第十話 「ラブコメディ」は戦争小説?(5)
「ねえ、君、さっき桜井くんと一緒にいた子だよね。こんなところで……どうしたの?」
「水……水……みずぅ〜……」
今にも死にそうな声でそんなことを言うものだから、莉奈は仕方なしにリオンを家に連れていくことにした。
「あら、莉奈、誰、その子は?」
家に帰ると、母の昌子からそんなことを尋ねられ、「友達の妹だよ」と適当なことを言って自分の部屋まで通した。グラスに一杯の水を飲むと、リオンの様子も落ち着いたみたいだった。
「わしの名はリオン。かつてはビルヴェンシアで魔王をしておったのじゃが、現在はその罰として地球に追放されておるのじゃ」
一瞬、莉奈にはこの女の子が何を言っているのか理解することができなかった。しかしすぐに「桜井くんがオンラインゲーム云々とか言ってたなあ」と思い出すと、「きっとこの子が自分で作り出した設定なのね」と無理やり納得させることにした。
「それで、君の本名は? 家はどこに住んでいるの?」
「じゃーから、わしの本名がリオンで、地球に家はないんじゃ」
「家が、ない?」
「追放されてきたのじゃから、当然じゃ。本当は優馬の家か神の娘の家に住み着いてやろうと思っておったのじゃが、どうもそれが無理そうでな」
ぽりぽりと頭を掻きながら気怠そうに言うリオンのことが、ますますわからなくなってきた。仮に「リオン」がオンラインゲーム内でのハンドルネームだと解釈するにしても、「家がない」というのは本当なのだろうか。それに……。
「神の娘って、何?」
「この世界では『ティナ・アーリスト』と名乗っておるらしいな。まさか、奴がこの世界にいたとは驚いたものじゃが」
「あー、なるほど」と莉奈は曖昧な相槌を打った。「リオンちゃん、お父さんとお母さんはどこにいるの?」
「数百年前に死んでおるわ」
「できれば真面目に答えてくれると嬉しいんだけど」
「わしは至って真面目に答えておるつもりじゃ」
その態度と表情には、特段からかっている様子も見えなければ、嘘を吐いてだまそうとしている風にも見えなかった。しかし莉奈は、この世には何でもないようなあざとい顔をして平気で人に嘘を吐くことのできる人間がいることを知っていた。なぜなら、自分がそれだからだ。
(ちょっと待ってよ。この子、桜井くんとは昔からの知り合いだったみたいよね。それに、かなり親しい様子だった)
もうちょっと探りを入れてみるか、と思い、にこりーん☆ と天然女子っぽい軽い笑顔を見せて、莉奈は尋ねた。
「リオンちゃんは、ティナちゃんともお友達なんだよね?」
わあ、嬉しいな〜☆ 私もお友達なんだ。ティナちゃん、すっごく可愛いよね☆
そんな言葉を続けようとしたとき、リオンはくわっと目を見開いた。
「冗談を言うな! わしにとってみれば、神の娘は宿敵。魔族と天使として対立したかと思えば、次には恋敵となるとはの!」
(危うく地雷を踏むところだったわ!)
わなわなと拳を震わせるリオンを見て、莉奈はなるほどと思案を巡らせた。
(たぶん、細かい話を訊いたところでまともな返答は返ってこないでしょうね。これがかつて桜井くんの言っていた『ネトゲ仙人(※)』なのかもしれない)
※「ネトゲ仙人」とは、優馬が突然の思いつきで作った造語である。ある日、莉奈が隙を伺って優馬に話しかけたとき、彼は窓の外にぷかぷか浮かぶ雲を眺めながら、突然言ったのだ。
「なあ、東雲、廃人を通り越すと、人って仙人になるんじゃないかって思うんだ」
「え?」
「ただの廃人は神にはなれない。その世界に対する想像力を限界突破させなくちゃならないんだ。レベルの高い廃人はな、ゲームをしていないときでもゲームをしているんだと思い込んでいるんだ」
「どういうこと?」
「つまりな、現実世界でも自分をゲームの世界の主人公だと思い込み、その設定から抜け出せずに浮世離れしていくんだ。つまり、仙人になる。そう考えたらさ、そこまでの境地に辿り着いたらむしろ格好良いことなんじゃないかって、俺は思うんだ」
「桜井くん、最近何か嫌なことでもあったの?」
「いや、なんかさ、俺、ときどきこういうことを思いつくんだ。どうしても誰かに言いたくなるんだけど、この前雪菜に言ったら無視されたんだ」
「あ……そう……」
…………。
「なんか、ごめん」
「う、うん! 大丈夫だよ! それよりさ……」
閑話休題。元の莉奈とリオンのシーンに戻る。
(まさか、桜井くんはこの子のことを言ったのかな?)
そう考えながら、莉奈はリオンを見つめた。
もちろん、それは優馬が本当に突然思いついただけに過ぎないのではあるが(普段から本当にどうでもいい考えごとばかりしている優馬は、ときどき本当にどうでもいい無意味なことを思いつくのだ)、莉奈は彼の発言に含まれた意味を勝手に解釈した。
(そうか。そういうことか)
その瞬間、莉奈の頭の中ですべての辻褄が重なり合った。頭から稲妻が体を貫いたかのようだった。
「ここだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」
「どうしてわしの周りには声でかい奴ばかりが集まるんじゃ〜」
家の中だったこともあり、あまりに興奮しすぎた莉奈は、つい心の叫びを口に出してしまった。リオンは莉奈の声圧に吹き飛ばされ、部屋の隅で丸まってビクビクと体を震わしていた。莉奈は顔を真っ赤にしてリオンの傍に寄り、背中をさする。
「ごめんね。リオンちゃん、ごめんね」
さすりながら、莉奈は頭の中の考えを整理した。
(あのときの何かを抱え込んでいたかのような不安げな表情。それは廃人を通り越して仙人になり、その影響で自らを魔王だと思い込んでいるリオンちゃんのことを心配してのことだ。プラスアルファ、今日の桜井くんとリオンちゃんの様子を見ていれば、二人がそれなりに親しい間柄だということがわかる)
見たところ、リオンちゃんは桜井くんに深い愛情を抱いているらしい、と莉奈は冷静に分析をした。そしてにやりと笑みを浮かべた。
(しかし、その愛は「恋愛」とは程遠く、いわゆる「家族愛」に近いもの。娘か親戚の子供を可愛がる感覚に近いってことね。つまり、あなたは戦う前からこの「ラブコメ」の戦場からは除外されているのよ)
しかし、あなたには利用価値がある、と莉奈は黒い笑みを浮かべた。
(「走れメロス」で言ったら、リオンちゃんはセリヌンティウスね)
※作者による特別解説を入れるとすれば、「走れメロス」とは太宰治によって書かれた短編小説であり、莉奈はこの本に熱く心を打たれていた。
メロスは色々あったせいで王様に処刑されそうになったが、「妹の結婚式に出たいんだ。だから、三日間だけ時間をくれ!」と王様に懇願した。人の心を信じられぬ王は、当然のことながら拒否する。しかし、メロスは友人のセリヌンティウスに人質になってもらい、妹の結婚式に向かうことができた。結果として三日以内に戻ってくることで二人とも釈放されるという、一般的には男同士の熱い友情を描いた物語として知られている。
しかし、読者の皆様にはおわかりの通り、この東雲莉奈という少女がそんな陳腐な友情小説に心を打たれるはずがない。莉奈は、「走れメロス」の真実はビジネス書なのだと思っていた。「走れメロス」では、友情や絆とは、時には実際的な金資産 (Money Asset)よりも価値のある資産となり、いざというときに途轍もない力を発揮することを伝えようとしているのだ。相手は一国の王だ。いくら現実的な金を積んだところで決して動かないだろう。だからメロスは「友情という資産 (Friendship Asset)」を動かしたのだ。つまり「走れメロス」とは、いざというときに動かすことのできる友情資産 (Friendship Asset)の大切さを暗喩的に描いた物語なのだ。
(仮に三日以内に戻ることができなかったとしても、殺されるのは自分ではなく、セリヌンティウス。つまり、メロスが負うリスクはゼロ……。王様を暗殺しようとしたのは自分なのに……。メロス、超天才じゃない! 友情というものが、これほど大切なものだったなんて……)
熱い友情物語の裏に隠された意味を(勝手に)理解したとき、莉奈は心を震わせた。そして、莉奈はこれからは友達を大切にしようと誓ったのだった。つまり、莉奈は「走れメロス」に感銘を受けて友達の大切さを知ったのだ。
「私も、正直に言ったらティナちゃんのことがあんまり好きじゃないんだよ。だって、リオンちゃんのことをいじめるんでしょ。私、初めてリオンちゃんのことを見たときからわかってたの、あなたはとても優しい心を持った女の子なんだって。私、リオンちゃんの力になりたいの!」
(リオンちゃんは、私にとって最強の「駒」よ! 桜井くんに近づくための餌として、そしてティナ・アーリストを倒すための矛として、私のために動いてもらうわ)
「だから、困ったことがあったら、何でも言ってね」
暖かい毛布で包み込むような微笑みに、リオンはほろほろと涙を流しながら莉奈の懐に飛び込んでいった。感動で泣きじゃくるリオンを優しく撫でてあげる姿は、さながら親子のようにも見えた。
そしてリオンは、内心、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
(よっしゃぁ、家ゲットォ! ふっふっふ、これからはこの家を拠点にして神の娘を地獄の底に突き落とし、この人間の小娘を出し抜いて、必ず優馬を我が夫としてみせるのじゃ!)
「私の名前は東雲莉奈。よろしくね、リオンちゃん」
「うむ。よろしく」
と、二人は握手をした。
「ところで、莉奈、ひとつだけお願いがあるのじゃが」
「なあに、何でも言って?」
「わしを、この家に住まわせてほしいのじゃが」
すると、莉奈の顔から、笑顔がすーっと消えて無表情になった。
「それは無理」
〈次回予告〉
砂星楓は公生高校二年一組の担任である。切れ長の鋭い眼差しに落ち着いた振る舞い。時には厳しい生徒指導を行うときもあるが、クールでスタイリッシュで、後輩教師や生徒たちからの尊敬を集めていた。しかし、どんな人間にも表と裏があるものだ。今年の誕生日で三十歳を迎える砂星は独身で彼氏いない歴=年齢。唯一気を許せるのは電気屋で買ったカレムサという機械だけだ。アラサーでこれはまずいと砂星は焦る。しかし、砂星に婚活をする暇などない。なぜなら、彼女は「誰にも言えない」趣味に忙しかったからだ。今週も日曜日がやってきた。砂星はいつものようにその場所へ向かう。
次回、第十一話「砂星先生の休日」。
お楽しみに!




