第十三話 ここにニッチが送ります。エース級の大告白!(5)
四人でカラオケ店を出ていくと、リオンは「ぬ」と一文字だけ打ったラインを莉奈に送った。
「リオンちゃんってさ、カラオケのときからずっとスマホいじってるよね」
陽子が何の気なしに言った。奈美恵も苦笑混じりにたしなめる。
「だめだよ。ゲームばっかりしてると、ろくな大人にならないよ」
リオンはスマホのことをいじられ、びくりと肩を震わせた。しかし、渇いた笑い声を上げながら「そうじゃのー」と適当に受け流す。ティナは顎に手をやって訝しそうに眉根を寄せ、リオンに尋ねた。
「あなた、さっきから誰かとラインしてるの?」
ギクゥ!、とリオンの背筋が伸びた。美しい海老反りの図星だった。けれど、リオンはすぐに落ち着いた様子を見せ、不満そうに言った。
「他人のプライベートを覗こうとするとは、貴様は失礼な奴じゃの!」
ティナの怪訝そうな表情にたらりと冷や汗が一滴落ちる。だが、陽子が困ったような顔をしてティナの肩を叩く。
「きっと、お父さんかお母さんにラインでも送ってるんだよ。それに、リオンちゃんの言う通り、プライベートな部分を勝手に覗くのは良くないよ」
「お父さんか、お母さんに、ねえ……」
「…………」
リオンに地球の父も母もいないことは、もちろんティナは百も承知だ。それに、リオンには「おはよー」なんてラインを送り合う友達も、無意味なスタンプのやりとりをする友達もいない。だとしたら、一体誰とどんなラインをしているのだろうか。そもそも、リオンはティナと違い、着の身着のままで家もない状態で放り出されてきたものなのだ。魔王としてビルヴェンシアを恐怖の底に陥れた罰として、地球で野垂れ死ぬように。そんな彼女が、どこからスマホなど手に入れてきたのだろう。
しかしその疑問を解消するよりも前に、第二の刺客がティナの前に現れた。
「やあ、我が愛しい生徒たち」
そして、不自然である。
砂星は、明らかに作り込んだような愛想の良い笑顔を見せ、彼女たちの前に現れた。それに砂星は「Hello (やあ),My love (私の大切な人)」的な英語の小説の翻訳みたいな人の呼び方は絶対にしない。「おい、お前たち、早く席につけ」とクールな一言を言い放つような人である。
その態度には、陽子と奈美恵も不思議そうに顔を見合わせた。そして、それは嬉しそうな笑顔に変わる。
「わあ、砂星先生って、プライベートだとめっちゃ優しい感じなんですねー」
「今、絶対なんか怒られるって思ったもん! びっくりした〜!」
「あはは、そんなわけがないじゃないか、我が大切な友人たち」
「先生は、私たちに何か用があるんですか?」とティナは困ったような顔をして尋ねた。「できれば休みの日にまで、数学の勉強なんかしたくないんですけど」
今は余分なイベントは退けた方がいい、というティナの冷静な判断だった。単なる直感ではあるが、ティナは現在自分が何かの大きな流れの中に吸い込まれているような気がしていた。不自然な点の多い莉奈とリオンの関係、そして陽子たちとの絡み。言い出しっぺの莉奈が「運悪く」風邪を引いて休むことになった。そこに来て「偶然」現れた数学教師。
案の定、砂星は敵意むき出しのティナを見て眉をひそめる。しかし、すぐににこやかな微笑みを見せた。そして、ターゲットを変えた。
「私だって休日に数学の話をするなんてごめんだ。だが、私も暇だったし、ちょっと……そう、恋バナでもしたいと思ってな。なあ、鈴木、竹ノ内、そして人類の友よ」
「あ……はい」と奈美恵。
陽子はきょとん顔で奈美恵やティナを見て、それからリオンに視線を落とす。
「でも、リオンちゃんを暇させちゃうし……」
「小さな女の子には、おいしいパフェをごちそうしてやろう」
「うむ。それなら、わしは構わんぞー」
レシートさえ持っていれば、パフェ代は負担する、と莉奈は砂星に伝えていた。
SYNL(砂星、陽子、奈美恵、リオン)包囲網。
それは莉奈が仕掛けた、ティナを捕らえておくための罠。
砂星とリオンはもともと駒であり、砂星の生徒である陽子や奈美恵も取り込むことは難しいことではない。普段は厳しい砂星先生がプライベートでは愛想が良く、「恋バナでもしようではないか!」と柄にもないことを言う。砂星の恋バナには、陽子も奈美恵も確かに興味があった。
ちょっと面白そうだね、と二人は顔を見合わせて頷く。そして、砂星 (莉奈)はとどめの一撃を加える。
「もちろん、可愛い生徒たちにもおいしいパフェをごちそうしてやろう!」
「「いきまぁーす!!」」
陽子と奈美恵は、口を揃えて言って手を挙げた。SYNL包囲網の完成である。これでもうティナは逃げられない。この状況で「いや、私は嫌なんですけど……」と言うのは愚の骨頂である。言ったとしても、色々なものを失うリスクの方が高い。単なる直感と天秤にかけてみれば、ティナは曖昧に頷くしかなかった。
「う、うん……。それじゃあ、私も行きます……」
「よし、それじゃあ、付いてこい、我が魂の生徒たち」
(約束は果たしたぞ。後は桜井とうまくやれよ、東雲)
砂星はくるりと彼女たちに背中を見せ、付いてくるようにと伝えた。
(そして、ここまで協力させておいて私の秘密をバラすようなら、さすがの私もお前をぶち転ばすことになるぞ)
「先生、さっきから『我が何ちゃらかんちゃら』って何ですか?」
「細かいことは気にするでない、我が愛人の友人たち」
「先生、そろそろネタ切れですか?」
× × ×
東雲莉奈は、陳腐な感動もの恋愛映画が大好きである。
映画は手段であって目的ではない。それが、莉奈の映画に対する基本的な考え方である。莉奈は映画を観ることが好きだった。しかし観ているときに想像するのは、映画を観終わった後のことだ。話のタネになりそうなシーンを観ると彼女は興奮する。そのタネから生まれる会話の花を想像するのだ。
けれど、この日ばかりは、どちらかと言えば緊張の方が大きかった。今回の映画は愛や家族に関するシーンが多く、とかく恋愛の話題につなげやすい。莉奈にとってはイージーな課題のはずだ。しかし、失敗は許せないと思うと、まるで哲学的難題を目の前にしているかのように思えたのだ。
(この映画は、昨日観たばかりじゃない。それに、話が広げやすそうなシーンも、そこから生まれる会話についても書き出したはず)
それなのに、せっかく考え抜いた告白計画がすべてパーになってしまいそうなほど、莉奈は緊張していた。
(やっぱり、一番のポイントは最後のプロポーズシーン。その話題に持っていくためのストーリー展開が必要だわ。最初はコメディーシーンに「面白かったねー」とかそんな感じのことを言っておき、徐々に恋愛シーンの「あそこ、すごく感動したな……」に持っていく。からのプロポーズシーンの話題でお互いの恋愛観へ……。やっぱり、その展開がベストかな……)
二人が見たのは、「君の縄」というタイトルの映画だった。
その映画は、僕は「君の縄」だ、という印象的なセリフから始まる。「紐はハサミで手軽に切れてしまうかもしれないけれど、言うなれば僕は注連縄だ。注連縄みたいに、太くて、硬い。ハサミなんかで切れはしないし、逆にハサミの方を壊してしまうだろう。ノコギリにも負けないし、チェーンソーとだって戦おう。僕と君の絆は、そんな簡単には切れはしないのだから」
主人公の青年は無職で、恋人の家に寄生し、家事をしたり、恋人に「好きだよ」と愛の言葉を囁きかけたり、あるいはパチンコを打つことで生計を立てている。ある日、恋人の女性は青年の浮気を知って家から追い出そうとする。「早く出て行きなさいよ、このヒモ男!」と女性が声を荒げると、青年は「違う! 僕はヒモなんかじゃない。君の縄だ!」と叫び、土下座したりお花をプレゼントしたりすることで許しを乞う。やがて女性は諦め、「次にやったら、本気だから」と青年を許す。しかしその後、女性が不慮の事故によって入院してしまう。青年は「俺はこれからどうやって暮らしていけばいいんだ」と頭を抱えるが、ストーリーが展開する内に「俺は彼女に対して本気で向き合わなければいけないんじゃないか?」と本当の愛に気づく。そして青年は、ついにミュージシャンになることを決意した(ついでにバイトを始めることも決意した)。恋人が退院後、パチンコ生活から抜け出して音楽活動とバイトに打ち込む。しかし、青年に目標ができてしまったことで恋人に構うことができなくなり、二人は別れることになる。努力が実り、青年はミュージシャンとしての成功を収めた。けれど、どこかで心に空虚さを抱えながら音楽活動を続けていたある日、仕事でかつての恋人に出会う。二人はまた交際を始め、過去の話などをして笑い合いながら、愛を育み、最後には青年が「自分のお金で」恋人に結婚指輪を渡してプロポーズをする。「これからは私が、あなたの縄ね」と女性が涙を流すシーンは、大勢の観客の涙を誘う。
(主人公が考え方を変え、新しい目標に突き進んでいくときに訪れる突然の別れ。そこからのラストのラブシーンで胸キュンしない人間なんていないわ。おまけに、主人公のヒモ設定のおかげでコメディーシーンも多く、映画が終わった後の会話も作りやすい。そして、注意するべきなのは……)
映画の最中、莉奈は何度も優馬の表情を確認した。コメディーでどのくらい笑っているか。ラブシーンでどんな顔をしているか。コミュニケーション能力とは思いやり能力なのだ。相手がどの話題に興味を持つのか、その反応次第で臨機応変に対応を変えていく必要がある。
(勝てる。これは勝てるわ……)
クライマックスのプロポーズシーン。莉奈は映画そっちのけで優馬の顔をガン見して目を大きく見開いていた。ヒロインの女性と同じように大粒の涙を流している観客たちの中で、莉奈だけがにたりと嬉しそうな笑みを浮かべていた。
優馬は、他の観客たちと同じようにボロボロと涙を流していたのだ。こらえようとしているのに溢れる涙。優馬は、莉奈に気づかれないようにハンカチで涙を拭いている。
(桜井くんは、間違いなくクライマックスのシーンの話題に乗っかってくる。そこまでの雰囲気作り、しっかり頑張らなくちゃ)
「あれ、桜井くん、もしかして泣いてる?」
映画が終わり、館内が明るくなると、莉奈は優馬の顔を覗き込んで悪戯っぽく言った。優馬はぐっと唇を引き結び、ぷいと顔をそむけた。
「いや、泣いてねえし」
「子供みたい」
莉奈は握り拳を口元に当てて、おかしそうに笑う。無駄だと観念したのか、優馬は舌打ちをして、はがゆそうな面持ちのままで言った。
「……仕方ねえだろ。主人公の冒頭とラストのギャップ大きすぎるだろ」
いきなりクライマックスの話題はまずい、と莉奈は目を細めた。そして、わざと明るい調子の声で軌道修正を図った。
「たしかにー! でもさ、家を出されるシーンとか、すごく面白くない? あれ、思わず笑っちゃった」
「あー……。声出して笑ってる人もいたもんな」
「桜井くんも笑ってたし」
「そうだっけ?」
言いながら、莉奈は椅子から立ち上がった。優馬もそれに釣られて立ち上がる。館内を出るまでは自然な流れだ。ちょうど夕食を取るには良いタイミングだ。会話をつなげながら、何とかレストランまで誘導をしなければ。レストランは駅ビルの七階にある。二人は映画館を含んだ商業施設を後にし、人工の明かりが灯り始めた街中を歩いた。夜の街並み。行き交う恋人たち。雰囲気はばっちり。完全に莉奈の計画通りに事は進んでいた。
「ねえ、桜井くん」
今から夜ご飯を食べるなら、カレーライスとハヤシライス、どっちが良い?
ダブル・バインドの心理テクニックにユーモアを交えた問い。くすっと笑って答えてしまうのは確実。そこで会話を広げて恋愛トークへ。最後の告白。
(私は、絶対にこの一日を成功させてやるんだから)
強い気持ちを握りしめ、とどめの問いをしようとしたその時だった。
「優馬!」
二人の前に、ティナが現れたのだった。




