第十六話 支配者(ルーラー)(2)
「どこじゃ、ここぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
アニメや漫画で「嫌いなキャラクターランキング」上位に入賞するのは、まさにリオンのような存在であろう。自分勝手で周りの迷惑を顧みない。エデルの心のこもった説得を受け入れたかと思えば、空気を読まずに自分の意思を貫き通すという傲慢さを併せ持つ。挙句の果てには、現在、先ほど偉そうに説明をしていた〈幻夢の霧〉によって自分自身が迷子になっている最中なのだ。それは三人の後ろをとことこと歩いているときでのことだった。
(支配者の卵を食えば、確実に魔物と戦えるだけの力が手に入る。イコール、ヘミンの力になることができる。イコール、ヘミンの隣に立つことができる。イコール、わしはヘミンと結ばれる……)
これで邪魔者二人を追い払うことができるぞ、とリオンは不敵な笑みを漏らしていた。
(完璧じゃ! 完璧すぎるぞ! 足手まといもこれで終わりじゃ!)
そして勝ち誇った笑みをティナとミーシャに向けようとしたとき、すでにリオンの近くには誰もいなかった。
(ま、迷った?)
リオンは焦った。この状態で魔物と出くわしたら完全に終わる。そして……。
「ぎええええええええええええええええええええ!!!!!」
先ほどの大声(どこじゃ、ここ?)が近くの魔物の耳に届いたのか、リオンの前に三体の狼型の魔物〈ルウ〉が現れた。リオンは叫んで尻餅をつき、逃げようとする。しかし、獣の足から逃れるだけの脚力は彼女にはない。完全な魔人だったときとは違い、空を飛んで移動することもできない。リオンは悟った。
(飛べない幼女は、ただのガキじゃ)
「たぁすけてぇぇぇぇぇ!!!」
しかし、その刹那、〈ルウ〉たちの動きがぴたりと止まった。リオンも、そのピリピリとした圧倒的な威圧感を肌身に感じ取った。顔を上げ、その男を見る。男は一言、とても静謐で、重圧感のある低い声音で言った。
「去れ」
すると、〈ルウ〉たちは途端に体をビクリと震わせ、遠くへ逃げていった。時が止まったような気がした。しかし、男の次の優しい一言で、リオンの緊張は一気に溶ける。
「少女よ、怪我はないか?」
ハッとして、リオンはこくりこくりと何度か小さくうなずく。
「も、もちろんじゃ!」それから、小さな声で言う。「……ありがとう、ございます」
あのリオンでさえ、思わず敬語になってしまうほどの迫力。それに対して、男は淡白に答えた。
「構わん」
着物に身をつつんだ壮年の男だった。黒い髪を肩甲骨のあたりまで伸ばしたがっちりとした体躯で、意思の強そうな太い眉毛に、虎をも射殺すような鋭い眼光。口元に蓄えたひげを見ると、ただそこに佇んでいるだけでその存在感を感じることができる。
「幼い少女が一人で、この破蛇の森に何をしに来たのだ?」
「そ、その、支配者と話をつけて、卵を食おうと」
「支配者の卵を?」男は片眉を上げた。「俺のライバル候補、というわけか」
「ライバル候補!?」
リオンは驚いて目を丸くした。これほどの達人も、支配者の卵を求めて破蛇の森に足を踏み入れているのか!
「ということは、お主も?」
「もちろんだ」
しかし、と男は不審そうにリオンを見つめた。
「お前には、強さを求める理由があるのか?」
「強さ?」
突然の問いにたじろいでしまったが、リオンは唇をぎゅっと引き結び、目元に力を入れ、力強くうなずいた。
「わしは、ある男のために強くなろうと思っておるのじゃ」
「ある男?」と男は表情を変えずに尋ねた。
「しかしどういうわけか、その男の周りにはいつも女が群がってくるのじゃ。美しい花に群がる蝶のようにの。しかし、わしは思うのじゃ。恋に優しさはいらんのじゃと。機会があれば、迷わずそこに手を伸ばすべきじゃと。今がその『時』なのじゃ。わしはこの旅の最中にその男の好意を得て、結ばれる所存じゃ。そのために、わしは強くなる必要がある。その男に必要とされるために。『隣にいてほしい』と言ってもらうために」
それが、わしの「強さを求める理由」じゃ、とリオンはいつになく真剣な表情で言った。リオンは、自分の目の前に立つ男に嘘を吐くことができなかった。否、嘘を吐いたところで、その男にはすべてを見透かされてしまうと思った。
男はリオンの話を最後まで黙ったまま聞き、一回だけ大きくうなずいて見せた。
「よかろう」と男は静かに言った。「俺に付いてこい。お前を俺のライバルとして認めてやる」
「と、いうことは……」
(支配者のところまで、わしを連れていってくれるということかの! このような達人が!)
「よっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
男は、リオンをうるさそうにちらりとすがめただけで、自らの名を名乗った。
「俺の名はダオシ。放浪の剣豪だ」
「わしの名はリオンじゃ。よろしく頼むぞ!」
ダオシは圧倒的な威圧感を放ち続け、一切の魔物を寄せ付けなかった。ただ「去れ」と一言放つだけで魔物を追い払ってしまう様は、まさに達人のそれだった。この男が実際に剣を手に取ったとき、果たしてエデルは彼に勝てるのだろうか、とリオンらしからぬことを考えてしまった。あるいは、もしこの男が敵に回ったとき……。
「ダオシ殿は、今までにどれだけの修行を積んでそこまでの力を身につけたのじゃ?」
「それは、お前の知る必要のないことさ」
「じゃから……」
と言って、リオンは口をつぐんでしまった。ヒリヒリと伝わる静かな怒りのオーラを前にして、言葉を発することができなかったのだ。
(この男、あるいは過去に何か重たい出来事でも……?)
だとしたら、詮索するのは野暮だ。リオンは申し訳なさそうに肩を落とした。
「すまん」
「リオンが気にすることなんて一つもないさ。俺の過去についても。今の発言についても」
「……わかった」
その後も、二人は黙ったまま歩き続けた。次第に、リオンはダオシに対して信頼感を抱くようになった。この男といれば、無事に支配者の元に辿り着くことができる。そして、卵を食らい、エデルの力となることができる。もちろん、いつかはこのダオシと戦わなければならなくなる可能性を考えれば、腹が痛くなってくるのではあるが。
「ダオシ殿……こいつも頼めるかの」
二人の前に現れたのは、出会うのも稀な凶悪な邪気を放った魔物だった。二本足で立つ狼のような魔物で、その体もダオシの二倍以上はある。右手には棍棒のようなものを手にしており、狙いを完全にこちらに定めている。
それでもダオシは怯むことなく、腕を組んだままその魔物に鋭い眼差しを送った。
「去れ」
沈黙。しかし、魔物はダオシの威圧にすら怯むことなく、一歩彼に近づいてきた。
「戦うしかない、というわけか」
リオンはちらりとダオシに視線を送る。すると、ダオシは無言で剣の柄に手をやり、それを引き抜いた。正直なところ、リオンは少し楽しみであった。威圧だけで魔物を追い払う男が、一体どれほどの技を持っているのか。それを目の当たりにできることが。
「あまり好ましいやり方ではないが、やむを得ん、というわけか」
そして——
「この剣はリオンに託そう。新しい剣は、また別の街に行ったときに買うことにするよ」
「へ?」
ダオシから剣を手渡され、リオンは戸惑った。
「ちょ……」
任せておけ、とダオシは有無を言わさぬ口ぶりだった。
「お前の分まで、俺は生きる!」
「ええええええええええええええええええええ!!!!!」
何を言うよりも先に途轍もないスピードで逃げ出したダオシの背中に、リオンはただ大声を上げることしかできなかった。
「無理じゃん! 何の魔力もないわしがあんなの倒せるわけないじゃん! え? ええ? ちょっと待って! どういうことぉ! めっちゃ格好良く倒してくれるんじゃないのぉ!?」
ダオシの背中は、すでにゴマ粒みたいに小さくしか見えなくなっていた。ほとんど人間であるリオンに追いつけるはずもない。プライドを捨てた男の背中は、様々な意味で小さくなっていた。その逃げ足もさることながら、愕然としたリオンには余計に小さく見えてしまったのかもしれない。
(あいつ……そういうことかの!)
お前には、強さを求める理由があるのか?
その問いに対し、リオンがたとえどのようなことを言ったとしても、「よかろう。俺に付いてこい」と言うつもりだったのだろう。要するに、リオンは困ったときの身代わりなのだ。弱い相手ならば、めちゃめちゃ威圧感を放った「去れ」の一言で追い払うことができる。しかし、もちろん、そうはいかない場合もある。自分に戦闘能力がないから、身代わりに戦わせ、その間に自分は全力疾走で逃げる。まさに「見掛け倒し」を描いたかのような男である。
(次に会ったときに絶対殺す。次に会ったときに絶対殺す……)
次に会えるかわからんが……の、とリオンにしては弱気なことを考える。
リオンは、剣の柄を憎しみで強く握った。しかし、今はダオシに怒りを感じている場合ではなかった。くるりと振り返ると、そこには自分などでは到底敵うはずのない魔物の姿がある。
「わしはやめて! あいつにして! 今逃げてった奴!」
そんな命乞いが魔物に通用するはずもなく、相手は大声で吠えて棍棒を振り上げる。
「げええええええええええ!! 死ぬうううううううううう!!」
リオンは剣を放り投げ、その場でうずくまって丸くなった。




