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第二十二話 愛を知って(1)

 自分の視界が開けたことを意外に思った。いや、ここが俗に「天国」と呼ばれる場所なのか、とも思った。しかし、リョゼはまだ、紛れもない現実の中にいた。


「良かった。あのまま死んじゃったのかと思ったよ」


 リョゼの顔を覗き込んだ少女が、柔らかな笑顔を見せた。ぱっと見で華を感じるわけではない素朴な雰囲気の少女であったが、後ろで一本にまとめた亜麻色の長い髪が美しかった。


「……お前は?」


 固い面持ちのままで言うと、少女はむすっと眉根を寄せた。


「もう、せっかく助けてあげたんだから、お礼くらい言いなさいよ」

「別に、助けてくれと頼んだ覚えはない」


 俺の死への欲望を塞いだお前は、むしろ憎むべきだ、と思っていると、少女は深いため息を吐いて首を振った。


「わかったわ。あなた、そういうタイプの人なのね」

「タイプとかいうわけじゃなく……」


 せめて生きながらえたのなら、早くウィヴァンの街へと向かわなければ。

 しかし、体を起こそうとするものの、痛みで起き上がることができない。無理をして顔を歪めるリョゼを、少女は優しくベッドに押さえつけた。


「あー、あー。まだ動いちゃだめだって。っていうか、そんな怪我で動けるわけないでしょ」

「早くウィヴァンの街に行かねば……親父が……」

「お父さんが、どうかしたの?」


 親父が人を食っている、なんて言ったら面倒なことになりそうだから、ごまかしつつ説明した。


「親父が病に伏して動けなくなってしまったんだ。だから、俺はこれからウィヴァンへと向かい、医者を呼んで来なければならない。このままのんびりしていたら、親父が死んでしまうかもしれないんだ」

「あなた。もしかしてボーツギンからショートカットして行こうとしたの?」

「時は一刻を争うからな」


 少女は失笑した。


「バッカじゃないの? この山は危険な魔物だってたくさん出るし、山賊だって多いのよ。だから、あんなことになるんじゃない」

「そういうお前だって、山にいたんだろ」


 まあ、それはそうだけどさ、と少女は苦笑する。


「でも、私たちは、気配を消す魔法薬を全身にかけていたから、派手な動きさえしなければ気付かれにくいの。この山で採れる薬草が、結構高値で売れるのよ。だから、定期的にこの山には来てるの。それに、おじいちゃんだって結構強いし」


 ああ。そういえば、そんな魔法薬も売られているらしい。しかし、自分の腕に自信があったから、そんなものには大して興味もなかった。


「腹は減っとらんかね」


 すると、ノックもせずに入ってきたのは、ハゲ頭で仏頂面の老人だった。「おじいちゃん!」という意識が途切れる直前に聞いた単語を頼りにすれば、彼女の祖父だろう、と当たりを付けていると、案の定、少女が紹介をした。


「自己紹介がまだだったよね。私はルイーナ。この人は私のおじいちゃんのオットー。二人でこのボーツギンの家に暮らしているのよ」


 オットーが締め切っていなかったドアが揺れ、「みゃ〜お」という鳴き声とともに一匹の猫が入ってきた。その猫に目をやり、ルイーナはばつが悪そうに苦笑いをした。


「この子のことを忘れていたわ。この子はミャオ。私たちは、おじいちゃんとミャオの三人で暮らしているの。あなた、名前は?」

「リョゼだ。ポムの街から来た」


 心配だから家まで送っていってあげる、なんて言われたら面倒だから、ボーツギンからほど近い街から来たと嘘を吐いておいた。深い関わりを持つ面倒は避けるべきである。


「リョゼくん、腹は減っとらんかね。林檎、あるぞ」


 そう言いながら、オットーは右手で握りしめていた林檎を差し出してきた。すると、ルイーナは林檎を引ったくり、むっと眉根を寄せる。


「もう、おじいちゃん。そのまま出すなんて失礼でしょ。しかもきったない手で握りしめてきて」


 そうまくし立ててから、ルイーナはごまかすようにリョゼに笑ってみせた。


「ごめんね、リョゼくん。林檎、切ってくるから、ちょっと待っててね」


 ルイーナが部屋を出ていき、オットーと二人きりになった。沈黙を気まずいとは思わなかった。「気を遣う」なんて人間的な感情はとうに捨ててしまったし、助けてくれたことは恩に思うどころか、迷惑であるとため息を吐きたい気持ちでいっぱいだった。加えて、このオットーという人間からは明らかな敵意を感じた。二人きりになった瞬間、自分に向けられた意識の感じが変わった。


「正直、わしはリョゼくんを助けることに反対じゃった」

「助けてくれと頼んだ覚えはない」


 しかし、リョゼの淡々とした言葉を無視して、オットーは続ける。


「リョゼくん、君は、娑婆しゃばの人間ではないじゃろ」

「よくわかっているじゃないか」とリョゼは笑みを浮かべた。

「死にかけていた時の君の目を見ればわかるよ。君の目には生気が宿っておらんかった。しっかりと死を受け入れた者の目じゃ。あの状況から察するに山賊に襲われたのじゃろうが、そんな突然の出来事で殺されかけて、まともな人間ならば、生に対する欲望をむき出しにするものじゃよ」

「生に対する欲望とは、まともな人間ならば誰もが持つべき欲望だ」

「その通り。加えて、血にまみれた拳と脚。たった一人であれだけの数の山賊を相手にしたと思うと、ぞっとするよ」

「ルイーナには話さなかったのか? 誰も見ていない現場だ。たとえ俺が娑婆の人間だったとしても、見て見ぬ振りをするのがまともな人間のする判断だと思うが」

「わしは『まともな人間』じゃよ」とオットーは笑った。「しかし、ルイーナに限っては、違ったのかもしれんな」


 リョゼは失笑した。


「話したのか?」

「もちろん。そして、リョゼくんを助けることのリスクも説明はしたさ。じゃが、ルイーナは聞かんかった。助けられる可能性があるのに、それを見捨てていくことはできん、と言ってな。要領の悪い孫じゃよ。わしも残りいつまで生きられるかわからん身じゃ。わしが死んだ後、ルイーナが独りきりで生きられるかどうか、それが心配で仕方がないわい」


 オットーはドアに手をかけ、殺気のこもった瞳をもってリョゼを見つめた。


「わしもリョゼくんのことは見なかったことにする。じゃから、この老い先短い老人からせめてもの願いじゃ。口封じやら何やらと言って、わしらを殺すことだけはやめておいてくれんかの?」

「殺気を放ちながらの命乞いか?」とリョゼは鼻で笑った。「安心しろ。俺はポムの街からウィヴァンの街へ、親父を助けてくれる医者を探して山を越えようとしていた健気な青年さ。余計な面倒はごめんだよ」


 オットーは同調するように笑った。


「なら、よい。早い回復を祈るよ」


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