バムウ
煙を上げる黒い妖魔がフィフジャを襲っている。
だがそれを助けに行こうにも、ヤマトは迂闊に身動きが取れなかった。
凸凹のひどい岩場を、多数の足をうねるように動かして、意外な素早さで迫ってくる魔獣ども。バムウと言っていた。
初めてみる相手であるということもだが、この足運びの異様さは実際のスピードとは違ったやりにくさを感じる。
とにかくリュックサックを下ろして、槍を構える。アスカも荷物を下ろして身軽になる。
「右、飛ぶよ!」
アスカの声で、右から来ていたバムウの姿勢が一瞬低くなるのを見た。
次の瞬間、縦の線にしか見えなかった部位を左右にくわっと開いて、多数の牙を向いて飛び掛ってくるそれを避ける。
「くっそ」
すれ違い様に、その背中――口のある方が顔だとすれば、尻の方から突き出した突起がヤマトの腕を掠める。
「毒針!」
「平気だ、刺さってない」
赤い金属のプロテクターが針を防いでくれた。
この動きに加えて毒針攻撃とは、本当に厄介な相手だ。
続けさまに別のバムウがヤマトの斜め後ろから飛び掛ってきたが、今度は余裕を持って躱した。
あの尻尾の毒針の射程が掴みきれていない。
『ガァァウゥ』
着地したバムウの顔付近にグレイが噛み付いた。
『チュレレルルラララッチェ』
初めて聞く鳴き声。こんな鳴き声の生物がいることが驚きでもある。
噛み付かれたバムウは、その多数の足で回転して尻尾でグレイを撃とうとしたが、その前にグレイが離れた。
手傷を負ったバムウはそのままグレイを追っていく。
アスカは、近寄ってきたバムウに前後をふさがれている。
うにょうにょとアスカの周囲を廻るバムウ2匹。ヤマトは助けに行きたいのだが、自分の周囲にも3匹のバムウがまとわりついてきてそれどころではない。
(フィフは……いや、大丈夫だ。僕は僕のことを)
一番の強敵に思える妖魔を相手にしているフィフジャを心配に思うが、それも今は後回しだ。
彼は、自分がやると言った。ヤマトにもそれはわかった。
そして、このバムウについてはヤマトたちに任せると言ったのだ。この状況でまず自分のすべきことをやらなければならない。
連続で飛び掛ってくるバムウを躱しながら、攻撃のタイミングを計る。
攻撃手段は体当たり気味の噛み付きか、尻尾による毒針。
それ自体は単純なのだが、多足で不規則な動きが間合いを狂わせる。
石猿や、たとえば黒鬼虎でも、足運びである程度の動きが予測できるものなのに、このバムウは違う。右にと思えば不意に左に動いて、予測と違う位置から飛び掛ってくる。
こっちにいる、こっちにくると思っている所とズレるだけで、反撃をするどころではない。避けるので手一杯になってしまう。
「っとぉ!」
右手をついて一回転、左手に持った槍を腰に構えて片膝でバムウに向き直る。
その膝を突いた姿勢のヤマトに、後ろに廻ったバムウが飛び掛った。
呼吸を合わせた攻撃だ。
この魔獣は群れでの連携までできるのか、と。あるいはただの本能的なものか。
(石猿も、こういう連携してくるよな)
もしかしたらそう動くかもしれない。
そう予測した動きで、しゃがんだヤマトに飛び掛るのならこの軌道になるだろうと。
ヤマトは、逆手に構えていた槍の穂先で、後ろから飛び掛ってくるバムウを口から串刺しにした。
槍の鋭さと、飛んできたそれの勢いで、するりと口から脳天へと突き抜ける感触がヤマトの手に伝わる。
突き刺さったバムウは即死。その重量は人間の大人と変わらない。
逆手になった片手で簡単に支えられる重さではなかった。
今度は前方のバムウが飛び掛ってきた。
「その流れなら」
飛び掛ってくるタイミングと方向さえわかっていれば、ヤマトに対処できないスピードではない。
既に槍は手放している。
――槍に頼りすぎだ。
そう言われないように、それだけに固執しない。
足元にあった大き目の石を掴んで、大きく開けた口に向かって思い切り投げつけた。
『ヂュリュ?』
岩場に転がっていた握りこぶしより大きいくらいの石を至近距離で口の中に叩きつけられたバムウが、ぼむっと音を立てて地面に落ちる。
その肉体の大半は脂肪か水分のようだ。
ぶよぶよとした感触で地面に落ちると、血泡を吹いて痙攣する。
「んでっ!」
もう一匹、ヤマトを狙っていたバムウの姿がない。
槍を拾うべきか、一瞬迷う。
その一瞬の判断が遅かった。
「げはっ」
背中から強い衝撃を受けて、前に向けて転がるヤマト。
即座に前転して振り返ると、先ほどまで自分がいた辺りにもう一匹のバムウの姿がある。
ヤマトの槍はその向こう側のバムウの死体に突き刺さったままだ。
バムウは、うぞうぞと左右に揺れるように動いて一瞬沈む。
「っ!」
ジャンプ攻撃だと身構えたヤマトに対して、予想に反して宙に浮かずに地表をくるくると回転しながら急速に迫ってきた。
「と、この」
足元に滑り込むようなスライディング。
予想外の攻撃に対応が遅れたヤマトは、それをぎりぎりで躱した。
ぎりぎりのところで。
「しまっ!?」
『チュレレラッ』
そこだ、と言わんばかりに、ヤマトの足元でバムウの楕円形の体が跳ねた。
地面に弾かれるように、ヤマトの下腹に体当たりと同時に牙を剥く。
「ぬぁぁぁ!」
咄嗟にバムウの体を両手で押さえるヤマト。
バムウの体はそれ自体が丸い頭のようだが、噛み付いてくる口を避けようと左右の頬を鷲づかみにしたような体勢になる。
腹に噛み付かれるのは避けたが、バムウの勢いで体が浮いて姿勢が崩れた。
バムウの体表は意外とカサカサと乾燥していて、冬の荒れた肌のようだ。
それを掴むヤマトの左腕に向けて、背中から突起が伸びた。
(毒針!)
手を離せば、今度はバムウのぱっくりと開かれた口がヤマトの腹に食らいつく。
だが刺されたら結果は同じだ。
殺されて食われる。
(アスカ――!)
助けてと思ったのか。
別れと思ったのか。
『グルァァァゥ!』
尻尾は食い千切られた。
銀色の閃光。
時折、グレイやその一族が見せてくれる、驚異的な速度の一撃。
ヤマトやその家族の危機を助けるために振るわれる渾身の攻撃。
銀狼の牙が、ヤマトを襲った毒針を断ち切っていた。
『チュレラ!?』
悲鳴なのか困惑なのかはわからない。尻尾を断ち切られた痛みで混乱したのか、地面に落ちてぐるぐるとあるはずの尻尾を追いかけるように回転する。
助かった。
体当たりで浮いていた態勢から立て直したヤマトは、その時には既に腰の手斧を右手に構えている。
「この!」
振り下ろした手斧は、バムウの脳天と思われるあたりから口あたりまでを断ち割った。
即座に手斧を抜き、先ほど石を叩き付けて昏倒させたバムウの頭にも一撃を加える。
「アスカ!」
「いい!」
自分の槍を回収しながらアスカの姿を探すと、彼女は少し離れた場所で問題ないというように軽く手を上げた。
既に一匹を仕留めている。残り一匹。
(グレイが一匹やっている、それで六匹……?)
最初に発見した時、七匹いたのではなかったか。
数え間違いだったのかもしれない。一匹は逃げ出したのかもしれないが。
「フィフ」
一番、大変な役目を負わせてしまったフィフジャの姿を探す。
すぐに見つかった。川の方……というか、脛まで川に入った状態で、石を右手に構えている。
数歩離れて、煙を上げる妖魔が向かい合っていた。
妖魔は川の中だ。膝辺りまで流れに浸かり、その足元から蒸気が上がっている。
岸を背にするフィフジャ。
その岸の岩陰に――
「フィフ、うしろ!」
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