしても、人間の子供を歓待ということもないだろう。

 フィフジャのそんな説明を聞きながら、ヤマトたちは眠るのだった。


  ※   ※   ※ 


 龍。


 ヤマトの鼓動が高鳴るのがわかる。アスカだって思わず身を乗り出して聞いてしまった。

 龍というのは、ヤマトのリュックサックに書かれている絵で説明された。

 図鑑にも一部恐竜の写真というかイラストがあり、それらの種類の大きなものが空から現れたと。

 空から降りてきた、ものすごく強い、龍。

 山を吹き飛ばし、海を割る。そんな強さだったとか聞いたらわくわくしてしまうのは仕方ない。

(でも、死んじゃったのか。会ってみたかったなぁ)

 明らかに天災級の害獣だが、やはり見てみたかったと思う気持ちがある。


 おとぎ話なのではないかと聞いたら、フィフジャは首を振った。

 実際にその爪痕というか戦いの痕跡や角などの証拠があるという話だ。

 話を聞きながら、わからない言葉を何度も質問することになった。

(あれだよね。絵本を読んでもらってる時みたい)

 レジャーシートで横になってフィフジャの話を聞きながら、アスカは幼い頃のことを思い出していた。

 子供はああして知らない言葉を親から教わっていく。

 今のフィフジャとアスカたちの関係はそれに近い。


 家を出てからこの60日、この世界では六旬というらしいが、その間にもひとつずつ言葉を覚えてきているが、まだ足りない。

 もっとフィフジャから教えてもらわなければ、ヤマトを守ってあげられない。

(ヤマトは鈍いから、私がしっかりしないと)

 この世界は、ズァムナ大森林でなくても、危険が多い世界なのだと思う。

 ヤマトより自分の方が世渡りは得意だとアスカは思っている。実際に世の中を渡ったことはないけれど、ヤマトではあっさり騙されたり利用されたりしそうだ。

 そうならない為にも、言語の習得は必要最低条件。

 この世界の歴史や文化、常識についても知っておかなければならない。この辺りはフィフジャも同じ認識のようだが。


(……別に、フィフジャを信用しきってるってわけじゃないんだからね)

 心の中でそう言い聞かせて、はっとアスカは小さな胸を押さえた。

「これ、ツンデレだ……」

 そうだとすれば屈辱だと顔をしかめて、苦い気持ちを忘れて眠ってしまうことにした。

 小さく呟いた言葉に、グレイだけが耳を傾けて、寝言かなという顔をしていた。寝ぼけた発言ではあったかもしれない。


  ※   ※   ※ 

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