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第五話 桜井家の母(1)

 すみれの一日は、朝早くから起きて、洗濯機を回した後に三人分のお弁当を作るところから始まる。優馬に雪菜、それに最近ではティナの分まで作っていた。「お金は出すから食事の面倒を見てほしい」ということで、半分は趣味、半分はアルバイトとしてやっていたのだ。すみれは年下や子供が好きで面倒見もいいし、妹が一人増えたような気持ちになって、内心ではティナの存在を嬉しく思っていた。おまけに、ティナの可愛らしさは、桜井家の食卓に華を添えてくれる。家族の会話が増えて賑やかになり、すみれは朝食の時間にインターホンが鳴るのをいつも楽しみにしていた。


「うぉぉ……。今日も桜井家に舞い降りた天使……ぶふぉぁ!」


 晴敏がセクハラをするのは困ったものだけど、ティナはすみれのハリセンツッコミまで含めて笑って過ごせるくらいに豪胆である。


「雪菜ちゃん、体操服の準備はしたの?」

「あ……」

「ほら、準備して玄関のところに置いておいたから、ちゃんと忘れずに持っていきなさいね」


 言うと、雪菜は膨れっ面をして怒る。


「もう、私が自分で準備するって言ったじゃん」

「昨日の内にやっておかないから、準備しておいてあげたんじゃない」

「今日の朝、やるつもりだったの!」

「大丈夫だよ、雪菜。今度からは俺が雪菜の体操服を……」

「優馬は触ったら窃盗罪だからね!」

「触れただけで、かよ……」

「優馬は、存在が痴漢みたいなもんだからね」

「命の恩人になんてことを」

「ぐぬ……」


 優馬に当たりのきつい雪菜だが、例の通り魔事件のことを持ち出されると、どうしても逆らえなくなるのだった。しかし、それは優馬にとっても同じことだった。


「そうだよね、優馬。命の恩人には完全なる愛と忠誠の心を持たなきゃだめだよね」


 ティナが悪戯っぽい微笑を浮かべて言うと、優馬は歯ぎしりをする。すみれにも雪菜にも、それがどうしてなのかはわからないのだけれど。


「っていうか、親父は? また仕事のこと?」

「そうみたい。なんだか、次のストーリー展開のことで悩んでいて、夜も眠れないみたいなの」

「どれ、俺が起こしに行ってやろう」

「やめなさいよ」

「いくら何でも、規則正しい生活をした方が、良い考えも浮かぶんじゃないのか?」

「お父さんには、お父さんの生活リズムがあるのよ」


 すみれの言い分に、優馬は不満そうな表情を隠しきれなかった。しかし、結局は聞くことにした。


「ま、すみれちゃんがそう言うんなら……」

「学生は学生の生活リズムに従って、きっちり学校に行ってお勉強をすること。わかったら、早くご飯を食べて学校に行きなさい」


 ぱんぱんと手を叩き、すみれは三人に食事を促す。そのままの調子で朝食の時間が終わり、まず雪菜が忙しなく家を出ていき、逃げるようにして出て行った優馬の後を、ティナが猛スピードで追いかけていった。


「ティナちゃんも、お弁当忘れてるわよー!」


 いっけない!、と叫んでからダッシュで戻ってきて、ティナはすみれににこりと微笑む。


「すみれちゃん、いつもありがとう」

「いいの、いいの。それより、早く優馬くんを追いかけてあげて」


 優馬くんには、ティナちゃんくらい情熱的な恋人がいる方がいいかもしれないわね、とすみれは肩をすくめた。食器を流し場で水につけておき、ちょうど洗濯が終わった衣類を庭に干した。そして掃除機をかけている頃に、ようやく晴敏が食卓にやってきた。


「おはよう、すみれ。今日も可愛いね」

「それはハリセン待ちの言葉と捉えてもいいのかしら?」

「どうして娘に『可愛い』と言って殴られなければならんのだ」

「普段の自分の行いに訊いてほしいわ」すみれは呆れたように肩をすくめ、それから尋ねる。「先に歯を磨いて。その間に朝ご飯の準備をしておくから」

「後でやるから大丈夫だよ」

「だめ。絶対にやらないから」

「ちぇ、面倒臭いなあ」


 ぶつくさ言いながらも、晴敏は言われた通りにする。やはり最近は思い悩むことが多いのか、晴敏は朝食の時間もうんうんと唸っていた。そこで、すみれはヨーグルトとバナナのデザートを晴敏に出した。


「お父さんにしか出してないんだから、優馬くんたちには内緒よ」


 すみれが人差し指を口元に添え、にっこりと微笑むと、晴敏の表情も和らぐ。


「お、おう……。ありがとう、すみれ」


 飄々(ひょうひょう)として、たまには中学生みたいに子供っぽいところもあるけれど、すみれは家族で一番晴敏の頑張りや苦しさを理解していた。母親が亡くなったときも、晴敏は変な作り話をして家族の悲しみを和らげようとした。おかげで、母親は現在、「この理不尽な世界を作った神を殺すための旅に出ている」ことになっている。お葬式の日、表では「無事に帰って来いよ」なんて中二病全開なセリフを吐きつつも、その夜に書斎で一人、静かに涙を流していたのをすみれは知っていた。だから、彼女は調理の専門学校を卒業してから「桜井家の母」になることを決意したし、晴敏を妻のように陰から支えていた。


「お仕事、頑張ってね」


 子供たちが読んで楽しくなる小説を書き続ける父に、精一杯のエールを送る。晴敏は「おう」と一言だけ言って、右手を軽く上げて書斎に戻っていった。


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