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第十四話 ビルヴェンシア、再び(1)

 世界は気付いていなかった。まだその脅威が去っていなかったことに。

 神は不敵に笑った。


「準備は整った」


 世界の神が眠り、新たな神が目覚めるときだ。


× × ×


「優馬ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 下校をするのは、比較的楽だと思っていた。登校に関しては、朝食を取りに桜井家にやってくるティナから逃れる術はないが、彼女は学校では人気者なのだ。多くの生徒たちに絡まれている隙を突いて、忍者かコソ泥みたいに忍び足で教室を出ていくことは容易である……はずだった。


「〈蔓魔法(マイト)〉!」


 ティナの指先から、魔法陣とともにしゅるしゅると蔓が伸びてくる。


「あ!」


 しかし、その攻撃にも慣れてきた優馬はさらりとかわし、道をはずれてティナを()こうとした。


「ねえ、優馬! 待ってよ! 待ってってば!」

「待てと言われて待つくらいなら、最初から逃げたりしねえよ!」


(くっそ! 本当に面倒臭えなあ!)


 優馬は顔をしかめ、全力疾走をする。


「〈蔓魔法(マイト)〉!」


 しかし、相手は全知全能の神の娘だ。優馬は二度目の魔術をかわそうとするものの、足首をつかまれ、地面に転がってしまった。うまく防御の姿勢を取ることができず、この日はひどい転び方をして、コンクリートの地面に叩きつけられてしまう。


「大丈夫!?」


 眉を八の字に心配そうな顔をして、ティナは優馬の顔を覗き込んだ。


「怪我はない?」


(ああ、こんな美少女がたかが転んだだけの俺の身を案じてくれるなんて……)


「……とでも言うと思ったか、このやろぉ!」

「え、何! 何!?」


 体中に痛みが走り、優馬の怒りは頂点に達した。元々が孤独を愛する青年なのだ。いくら美しい少女とはいえ、毎日しつこく追われてしまってはさすがにストレスが溜まる。地面に突いた手の平は擦りむけて血が滲んでいるし、「せっかく魔王を倒したっていうのに、どうしてこんな目に合わなくちゃいけないんだよ!」と瞋恚(しんい)に燃えた。


「お前の方から魔術で転ばしといて、何が『怪我はない?』だよ。ふざけんな!」

「だって、仕方ないじゃん。優馬が逃げるんだもん」


 ぶー、とティナは唇を尖らせる。


「逃げるというのはお前に対する拒絶の意思表明なんだ。それがわからないのか?」


 突き放すように言うと、ティナもわずかに眉根を寄せた。


「私だって、こんなに優馬のことが大好きなのに、どうしてわかってくれないの?」

「これを見ても、お前は俺のことが『好き』だって言えるのか?」


 優馬が擦れた手の平を見せる。ティナはすぐにその手を取った。


「じゃあ、治せばいいんでしょ? 治せば」


 不貞腐れたように言って、ティナは優馬の体全体に〈治癒魔法(グエリア)〉をかけた。優馬は「ああ。ありがとう」と反射的に言ってしまってから首を振り、「だから、そういう問題じゃねえんだよ」とティナを嗜める。


「見事なノリツッコミ」

「冗談じゃねえぞ!」


 とうとう、優馬の堪忍袋の尾が切れた。


「ティナは、いつも自分のことしか考えてねえじゃんか。魔王を倒すのだって、元はと言えばお前の都合だろ? いつも思ってたんだけどさ、お前はどうしてときどき人の気持ちを察するってことができないんだよ。ビルヴェンシアで旅をしてたときだってそうだったじゃねえか。お前があんまりにもくっついてくるから、ミーシャが不純異性交遊がどうのこうのとか言ってパーティから抜けそうになったことがあっただろ。あのときだって、ミーシャの機嫌を直すのに相当苦労したんだぞ」


 苛立った優馬の口から次々と棘のある言葉が飛び出すものだから、ティナは次第に小さく肩をすぼめた。


「そもそも、ティナは、俺のことを一度でも考えたことがあるか? まったく考えたことがないだろ。お前が考えているのは、いつも自分のことばっかりだ」

「わ……」

「大体なあ、ティナは……」

「……私だって!」とティナはふいに叫び声を上げた。「私だって、優馬のために一生懸命頑張ってるのに!」


 優馬は呆気にとられて、きょとんと目を丸くしてしまった。


「私は、本当に優馬のことが大好きなんだもん! それで……それで、どうやったら優馬に私のことを好きになってもらうかって言ったら、こうやって直接『好き』の気持ちを伝える以外にないじゃない! 私は……本当にっ! 本当にっ……」


 優馬はもどかしそうに後ろ手で頭を掻いた。あまりにも素直が過ぎて、ちょっと参ってしまったのだ。


「いや、だから、その気持ちは本当に……」

「もういいよ!」とティナはきっぱりと言った。「優馬は私のこと、なんにもわかってない! 私のことを避けるくせに、他の女の子とばっかり一緒にいて! 優馬は本当にひどいよ! 私が一番、優馬のことを愛しているのに!」


 ティナはむすっとした顔のまま立ち上がる。


「わかったよ」とティナは陰鬱そうな声を絞り出す。「わかったよ。もう……、優馬がそこまで言うんなら……」

「お、おい……ティナ!」


 優馬が引き止めるよりも先に、ティナは家に向かって歩き去ってしまった。

 深いため息を吐いてがっくりと肩を落とし、優馬はしばらくその場でぼうっとしていた。怒りとか、罪悪感とか、様々な感情がごっちゃになって、叫び出したい気持ちでいっぱいだった。ティナのことは嫌いではない。むしろ……。


「ああ。もう、本当に面倒臭ぇ奴」


 やがて優馬は立ち上がり、とぼとぼと家に向かって歩いていった。


「あら、優馬くん、おかえりなさい。今日の夜ご飯は、優馬くんの大好きな唐揚げよ」


 すみれに返事をすることもなく、優馬は二階の自室へと階段を上る。すみれは、きょとんと目を丸くして優馬の後ろ姿を見つめていた。

 その内、雪菜が帰ってきた。何か軽食を取りに来たのだろうか、晴敏がリビングにやってきたものの、たぶん何か粗相でもしたのだろう、ハリセンの音が一階で響いた。優馬とティナがいなくても、桜井家はいつも通りに騒がしい日常を送っていた。


「おお、十七年ぶりの唐揚げじゃないか」


 晴敏がからかうように言うが、優馬は冗談で返す気になれず、苦虫を噛み潰した顔のまま黙っていた。


「お、おい、どうした! 俺がスベったみたいになるじゃないか!」

「お父さんはスベってなんかいないよ」

「おお! うちの次女はやっぱり優s……」

「お父さんは、そもそも何も面白いこと言ってないから」と雪菜はきっぱりと言った。

「……もっとひどいやつじゃないか」


 晴敏はがっくりとうなだれる。

 雪菜はちらりと優馬の方を見るが、苦笑いすらしていなかった。いつもの優馬なら、家族内でのいじりには大体乗っかってくるか、乾いた笑いくらいはするはずだ。雪菜は、優馬の顔に差した陰を敏感に感じ取った。


「どうしたの、何か元気なくない?」

「そういえば、ティナちゃんもいないわね」とすみれが言った。

「神の娘のことは気にせんでもよかろう」


 リオンはそう言って、白米を口に含んでゆっくりと咀嚼(そしゃく)した。


「それよりも、今はゆったりとした夕餉(ゆうげ)を楽しむべきじゃと思うぞ」


 どうしてこいつが桜井家にいるんだ?

 あるいは、作者黒井ねこによる書きミスなのではないか?

 そう疑問に思った読者様は正しい。しかし、(元)魔王リオンの初登場シーンをもう一度振り返ってみてほしい。それは優馬と莉奈が二人きりで下校をしていたとき、ティナが割って入ったことで女同士は激しい口論を繰り広げた。


× × ×


「はぁ? 私の故郷は、ディスイズジャペェ……ああああああああああ!!!」

「お、おい、東雲! 大丈夫か?」

「『化け』の皮が剥がれてるよ。化け猫の猫被りさん」

「勝手なこと言うのはやめてよ!」


 ティナが挑発すると、莉奈はすぐにそれに乗ってしまう。そのまま、二人はバチバチと視線の火花を散らした。

 これって、喧嘩するほど仲が良いとかそういうあれだよな? あれだよね?、なんて思いつつ、優馬は二人の間に割って入る。


「おい、お前たち……」

「優馬はどっちなの!」とティナが詰め寄る。

「こうなったら、桜井くんに選んでもらおうよ。桜井くんは、私とティナちゃんのどっちの方が魅力的だと思う?」

「えぇぇぇ……俺ぇぇぇ?」と優馬は面倒臭そうな顔をする。「そうだなあ……」


 俺は、どっちかと言えばだなあ……。


「この子かな?」


 優馬が差したのは、ティナでもなく、莉奈でもなく、自分の足元だった。二人は同時にそちらへ視線を落とした。すると、そこには優馬の脚に絡みついている謎の女の子がいたのだった。


「あははー。そっかあ。私でも莉奈ちゃんでもなかったのかー。それなら、仕方ないね」

「たしかにー。これって、ある意味、一番平和的な答えだったのかもしれないね。こんなとんちの利いた答えが出せる桜井くんって、やっぱり素敵だな」


 不気味なくらいににっこりとした笑顔を浮かべて顔を見合わせた二人は、同時にその女の子に視線を戻す。

 そして、息ぴったりに叫んだ。


「「……って、誰ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!」」


(第八話より、抜粋)


× × ×


 そう、突然である。にも関わらず、まるで第一話から登場していたかのようにごく自然に存在している。(元)魔王リオンとは、つまりはそういう奴なのである。

 しかし、初めて彼女が桜井家に訪れたとき、「わしの名はリオン。将来、その男の妻となる女じゃぞ」と衝撃的な自己紹介を始めたことから、全員の視線が優馬に集まった。

 (元)魔王リオンは、結局はティナの家で居候をすることになったのだ。しぶしぶティナがリオンの生活費まで出し、幼女が深夜の街を徘徊しているという日本社会にあるまじき光景が見られることを避けたのだ。


「神の娘に関して言えば、わしは一応誘ってみたのじゃが、放っておいてほしいと言われたので、放っておくことにしたのじゃ」


 すみれ、雪菜、晴敏の三人が、一斉に空白のティナの席を見る。それから、すみれは優馬の顔を覗き込むようにして尋ねた。


「優馬くん、もしかして……ティナちゃんと喧嘩でもしたの?」


 ビクゥ!、と肩を震わせるが、優馬は「してねえよ」とぽつりと言った。


「そういうことらしいわ」


 すみれが言うと、雪菜は呆れたように肩をすくめた。


「リオンちゃん、ティナちゃんを呼んできてくれない?」

「えー、嫌じゃよー。わし、あいつに優しくする義理なんてないし」


 すみれは困ったように周囲を見回した。雪菜も、晴敏も、揃って首を横に振る。


「無駄だよ。どうせあいつは来ねえよ」


 優馬はぶっきらぼうに言った。

 その数分後。


「……来たよ」

「神の娘の分の唐揚げもわしが食べていいか?、と確認をしたら、飛んできよったぞ。くそうめ」

「すみれお姉ちゃんの唐揚げは絶品だもんね」と雪菜は苦笑する。


 優馬は何となくその場に居辛くなって、早く食事を終えてしまうと、すぐに自室に引き上げてしまった。それから勉強机の椅子に座り、本棚に並ぶ教科書を眺めながらぼうっと考え事をしていた。

 ティナを嫌っているつもりはない。むしろ心の中では近付きたいとすら思っている。莉奈との件だって、あれも仕方のないことだったのだ。公衆の面前でイチャついているカップルは、第三者から見れば不快以外の何物でもない。あのとき、もちろんティナも一緒に、という選択肢はあっただろう。しかし、それでは、前みたいに莉奈を放っておいてしまう結果となったはずだ。それがあんな結末を呼ぶとは、思いも寄らなかったにしても。


(ああ、くそ、面倒臭ぇな……)


 結局、優馬は莉奈の告白に対して首を横に振ったのだった。その答えを出すことに迷いはなかった。理由はわからない。彼女と二人で楽しい時間を過ごせたことは確かだけれど、まさかそこまでの好意を持たれていると思ってはいなかった。いささか鈍感すぎるのかもしれない。しかし、優馬は自分が他人から深い愛情を注がれるような人間だとは微塵も思っていなかった。


(俺って、実はものすごく最低な人間なのかな)


 優馬は沈黙したまま眉根を寄せた。ティナの存在と莉奈の告白に、彼の頭はひどく混乱していた。

 よくある問い。男と女の間に友情は存在するのか、ということについては、優馬は「ある」と思っていた。そもそもが女姉妹(おんなきょうだい)に囲まれる環境で育ったし、たとえば、初めて話して、次第に仲良くなるとする。男と女の関係になるのか、ただの友達になるのか。きっとそこが分岐点であるのだと思う。仮に誰かを異性として見ることがあったとしても、ある程度の期間が経てば、自然と恋心は失われていくのだろう。

 もちろん、いくら恋や愛の「あれこれ」からはほど遠く、他人の好意に対して鈍感だと言っても、莉奈が自分に悪い印象を持っていないということくらいはわかっていた。二人で会話をしたときの感触もそうだし、ましてや嫌いだったら、二人で遊びに出かけることなんてことはまずあり得ないはずだからだ。しかし、それを「異性に対する好意」と気付くには、優馬の人生経験は浅すぎた。



 コン、コン。



 そのとき、ドアのノックされる乾いた音が、優馬の頭をハッと目覚めさせた。


「……雪菜か?」


 ゆっくりと開いたドアから覗かせた顔を見て、優馬はため息混じりに苦笑した。


「なんだ。すみれちゃんか」

「なんだ、とは何よ」とすみれは唇を尖らせた。「せっかく慰めてあげようと思って来たのに」

「そういうわけじゃなくて。最近、雪菜もドアをノックするようになったから、勘違いしちゃったってだけ」

「ふうん。それは残念ね」

「どういう意味だよ」

「優馬くんと雪菜ちゃんが仲良くなっちゃうとさ、なんかつまらないじゃない。二人の喧嘩してるところを見るの、結構好きだったんだけどな」

「すみれちゃんはサディストだね」と優馬は不満そうに言った。

「『二人の漫才』っていう風に、表現を柔らかくした方が良かったかしら?」

「漫才も喧嘩も、したいと思ったことは一度もないんだけどな」


 すみれはくすくすと笑い、部屋に入ってドアを閉め、ベッドの上に腰掛けた。


「優馬くんも、きっと何か思うところがあるのね」

「ん?」


 ぶっきらぼうにすみれの顔を見る。


「その目を見ればわかるわよ。優馬くん、好きな人のことで感情が揺さぶられたとき、いつも不機嫌な顔になるんだもの」

「好きな人って……!」

「雪菜ちゃん、お父さん、ティナちゃん、そして、私」


 すみれは、にっこりと微笑んで自分のことを人差し指で差した。優馬は歯痒そうに片方の頬を膨らませる。


「すみれちゃんは意地悪だなあ!」

「あら。優馬くんは、一体何を勘違いしていたの?」

「何でもねえよ!」


 優馬はぷいと顔をそむける。

 でもね、とすみれは優馬の傍に寄り、そっと肩に手を置いた。


「ティナちゃんも、悪いって思っているみたいだったわよ」

「あいつのことが、全然わかんねえよ」

「私の方が、もっとわからないわよ」


 それはそうだ、と優馬は思った。優馬自身はティナが神様で、ビルヴェンシアでの出来事があったからこそ、容易にその存在を受け入れられるものの、そもそもリオンまで親切に家に上げさせるすみれたちの寛容性は、異常と言っても過言ではない。


「私には、二人の間に何があったのかはわからないし、押し付けがましいことは何も言えないけれど、もし優馬くんに歩み寄りたいって気持ちが少しでもあるのなら、それを言葉にして表した方がいいと思うわ」


 すみれは優馬の目をまっすぐに見た。


「プライドには二つの種類があるの。格好良いプライドと、くだらないプライド」とすみれは言った。「くだらないプライドを捨てられる男の人って、私は格好良いと思うけどな」


 優馬はばつが悪そうに視線を逸らし、小さな声でつぶやいた。


「……くだらないプライド、か」


 しばらくの沈黙。姉との間に流れるこれは、決して気まずいものではない。思案の後、「すみれちゃん」と優馬は覚悟を決めた。


「俺、もう一回ティナと話し合ってみるよ」


 その言葉を聞いて、すみれは穏やかに笑った。


「それがいいわ。でも、ティナちゃんはもう家に戻っちゃったから、明日にしなさい。重たい考えは、一晩寝かせた方がしっかりまとまるものよ」


 それも、そうだな、と優馬は納得した。そして、すみれに微笑みかける。


「すみれちゃん、ありがとう」


 まずは、更新までに一ヶ月も間を空けてしまい、大変申し訳ございません。もしかしたらお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、僕は第三部の最初のお話を更新して、そして削除させていただきました。

 その理由につきましては、以前にどこかのあとがきで述べたと思うのですが、物語を書き進めるにつれて話が見えてきて、最初の前提が崩れてしまったためです。具体的に言うと、始めは「ティナが天界に連れ戻されて、優馬がリオンと一緒に彼女を助けに行く話」として進め、様々な設定やら登場人物やらが生まれてきて、ある程度のところまで書き終えて「ここまで書けば更新できるな」と思って更新したのです。しかし、その次の日あたりに「このままの設定で話を進めようとすれば、どこかでごちゃごちゃになる」という直感が働いたのです。勇者エデルの最後の冒険にティナは必要かもしれない、と。そしてプロットをもう一度見直し、今までの原稿も「ティナがいるてい」で書き直すことに決めたのです。

 そして、一応第十四話の見直しだけは終えたので、その部分だけは更新させていただきたいと思います。第十五話も、できるだけ早い内に更新できるように尽力させていただきます。いつもこの小説を読んでくれている皆様に楽しんでいただけるように、頑張りたいと思います!

 ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

 それでは、失礼します。


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