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静かな朝



 霧雨の夜が明けると、奇妙なほど澄み渡った朝を迎えた。


 木々の梢から覗く空は青々と、隙間から差す光が、まだ大気に残る霧のような水滴に映し出され、白い剣のような線を幾筋も輝かせる。

 遠くで鳥の鳴き声らしい音が聞こえた。

 ヤマトとアスカは既に身支度を整えている。グレイはいつでも万全という様子。



「行こう」

 少し離れた場所から川の水音が聞こえる。北へと流れていく川は、いくつもの小川と合流して、今では大人五人を縦に並べたほどの川幅になっている。

 この川の源に、ヤマトとアスカが生まれた家があるはずだ。グレイもそこで生まれたのか。


 誰からということもなく三人と一匹で振り返って遠くの山を仰いだ。

 天気が良いときは、何となくいつもそうしていたような気がする。


「いこう」

 ヤマトが言うと、アスカは小さく頷いて歩き出した。

 先頭をグレイが行き、その後ろをアスカ、ヤマトと続く。フィフジャが一番後ろを歩く。


 順番は入れ替わっても、もう何十日も続けてきた行程だった。




 獣とていつでもどこでも襲ってくるものでもない。遭遇しないこともある。

 その日も他の生き物に出くわさなかった。


(……いない)

 何もいない。

 どうしようか、という顔でグレイが立ち止まった。


「ああ、妙だ」

 グレイが不気味さを感じて止まったことに、フィフジャも同感だ。残念ながら。

 ヤマトも、いつも以上に周囲に目を配っている。


「いきものが、いない」

「しずか……おとが、ない」

 アスカの言う通り、物音がしない。

 生き物の気配もなければ、木々のざわめきさえ息を潜めているような。


 森が沈黙している。

「……」

 暑さによるものではない汗が、フィフジャの顎を伝って落ちた。


 怖い。

 逃げ回っている時や戦っている時とは違う、心を追い詰められるような静けさ。


「とにかく、進もう」

 立ち止まっていて状況が良くなるとは思えない。

 むしろこのエリアを可能な限り早く抜けてしまいたい。


 フィフジャの言葉に頷き、グレイを先頭にまた歩き始める。

 その歩みは速い。

 恐怖に急かされるように、いつもよりペースが速くなってしまうのは仕方ないだろう。


(夜中にトイレに行った帰りみたいな)

 フィフジャの育った教会の施設は、屋外にトイレがあった。


 夜遅くにどうしても我慢できずにトイレに行った時、その帰りは走り出したくなる怖さを感じた記憶がある。

 正体のわからない恐怖というのは、原因がはっきりないから対処のしようがない。


(襲ってくるなら、さっさと出てきてくれた方がマシだ)

 だが気配を感じないのだから、そんなものはいないのかもしれないが。


(いや、違うな。何かに怯えて、周辺の小動物や虫なんかまで逃げ出しているんだ。何かいる)

 警戒しながら進んでいくと、川のほとりの岩場に出た。



「岩か……近いな」

 岩盤の大地には樹木は生えにくい。

 この大森林の境目は、そういった岩場の地層が広がっている。

 その岩場を越えると草原地帯。人里もそのあたりにあるはずだった。


『ウウウゥゥ』

 グレイが唸り声を上げた。

 岩場の陰で、何かが水辺にいる。

 薄い茶色の、つやつやとした面の楕円形の塊。


 上半分がおおよそ楕円で、地面に接する面は幾百以上の突起がうぞうぞと蠢いている。

 およそフィフジャの膝上くらいまでの大きさで、七匹程見えていた。数が多い。

 厄介な。


「バムウ」

 楕円形の果実を半分に割って、断面に無数の足をつけたような形状。


 半丸に見えているが、短い尻尾があり他の動物の動きを阻害する毒の針を持っている。刺されたら動きが鈍り、やがて動けなくなる。

 そして、顔には縦の線があり、それが左右に開くと凶悪な小さな牙がびっしりと生えた口があるのだ。


 動けなくなった獲物を、その口でかぶりついて、生きたままその小さな歯で削るように咀嚼しながら食っていく。



「気をつけろ、尻尾に、針がある」

 初めて見るという様子のヤマトとアスカに警告した。

 出来ればやり過ごしてしまいたいのだが。


「針に、毒がある」

「わかった」

「どうす――フィフ‼」


 悲鳴のようなアスカの声で、川辺にいたバムウが一斉にこちらを向いた。

 楕円形で前後はわかりにくいが、反転したのだから向き直ったとみていいだろう。

 うぞぞぞ、と無数の足を蠢かせて方向転換する。


 だが問題はそちらではない。

 アスカがフィフジャの判断を仰ごうとして、咄嗟に大声を上げたのは――


「こ、のっくそ」

『ヒシャアアアアアアアアアアァァァァア』


 何かをこするような、掠れた声が響いた。フィフジャの目の前で。

 手斧を横になぎ払う。

 フィフジャが咄嗟に後ろに振るった手斧を手の平で受け止めて、その妖魔は薄気味の悪い声で鳴いた。


 フィフジャの背中から飛び掛ってきたのは、暗い灰色の肌から蒸気のようなものを浮かべる、ひとつの角を持つ人型の獣だった。


「あの時の妖魔か!」

 いつか夜に襲ってきた妖魔に違いなかった。



 前回は暗くて姿がよく見えなかったが、斧の刃を素手で受け止めるあたりで同一個体だと見ていいだろうと。

 フィフジャよりも背丈は高いが、驚くほど大きな差ではない。あの夜も同じような大きさだったと思う。


(こんなのが何匹もいてたまるかよ)

「そのバムウどもは動きが素早い!気をつけろ」

「えっ!?」


 騒ぎを聞きつけたバムウが、その数百の足の突起をうぞうぞと動かして、異様な俊敏さで岩場を滑るように移動してくる。

 独特な動きで読みづらい。


「ジャンプもする!」

 フィフジャは叫びながら、目の前の妖魔に蹴りを放った。


 こちらの妖魔は自分が相手をするしかない。となれば、バムウの群れはヤマトたちに任せなければ。

 だがあれは、かなり厄介な魔獣だ。見かけに騙されて殺される人間がどれだけ多いか。

 大発生して村を潰したという話も聞く魔獣だ。初めて相手をするヤマトとアスカで大丈夫だろうか。


 フィフジャは妖魔の腹を蹴り飛ばして距離を取る。

「この妖魔は俺がやる。バムウは強い、絶対に油断するな!」

『シィィィィィィィ』

 フィフジャと距離を空けた妖魔が、また気味の悪い声を漏らした。


 黒っぽい肌の所々に赤い筋が浮く。

 一本の角は白系の色をしていて、円錐の形で額のやや左から伸びている。あまり長くはない。ナイフの半分程度の長さか。



「ヤマト、バムウの尻尾の針に気をつけろ! ジャンプ噛み付きにも気をつけろ!」

 言葉が通じるかどうかはわからないが、とにかくもう一度伝えておく。


「グレイ、アスカを守れ」

 どちらの援護をするか迷うグレイに指示を出すと、こちらは素直に通じたらしくアスカの方へ走っていった。

 バムウは少なくとも7匹いた。数の上で不利だ。



(この妖魔……伝説の《朱紋》か。俺ならそんな呼び方はしないな)

 赤い筋が浮かぶ妖魔。その赤は熱なのか、蒸気のような煙のようなものがもわっと体から浮かんでは消える。


煤け鬼(すすけおに)、ってとこだろ」


 勝手に名前を付けて、手斧を突きつける。

「一対一だ、この野郎。お前、案外軽いじゃないかよっ!」

『サァァァァグェェェェェェェエ』

 声とともに顔に叩きつけようとした手斧を、両手を交差させて受け止めた煤け鬼。


 やはりその肌は硬い。手斧が黒い皮の表面で受け止められて、それ以上は刺さらない。

 だが先ほどのフィフジャの蹴りで、この妖魔が見かけより体重が軽いということはわかった。だから割とあっさりと蹴り飛ばせたのだ。


 見かけより軽いというだけで、フィフジャとほぼ同等くらいの重量なのだが。岩のような肉体だったので、もっと重量級だと思い込んでいた。

 手斧が有効打にはならないが、この妖魔も無敵ではないはずだ。顔への攻撃は防いだのだから。


「こっちは俺が何とかする」

 今の俺、なんだか格好いいんじゃないか。

 そんなことを思うくらいの余裕があるような気がしていた。



  ※   ※   ※ 


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