第十話 「ラブコメディ」は戦争小説?(1)
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「『恋愛』っていうのはね、女の子たちにとっての戦争みたいなものなんだよ」
莉奈は、ごみ捨て場で焼けた舌を出して「ヒィ、ヒィ」と喘いでいる幼女を見て、そんな名言を投げかけた。
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「テストは一回一回が勝負だからね。気を引き締めていきなさいよ」
昌子はぎゅっと拳を握りしめ、娘に向かって力強い言葉を投げかけた。莉奈はその圧力に苦笑しつつも「わかってるよ」と相槌を打った。
「推薦入試で通れば、わざわざ一般入試で受験して競争率何倍なんてリスクを冒す必要もないし、良い大学に行けば人間の質も変わる。そうすれば、必然的に良質な人材と結婚できる可能性も高くなるっていうことでしょ」
「よくわかってるじゃない。それでいいのよ、莉奈」
読者の皆様のために注意しておくが、彼女たちが話しているのはビジネスや会社経営、面接の類の話ではない。
彼女たちがしているのは、受験と結婚の話である。
東雲家では、中学受験のことを「大学入試第ゼロ次試験」と呼んでおり、同時にそれこそが婚活の幕開けでもあった。極度に現実的な先の先まで見通す莉奈の目は、そのDNA——デオキシリボ核酸——は、母である昌子から受け継がれたものだった。
人間にとって、環境とはとても大切なものである。それでは、「環境」とは何か、と問われれば、環境とは「人」である。人との出会いは、人に様々な影響を与える。
生まれつきの才能なんて存在しないわ。才能とは後天的なもの。生まれた家、通った学校、そこで学んだことによって次第に決まっていくものなのよ。
それが、莉奈が昌子から受け継いだ名言のひとつだった。
考え方や人格形成、趣味、嗜好——勉強することが正しいとか意味がないとか、スポーツが楽しいとか意味がないとか、誰がどんな人や物を好きになるのか、嫌いになるのか、何に向かって努力をするとか——それらはすべて、誰と出会い、何を言われ、どんな影響を受けたのかによって決まってくるものに過ぎないのだ。
「あ、そういえば、莉奈」
「どうしたの?」
「小学校のとき、よく一緒に遊んだ幹雄くんっていたでしょ?」
「みきおくん?」とその名前を復唱して、莉奈は難しそうに眉根を寄せる。「……って、誰だっけ?」
「ほら、公園でずっと一緒に遊んでいたじゃない。日野幹雄くんよ」
「あー……」
日野幹雄くん? 誰だよ、そいつ。
そんなことを思いながら、莉奈は豆電球が光ったような明るい表情をしてぱちんと両手を合わせた。
「あ、あー! 日野幹雄くんって、あの子ね! うん、うん! もちろん覚えてるよ! 懐かしいなあ……。それじゃあ、ママ、今から勉強やってくるね!」
有無を言わさず自室に戻ろうとするも、「ちょっと、待ちなさいよ」とあえなく昌子に止められる。
「日野幹雄くんって、いたでしょ?」
「う、うん」
「今度、幹雄くんと会うことになったから」
「ちょっと、どうしてそんな急に……」
「いいじゃないの!」
嫌な予感がした。母親が上機嫌に自分に関わる新素材を持ち出してくるとき、必ず何か押し付けてくることを莉奈は経験的に知っていた。
案の定、昌子は莉奈にこそこそ話をするみたいなささやき声で言う。
「幹雄くん、今の感じだと将来安定した職業に就きそうだし、顔も悪くないから、しっかりアプローチしてくるのよ。女の子らしい立ち居振る舞いと話の中身にだけは気をつけるのよ。今の内から頑張っておけば、将来きっと幸せになれるから」
「別にそんな気を使わなくても大丈夫だよ。私には……」
と言って、莉奈は言葉を止めてしまった。感情で好きになっているのか、理性で好きになっているつもりなのか、今の莉奈にはそれが曖昧だった。だからはっきり言うことができずに俯いていると、「遠慮しないで!」と昌子は莉奈の肩を叩いた。
「とりあえず、会うだけ会ってみなさいよ。話してみれば、また考え方が変わるかもしれないから」
やはり母の言葉に逆らうことなどできず、莉奈はこくりと頷いた。
「……それじゃあ、わかった」
そして自室に戻り、椅子に座って教科書を眺めると、莉奈はがっくりと肩を落として小さなため息を吐いた。
「まずは現代文から、か」
陽子たちとの勉強会は、先週に済ませたばかりだ。これは陽子たちと仲良くなった中等部の頃からの慣習である。
遡ること数年前、初めて陽子からこの話を持ちかけられたときは戸惑ったものだった——




