第一話 異世界からの帰還。帰ってきました、我が祖国(2)
十七年間ずっと傍にいたそいつの顔を忘れるはずがない。長い金髪のハーフアップに白い肌、かつて装備していたローブや杖の代わりに身につけていたのは、純白のワンピースだった。そして今俺が触れていたのは、否、揉んでいたのは、細身だが大きなティナの胸だった。
「ねえ、ちょっと、朝からうるさいんだけど。まったく、昨日から……」
雪菜は、すやすや眠るティナに視線を止めたまま、凍りついてしまう。そして、叫んだ。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!! 優馬が、女を連れ込んでるぅぅぅ!?」
どうした、どうした、と親父にすみれちゃんが俺の部屋へ駆けつけてくる。
「優馬、お前……」と親父の時間が止まってしまう。
「あら、まあ……」とすみれちゃんは口元に手を当て、笑みを押し殺そうとする。
「いや、違っ……違うんです! あれ、これ、違うんです!」
「人はピンチを言い訳で切り抜けようとするとき、急に礼儀正しくなると言うけれど……」と雪菜が引き気味に言った。
「いや、マジで……その、信じて? ねえ、信じて? お願い。何もないから。僕、何もしてませんから。お願い。ねえ、ホントお願い」
「ちゃらちゃらした男の子の言う『先っぽだけ』と同じくらい信用のできない言葉ね」とすみれちゃんが困ったように言った。
「ちょぉぉぉっと、二人だけにさせてくれるかなぁ?」
俺は部屋のドアを閉め、ティナの肩を揺さぶって起こそうとした。
「おい、ティナ。てめえ、どうしてこんなところで眠っていやがる。おい、起きろ。ティナ」
「ん……んん……」
かなり眠りが深かったみたいで、ティナはなかなか目を覚ましてくれなかった。しかしさらに揺さぶり続けると、ティナはようやく目を開いた。
「エデ……ル……。ああ。今は、優馬なのか」俺と目が合うと、彼女は破顔する。「優馬、約束だよ! 私たち、結婚するんだよ!」
言うが早いか、ティナは俺の首に巻きついてくる。
「わぁぁぁ! なんだっ! 離れろ! 離れやがれっ!」
俺は必死でティナを体から話す。
「やい、てめえ、どういうことだ。どうしてここにいやがる」
怒りながら言うと、ティナも不満そうに膨れっ面をする。
「だって、約束じゃん。魔王を倒したら、私たち、結婚するって」
「はぁ? してねえよ」
「はぁ? したじゃん。最後のときだって指切りしたじゃん」
「指切り?」
俺は思い出してしまった。
魔業核を倒した後、力を失って倒れる俺にティナが駆け寄ってきた。そして、何だかんだ言う内に指切りさせられたことを思い出した。あのときは「まあ、どうせ口だけだろう。大体、地球に家も家族も歴史も持たないティナが、どうやって地球で俺と結婚するんだよ(笑)」と思って適当なことをかましていたのだ。
約束は約束だ。約束を守らない男なんて男じゃない。だから、俺は諦め、ティナに言った。
「いや、絶対にしてない」
約束なんて絶対にしていない。少なくとも、俺は絶対に覚えていない。「思い出した」なんて言ったら終わりだ。それは、俺がティナと約束をしたことを意味する。ティナが、美しい容姿をしつつも若干面倒臭いところがあることは、十七年の歳月をかけて理解している。こんな奴に生涯付きまとわれるなんて、たまったものじゃない。
「はぁ、絶対したし。絶対したからね。嘘吐いたら、針千本呑ますって」
「え?」
すると、ティナの手の平の上に赤い飴玉が魔法みたいに現れた。そして、ティナはその飴玉を俺の口に突っ込んできた。
「必殺、〈針千本〉!」
「わぁちゅぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
とにかく辛かった。口の中を突き刺すほどに辛かった。それはまさしく針千本。しかも、辛味はなかなか引いてくれなかった。
「針千本を実際に呑ませるわけにはいかないからね。でも、その飴は特別性だから、私が魔術を解かない限り、一生辛いままだよ。ちなみに、辛さも調節できるんだけど」
ティナがくいっと人差し指を上に向けると、飴玉がさらに辛くなった。
「思い出した! 今思い出した! マジで今思い出したからやめろ! やめてください、お願いします!」
「よろしい」
ぴゅっと人差し指をスライドさせるようにすると、辛みは一瞬にして引いてしまった。俺は大汗と呼吸を荒げながら、部屋の床に倒れていた。
「竜魔人ドラニゴスと戦って、私が死にかけたときのこと、覚えてるよね」
「覚えてるっつうか、それを思い出したのはマジで今」
だって、本当に地球までついてくるとは思ってなかったんだもーん。
それは、神の王国へ入るための秘宝探しをしていたときのことだった。秘宝にはそれぞれ番人が配置されており、竜魔人ドラニゴスとは、その番人の中の一体だ。戦いの途中、ティナは俺を庇ってドラニゴスの毒霧を食らってしまい、やむなく魔物の出てこない場所まで一度引き上げたのだ。