はじめに
AIやロボットが人間の仕事を奪うとか、十年後に消える仕事がどうとか。マスコミは人々の不安を煽るのに忙しい。人心を煽って注目を集め、売り上げを伸ばしたいだけでしょう。単なる不安商法です。
社会に警告を発する事で人々がリスクを回避する一助としたい等という殊勝な心掛けではないでしょう。その証拠に、ならばどうしたらいいかという提案はありません。煽ったら煽りっぱなしです。
社会不安が発生したら、それを鎮めるのは為政者の仕事です。社会不安は経済活動の鈍化や治安の悪化を招きます。
しかし政治家も官僚も目の前の現実に対処するだけで精一杯。不安の素になりそうな部分を場当たり的に摘まみ上げては頓珍漢な規制を敷き、その代わり、利権に結び付く部分の規制を緩めています。これではかえって不安が増すばかり。
我々は一体どうしたら良いのでしょうか?将来不安に対する処方箋は示されません。
科学技術の進歩、文明の発達は、住み良い社会の実現に結び付かなければなりません。住み良い社会とは弱者の苦労が軽くなる社会です。
弱肉強食が掟の厳しい自然界において、人類は相互扶助を生存戦略として選択しました。
相互扶助から、人類は分業という方法論を手に入れました。
分業は、弱い者にも種の繁栄に貢献できる道を拓きました。
文明の発達は、より弱い者の生存を可能にしました。
科学技術の進歩は、文明の発達を後押ししました。
従って科学技術は人間を支えるものでなければなりません。ちなみに強者の都合は関係ありません。苦しい状況でも楽していられるのが人間社会における強者ですから。
更に言えば、人間という種の基本戦略が相互扶助であった為、その繁栄は個々の人生に余裕を生み出しました。人生の余裕は選択肢の多さという形で表れます。多数の選択肢を前にして、選択の指針を示すのが文化というものの役割でありましょう。
即ち、人間の理想は文化という形にまとめられます。そして科学技術は、高度な文化的社会の基盤ともなるでしょう。
注意していただきたいのは、私は格差社会を否定していないという点です。格差が問題になる理由は弱者への苦労の強制にあります。強者の解体はその解決手段の一つに過ぎません。別の手段で弱きを助ける事が叶うなら、敢えて強きをくじく必要は無いと考えます。それでもなお強者の解体を望むなら、一度立ち止まって、単なる嫉妬ではあるまいかと自問する必要があるでしょう。
以上を踏まえて考えれば、百年後の日本は今より良い社会になっているでしょう。その道筋をどうつけるか、私なりの考察の結果がこの近未来百年史になります。この先の時代において人々はどのような人生を送る事になるのか、その事について小説での表現を試みました。それが拙著「日本人は働く必要が無くなりました。」になります。
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…が、目を通していただけばおわかりでしょう。なかなか上手くいきません。頑張って小説を物しても、文才の不足は如何ともし難い。娯楽作品として成立しないし、何より書き続ける意欲に欠けます。
どなたか引き継いでいただけないでしょうか?他力本願で情けない限りですが、ここが私の限界です。上記作品の続きとは申しません。全く違う物語で良いのです。
百年後の日本は楽園になっている、そして更なる発展を望める基盤がある、そんな夢を見せて下さい。私は未来に希望を持ちたいのです。
しかし、それを制約条件にするつもりはありません。ここで示した未来史の通りに日本の歴史が進むと、それは資本主義社会の中に実現される理想的な共産主義社会になりそうな予感があります。一歩間違うと理想的な管理社会にもなります。それが良いのか悪いのか、私には判断が付きません。
とにかく百年後を見据えた議論の発端になればいいと思っています。出来るだけ多くの方に、真剣に考えていただきたい。それが私の望みです。