例え話
1
ニンギョ?なんだい、それ。少なくとも僕じゃないや。ニンゲンも違うよ、僕の名前じゃない。あぁ、君の名前か。え、名前じゃないの?
やだよ、今ちょうど太陽とタイミング合っちゃったから出たくない。
だからニンギョは知らないよ。どんな魚?魚じゃないの?あぁ待って、僕それなら多分知ってるよ。ニンギョ、あいつだ。
分かった、分かったよ。手短にね。僕があいつと知り合ったのは本当に偶然のことなんだけどね。もし僕が水面に顔を出さなきゃ会わなかったし、そもそもあいつが同じタイミングに顔を出さなかったら会わなかったし。
水の外で生活できないわけじゃないけど、僕らってあんまり水の外に出ない。僕みたいに好奇心の強いやつじゃなきゃ、わざわざ水面から顔を出したり陸に上がったりしないから、一生この池以外を知らずに死ぬんだと思う。だって食べるものはないから、上がって行く理由がない。僕?僕は外を見るのが好きだから。
その時だっていつも通り食事を済ませてから水面まで泳いでいった。その時は外を見るだけじゃなくて、陸に上がろうと思ったから、海藻を抱えていったのを覚えてる。友達にお土産を強請られたから、陸に出ようと思って。なんでって……土に直接乗っかると痛いから、僕はいっつも海藻を抱えていってそれを地面に投げるの。繰り返すうちに、少しずつ道みたいになって楽しい。うん、そう。それね。そのへんの全部、僕が投げたんだ。
あの時、水面から顔を出してさ、陸に上がろうと思った時に水の音がしたんだ。僕は隣の池……ほらあっちだよ、あっちの方に首を向けたのさ。
それが、あいつ。あ、考えれば僕、あいつの名前も知らない。ともかく、隣の池に生き物が住んでいたことすら知らなかったから、僕はとても驚いた。
「あれ、沼に住んでるやつなんていたんだ。」
向こうも驚いたみたいで、きょときょとと目線を泳がせていたのを覚えてる。沼ってちょっと違うよね、沼はもっと向こうにあるドロドロしたやつでしょ。ここはちょっと水が茶色いだけなのにさぁ。
「うん。ずっと住んでる。君もずっと?」
「そう。中にもっとたくさんいるぜ。」
初めて見る変な髪の色をしたあいつは、光を反射するくらい透明な池にプカプカと浮きながら笑った。君もあいつと似て変な髪の色だね。んーん、あいつは君よりもっと明るい色の。でも、茶色かったよ。
「それにしても沼になんか住んでるなんて驚いたわ。よくそんな所に住めるな。」
「そう?ずっと明るさが変わらないから居心地いいよ。僕からしたら君こそそんな所に住んでてすごいや。」
そう、陸に出た時たまに太陽とタイミングが合う時がある。太陽の光は気持ちいいけど、あんまり長く浴びてると肌も痛い。その点、中にいればいつも程よく薄暗いもの。多分、みんなが僕を変わり者だというのもそれが大きいんだろうなとは思う。でもみんなだって毒がある魚を「この痺れが美味しい」とか言ってバクバク食べてるんだから、大差ないよね。
「ふぅん……なぁ、なんで今まで会わなかったんだろうな。」
「さぁ。タイミングじゃないの。」
「俺、いつも同じ時間に出てきてるけど。」
「ジカン?」
なんだろ、それ。僕、初めて聞いた言葉だった。同じ?同じジカンってことは、えーと何か、物かな?君は知ってる?そう、知ってるのか。
「ジカンて、何。」
「いや、何って時間。太陽の位置で測るやつ。」
「太陽の位置……?太陽なんて出てるか引っ込んでるかじゃない。」
「いや、1日でゆっくり動くだろ。」
「イチニチ……?」
あいつと話すと、知らない言葉が多いの。君は知ってる?あぁほんと、もしかして君も池の人?ありゃ、違うの。
「なるほどな、沼には太陽がないから時間がねぇのか。」
「ねぇイチニチって何。」
「いや、気にすんな。でもなぁ……同じに見えんだけどだいぶ違うんだな……。」
あいつは僕の顔をじっと見て首を傾げる。
「同じに見える?ほんと?」
むしろ僕にしちゃ同じ生き物とは思えなかったよ。
「僕はそうは思えないけど。色が違うじゃない。そんな真っ茶色な毛は初めて見たし、君、肌だって随分ピンクでしょ。」
そういったらあいつはちょっと不服そうな顔をした。でも、なんも言わなかった。
「俺、もう戻るわ。そろそろ昼飯だし。」
「ヒルメシ。」
また初めての単語。君は分かるんだろうね。うん、やっぱり。
「ああそっか、昼もねぇのか。なんかおもしれぇな……また会おうぜ。」
「でもタイミング会うかわかんないよ。」
また、不服そうな顔。
「じゃあ……また、会えるといいな。」
「うん。そだね。」
それが、あいつとの一回目。その後、思ったよりたくさん会った、あいつは他のジカンにも来るようにしたからって笑ってた。会って、話して。お互い知らない言葉ばっかりだし、話はいつも噛み合わない。でもまぁ、楽しかったよ。
「陸に上がれるなら、こっちの方まで来れんのか?」
五回目か六回目か、あいつはそう言ってきた。あっちの池に住んでいるみんなは、水から体を出すと呼吸が出来ないから。あぁ、これは三回目に聞いた。僕はそうだよ、空気からでも水からでも酸素があればへーき。あいつ、水からじゃなきゃだめなんだってさ。エラ?コキュウ?とかなんとか。そう、それ。あいつ、魚みたいな体してんの。下の方だけ。足も尻尾もないんだ。
陸に上がった僕を見て、あいつは随分驚いた。なんで手が四本あるんだってさ。君と同じだね。君も、四本。うんそう、足だよね。あいつ、足知らなかったの。ね、君は尻尾ないの?へぇ、じゃあ僕らともあいつらともまた違うんだね。
僕その時ねぇ、池の近くまで行ってさ、水に入ってみようとしたんだよ。でも無理無理、あんなの生き物の住むところじゃないよ。肌がビリビリしてそりゃもう……エンソってなんだい?
気にしないで、って、なんだい……君もあいつみたいなこと言うんだね。
「絶対やだね、住むところじゃないよ。痛くないの?」
「全然。生まれたときからここにいるしよぉ。っつーか、なんかその言い方腹立つな。」
「でも、僕にとっちゃ住むところじゃないもの。」
「でも俺たちはここにいるんだ。生き物だぞ。」
また不服そうな顔。
「ごめんよ。」
「別に。」
それからねぇ、また三回くらいは会ったのかな。途中でね、友達と親にあいつの事はなしたら関わるなって言われたんだ。ひどい話だろ?毛が青くなくて足がない時点でバケモンだ、何されるか分からないぞって。でも誰も酷い目には合ってない。というか、会ったこともないし。どうして危害が加えられるって分かるんだって聞いたら、だあれも答えらんないから、ほっといた。
最後に会った時にさ、あいつにも同じこといわれたの。いや違うか。ええと、あいつも同じこと言われたってこと。もう、会えないって。親に止められたって。
「どうして会っちゃダメなの?」
「そういう決まりなんだってさ。」
「理由がないルールを守ったって意味無くない?」
僕としては素朴な疑問だったんだけどね、あいつまぁた不服そうな顔して黙っちゃって。しばらくして、ちっさい声で
「それが、当たり前だし正しいんだってさ。」
って、水に戻った。それから会ってないの。
ね、君ニンギョ探してるんでしょ?多分あいつがそのニンギョだよ。上が君と同じで、下が魚と同じ。そう、隣の池ね。でも言った通りだから、たぶん友達にはなれないよ。
帰るの?ふぅん、またおいでよ。あいつと友達になれなくて、退屈だったの。それとも、やっぱり君も、格好が違うから友達にはなれないのかい?
2
隆二が沙耶に渡した紙には、ご丁寧に異形の少女が話したことだけ書き起こされていた。紙には隆二のする質問はわざわざ書かれていなかったものの、別に彼の声が続くこともなく、録音は紙と同じく問いかけで終わった。うんともすんとも言わなくなったスマートフォンを取り上げて、隆二は引きつった笑顔を沙耶に向ける。
「これで、勘弁してもらえね?」
「捕まえんのは諦めようってこと?」
黙って肩をすくめる彼に大きく溜息をついてから、沙耶は立ち上がって手に持った紙を彼に放った。
「珈琲?紅茶?」
「……珈琲。」
不機嫌な声は明確な返事を避けたからか。マグカップを取り出しながら、彼女は小さく笑う。
「ねぇ隆二、証拠は?」
「は?」
「確かに私もそれ聞いた上で人魚捕まえるのは若干気が引けるけどさ。でもその子が本当に人間じゃなかったのかなって。あんたが人魚探すの面倒臭くなって、でっち上げたかもしれないでしょ。」
電子ケトルからこぽこぽと注がれるお湯の音と同時に、部屋中に珈琲の香りが広がる。
「お前さぁ。俺がでっちあげたとしてもさぁ……こう良心とか……。」
面倒臭そうに文句を垂れるものの、彼の顔には笑みが浮かんだ。もう彼女に人魚を捕まえる意思がないことが分かったからだろう。なにしろ長年の付き合いなのだ。伊達にこの水族館を譲り受けるよりずっと前から軽口を叩きあってきたわけではない。
「ほら。」
録音の再生で随分と電気を食ったようだ。充電を促すメッセージを無視して、隆二は沙耶に画面を見せた。
青い長髪、赤い目、白い肌。肩より下、腕も含めて水面から出ている半身は青い毛に覆われている。隆二が話を聞いてきた『少女』の写真だ。
「獣人なんてこんな近くにまだいたんだね。別に彼女でも良かったのに。」
そう。彼女でも良かったのだ。スマートフォンの代わりに握らされたマグカップへ視線を落とし、彼は舌の上でその言葉を転がした。彼女でも良かった。水族館に増やす生き物は、珍しいものなら、なにも人魚でなくて良かったのだから。
水族館の経営を沙耶が任されてから、ここは特に経営難になることもなく、特別繁盛するわけでもなく、一応黒字でここまで来た。新しく生き物を増やすことも出来そうだとなった時、沙耶は付き合いの長い隆二を捕まえてこう提案した。
ここで人魚を飼ってみないか、と。
現在、人魚はその肉を求めた乱獲により数が激減している。乱獲は規制されたが、むしろ水族館が野生の人魚を保護して飼育することは推奨されていた。人魚は警戒心が強く未だ保護に成功した水族館は存在しないため、成功すれば入館者増加が期待されるというわけだ。勿論、一飼育員である隆二も二つ返事で承諾した。保護に成功すれば政府から補助金も出る上、人魚が毎日見られるのも魅力的である、と。
そうして隆二の人魚探しが始まってからそろそろ二ヶ月が経とうとしていた。昨日来館者の女性から、青い髪の毛の女の子が池から顔を出しているのを見たという情報を得、隆二は今日朝から水族館からすぐ近くの池を見に行ったわけだ。池と言っても並んで二つある池のどっちかなぞ分からず、隆二が池たちから少し離れたところに体育座りする不審者になり果ててから三時間ほど。ひょこりと顔を出した獣人の少女に「ひぎょわっ」と奇声をあげ腰を抜かした彼の心中はお察しの通りである。何をしているのかと楽しげに少女から問われ、録音を開始しながら「人魚を見たことがあるか」と答えることが出来ただけ褒めて欲しい。
「獣人なんて、ウン十年前から保護の対象じゃない。話を聞く限り、彼女なら住処を変えるのにも抵抗なさそうだし。」
人魚よりもずっと前から、獣人は人間によって絶滅に追いやられたと思われていた。それこそ百年、二百年も前の話だ。
「いやさ、獣人にしろ人魚にしろ俺はもっと……んー、なんつーかな、獣に近いと思ってたんだよ。ありゃあ、保護というより誘拐にならないか?」
ふぅん、と少し馬鹿にしたように沙耶は口の端を吊り上げた。
「何、知能の話?それとも日本語が通じて驚いたとか。」
「まぁ、そんなところ。」
「でも、人じゃない生物でしょ。知能が低い生物なら捕まえても罪悪感がないってこと?」
「うん、まぁ、そうなるんだけどよ。」
沈黙。まぁ妙な話だ。見た目が人に近く、知能が人に近く。それだけで『動物』とは線引きしたくなってしまう。
「私ここの魚達も動物達も幸せだと思ってるんだけどなー。」
無音を破って、いつも通りの声色で沙耶は笑う。隆二はちらりと彼女を伺い見たが、目は合わなかった。
「……だと、俺も思うけど。」
「まぁ、『保護』って難しいよね。あーあ、何をとっても私達のエゴだ。」
カタン。マグを少々乱暴にテーブルに戻し、沙耶は唸った。目線はまだスマートフォンから離れない。
「隆二。」
「何だよ。」
ゆっくり顔を上げて、沙耶はニッと笑った。すっかり、いつもの顔で。
「ここの裏から池まで買い上げようか。誰も使ってないしさ、確かそんな高くなかったはずだし。ちょっと余裕あるから。そんで、池のあたりは立ち入り禁止にしちゃおう。」
隆二の動きが止まる。傾きかけのカップが危うい。
「そんでさ、その手前までちょっと増設とかしよーよ。うん、いいんじゃない。」
「なん、だよそれ、」
「エゴ。」
小さな低い声で、いやに力強く。半ば睨むように目を細めて、彼女はもう一度呟いた。
「私のエゴだよ。」
返事をしない隆二から、沙耶はひょいとマグカップを取り上げた。
「飲まないの?」
「……冷めた。」
憮然として返す彼にからからと笑い、そのままカップを持って立ち上がる。
「ねぇ、これでこの話終わりにすっからさ、一個いい?」
「んだよ。」
二人分の、本当はまだ冷めてなんかいない珈琲を電子レンジに並べる。いっそ沸騰するくらい温めてやろう、なんて考えて一人で笑いながら、彼女は振り返る。
「最後さ、なんて返したの?」
「さーな。」
曖昧に笑った隆二に、臆病者、と笑った沙耶の声は電子レンジを閉める音でかき消された。