第十話 「ラブコメディ」は戦争小説?(3)
「宴は終わり。今日が本当の戦いなんだから」
勉強会もまったく悪いわけではない。言ってみれば遊びと勉強の両立みたいなものだし、テスト勉強のスイッチを入れるきっかけにはなる。ただ、それはテスト前ぎりぎりにするべきものではない。
勉強会の後、莉奈は一週間かけて猛勉強をした。
(「walk」と「work」を間違えるミスは……この前やったのか。いや、でも同じミスを繰り返すのも、ド天然っぽくていいかもしれないね)
しかしテスト勉強において莉奈が最も力を入れているのは、満点を叩き出すことではない。笑えるような可愛らしいミスを犯すことだ。そしてそのミスを、あえて優馬の前で陽子たちにいじらせるのだ。
「えー、マジで? 莉奈、この前も同じようなとこ間違えてなかった?」
英語のテスト結果が返ってきたとき、陽子に指摘されたところをまじまじと見つめる。そして、莉奈は驚いたような素っ頓狂な声を上げた。
「あー! 本当だ! これさえ合ってれば九十点超えたのに〜!」
これこそが、莉奈が「満点の壁を越えたとき」なのだ。莉奈の座右の銘のひとつは「一番を見つけるのは簡単なことなんだよ。本当に難しいのは、完璧な二番を手に入れることなの」である。テストで満点を狙う人はそれなりにいるかもしれないが、完璧な二番を狙っているのは、おそらく莉奈だけだろう。
(ちらっ。ちらっ)
横目で見ると、優馬が怪訝そうに自分たちのことを見ている。よしよし。注目度はばっちりだ。莉奈は笑みが隠しきれず、テスト用紙で顔を隠しながら体を震わせていた。
「莉奈、大丈夫?」
二人はそれを、莉奈が落ち込んで泣きそうになっていると勘違いしたらしい。感情的で繊細(に見える)な莉奈を気遣い、陽子が声をかける。
「十分高得点なんだから、いいじゃん。泣くなよ」と奈美恵も苦笑気味に彼女の肩を叩く。
「でも、九十点を超えたら、ママにもっと喜んでもらえたのに……」
「莉奈ん家のお母さん、結構厳しそうだしね」
(ちらっ)
莉奈は優馬を横目で見た。まだ眉根を寄せてこちらに注目していた。きっと、凡ミスで九十点を逃して悲しんでいる私のことを心配してくれているのだろう、と莉奈は都合よく解釈した。
しかし、やはり莉奈の前には、さらに高い壁が立ちはだかっていたのだ。
「すごぉい! ティナちゃん、英語満点だ!」
「ま、ティナちゃんだから当然か」
「いや、でも百点はすげえよ!」
ティナが数人の男女に囲まれて困ったような笑みを浮かべている。莉奈は眉をひそめた。
(あっちはすごい注目度だなぁ……)
まあ、桜井くんの目線はこっちに釘付けだし、気にする必要はないか。
莉奈は鼻で笑った。
(満点で満足しているようじゃ、まだまだね)
と、思っていた矢先のことだった。ある女子生徒が、よく通る声で声高に叫んだ。
「あ、ティナちゃん、でも苗字のスペル間違ってるよー!」
ティナは「嘘」と呆気にとられたように言ってテスト用紙を取り返し、「本当だ……」とかぼそい声でつぶやく。
「ArlistがArtistになってる!」
その瞬間、教室中にダムが崩壊したみたいな大爆笑の渦が生まれた。莉奈はその激しい渦の中で、凍えるように呆然とティナのことを見つめていた。
(おいおいおいおいおいおいおいおい!!! なんだよ、それ! Tina Artist……「芸術家のティナ」って、めちゃくちゃ面白いじゃんかよ! 「walk」と「work」のスペルミスなんかごみみたいに見えてくるじゃんかよ!!)
莉奈は唇を噛み、テスト容姿をくしゃっと強く握った。
「あっはっは! たしかに芸術家だ!」
「てか、先生、気付かなかったのかな?」
「アルファベットで書いてるのはティナちゃんだけだから、すぐわかるし、細かいところまで気にしてないんじゃない?」
もー、そんなに騒がなくたっていいじゃん!、とティナは顔を赤らめて弁解する。
(くそぅ……くそぅ……)
莉奈は、血が出そうなくらいに唇を噛んだ。
美人で成績優秀、運動神経抜群の完璧超人。テストは当然のことながら百点を取る。そんな彼女が、満点を叩き出しながら満点の壁を乗り越える唯一の方法(凡ミス)。それは「名前を間違えること」だ。当然、そこまでの完璧超人が犯す凡ミスというものは破壊力が大きい。「あー、もう、すっごい恥ずかしいんだけどぉ!」と顔を赤らめる様は、西洋の彫刻みたいな美しい顔立ちにキュートさが加えられ、鬼に金棒、魔王にグングニルである。
(ちらっ)
そ、それじゃあ、桜井くんジャッジは……、と莉奈は優馬の様子を伺った。
(どぉしてだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!)
果たして優馬は、口元を押さえて顔を隠して震えていた。
(一番ガチなやつじゃん! 笑いを堪えようとして堪えきれてないじゃん!)
「り、莉奈……? どうしたの?」
突然様子の変化した莉奈に、陽子と奈美恵の二人は戸惑っていた。
そして、莉奈はほんの一瞬、ティナと目が合った。
(あなたが私に勝とうなんて、百万年早いわよ!)
ぺろっと出された舌を見て、莉奈はすべてを悟った。
(まったく気付かなかった。戦いは……私の知らないところで始まっていたんだ)
満点の向こう側の存在に気づいていたのは、莉奈だけではなかったのだ。そもそも、その隙間を狙っているのが自分だけだと思い込んでいることが過信だし、自分は完全に自惚れていたのだ。
「ちょ、莉奈!」
「急にどこに行くのよ!」
陽子と奈美恵の制止にも構わず、莉奈は思わず教室から出て廊下を駆け抜けた。
(どうして……どうしてなのよ……。どうしてあなたは、いつも一段高いところから私を見下ろして嘲笑っているのよ……。勝てない……あなたには、一体どうやったら勝てると言うの?)
「恋愛」はスポーツと同じ。一人の男の人のために、戦略を練り、他の女と戦い、溢れる悔しさや緊張に、汗と涙を流しながら勝利(男)を目指すものなのよ。
莉奈は名言を残しながら、メロスも驚く勢いで廊下を走り抜けた。恋愛映画だったら、私は主人公の哀れな女の子ね、と莉奈は思った。意地悪な女王に虐げられ、すべてを奪われ、それでも「負けたくない」と思って前に突き進む気高き主人公なのよ。
「おーい、東雲ー。廊下は走るなよー」
担任の砂星の制止も聞かず、莉奈はひたすら駆けていた。そして誰もいない体育館裏までたどり着き、すうっと息を吸い込んだ。そして……。
「こんんんの、クソビッ●aea※aegrjk△aaea★〆×wke(自主規制)…☆sgrs〓hrhs?…afkafek…!!! 絶対にぶっころ☆★■○fae(自主規制)—aeaegairjiogsrk—□aea◇aeaa☆!!!」
心が落ち着いてから、莉奈はふと思った。
(「恋愛」はスポーツじゃないわ。汚い言葉で相手を罵ることは、間違いなくスポーツマンシップに反するもの。やっぱり、「恋愛」は戦争なのよ)
ひとつだけフォローしておくとすれば、自分のことをある程度客観視できるのが、莉奈の良いところである。




