見た目以上に ~怪奇捜査探偵ホンドアウル~
ヤツが背を向けた。
この機を逃すまいとオレは凶器を手に跳びかかった。
ヤツは、はっとしたように突然動きを止める。オレが伏せた姿勢から立ち上がったときに発せられた、微細な音を耳にしたのかもしれない。が、もう遅い。振り返られる前に、オレはヤツの首に深々と凶器を突き立てていた。確実に脊髄を貫いた感触がオレの体を走る。返り血を浴びるのを防ぐため、凶器は刺したままにしておくのが常だ。ヤツは音を立てて床に崩れた。即死だ。
ひと仕事終えたオレは悠々と、もといた場所に帰り、姿勢も伏せた状態に戻す。人形のように横たわる骸を眺めながら殺しの余韻に浸る。この時間がオレの無上の楽しみというもの。そして、これから、もうひとつの楽しみも始まるのだ。
「死体の第一発見者は被害者が勤める会社の上司でした。被害者が始業時間をかなり過ぎても出社してこず、携帯電話も応答がなかったため、昼休みにアパートを訪れて死体となっていた被害者を発見、通報したということです」
「玄関ドアは施錠されていたのですが、郵便受けから中を覗いて死体を発見したそうです。ええ、被害者は玄関を入ってすぐのところに倒れていましたから」
「ドアは大家にマスターキーを借りて開けました。被害者の他にここの鍵を持っているものは誰もいないということでしたので。ちなみに、鍵は全て室内で見つかっています」
「部屋の全ての窓は施錠されていました」
「えっ? 密室殺人? ああ、そういうことになりますね。現場と死体の状況からして、事故や自殺ではあり得ませんからね」
「郵便受けから凶器を投げるか機械で発射した? それはないです。現代の検死では、凶器の刺さり具合で、それが投げたり発射されて刺さったものか、直に握って刺されたものかまで判別できるんです。あの刺さり方は、間違いなく犯人が凶器を手で握って突き刺したものです」
「凶器のアイスピックは部屋にあるものだったようです。被害者の指紋しか検出されませんでしたから」
「被害者の交友関係を当たっていますが、特に恨みを持つような人物はいませんね。金や異性関係のトラブルも聞きませんし、真面目な人物として通っていたようです」
「これでもう三件目ですよ。被害者は首の後ろを鋭い刃物で刺されて殺されている。現場は完全な密室。現場の状況と殺し方が全て同じだ。同一犯による犯行で間違いありませんよ」
警視庁どもが相変わらず的外れな捜査をしていやがる。犯人であるオレのことに気づくそぶりもない。笑いがこみ上げてくる。最高の愉悦だ。
ヘボ警官どもが右往左往するのを目と鼻の先で見物する。これがオレのもうひとつの楽しみよ……。
捜査は完全に袋小路に入り込んだようだ。現場へ来る刑事の数もすっかり減っている。
今回も十分に楽しんだ。そろそろ次の獲物を捜しに行くとするか。……ここへ向かってくる足音がする。この期に及んで諦めの悪い刑事がいるもんだ。どれ、ヘボ刑事の面を最後に拝んでから、ここを立ち去るとするか。立ち上がりかけていたオレは元の姿勢に戻った。
ドアを開けて入ってきたのは、およそ刑事らしからぬ男だった。背広、シャツ、ネクタイから靴に至るまで、捜査に走り回るには全く似つかわしくない上物ばかりを身につけている。何より、洒落たステッキで床を突きながら捜査をする刑事などいるわけがない。さらにおかしいのは男の眼光だ。小さな丸眼鏡の奥で輝くそれは、刑事の持つものとは異なった種類の鋭さを放っている。
男は室内を見回すと、ゆっくりと歩き出し、部屋の中央で立ち止まって、
「二件目の事件現場で……」
いきなり喋り出した。なんだ?
「現場となったアパートの郵便受けから、小さな人形のようなものが這い出てきたのを、向かいの住人が目撃したそうです」
見られていたのか!
「私は、その証言を聞いて、質の悪い〈生ける人形〉が悪さをしているのだと確信しました」
こいつ……オレが存在することを知っている! 何者だ?
「先の証言によると、郵便受けから這い出る人形が目撃されたのは、事件から数日も経ってのことだったそうです。ということは、一連の事件の犯人である生ける人形は、犯行後もしばらくは現場に留まっていたと考えられます。ですが、ここで問題が。生ける人形とは、その名が示すとおり人形、つまり〈人間の姿を模したもの〉にしか宿らないはずなのですが、見せてもらった犯行現場の写真のどこにも〈人形〉が見当たらないのです。現場に行った刑事たちにも訊いてみたのですが、人形などどこにもなかったと口を揃えて証言しているのです。では、目撃された〈人形のようなもの〉は、いったい現場のどこに潜んでいたのか……。
私は鑑識のひとりから興味深い話を聞きました。彼が言うには、現場には確かに〈人形〉はなかったが、人間の姿のもの、いえ、正確には、〈人間の姿になれるもの〉はあった、と……」
男は一度言葉を止め、オレのほうに視線を寄越した。
「……最近の玩具は、とてもよく出来ていますね。それが人間の姿に変わるとは、言われなければ絶対に分からないでしょう」
バレた!
オレは立ち上がった。車から姿を変えて。
そのまま棚から跳躍し、ドアに、郵便受けに向かう。
あと数歩でドアに届くという刹那、空気を切り裂く音がした。
「ぐえっ!」
オレは飛んできた何かに突き飛ばされて壁に激突した。オレの体を打ったそれ――洒落たステッキ――が床に転がる
「クソが……」
オレは立ち上がった。オレの体を繋ぐ関節は非常に柔軟で、人間のそれと比較しても何ら遜色はない。〈車に姿を変えることが出来る〉という特異性から、人間ではあり得ない部位にまで関節を持っているほどだ。
「そこまで関節が柔軟であれば、アイスピックやナイフ程度の凶器を使うことも十分に可能なわけですね。おや、あなたは指まで動かせるのですか。素晴らしい設計と技術ですね」
「な、何者だ……そうか、てめえがホンドアウルだな。人間の分際で、オレたち魔物を相手にしているという命知らず」
だがオレは、この瞬間にあっては自分の方が命知らずだということにまで考えが回らなかった。無謀にもヤツに跳びかかったオレは、まるで羽虫でも払うかのように叩き落とされて床に這いつくばった。細かい部品で複雑に構成されたオレの体など、ヤツの上等な堅い靴底で踏みつけられれば、粉々に砕け散るのは必定だった。