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森での日々

 石猿の他にも好戦的な獣はいた。

 意外と脅威だったのは大きな牙を持った茶色い大兎だ。牙兎と名付けた。

 雑食なのか、何なのか。ビーバーのように木の幹を咬み削って倒していた。

 伊田家の南側を広範囲に探索していたところ、削られて倒された木々に気がついて、もしかして人間がいるのかと期待をしたのだが、この牙兎だった。


 大きさは、大きい。体重は50キロを超え、強靱な後ろ足で跳躍して尖った牙で襲いかかってくる。

 耳はそれほど長いわけではない。跳躍して移動する姿から兎と分類したまでだが。


 倒れた木をどうするのか、日呼壱が観察する限りでは倒したままだった。

 ただ、古い倒木の幹をくりぬいて、奥に縦長の巣を作っているのを見つけた。倒したばかりの木ではなく、しばらく放置して乾燥させてから巣作りをしているのかもしれない。


 そんな牙兎だが、わりと美味しかった。

 日呼壱たちを襲ってくるからには応戦するし、倒したら食べる。

 解体した際に一本の長い前歯が残るのだが、これが非常に硬く鋭い。先端は鋭く、表面はヤスリのようにざらついている。

 木の柄を付けて木工用の彫刻刀として活用している。投げナイフとしても使えるかもしれない。


 他にも一度、大きな猛禽類二羽に襲われた。

 鷲なのか鷹なのかそういう区別はつかないが、羽を広げると4m近い大きさの鳥に、源次郎と健一が遭遇した。

 実際には連れていた子狼のウォルフが襲われたのだが、源次郎の放った銃声に驚いたのか飛び去っていった。

 二羽の大きな鳥は、茶色と白の羽に少し曲がった首と黄色い鶏冠がついていたとかで、とりあえずデビルコンドルということでデビコンと呼ぶことになっている。


 空を飛ぶ脅威。大きな猛禽類は場合によっては羊なども襲うというから、それより大きいデビコンなら人間でも襲うだろう。

 幸い生息数はそれほど多いわけではないらしく、それ以降は、空を見上げていた芽衣子が一度、あれかもしれないというのを見かけただけだった。


 最大の脅威だったのは、二年目の秋に現れた熊だ。

 なぜか、白熊だった。

 まあ白といってもかなり汚れていたので黄ばんだ白熊だったが、大きさは3mほどの熊。

 さくらたちが気がつき、全員が家に避難した。


 伊田家周辺で木の実を食べたり、時にウシシカを食べたりしているのを10日ほど見守った。

 このままだと、この周辺を縄張りとして居つくかもしれない。幸い伊田家の敷地内に入ってこようとはしなかったが、このままにしておくのは困る。

 全力で討伐することになった。



 初手は源次郎の銃撃。続けて二発。命中した。

 巨大な白熊にそれは致命傷にはならず、いきり立って源次郎に襲い掛かる白熊。

 想定内、罠は仕掛けてある。鋭く尖らせた木の杭をバネ仕掛けにして突き刺した。

 それで足止めにはなったが、数本の杭が突き刺さった状態でもなお、白熊はその闘志を失っていなかった。


 枝を折り、その爪で罠を仕掛けた日呼壱と健一に襲い掛かろうとしたが、今度は反対から芽衣子が手斧を投げつけて背中に突き刺した。

 芽衣子を目標に定めようとした白熊にさくらとマクラが吠え掛かり、木の上から飛び降りたシャルルがその片目を抉った。

 闇雲に暴れる白熊の腕を、健一が斧を振るって深く切り裂き、怯んだ隙に日呼壱が脇腹に石槍を突き刺した。


 それでもなお、白熊は生きていた。

 最後は、銃弾を込めなおした源次郎が近寄って、顎から脳天を打ち抜いて止めを刺した。



 肉は余り美味しくなかった。独特の臭みがあったり、けっこう固かったりして。

 源次郎が言うには、暴れた後の肉はあまり美味しくないのだとか。血が回っているのだとかなんだとか。

 子猫や子狼にも不評だった肉は、結局焼かれて、残った灰は畑の飼料として撒かれることになった。

 危険で厄介で美味しくない。招かれざる獣だったが、やはり生息数は少ないらしく、それ以降は見ることがなかった。


 一応、ホワイトベアーでワイトベアーと呼ぶことにしたが、次に現れた時にその呼び名を覚えているか誰も自信がない。

 二度と現れないでくれる方がいい。あれがこの森で最後の個体で、絶滅してしまいましたということになっても。



 他にも細々とした発見があったりもしたが、どうやらこの森に蛇のような生き物はいない様子だった。

 トカゲ、蛇のような生き物は、大きいものも小さいものもいない。爬虫類そのものがいないのかもしれない。

 昆虫は、地球のものより二倍程度の大きさまでしか見ていない。蝶が地球の二倍の大きさだと、けっこう気味が悪いものだったが。


 ダニやノミのようなものは見ていない。最も良かったのは、蚊がいない。

 正確には、人間の血を吸う類の蚊がいない。蚊のような小さな羽虫はいる。食物連鎖の一部として、そういう生き物もいるのだろう。

 森の生態系を観察しながら、日呼壱たちは三年目を迎えていた。



  ※   ※   ※ 



 その春――三年目の春のこと。日呼壱は21歳になっていた。

 すっかりワイルドな生活にもなれ、さくらの子供のうちの二匹、次男のミュラーと長女ハナを連れて森を散策していた。

 14歳になった芽衣子も一緒だ。

 岩と木で作った投擲できる小さな斧をいくつか持って、一緒に狩りをしている。


 家でおとなしく、危険のないようにしていてほしいと思う日呼壱だったが、それで一度喧嘩になったのだ。

 私だって役に立てる、と。

 実際、芽衣子のサバイバル能力は高く、筋力以外なら日呼壱に負けていない。投擲に関してはむしろ日呼壱よりうまい。

 狩猟に関してはエース級の働きをしてくれているのだ。この少女が。



 皆で交代で狩猟と農作業をしている。美登里は主に、家のことや縫い物、あるいは小道具を作ったりしていることが多い。

 何度か狩りにも出たが、美登里は牙兎にいきなり接近戦を挑むような妙なバランス感覚なので、一緒にいてハラハラさせられる。


 牙兎に飛び掛られて仰向けに押し倒された時には、一緒にいた源次郎と日呼壱の心臓が止まるかと思ったのだ。

 当の本人は、飛び掛ってきた勢いを利用して牙兎の喉に手斧を叩き込んでいたので、計算どおりうまく倒せたと言っていたが。

 だが、返り血でべとべとになった服をしかめっ面で洗っていたところを見ると、計算どおりではなかったのだろう。

 そういうわけで誰もが美登里を狩猟に出すのは反対だった。適材適所という言葉がある。


 ウシシカや牙兎を仕留めれば、当面の肉には困らない。保存食として乾燥させたりする手間の方が時間を取られるくらいだ。

 さくらやシャルルたちは時折自ら狩りをしてくる。その獲物は、調理してほしいのか源次郎のところに持ってくるのが常だった。


 だから、その狼の唸り声を聞いた時も、知らないうちにさくらが狩りに出ていたのかと勘違いしてしまった。



『グァアウウゥゥ!』

 明らかに争う時の声。

 ミュラーとハナが駆け出していったのを追いかけていて、その声を聞いた。

「さくら!?」

 日呼壱はそう聞いてみたが、どうも違う。


 先行する子狼――もう立派な若狼だが――たちの背中が見えなくなるが、唸り声はその先から聞こえていた。

「先に行くよ!」

 芽衣子がスピードを上げて日呼壱を置き去りにする。

 機敏なことと、そもそも荷物の量が違う。芽衣子は必要最小限のものしかもっていないが、日呼壱は肩掛け鞄に槍を手にしていた。全速力なら芽衣子の方が速い。


 手斧を片手に駆けて行く芽衣子が何かを見つけたのか、右手を振りかぶって、止めた。

 後ろを行く日呼壱にはまだ状況が見えない。

 普段は来ないような場所だった。枝や茂みが多く走りにくいし、視界も悪い。


『ウォンウォンッ!』

 この声はミュラーだ。さくらの子供たちであるウォルフ、ミュラー、ハナの鳴き声くらいは判別がつく。

 日呼壱がその状況を把握した時には、芽衣子が手にした手斧で猛禽デビルコンドルに踊りかかっていた。

「こんのっ!」

 助走があったからなのか、かなりの跳躍だ。


 それだけではない。芽衣子は飛ぶ前に、ロープを上に向かって投げていた。

 そのロープの先端にはフックが付いている。

 フック付きロープを木に引っ掛け、それを引っ張ると同時にジャンプをしたのだ。

 ある程度見通しがある場所でなければうまく行かないと思うのだが、芽衣子は小さな隙間からでも上手に投げて目標地点に括り付けるのが得意だった。これで鳥を獲ったことさえある。


 ロープアクションも使って手前の小さな茂みを飛び越えるついでに、3m以上飛び上がって何かを襲っているデビコンの翼に手斧を叩きつける。

 5mほどの高さでホバリングしていたデビコンだったが、飛び掛って襲ってきた芽衣子に咄嗟に対応できず叩き落された。

 運動神経の問題なのだろうが、その飛び上がった勢いを前方にあった木の幹に足をつけてうまく衝撃を受け止め、その下に着地する。


『キェェァァァァッ!』

 その鳴き声は、芽衣子の頭上からだった。

 着地した芽衣子の頭上に、別のデビコンが鋭い爪を突き立てようと猛スピードで降下してきた。

「うっくしょっ!?」

 なんだかよくわからない声を上げながら、着地した位置から前転してその爪を躱す芽衣子。

 間一髪。

 だが、そのスピードのまま今度は障害物となった木に背中を打って、鈍い音が響いた。


『キァァァァッ!』

 また別の一羽が、その芽衣子に襲い掛かろうとするが、今度はハナがその前に躍り出た。

『グルァッゥゥ!』

 芽衣子を守る為にその爪を振るうと、襲いかかろうとしていたデビコンが軌道を変えて木の上へと逃げる。


 最初に叩き落された一羽は地面でもがいている。

 先ほど急降下してきた一羽は、一撃を回避された後ホバリングして、次は別の獲物に爪を立てていた。

『ピギャアンンッ』

 狼の悲鳴。

 顔を深く裂かれ、甲高い鳴き声を上げる狼。


「このやろっっ!」

 鞄を放り出した日呼壱が、狼に襲い掛かった猛禽に槍を突き出した。

 羽が散る。

 が、かすっただけだ。重大な損害はない。

 デビコンはその攻撃を受けて状況を不利と見たのか、上空へと逃げる。


 それまでは狩りに熱くなっていて敵が増えたことに気づいていなかったのか、いったん空高い位置から現状を確認するように高い位置を取って、先に木の上に避難していた別の一羽と合流して頭上を旋回してからどこかへと飛び去っていった。




 目の前の脅威が去って、日呼壱は顔をしかめている芽衣子に駆け寄った。

「メイちゃん! 大丈夫?」

「ん、ん……ったぁい、けど、うん。平気……ったた」

 木に背中を打って苦しそうな顔をしていたが、芽衣子は立ち上がって日呼壱に答える。


 軽く腕を回して、背中の痛みを確認している。とりあえず動くのに支障があるような怪我ということはない。

 ロープを使った空中殺法やその動体視力、平衡感覚は超一流のスポーツ選手並みと思えるが、その体はまだ成長期の女の子だ。もっと労わってほしいと日呼壱は思うのだが。


 デビコンたちは遠くの空へと霞んでいく。再度襲来することはないだろう。

「こいつは……」

 デビコンに顔を深く裂かれた狼。それは日呼壱たちの家族ではない。


 森に暮らす野良の狼。見覚えのない個体だ。

 顔を裂かれたところは見ていたが、それとは別に腹にも深い傷を負っていて足元に血溜まりが出来ている。

『ウウゥゥゥ』

 それでも、明らかにふらつく四本の足で大地を踏みしめ、日呼壱たちに対峙する。

 正体不明の人間に警戒を緩める様子はない。

 腹からぼたぼたと血を垂れ流しているのに。


 どうしようか少し悩んだが、とりあえず日呼壱はまだ地面でもがいているデビコンにとどめの一撃を加えた。

 もう危険ではないかもしれないが、放っておいたら思わぬ奇襲を受けるかもしれない。

 デビコンを駆除することで、この狼に敵対するつもりがないことを示したいという気持ちもあった。


 ミュラーとハナは、その狼から攻撃を受けないくらいの距離を取って、日呼壱と芽衣子の指示を待っている。

 さっきこの狼の危機を知らせる咆哮を聞いた時には指示も聞かずに飛び出していったというのに。


「どうしようか……ほら、そんなに警戒しなくていいから。大丈夫、もうやっつけたから」

 満身創痍の状態で日呼壱たちに低く唸り声を続ける野良狼に、出来るだけ優しく声をかけてみる。

 だが野良狼に言葉は通じない。

 顔を裂かれた時に、左目を深く傷つけられていて、見えていない様子でもある。



『グゥゥ、ブァンッ』

『キャンッキャンッ!』

 その野良狼の後ろから、今まで隠れていた小さな狼が駆け出してきて吠えた。

 二匹の小さな狼が、、母狼を守ろうという姿勢で。


「子供を守ろうとしていたのか」

 おそらく先ほどのデビコンは、この子狼を狙って襲ってきたのだろう。

 それをかばって戦った母狼だったが、頭上から複数で襲ってくるデビコンに遅れを取った。

 この森で日々営まれている自然の一場面だ。珍しいことでも特別なことでもない。たまたま日呼壱たちが居合わせたというだけのこと。


「ほら、大丈夫だから……ね」

 今度は芽衣子が声を掛けた。

 その手には、今しがた討伐したデビコンの足を乱暴にもぎ取った肉があり、そっとその狼たちの足元に差し出される。

 捥がれた鳥の足に、血のしたたる肉がついている。


 いくら手袋をしていても、そうして動物の肉を裂く感触は気持ちが良いものではないだろうが、芽衣子はためらわなかった。

 肉を与えられた子狼たちが、どうしようと母狼の判断を仰ぐ。

『……グルゥ』

 母狼は、小さく喉を鳴らすと、自身の流した血溜まりに座り込んだ。

 そうして、荒い呼吸の中で何かを伝えるようにミュラーとハナに唸ると、ハナがそっとその鼻先を母狼の耳に擦り付けた。


 ミュラーは、デビコンの足を咥えて、改めて子狼たちの前に置いた。それを受けて子狼たちは母を襲った猛禽の肉に噛り付く。

 がつがつと獲物を咀嚼する子狼を、皆で静かに見守る。


 母狼はその様子を見て安心したのか、

『クウゥ……』

 小さく鳴くと、荒く上下していた腹の動きが次第にゆっくりになり、やがて止まった。


 日呼壱と芽衣子はそっと目を閉じて無言で祈りを捧げ、残された狼たちは高い声で長く歌うように鳴いた。

 二匹の若狼と二匹の子狼の声は森に響き、子供を守った母狼の魂を送った。



  ※   ※   ※ 



 森で暮らすうちに色々と鍛えられているのかもしれない。

 見た目にも明らかに成長しているのは芽衣子の身体能力だが、日呼壱も自分の生存能力が鍛えられていると実感している。

 目印のない場所からでも、なんとなく家の方角の目星を付けて帰宅することが出来る。こういう部分も成長の一つではないか。


 ミュラーとハナの嗅覚でも帰ることは出来たかもしれないが、それではあまりに他力本願だろう。自力で帰路を見つけることが出来る程度にはこの森に慣れたと言える。

 母狼の遺体はそのままにしてきた。埋葬してやるほどの余裕はない。



 子狼たちは、助けられたことで警戒を解いたのか、少し母狼の遺体に名残惜しそうではあったが一緒についてきた。

 自然の中で生きていく為には力が必要だが、その力が不十分な子狼たちとすれば庇護してくれる群れに属することを選ぶのは当然の流れだ。

 同族もいて、食べ物を分けてくれるのだから敵ではない。


 日呼壱としては、何でも動物の子供を拾っていくわけにはいかないのだが、目の前で母狼と死に別れた幼い狼を見捨てるというのも後味が悪い。

 それにこの狼たちはやはり人間との共生に向いた性質のようだ。

 いくどか森で出くわした時にも、さくらがいるからなのか、敵対的な行動を取ることはなかった。

 争う必要がないほど森の恵みが豊かだということもあるのかもしれないが。



「あーぁ、服破れちゃった」

 芽衣子のぼやき。

 先ほどのデビコンとの戦闘中に転んだ時なのか、あるいは猛禽の爪が掠めていたのか、赤いトレーナーの脇が裂けている。


「おばさんに縫ってもらわないとかな」

「それ、もうだいぶ小さいんじゃない?」

「そうだけど、でも……」

 新しい服を用意することもできないのだから、繕って使わなければならない。

 その芽衣子の考えは正しいが、芽衣子は成長期の3年間を過ごしているのだから、当時の衣服ではサイズが合うはずがない。


「男物で悪いけど、俺の中学校の頃のがあるはずだから」

「んーそうだね。そうだよねー」

 赤いトレーナーは伊田家にあった芽衣子の衣類のひとつで、三年間着まわしているから今の破れ以外もそれなりにほつれが目立つ。


 今は日本人の平均身長並みの日呼壱だが、中学校の頃に一年たらずで20cm近く身長が伸びたことがあった。

 その際、新しく衣服を買ってはサイズが合わなくなりということが繰り返されて、ろくに着てもいない服が死蔵されている。

 納屋の二階の物置にあるはずだ。その頃の靴やらもあるだろう。


「お下がりで悪いんだけど」

「それは別に大丈夫だよ。これ捨てちゃうのが寂しいって思っただけ」

「捨てなくてもいいんじゃない。とりあえず直しておけばまた誰か……」


 ――子供にでも。


 と言い掛けて、慌てて口を噤む。

 どこの子供に着せるというのだ。誰と、誰の子供に。さくらとマクラの子供になのか。

「直しておくの?」

「……また何かに、使えるかもしれないし」

 言い繕う日呼壱。


 視線を明後日の方に向けていたので、芽衣子がふふんと何かを察した笑みを浮かべていることに気づかなかった。

 日呼壱にとっては未だに幼さの残る少女だが、その少女は体だけでなく精神も成長をしている。

「そうね、何かに使えるかもしれないものね」


 年長者の失言を追い詰めたりしない程度に、芽衣子は大人になっていた。



  ※   ※   ※ 

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