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第二十三話 勇気の一歩(1)

(この理不尽な心の動きのことを「感情」と呼ぶのだ)


 もしも感情に絆されずにあの化け物にとどめを刺していたら、カイルも、ラミーも、死ぬ必要はなかった。親父を殺した自分のことを決して許しはしないだろうけど、彼らならクロガネを新しい時代に導いていってくれるはずだった。

 目の前の化け物を見上げた。おぞましい邪気を鱗粉のようにして放つ羽。ゆらゆらと揺れる尾。肉を一瞬にして引き裂く爪。額の二本のつのの間に光る邪悪な魔石。


「リョゼ」


 エデルの声に反応しているような心理的余裕はなかった。しかし、続く次の言葉に、リョゼはハッを目を大きく見開いた。


「心配するな。俺たちは仲間だ」


 くるりと首をエデルの方に向けた。剣を構え、頼もしい笑みを浮かべるエデルの隣で、ティナが面倒臭そうにため息を吐いた。


「本当は、こんな面倒なことにしてほしくなかったんだけどね」

「でも、失敗することは、誰にだってあるんだし」とミーシャ。

「わしじゃって、応援はしとるからな! 応援は!」とリオンは後方から声をかけた。


 仲間、か。

 俺は一体、何度救われることだろう。あるいは、来世の分の運も使い果たしてしまったのではないだろうか。

 俺は決して、孤独ではなかった。だから、このまま諦めて、この化け物を放置していいはずがなかった。新たな被害者を生み出さないために、クロガネを新たな時代に導くために、俺は戦わなければならない。


「すまなかった。この責任は、必ず俺が取る!」


 化け物が咆哮を上げた。大きく腕を振りかぶり、横薙ぎに払ってくる。五人は散り散りになって回避し、ティナとミーシャはその場で詠唱を始めた。大きな呪文を唱えるティナに注意を向けないように、エデルとリョゼが近接戦闘を仕掛ける。


「まったく効いてないな」


 魔力を操作して重たい一撃を加えているはずなのに、敵は素手で対等に渡り合っている。拳のスピードも早く、邪魔程度のミーシャの援護射撃のおかげで何とかかわすことができるほどだ。


「ぬぐぅ……」


 動きも俊敏で、エデルは腹に強烈な蹴りを食らって吹き飛ばされてしまう。化け物はエデルを追い、掴んで食らおうとした。しかし素早い追撃ではなかったため、できた隙で体勢を立て直し、冷静に回避する。すかさず放たれるミーシャの〈治癒魔法グエリア〉のおかげで腹の痛みが癒え、再び攻めに入る。リョゼもそこに加わり、激しい攻防が続いた。


「二対一でここまで戦えるとは。さすがだな、親父」


 リョゼは不敵な笑みを浮かべていた。


「魔業核の力で肉体も魔力も強化されているからな」

「わかってるよ。そんなことくらい」

「リョゼ、一瞬だけドーブルクの動きを止めておいてくれるか?」


 リョゼはちらりと見たが、彼の目的を尋ねる前に「了解」と頷いた。そして、〈肉体強化ドル〉で出力する魔力量を上げ、取っ組み合うような形になった。


「なあ、親父」

「…………」

「こうやって喧嘩するのはどれくらいぶりかな」

「…………」

「親父は絶対に手加減をしてくれなかった。俺はいつも泣かされてたけど、そのおかげでずいぶん強くなれたよ」

「…………」

「戻ってきてくれとは言わない。もう元には戻れない。親父は多くの人間を食い過ぎた。兄さんを食った。姉さんを食った。……ルイーナを食った」


 だからーー。


「俺は、俺にできるせめてもの罪滅ぼしをしなければならない」


 それは、自らの死を選ぶのではなく、この化け物を殺すことだ。

 リョゼの様々な感情をこめた拳が、化け物の頬に命中した。勢いのままに化け物は倒れる。再び拳を強く握りしめたリョゼの脇を、エデルが通り過ぎた。


「リョゼ、ありがとう」


 魔力のオーラを纏った剣を振りかぶり、起き上がろうとした化け物を袈裟に斬り裂く。


「〈一撃必殺ドルボイア〉!」


 放たれた魔力は広場一帯に拡散する勢いで、近くにいるリョゼはその凄まじさに硬直してしまった。砕けた床の破片が辺りに飛び散る。この直撃を受けてしまえば、普通の相手ならば跡形もなく消し飛んでしまうことだろう。しかし、エデルは目を細めた。


「やはり、まだ足りないか」


 化け物は、胴体を袈裟にぱっくりと裂かれながらも、二本の足で立っていた。戦っている最中からその硬さは理解していた。全力をこめた〈一撃必殺ドルボイア〉で、ようやく傷を負わせられるかというところだった。

 だから、長い間ティナが呪文を唱えていたのだ。タイミングを見計らい、この化け物に致命傷を与えるために。


「リョゼ、少し離れてくれ」


 ちらりとティナの方を見て、エデルはリョゼに声をかける。リョゼがその言葉に従うと、ティナは上級魔法の名を口にした。


「〈ウラ火球魔法フラム〉!」


 ティナの手元から魔法陣とともに最大級の火球が放たれると、それは一直線に化け物に向かって直撃し、大きく爆ぜた。爆風と煙が広間一帯に広がり、晴れた後、不気味なまでの静寂が五人を包み込んだ。


「エデル!」


 ドーブルクは仰向けになって倒れていたが、その額ではいまだに魔業核が禍々しい光を放っていた。エデルは魔業核を破壊しようと剣を握り直すが、リョゼの制止にきょとんとした顔を向けた。


「ちょっと待ってくれ」

「……どうした?」

「こいつは、最後に残された、俺のたった一人の家族なんだ」


 大切な者は、みな死んでいった。カイルも、ラミーも、ルイーナも。たとえ化け物になってしまったとしても、彼がいなくなってしまえば、自分は本当に独りになってしまう。

 その心情を察したのか、エデルは不審そうに眉根を寄せた。


「だからと言って、こいつを生かしておくことはできない」

「違う!」


 力強い声で叫び、一歩前に出た。


「だから……」


 そして、リョゼは顔を上げ、はっきりとした強い意志をもって言い切った。



「だから、俺に、とどめを刺させてくれないか?」



 エデルは拍子抜けしてしまった。先ほどは、仲間の情に絆されて魔業核の破壊をためらってしまった。そのために化け物はカイルとラミーを食らい、強い魔力を得た。だから、最期をリョゼに任せるのは残酷だと思い、エデルは自然な流れで魔業核を破壊しようとしたのだ。

 彼の瞳の奥に宿る魂に撃たれた。エデルの剣を握る手の力が緩み、そのまま一歩退いた。


「わかった。後は頼む」


 リョゼは感謝の意を込めて頷くと、ドーブルクの前に立つ。


「……親父」


 ピクリとドーブルクの指先が動き、エデルたちは咄嗟に構え直す。それ以上の反応はなかったが、どのような状況でも油断するわけにはいかない。

 リョゼは、自分を育ててくれた「父親」を前に、すっかり息子の姿に戻っていた。そのとき、彼の脳裏にはどのような光景が浮かんでいたのであろうか。彼の背中から漂う哀愁は、それを見ているエデルたちをも切ない気持ちにさせた。


「今まで、ありがとうな」


 そして、拳を振り上げた。ぽたりとこぼれ落ちた涙とともに、リョゼは最期の一撃を振り抜いた。頭蓋とともに魔業核が割れ、後には首のない化け物の死体だけがぽつんと残されていた。


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