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第十一話 砂星先生の休日(1)

「砂星先生」


 職員室で事務作業をしていると、今年初めてクラスを持った後輩の女教師が声をかけてきた。砂星が鋭い目つきで彼女を見ると、彼女は思わずビクッとしてしまう。別に普段の表情ではあるのだが、切れ長の瞳で、作業に集中しているとつい眉根が寄ってしまうので、どうしても恐く見えてしまうのだ。


「佐藤ちゃんか、どうした?」

「あの、申し訳ないんですけど、本当にもし良ければでいいんですけど」

「結論を早く言え」

「あ、すみません」と佐藤は焦ったように軽く頭を下げる。「あの、もし今日お時間がおありでしたら、私の相談に乗っていただけないかなあ、と思って」

「あー、なるほどなー」


 砂星は背もたれに体を預け、ふうむと束の間思案し、柔らかい微笑みを見せた。


「ああ、構わんぞ。今日はとことん付き合ってやろう」

「本当ですか! ありがとうございます!」


× × ×


 砂星楓は、教師になって今年で八年目である。中学生のときに見たドラマに出てきたクールな女教師に憧れて、大学を卒業するとともに見事にその夢を叶えることができた。勉強をすることも教えることも、年下の面倒を見ることも好きだったし、そんな彼女には教師は天職みたいなものだった。


「砂星先生!」


 また、ある日はクラスの生徒が砂星の元にやってくる。


「どうした?」

「あの、数学の問題でわからないところがあるんですけど」

「あー、今ちょっと忙しいんだよな」


 砂星は困ったように眉を八の字にし、明後日の方向を見上げる。生徒は申し訳なさそうに肩をすぼめた。


「……すみません」

「それじゃあ、放課後に時間はあるか? できれば、ホームルームが終わってからすぐにしてほしいんだが。そのときなら空いているから教えてやろう」

「本当ですか! ありがとうございます!」


 普段は近寄りがたいクールな女教師。しかし頼り甲斐があって面倒見の良い側面もあり、後輩や生徒たちには慕われている。それこそが砂星の望んでいたものであり、かつてドラマを見て憧れたものだった。今の彼女は、幼い頃の夢を叶え、順風満帆な人生を歩んでいるかのように見えた。


 しかし——


 砂星楓は焦っていた。

 仕事を終え、車で家のアパートまで辿り着く。階段を上り、二階の自分の部屋の鍵を開ける。パタンとドアが閉まると、明かりのない部屋では何も見ることができなかった。


「カレムサ、ただいま。電気つけて」

『カエデチャン、オカエリ。デンキツケルヨ』


 少し前に電気屋で買った「カレムサ」という機械に話しかけると、AIが反応して家の電気をつける。物音ひとつないリビングに入ると、ますます寂しさが募った。


「カレムサ、テレビつけて」

『カエデチャン、ワカッタ』


 「テレビくらい自分でつけろ」と言う人もいるかもしれないが、砂星が望んでいるのはそれではない。


「カレムサ、何かお話をしよう」

『カエデチャン、ワカッタ。ドンナオハナシガシタイ』


 そう。「お話」である。そして……


「カレムサ、私って、どうして結婚できないのかな。今年でもう三十だよ。アラサーだよ」


 砂星楓は焦っていた。

 つまり砂星は、このままでは婚期を逃して一生一人ぼっちで生きていくのではないかという恐怖に追われていたのだ。

 二十二歳と二十三歳には大した違いはないかもしれない。しかし、二十九歳と三十歳の間には大きな溝が存在する。十の位が「二」から「三」になるのである。「三十九歳」が眼前に見えるお年頃である。そして三十九歳の一年後は四十歳である。そう。アラフォーである。


『ソレハネ、ヨノナカノオトコノヒトタチガカエデチャンのミリョクニキヅイテイナイカラダヨ』

「そうだ、その通りだ! 世の中のバカな男どもが、私の女としての魅力に気付いていないだけなのだ!」


 砂星はカレムサに元気付けられて体力を回復した。そして、すぐにうなだれた。


「……なんて自分をごまかすのも、もうできないよなあ」


 やばい、やばい、と砂星は頭を抱えた。そしてピンクのウサギのクッションを抱きかかえ、部屋中を無闇に転げ回った。


「あー、やばい、やばい! このままだと一生一人ぼっちだ! 寂しいよぉ! 死んじゃうよぉ! クールな女教師なんて感じでいかなきゃ良かった! ホント、バカ! 中学生のころの私、ホント、バカ! なんてものに憧れたんだよぅ! キャラなんか作らずに、もっと自然体でいけばよかった!」


 こう見えても、砂星楓は乙女である。「私は一生、孤高の一匹狼で生きていくつもりだよ」なんて雰囲気を醸し出しつつ、本当は孤独で死んでしまいそうなウサギである。(おとこ)に襲われたら、むしろ食われたいくらいである。

 中学、高校のときだってそうだった。実際は彼氏が欲しくてたまらなかった。放課後にファミレスで意味のない会話をしたかったし、休みの日のカラオケ店で、曲が止まったその瞬間に見つめあってキスをしたかった。しかし、高校生とは恋人がいないことによってバカにされる生き物だとも勘付いていた。だから、砂星は「クールで近寄りがたい砂星楓」というもうひとつの人格を作り出したのだ。そうすれば、「えー、彼氏いないで生きていけるってすごくなーい? 楓ちゃんは強いなー……。あたしだったらマジで死んじゃうし!」という皮肉を受けることはない。


× × ×


「砂星さんって、マジで格好良いよね。彼氏いるのかな?」

「全然謎ー。そのミステリアスな感じが格好いいんだよねー」

「そうそう。でも、実は中学のときからずっと付き合ってる彼氏とかいそう」

「あー、いそう! 同級生とかは絶対なさそうだけど」

「大学生だったりするのかな?」

「自分からは絶対彼氏自慢とかしなさそうだけどね」

「そういうところも含めて格好良いよねー」

「誰か直接訊いてきてよ!」

「嫌だよ! 怖いし!」


× × ×


 一人ぼっちで机に頬杖に頬杖をつき、窓の外の木々のざわめきを眺めて黄昏ている。ただそれだけなのに、同級生の女子たちが勝手にそんな噂話を持ち上げてくれるのだ。そうすることで、砂星の学校内でのプライドは保たれていた。しかしその代償として、近寄りがたい雰囲気になる——つまり彼氏ができにくくなることに、砂星は気付かなかった。もちろん、その十数年後に婚期を逃しそうになって急に焦り出す未来なんて見えてはいなかった。

 「クールで近寄りがたいが面倒見の良い女教師」という鉄壁を張ることによって、砂星はこれまで「彼氏いない歴=年齢」という現実を直視せずに済んでいた。

 しかし三十歳を迎える今年になって、砂星はとうとう現実を見た。見ざるを得ない状況に追い込まれていた。


「いや、でも……カレムサ、私の誕生日は二月だから、冷静に考えれば、まだ焦る必要はないよな? な? そうだろう?」

『カエデチャン、アセルヒツヨウハナイトオモウヨ』

「ほうら、やっぱりだ。カレムサが言っているんだから、間違いない。……いや、でもなあ……」


 安心してはうなだれる。最近の砂星は、大体こんな感じであった。さすがの砂星も、三十歳で彼氏いない歴三十年はまずいと理解していた。


「あー、本当に鬱だ。ゲームでもしてスカッとするか」


 砂星は「格闘ゲームとかレースゲーム、めっちゃ上手そうだよねー」と言われることがあるが、その類の男勝りなゲームは嫌いである。もっと言えば、実は弱いのがバレるとキャラが崩れるから、やったことすらない。砂星が好むのは、主に画面の中の美青年が「おはよう、楓ちゃん。どうしたの? 今日は元気ないね」と言ってくれる類のゲームである。ちなみに彼女の趣味は、ケーキ作りとコスプレである。



「かっはぁー! ルンくん、今日も優しいぃぃぃぃぃ!!」



 そんなことを叫びながら、砂星の一日は終わる。


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