第十二話 エースを狙え!(2)
この日、莉奈は母親が紹介した男と会うことになっていた。
「初めまして。日野幹雄です」
昌子に紹介された男は、「THE・普通」の好青年だった。容姿に特別言及する必要のある部分なんてないし、髪型も服装も普通だし、口調も穏やかで引っかかるところはない。街で普通にすれ違ったら、普通にすれ違った上で二秒後にはその存在を普通に忘れてしまうくらい普通の好青年だった。幹雄は、普通に爽やかな笑顔を浮かべていた。
「へえ、東雲さんは普通に本を読むのが好きなんですね」
「はい」と女の子らしい照れた顔を浮かべ、莉奈はこくりと頷く。「特に太宰治の『走れメロス』が大好きなんです」
「昔の文学も普通に読むんですね」
「私は、あの本に友達の大切さを教えられたくらいですからね」
「それは普通に素晴らしいですね」
「ところで、日野くんは普段は何をしているんですか?」
「僕は、普通、パソコンとかスマホをいじったりとかですね」
(普通だ……)
「あ、あとは」
「何をしているんですか?」
「普通に散歩をしたりします」
(普通に健康的だ……)
「へえ、そうなんですか!」莉奈はぱちんと両手を合わせてリアクションを取る。「パソコンやスマホで、どんなことをしてるんですか?」
「普通にネットニュースを見たり、ツイッターを見ていたり、友達とラインをしたり」
(普通の中心で「普通」と叫びたい気分だ……)
まさに「普通」を絵に描いたような好青年だった。話ぶりには挙動不審なところや気に触るような部分はなく、普通に爽やかである。勉強の成績もそれほど悪くはないらしく、運動も普通に好きらしい。東雲家の理論に則れば、これ以上はないというくらいに理想的な結婚相手である。おまけに、母の昌子が直々に選んだ相手であるから、「親に反対されて〜」みたいなことも普通にない。
今までの莉奈であれば、普通に媚びを売ってすぐに親しくなっていたことだろう。
なぜなら彼女にとっては、母の言葉こそが自分のすべてだからだ。母の考えが一様に正しく、母の選択こそが完璧な正解で、それを裏切ることは、大切な母を悲しませる行為に他ならないのだ。
しかし、莉奈は急に靄がかかってしまったみたいに、目の前の答えに手を出せずにいた。はっきり「これこそが答えだ」と断定することができなくなっていた。
(……どうしちゃったんだろう、私)
そういえば、ここ最近は自分の生き方に対して思い悩むようになっていた。現実的で理想的な結婚をすることが、本当に幸せだと言えるのだろうか。
でも——
今までそれだけを信じて生きてきたはずだ。桜井くんなら、私を必ず幸せにしてくれるはず、と。桜井くんこそが隙間なんだ、と。学校の同級生の男子たちの中から、あらゆる可能性を探りながら辿り着いた答えであるはずだ。
(本当に、それだけが理由?)
「今日はありがとう。また会おうね」
「普通に楽しかったよ! ありがとう!」
別れる頃には二人の言葉に敬語が取れ、それなりに楽しい一日は終わった。感触としては、たしかに悪くない。しかし、莉奈はどこか拭いきれない違和感を感じていた。
それから、莉奈はしばらく自分に向き合い、自分の生き方についてあれこれ思案を巡らせていた。直感と決断力に長けたビジネスマン気質な彼女がこれほど悩むのは、あるいは人生で初めてのことかもしれなかった。
× × ×
普通に考えて、莉奈は優馬よりも幹雄を選ぶべきはずである。莉奈はふと気が付いた。そういえば、話してみればみるほど、優馬がどちらかと言えば個性的な人間であるのだと。
「実は、雪菜の後を追っているんだ。雪菜って、前に話したことあったよな。俺の妹のことだよ」
ストーカーがどうだとか言って、優馬が雪菜の後を追っていたあの日。妹に執着しすぎているところがちょっと気持ち悪いし、変装のセンスだって悪かった。
優馬のことを「三百六十度どこから見ても普通」と言い切ることができるかと言われれば、やはり首を傾げてしまう。
それに、もし優馬を狙う場合、莉奈は大きな壁を乗り越えなければいけない。
× × ×
「ティナちゃん、桜井くんとずいぶん仲が良くなったのね」
莉奈がにっこりと笑うと、ティナも鏡のような微笑みを見せる。
「何を言ってるの、莉奈ちゃん? 私たちは元々仲がいいわよ。だって、優馬とは将来を誓い合った仲なんですもの」
× × ×
「ねえ、何でティナちゃんが割って入ってくるのかなー? 桜井くんと一緒に帰っていたのは、私なんだけど」
できるだけ温和な笑顔を見せてティナと優馬を引き離す。
「割って入ってないもーん。莉奈ちゃんが右側歩いてたから、私はしっかり左側から入りましたー」
× × ×
「ArlistがArtistになってる!」
その瞬間、教室中にダムが崩壊したみたいな大爆笑の渦が生まれた。莉奈はその激しい渦の中で、凍えるように呆然とティナのことを見つめていた。
× × ×
今までの記憶を振り返ってみても、莉奈はティナに勝ったと思う瞬間を感じたことなんて一度もなかった。むしろ全戦全敗しているんじゃないかとすら思える。
「ねえ、君、可愛いね。その制服、公生でしょ?」
定期テストが返却され、ティナに満点の壁を超えられたあの日。好きでもないタピオカティーを口にしていると、隣にナンパ男が座ってきた。
男はめちゃくちゃ良い女はナンパはしない。ちょうど良い女をナンパするのだ。
莉奈は名言を残しつつ、冷めた眼差しでナンパ男を見つめていた。そして、ふと一年前のことを思い出したのだった。




