第二十話 ナルキサの救出劇(1)
× × ×
リョゼによれば、ボーツギン市の裏路地に、どこかの盗賊集団が作ったのであろう、正式ではない出口があるらしい。そこは、街が管理できないというよりは、管理することを諦めたと言った方が正しいのかもしれない。子供の作った完成度の高い秘密基地みたいな木造の住宅が建ち並んでおり、道路の真ん中では生きているのか死んでいるのかすらもわからない初老の男が横たわっており、道の端で座っている男の子が、憎しみのこもった眼差しをエデルたちに送っていた。
「ボーツギンにも、こんな場所があったんだね」
ミーシャが不安そうに周囲を見回しながら、一人言のように呟く。
「ボーツギンに来るのは、初めてなのか?」
「ううん。前にも一度来たことはあったんだけど、ちょっと街中を歩いたことがある程度だったから」
「大きい街になればなるほど、富める者と貧しき者の差が広がるんだよ。そして表向きは、街に貧しき者などいなかったかのように、その存在は隠される」
何の感情も抱かないということはできなかったが、無理に共感しようとしたり、哀れんだりすることはお門違いだと思った。苦しみを知らない者の共感は、ただ上から見下ろしているだけの行為に過ぎない。
リョゼは、何てことなさそうに肩をすくめた。
「まあ、クロガネみたいな裏社会の人間にとったら、都合の良い場所ではあるんだがな。ほら、木を隠すなら森の中と言うだろ」
強盗に襲われないように道路の端を歩き進めていき、角を曲がった。そこはさらに人気が少なく、物静かなことがやけに不気味に感じられた。
「あ、そのハンカチ、可愛いですね」
緊張しているのは一緒なのか、リョゼの頬を汗が伝った。その感触が気持ち悪かったのか、拭こうとして取り出した花柄のハンカチに、ミーシャが思わず反応した。リョゼは戸惑って顔を歪める。
「こんな状況で言うセリフか?」
「だって、リョゼさんって、クールなイメージがあったから。ピンクの花柄のハンカチを使うなんて思わないじゃないですか」
「まあ、それは俺も思ったけど」とエデルも苦笑する。「でも、おかげで、緊張もちょっとは溶けたんじゃないのか?」
「まあ……な」
さらに歩き続け、ある地点まで来ると、リョゼが「止まれ」と手で合図した。曲がり角を覗き込み、エデルたちの方を見た。
「とりあえず、エデルとミーシャはここで待っていろ」
そう言い残し、リョゼは一人で角を曲がっていた。「リョゼ様?」と男の声がした。
「戻っていらしたのですね。突然行方不明になられたと聞いていましたから、私は心配で心配で……むぐぅ」
低いうめき声の後に、おそらく男が地面に突っ伏す音がした。その男の身を案じる声がした後に、さらにもう一つのうめき声と同じ音が聞こえた。もう大丈夫だ、と言いながら、リョゼがエデルたちの前に顔を出した。
「容赦ないんだな」
おそらくはクロガネのかつての手下なのだろう。男の声は、心からリョゼの身を案じていたように聞こえた。しかしリョゼは、嘲るような笑みとともに片眉を上げた。
「それじゃあ、説得すればあいつが馬車を譲ってくれたとでも思うのか?」
「いや、それは……」
たしかに、そうだ。かつては仲間だったのかもしれないけれど、今はかつて所属していたクロガネを潰しに行こうとしているーーつまりは敵なのだ。
そして、かつての旅の中でも、裏切りや騙し合いなど、このような「容赦のない」場面には幾度となく遭遇してきたではないか。エデルは反射的に口にしてしまったことを即座に後悔し、首を振った。
「悪かった。俺たちの目的を忘れちゃいけないよな」
「こいつらは、エデルの大切な仲間をさらって化け物の餌にしようとしている奴らだということも忘れるなよ」
「ああ。わかった」
エデルが頷くと、リョゼは淡々と次の説明を始めた。
「馬車に乗ってほしいんだが、基本的に運搬の馬車は二人一組で乗ることになっている。だから、一人は荷台に乗らなくてはいけないわけだが、俺は馬を操らなければならない」
リョゼはエデルとミーシャを交互に見た。ミーシャはリョゼを見て、次にエデルに視線を送った。さすがに、狭い御者台に会って間もない男とミーシャを二人きりにするのは危険だろう。リョゼの方が。
ということで、エデルは苦笑気味に口の端を上げ、「わかってるよ」と頷いた。
「俺がリョゼと一緒に乗るよ。ミーシャは荷台に隠れていてくれ」
「うん。わかった」
リョゼはすでに顔が知られているため、マスクをして、頭にはバンダナを巻いた。エデルも目立たないようにと、フード付きの上着を羽織った。
道中、エデルとリョゼの間に会話らしい会話はなかった。エデルは気を使って話題を振ろうとしたが、リョゼは「静かにしてほしい」と言った。
「クロガネの御者は余計な話をしないからな。話していたら、違和感から気付かれる可能性があるんだ」
なるほど、そういうことか、とエデルは前を向く。しかし、黙って考え事をしていれば、浮かぶのはティナとリオンのことだった。すでにドーブルクに食われてしまっているのではないか、と思うと、握る拳の力が強くなった。
「心配するな」
すると、リョゼはエデルの方を見ることもなく、一人言のように言った。
「捕らわれた者たちの居場所はわかっている。約束は守る。ナルキサに着いたら、まずはエデルの仲間たちの身の安全から確保することにしよう」
「ああ。ありがとう」
そして、リョゼの手綱を握る手に力が入った。
「そろそろだ。油断するなよ」
街全体がクロガネのアジトになっていると聞いていたから警戒していたが、思っていた以上に活気溢れる普通の街並みだった。レストランだってあるし、オープンカフェでは優雅にコーヒーを嗜んでいる男女の姿も見受けられる。どちらかと言えば経済的に豊かで、犯罪とは無縁そうにも見える。
馬車はさらに先へと進んでいき、ある地点からは空気も土煙で濁ってきた。ナルキサが「炭鉱の町」であることを改めて思い出させられた。
「やあやあ、荷物の運搬、ごくろうさま」
大きめの馬車小屋の前まで来ると、愛想の良い男性が話しかけてきた。リョゼは和やかな笑みを見せつつ、「ボーツギン市からの届け物なんだが」と言った。すると、男性の表情が一瞬だけ硬く強張り、また元の柔らかい表情へと戻った。
「なるほど。それはごくろうさま。さあさ、こちらへ」
そして案内されたのは、石造りの巨大な建物と併設されている、こじんまりとした馬車小屋だった。中に入ると、いかつい雰囲気の大柄な男が隣の石造りの建物の方からやってきた。
「ごくろう。後はわしがやっておくから、お前たちは行っていいぞ」
リョゼとエデルは馬車を降りる。
「……っ!」
リョゼは男の側を通り過ぎる時、凄まじい速度でその首筋に手刀を食らわせた。力の抜けた男はその場に倒れ、リョゼは何事もなかったかのように荷台を覗き込み、ミーシャに「出てこい」と首を振るだけで合図をした。
「この場を誰かに見られるとまずい。早く行くぞ」
リョゼはこっそりとドアを開け、左右を確認して安全を確かめると、二人に合図をする。建物内の構造は把握しているのか、リョゼの足取りは迷うところがなかった。その間、幾人かの人とすれ違ってヒヤヒヤしてしまったが、幸い何も言われることがなかった。街全体がクロガネのアジトと言っていたが、メンバー一人一人の顔を完璧に覚えている人がほとんどいないということなのだろう。しかし、ある女性とすれ違ったとき、彼女が「ん?」と不思議そうに眉根を寄せ、足を止めた。
「あの」
呼びかけられ、三人は足を止める。もしかしてですけど、と自信なさそうに振り返り、リョゼの顔を見ると、「やっぱり!」と大きな声を上げた。
「リョゼ様! お戻りに……」
リョゼは面倒臭そうに顔を歪めた後、女性の口を塞いだ。




