第六話 神様は小説家(3)
その次の日曜日、優馬と雪菜はどこかに行ってしまい、一人ぼっちになった。雪菜はともかく、優馬が出かけるなんて珍しいな、と思いながら、この日ティナは桜井家に遊びに来ていた。
ちょうど出迎えてくれた晴敏を見て、先週の高熱を出した日のことを思い出し、「良かったらお話でもしませんか?」と言ってみたのだ。晴敏は「もちろん、構わんよ」と嬉しそうに答え、彼女を書斎に案内したのだ。「おっぱい♪ おっぱい♪」と言いながらスキップしてたので、ティナもそれに乗って晴敏の後ろに続いた。書斎まで付くと、「やっぱり、君は他の女の子たちとちょっと違うよな」と不思議そうな顔をした。「普通じゃない女の子はお嫌いですか?」と尋ねると、「大好きだよ」とにんまりとして答えた。まったく動揺しないティナの様子に、晴敏は堪えきれなくなって大声を上げて笑った。
二人は椅子に相対するようにして座った。
「ほう、優馬とそんな話をしたのか?」
晴敏は少し驚いた顔をしてそう言った。ティナは顎に人差し指を当て、明後日の方向を見上げながら悩ましそうに唸り、それから晴敏の方を見る。
「話をしたっていうか、私は一方的に聞いていただけなんですけど。ほら、この前の日曜日、私が熱を出して寝込んでいたときの話です」
「ああ。そういえば、優馬が看病していたとか言ってたな」
「まったく。忘れていましたよ。人間の体って不便なんですよね。魔物の毒とかだったら回復魔術で治癒できるんですけど、風邪のウイルスってそれが効かないんですよ……」
「んん?」
ティナが突然何を言い出したのかと思い、晴敏は怪訝そうに前のめりになった。ティナはにやりと笑みを浮かべた。
「優馬から、お父様がこういう系の話がお好みだと聞いて、いつか一緒にお話ししてみたいと思っていたんです。好きなんですよ、私も。異世界について語るのが」
言うと、晴敏はぱーっと表情を輝かせた。
「おお、そうだったのか。それは素晴らしい! というか、意外だな。ティナさんみたいな可愛らしい女の子が、ファンタジーを好むなんて」
「人を見た目で判断しちゃだめなんですよ」
「そうだったな。すまん、すまん」
「神の名のもとに許します」
「神の僕として、光栄な限りだ」と言って、晴敏はくっくと笑った。「ティナさんの本当の姿は、神様だったのかい?」
「今まで隠していたんですけど、仕方がありませんねえ……。未来のお義父様にはお教えしましょう。実は、私は天界の神の娘だったんです」
「なるほど。天界では、どのような暮らしをしていたのかな?」
「お話しにならないくらい退屈な暮らしですよ」
「構わん。お話にならないくらい退屈なお話の方が、よっぽどリアリティがある。現実なんて、所詮は退屈なものだ」
「だから、人は刺激的な物語を求めるのかもしれませんね」
「それも考え方のひとつではあるな」晴敏はティナに微笑みかけた。「それじゃあ、教えてくれよ。君は、天界でどんな退屈な暮らしをしていたんだ?」
「死者の魂っていうのは、全部死神によって冥界に運ばれていくんです。だから、死者の魂を裁く云々っていうのは、実は私たち天界の精霊——天使って言った方がわかりやすいのかな?——とにかく、私たちの仕事じゃないんです」
「それでは、天界の精霊たちの仕事とは、どのようなものなんだ?」
「世界を見守ることですよ」
「世界を見守る」と晴敏は復唱した。
「ええ。でも、正確に言えば、私のお父様が見守っているのはこの地球ではなくて、ビルヴェンシアという世界なんですけどね。そんな私がこの地球にいるのは、優馬と結婚するためなんですよ」
「ほうほう」と晴敏は楽しそうに相槌を打った。
「私と優馬……もといティナとエデルのビルヴェンシアの旅路を聞きたいですか? 本来は企業秘密ってとこなんですけど、お義父様には特別です」
「ティナさんが構わないと言うのなら、ぜひお願いしたいところだな」
「それじゃあ、全部まるごと話すと時間がかかりそうなので、今日は大事なポイントだけお話ししますね」
そして、ティナは優馬が死んでからの真実をある程度のところまで話した。先週の日曜日、本当は優馬が死ぬはずだったなんてことは、それが真実であれ、作り話であれ、さすがに父親の前で口にすることはできなかった。
「魔王軍が天界に乗り込んでくるのは、本当に急な話だったんですよ。たぶん、その前からいろいろと準備を進めていたんでしょうね。気付いたときには遅かったんです。それで、私だけが何とか天界から逃げることができたんです。天界から逃げることができた私は、いつのまにか地球を彷徨っていたんです。頼ることのできるパートナーを捜していたんですけど、そこで優馬と出会ったんです」
「道を歩いていたら、ばったり会ったのかい?」
「いいえ」とティナは首を振った。「そこに光が見えたから、私の方から会いにいったんですよ。事情を話したら、『天界がそんなピンチなら、ぜひ協力させてくれ』って言ってくれたから、優馬をビルヴェンシアに連れていったんです。それから、私と優馬は兄妹として生まれ変わって、十七年の歳月を経た後、天界を乗っ取った魔王を倒すための旅に出かけるんです」
「ちょっと待て。ティナさんは、今はもう魔王を倒した後なんだろ」
「はい」
「だったら、十七年の歳月を経た後なのに、優馬がまだ高校生だというのはおかしくないか?」
ティナは悪戯っぽい笑みを浮かべ、晴敏に言う。
「心配しないでください。神様に不可能はないんです。……『ほとんど』付きですけど」
七つの秘宝を守る番人との戦いのことや、仲間たちとのことを、ティナは簡潔に話した。もちろん、彼女にとって最も大切なシーン——竜魔人ドラニゴスとの戦闘から一時逃亡した際の愛の告白——はかなりの熱をこめて語った。そして魔王リオンと魔業核を倒した後、神の娘に戻ったティナが、魔術によって優馬が異世界へと向かう少し前の時間に戻し、彼を地球まで送り届けたこと。その大きな魔術に紛れて、ティナの存在も地球に紛れ込ませたこと、を話した。
「……それで、今の私と優馬があるわけです」
「タイムスリップとは、ずいぶんと都合が良い話だな」
「だけど、それができちゃうんです」とティナは言った。「私、神様だから」
「神様に不可能はない、というわけだな」
「『ほとんど』付きで」
「それはどういうことだね?」
「いくら神様でも、人の心までは動かせませんから。だから、私はこうやって毎日優馬を追いかけ回しているんじゃないですか」
「なるほどな」と晴敏は笑った。
ねえ、お義父様、とティナは上目で甘えるような口調で言った。
「私は、この運命的な出来事を経て、優馬くんと結婚できるのでしょうか?」
晴敏はティナの目をじいっと眺めると、にやりと笑みを浮かべて言った。
「俺としては、いつでも大歓迎だぞ。それよりも問題なのは、優馬がどう思うかということだろう。もちろん、もし優馬が『だめ』だと言うのなら、俺がもらってやっても構わんぞ」
ティナはぷっと噴き出してしまった。
「わあ、嬉しい! ずっと桜井家に居候させてくれるってことですよね!」
晴敏は苦笑しつつ小さなため息を吐く。
「嫁に、という意味だったんだがな」
「え、何か言いました?」
絶対聞こえてただろうに、と思いつつも、晴敏は首を振った。
「いいや」
「お父さーん、お昼ご飯ですよー。ティナちゃんも、一緒にどうかしら?」
「あ、ぜひ!」
書斎に入ってきたすみれに、ティナは元気よく返事をして部屋を出ていく。一人腕を組んでじいっとしている晴敏を見て、すみれは不思議そうに尋ねた。
「お父さんは、食べないの?」
少し目を閉じて考えた後、晴敏は言った。
「もうちょっとだけ待ってくれ。なんか今、すごく良いものが書けそうな気がしているんだ。軽くメモ書きだけしたら、行くことにするよ」
「それじゃあ、お仕事が落ち着いたらどうぞ」
「ありがとう、すみれ」
すみれがドアを閉めると、書斎は柔らかな日差しと沈黙の声だけが木霊する静かな空間へと変わった。心が落ち着き、パソコンに向かうと、自然といつもの仕事モードに切り替わる。
この作品は、新作として別に書いた方が良さそうだな、と晴敏は思った。アイディアの切れ端としてくっつけたものではなくて、ひとつの確立した作品として書いてみたい気分になったのだ。完成させるには少し、いや、かなりの時間がかかるかもしれない。まあ、とりあえず、長編小説は長期戦なのだ。気長に、気楽に、少しずつ構想を固めていこう。
沈黙の声は止み、「カタカタ」の音が響き始めた。




