第十七話 蛇王リオン(3)
大蛇の圧倒的な殺意は、エデルにもティナにも攻撃の隙を与えなかった。ミーシャが巨大な〈大・岩壁魔法〉を展開するものの、それは呆気なく壊されている。
(これが魔業核の恐ろしさか)
しかし、言葉通りに「呆気なく」というわけではない。魔王を倒した大魔術師が召喚した岩壁なのだ。それなりの防御力はあるし、それを強引に突き破っているわけだから、無傷でいられるはずがない。大蛇は鼻先から流血しているし、普通の生き物であれば、痛みのために岩壁の破壊を躊躇するはずだ。まるで痛みの概念すら忘れてしまったかのように、大蛇は猛攻を止めない。魔業核は正気を奪う悪魔の魔石だ。きっと大蛇は、その身が滅びるかエデルたちを殺してしまうまで、その攻撃を止めることはないだろう。
「〈回復魔法〉!」
防御と回復の魔法を交互に発動するミーシャの顔にも、疲れと焦りの色が見え始めていた。この鬼ごっこが続き、ミーシャの魔力が尽きたとき、そして二人の体力が限界に達した時、それが最後となるだろう。
(仮にも世界を救った勇者のパーティだぜ。まさかここまで苦戦するとはな……)
エデルは自身の自惚れを、その身をもって体感した。
「ぐっ!」
ぺっと吐き出された不意打ちの毒唾。何とかかわすものの、エデルは足を滑らせて転んでしまう。ミーシャに目を向けると、精神を集中させて呪文を唱えている真っ最中だった。ティナとの距離も、だいぶ離れている。
(防御しても……無駄だよな)
エデル!、とティナが叫ぶ声が聞こえる。しかし、こんな小さな人間の体で、大蛇の巨大で重たい一撃を受け止められるはずがない。
(かわすしか、ないか。できるかな……)
自分で思って、自分で笑った。〈肉体強化〉を脚に限界に集中させたとしても、間に合うかどうか。何しろ尻餅をついて後ろに手をついたこの体勢が悪い。
(いや、やるしかねえか)
そう思った刹那だった。何かがエデルの上空をひゅんと通り抜けたかと思うと、それは大蛇の鼻頭に手を触れ、勢いよく地面に叩きつけた。女は、軽やかに地面に降り立った。ミーシャは思わず呪文を中断し、その女の姿に目を見張った。
「ま、魔王リオン!」
そこに佇む女を見て、エデルもあんぐりと口が開いたままになった。ティナもきょとんと目を丸くしている。彼女は以前の情けない小さな女の子ではなく、かつて勇者エデルと対峙した妖艶な魔王の姿をしていた。華奢な体躯にも関わらず豊満な胸を持ち、黒い艶やかな長髪を風になびかせている。きりりとしたクールな眼差しで大蛇を見つめ、リオンは不敵な笑みを浮かべた。
「所詮、わしも女じゃったということかの。ヘミンのために、わしは貴様を受け入れることに決めた。わしは貴様の『子』となる代わりに強さを入れ、やがて貴様となり、この森の一部となる」
リオンは一歩、また一歩と大蛇の傍に歩み寄っていく。
「支配者の力を借りて支配者を食ろうても、それはわしの勝ちとは言えん」リオンは大蛇の瞳に自分の顔を近づけ、くっくと笑った。「悔しいが、貴様との勝負、わしの負けじゃよ。しかし、わしは貴様に負けたのではない。愛に負けたのじゃ。そうまでしても、わしには愛せずにはいられない者がおるのじゃ」
大蛇は、それに対して何も返答することはなかった。すでに魂の奥まで魔業核に侵食されてしまったのかもしれない。
(……ありがとう)
その声はどこから聞こえたのか、あるいはリオンの空耳なのか。リオンは、一瞬だけ支配者の瞳に光が宿ったのを感じた気がした。
「キシャァァァァァァァァァァ!!!」
大蛇は首をもたげ、リオンに向かって金切り声を上げる。リオンは大蛇から距離を取り、じろりと睨みつけた。
「貴様の力がいかがなものか、わしが試してやろうではないか」
すると、リオンから寒気のするようなぞわりとした魔力が流れ始めた。リオンの体が、徐々に変形していく。体は硬そうな鱗に覆われ、虹彩は金色に、漆黒の瞳孔は縦長になり、禍々しい光を放っていた。両手の爪は鋭く尖っており、後ろの腰のあたりから伸びた尻尾を左右にゆらゆらと揺らしている。開いた口からは鋭い牙が見え、ちろちろと舌を出す様は蛇のようだった。
リオンの突然の変化を見たエデルは、息を呑んだ。
「久々の感覚じゃな。殺したくてうずうずするわ」
エデルは全神経が張り詰め、背筋が凍るのを感じた。それは、初めて「魔王リオン」と相対したときの感覚とよく似ていた。
リオンは右手の人差し指と中指を立て、ぼそぼそと何かを呟いた。おそらくは呪文なのだろう。リオンの目の前に赤色の魔法陣が出現し、そこから巨大な火球が放たれる。
「〈超・火球魔法〉!」
最大級の火球魔法は大蛇の首元に直撃し、そこから頭まで一気に焼き尽くす。大蛇はそれでも怯むことなく、リオンに向かって突進していった。
「哀れな奴め」
リオンは悲しげに言い、その燃え盛る頭を思い切り蹴り飛ばす。
「リオン! 魔業核だ! 額の魔業核を破壊してくれ!」
「わかっておるわ!」
華麗なステップで移動し、リオンは赤い光を放つ魔石を憎々しげに見つめた。
リオンが魔力を集中させると、左の手首から先が槍のように変形した。その腕を振りかぶり、魔業核へ向けて一気に突き刺す。
「……案外硬かったの」
しかし手加減をした一撃ではヒビすら入らず、リオンは格好がつかずに眉をひそめる。
「ふん、まさかこんな形で貴様と別れることになるとはの」
やむをえない。支配者の頭ごと吹き飛ばすしかない。そう判断したリオンは、エデルに支配者から離れるように呼びかける。
「あ、神の娘とミーシャは近くにいてくれてもいいんじゃぞ」
「リオンちゃん! ツンデレなとこも可愛いよー!」
それが緊迫した状況を緩和させるための精一杯のジョークだと受け取ったミーシャは、できるだけ明るい声音で冗談らしく返す。ティナはリオンに助けられていることが不服なのか、眉をひそめたまま黙り込んでいた。
(リオンちゃん、こんな状況で冗談を言えるなんて、案外たくましいのね)
しかしジョークでも何でもなく、最初から本気でティナとミーシャを爆破させたかったリオンは、むきーっと牙を向いた。
「ふざけんじゃないわい! だぁれが貴様なんかにデレるか!」
「あはははは! リオンちゃん、早くしないと、支配者が目を覚ましちゃうよー!」
(あやつ、この状況であんなアホらしい笑顔を見せられるとは、さすが勇者が認めた魔術師なだけのことはあるな)
そんなことを考えながら、リオンは呪文を唱え始めた。そして——
「〈大・爆発魔法〉!」
魔業核を中心にした爆発は、あたりの木々をなぎ倒し、大蛇の頭を木っ端微塵に吹き飛ばした。後に残ったのは、陸に打ち上げられて息絶えた魚みたいに生々しい大蛇の死体だけだった。
「これでひとつめの魔業核は終わり、か。とりあえず、ティナが魔法陣の生贄にされる危険はなくなったわけだ」
「エデル、ありがとう」
ティナがエデルの元に歩み寄ってくる。エデルも彼女に微笑みかけた。
ふう、と息を吐くと、途端に体の力が抜けた。エデルは木の幹に体を預け、心を落ち着かせるためにしばらく目を閉じた。
「エデルゥ!」
ぴょん、と飛び上がってエデルの胸元に飛びついてきたのは、幼女化したリオンだった。ミーシャもエデルの名を叫びながら駆け寄ってくる。
「大丈夫だった、エデルくん? いま魔法をかけてあげるね」
そう言って、ミーシャは疲労回復の〈回復魔法〉をエデルにかけた。同様にして、ミーシャはティナとリオンにも同じ魔法をかける。エデルも心配そうにミーシャに声をかけた。
「そういうミーシャだって、魔法を使いっぱなしで疲れたんじゃないのか?」
「大丈夫だよ。私は狙われなかったから、ずっと魔法に集中することができていたんだもん。でも、やっぱり一番疲れたのは」
元気に飛びついてきたと思ったら、リオンはその胸ですやすやと眠っていた。いずれにせよ、リオンに助けられたことは事実だ。まあ、今日くらいは楽にさせてやってもいいんじゃないか、とエデルは苦笑いをした。ティナも仕方がないと肩をすくめた。
「とりあえずこの森を早く出よう。ぼうっとしてても魔物に襲われるだけだし、ここを出たら……たしかボーツギンが一番近いな。休むならボーツギンに入ってからゆっくり休もう」
「さすがの私も疲れちゃったよ」とティナは眉を八の字にして言う。
「うん、そうだね」とミーシャも苦笑いを浮かべる。
エデルはリオンを負ぶい、ティナとミーシャは左右から彼を挟み、方位磁石の指し示す方向に向かって再び歩き始めた。
〈謝罪〉
次回の更新は少し期間が空いてしまうかもしれません。




