第十三話 ここにニッチが送ります。エース級の大告白!(4)
「えー! 莉奈、風邪引いちゃったのー!」
日曜日の朝、莉奈から送られてきたラインを見て、陽子は一人の部屋で思わず声を上げた。そしてまったく同じ言葉をグループラインでも送り返した。莉奈は「ごめん!」とか「最悪!」とか「風邪のバカ!」なんて言ったり、泣き顔のスタンプをいくつも貼り付けたり、本気で悔しそうにしている様子だった(ちなみに同時刻、莉奈はリオンに空メールの送り方を教えていた)。
『まあ、仕方ないかー。でも、次は風邪引いちゃだめだよ!』
奈美恵やティナも同じような言葉を投げかけ、今日は仕方なく三人で遊ぶことになった。待ち合わせの時刻に五分遅れて着くと、そこには奈美恵だけが来ていた。
「あれ、ティナちゃんはまだ来てないの?」
安心したように陽子が尋ねると、奈美恵は呆れて肩をすくめた。
「私の友達には、どうしてこう時間にルーズな子が多いのかしらね」
「失礼しました」
と軽く舌を出して、陽子は自分の頭をポンと叩く。それから二人で莉奈の心配をしていると、五分後くらいにティナがリオンと一緒にやってきた。
「二人とも、遅れてごめんね」
「ううん、大丈夫だよ」と陽子が言った。
「遅れて来た奴が言うな」と奈美恵がたしなめる。
あはは、と笑って、ティナは眉を八の字にした。
「なんかさー、優馬に『いってきまーす!』って言おうと思ったんだけど、どこにもいなかったんだよね」
「ああ。ティナちゃん、今日のカラオケにもずっと誘ってたもんね」
「桜井って、なんでそんなにモテるのかなー」
「なーんか、私を避けてたような気がするんだよなあ……」
ティナが顎に手をやって難しそうに眉根を寄せていると、陽子が「気にしなくてもいいんじゃない」と肩を叩いた。
「まあ、莉奈もライバルだって言うからどっちの肩持てばいいかわからないけどさ、あたしは二人とも応援してるよ。なんなら、フラれた方には男を紹介してあげるし」
「物騒なこと言わないでよ」とティナは苦笑いした。
「で、こっちが噂のリオンちゃん?」
「莉奈ちゃんに頼まれて、私が連れて来ることになったのよ」
ティナは面倒臭そうにリオンを見る。リオンは莉奈の家の前に立っており、そこで二人で待ち合わせたのだ。
「うっわー、かわいい〜!」
「莉奈とはどういう知り合いなの?」
二人に質問責めにされ、リオンは怖がっているような顔をしてティナの後ろに隠れる。あざといな、この魔王、と思いつつも、ティナは苦笑混じりに「細かい話は後にしようよ」と二人を退けた。
「っていうかさー、風邪だから仕方がないって言っても、当の莉奈がいないってひどくない?」と奈美恵が苦笑いしながら言った。
「でも、ティナちゃんとリオンちゃんが顔見知りだったから良かったんだけどね」
「う、うん。そうだね……」
こんな奴、知らないし!
そんな突き放したようなセリフを飛ばすことなんてできるはずがなかった。特に陽子や奈美恵には「こいつは元魔王なのよ!」というせめてもの一撃を放つことすらできない。彼女たちにとっては、魔王リオンは三百六十度、いや七百二十度どこから見てもただの小さな女の子なのだから。
リオンに対する鬱陶しさとともに、ティナはある種の違和感を拭いきれなかった。どうして莉奈がリオンと急に仲が良くなったのか。二人にそれほどの共通点はあるのか。そもそも、莉奈はどうしてリオンの素性を怪しむことなくすんなりと受け入れたのか。ティナが頭の中にいくつものクエスチョンマークを浮かべていると、陽子がポンと肩を叩いてきた。
「ま、とりあえずさ、今日はみんなで楽しもうよ! ティナちゃんも、リオンちゃんも、ね!」
変に陰気なところを見せちゃいけない、と思って、ティナはぱーっと華やいだ笑顔を見せた。
(今日のところは……まあ、仕方がないか)
「うん! そうだね!」
ここでしゃべっているだけでいくらでも時間が過ぎてしまいそうであるが、ずっと立ち話というのはさすがに疲れる。陽子がいいところで話を切り上げ、四人はカラオケ店へと向かった。受付を済ませて部屋に案内されると、ティナとリオンは好奇心に満ちた瞳を輝かせた。
「へえ、ここが『からおけ』なんだぁ!」
ティナは一番に部屋に入り、マイクを取ってその形をじっくりと眺めた。二人とも、カラオケに来るのは人生で初めてのことだった。子供みたいにはしゃぐ二人を見て、陽子と奈美恵は顔を見合わせて苦笑した。
「ねえ、二人とも、カラオケが何をする場所かわかってるの?」
「何かの儀式でも行うのか?」
リオンは間が抜けたような顔でつぶやく。
そもそも、リオンはティナの監視を行うためだけの理由で来たので、カラオケが何だとかはどうでも良かったのだ。あんた、何のためにここに来たのよ、とティナは呆れたように言う。
「『からおけ』っていうのはね、歌を歌う場所なのよ」
「歌じゃと?」
カラオケのリモコンを訝しそうに眺めながらリオンは尋ねる。ティナは人差し指を立てて得意そうに答えた。
「ええ。神に対しての感謝や祈りを捧げる神聖な場所よ。要するに、教会と一緒ね。日本では、このこじんまりとした空間で個人的に自由な時間で賛美歌を歌う風習があるらしいわ」
「ティナちゃん、そんな大嘘は教えちゃだめだよ」
奈美恵が困惑顔をして言う。もちろん陽子と奈美恵は、ティナが別に嘘を教えようと思ったわけではなく、心の底から本気で「カラオケとは賛美歌を歌うための場所である」と思っていたなんて知る由もない。
二人の空気から自分の言ったことが百八十度真逆を光の速さで進み続けていることを察し、ティナは口をつぐんだ。そして、諦めたように肩をすくめた。
「……もう、せっかくリオンをだませると思ったのにな〜」
「ところで、神の娘よ」
「何よ」
「カラオケとは、一体なんなのじゃ? 本当のことを教えてほしいのじゃが」
一瞬の沈黙。
ティナは歯痒そうに口の端を歪め、無理やり答えを絞り出した。
「カラオケは……カラオケよ」
それから、陽子や奈美恵が順番に歌い始めた。やはり二人とも慣れているだけあって、ノリノリで楽しそうに歌っていた。ティナは椅子に座って行儀良く膝を合わせ、手拍子をパンパンと打っていた。リオンは莉奈に空メールを送ることで、ティナがカラオケ店内にいることを報告した。
「うっわ〜! やっぱ、Hey! An! Jump格好良いわ〜!」
と陽子が体を震わせて言う。奈美恵もそれに興奮気味に頷いた。
「序盤はやっぱり『SHUKKE!』みたいな盛り上がる曲が良いよね!」
「SHUKKE!」とは、Hey! An! Jumpの代表曲のひとつであり、正式名称は「SHUKKE! 〜飛び出せ日本〜」である。「寝殿造り」でくすぶってる俺たちじゃねえ、出家しようぜ!、夢のヴェルサイユへ、という平安時代っぽい単語を無理やり詰め込んだような斬新な歌詞に加え、ノリやすいリズムとメロディーがヒットし、現代の女子中高生が必ずと言っていいほどカラオケで歌う一曲である。「出家しようぜ!」は流行語にもなり、たとえば旅行をするときに「今度さー、京都に出家するんだけどさー、マジ卍じゃね?」などと使う女子高生がいるとかいないとか。ちなみにこれは余談ではあるが、雪菜は友達とカラオケに言ったとき、必ず毎回この曲を二番目か三番目くらいに全力で歌う。
「あー! この曲知ってるー!」
「ティナちゃんもHey! An! Jump好きなんだー!」と陽子が興奮気味に言う。
「好きっていうか、雪菜ちゃんがすごく好きで、よく聴いてたから」
「雪菜ちゃんって、誰?」と奈美恵が尋ねた。
「優馬の妹だよ」
「ええ! 桜井って妹いたんだぁ!」新発見をした喜びで、陽子がキャッキャとはしゃいだ。「言われてみれば、なんか妹いそうかも」
「どういうことよ、それ」と奈美恵が目を細める。
「なんか、妹いそうな顔ってこと」
「すごい後付け。だけど、言われれば言われるほどそんな気がしてくるから不思議よね」
「あと、お姉さんもいるんだよ」
ティナが言うと、二人は声を出して笑った。
「うっそー、マジでー!」
早い段階でカラオケは一旦中断となり、どうでも良いような中身のない話で彼女たちは盛り上がった。リオンはオレンジジュースを飲みながらスマホでゲームをしていた。
会話の少し落ち着いたところで、陽子が「ティナちゃんも、何か歌ってよ!」と声をかけた。
「私? 歌われたことはあるけど、歌ったことはないからなあ」
「歌われたことはある」というのは、無論賛美歌のことである。
地球に来てからある程度の時間が経ち、それなりに文化にも慣れ親しんだ。もちろん日本のポップソングなどを耳にする機会もあり、頭の中で何となく曲を再生することくらいはできている。
「でも、自信はないかな……」
「いいじゃん。一回、歌ってみなよ。ティナちゃん、めっちゃ歌うまそうだもん」
「逆に下手だったりしてー」
陽子と奈美恵に促され、ティナはマイクを手に取った。
「あ、『紫の上の恋心』だ!」
陽子が叫んだ。「紫の上の恋心」もHey! An! Jumpの曲のひとつであり、幼い頃、光源氏に見初められて理想的な女性になるように育てられる紫の上の心情を、独自の解釈で描写した極上のバラードである。ちなみにこれも余談ではあるが、雪菜はMy Tube(※)でこの曲のPVを見たとき、三十五パーセントくらいの確率で「私も慶太くんに育てられたい……」と小さな声でつぶやく。そして百二十パーセントの確率で、PVでメンバーの岡田慶太に抱きしめられている少女に嫉妬する。
※My Tube:世界的無料動画サイト
「それじゃあ、いい? 歌うよ?」
イントロが流れ始め、ティナが不安そうに二人に目配せする。いっちゃえ、いっちゃえ、と陽子と奈美恵は揃ってグーポーズを出した。
そして、ティナはマイクを口もとに近づけ、息を小さく吸い込んだ。ティナが歌い始めたその瞬間、陽子と奈美恵は自分の耳を疑った。
「……っ!?」
「……ティナちゃん、めちゃくちゃ歌下手」
陽子は思わず口に出してしまった。それは、彼女たちにとって歴史的な大事件であった。
ティナ・アーリストと言えば、誰もが羨む美貌を持ち、勉強も運動もこなす文武両道の才女である。言い寄る男たちをシャム猫のように華麗にかわし、一人の男を一途に愛す。幼い頃からあらゆる英才教育を受けたお嬢様のような彼女を見れば、当然のことながら芸術的才能もあると思い込むのは自然の摂理。
思わず開いた口の隙間からこぼれてしまったようなガチトーンである。陽子は自らの失態に気付き、すぐさま口をふさぐ。ティナは気持ちよさそうに歌い続ける。自分がカラオケという公共スペースにおいて、この世の地獄を見せているとも気付かずに。
もちろん、ここまで言うからには音程は完璧にはずれている。音源の伴奏とともに奏でられる不協和音は、絶対音感を持つ人間から音感を奪うほどである。そこには、「音感」の概念を根本から打ち崩すような破壊力すらあった。あるテニス漫画では五感を奪うキャラクターがいるそうであるが、この小説にだって聴覚を奪うキャラクターの一人くらいは存在するのだ。
狂った音程。地を揺らす不協和音。Aメロで声量が上がったかと思えば、サビで突然小さくなる声。なのに繰り出されるビブラート。
『ティナちゃんってあんまり歌うまくないんだ〜』
『だから無理だって言ったじゃん!』
『でも、ギャップで可愛いよ〜』
『やめて〜! 恥ずかしい〜!』
ティナは、そんなやりとりすらできないほど気持ちよさそうに歌っており、当然のことながら「私、歌うまくないし!」からの「ティナちゃん、めっちゃうまいじゃん」というやりとりが来ると思っているのだ。その証拠に、ティナは歌い終わった後、きらりと光る眼差しを陽子たちに向けた。
「どうだった?」
絵に描いたようなドヤ顔である。神様の私なんだから、歌なんてうまくて当然、と言わんばかりである。
「これが賛美歌か〜。なかなかいいもんじゃの〜」
リオンはいつのまにかスマホのゲームをやめ、ティナの歌に聴き入っていた。ティナは腰に手をやり、ふんと鼻を鳴らした。
「リオンでも、芸術を鑑賞する耳くらいは持っているのね!」
「う、うん。良かったよ〜」
「めっちゃ良かった〜」
このドヤ顔に対して「下手くそ」といじることはできず、二人はまばらな拍手を送った。奈美恵は「ティナちゃん、ピアノ始めてみたら〜?」とアドバイスをした。自分の音程がはずれていることに、彼女が気づくことを願って。




