呼号、神の御許にて
貴女は逃げられない。
───────やめて
どうして生きているの?
───────おねがいだから……やめて
こっちにおいでよ
───────いや……いや……
無数の黒い掌が、私の腕を、脚を、首を、髪を、掴む。
渦巻く暗闇が、束縛が、迫ってくる。
「また会おうね、───────」
◆
「ダメったらダメっす! この先はアインスさんでも突破は無理っす! 隊長達が来るまで待機を……ってか、また一人で突っ込んでるんっすか!? やっぱりあんた馬鹿っすよ!?」
「うるさい、通して」
私の眼前で喚き散らしているのは、見た目は単なる優男。
目立った武装もなく、服装も施設職員の制服であるので一見すれば命乞いをしているようにもみえる光景だが、実際はその真逆の会話が交わされていた。
「ほんっっっとに、そういうとこっすよ!? 戦地でお説教垂れるのも気が引けるっす、大人しくそこでお座りしててださいっす。隊長達が来ないと俺は丸腰っすから、今アインスさんが下手に突っ込もうもんなら俺は肉壁としてこの命を散らすほかないっす、それでも突っ込むんっすか?」
「……わかったから、黙って、ドライ」
優男───ドライは、“ほっといたら捕虜になってたとかシャレにならないんっすからね!” だの “帰ったらチーズケークでも食べません?” と捲し立てて、ようやく静かになった。
ドライは約半年のあいだこの施設の職員として潜り込んでいた、所謂“スパイ”である。
こうして話すのも久しぶりだ。
「そもそもエレベーターは止められてます、ちと暴れすぎましたね、アインスさん」
「……別に、身を隠せとは言われてないし」
「言われずとも見つからないように動くのは当たり前っすよ? どうしてこう大事な場面で団体行動を乱すんっすか……下手すりゃ国の存続すら危ういんっすよ? ……あっ、隊長!」
呆れ顔を浮かべたドライが指さした先、ツヴァイ達が歩いて来ていた。
向こうも私とドライの姿を認めたのか歩調を早め、ドライが声をかける。
「状況は先程送信した通りっす、“遺体”がある階までは階段で上がるしかないっす」
ツヴァイは無言で頷くと、立腹の色をありありと浮かべて私を見た、濃緑の瞳と目がかち合う。
「三度目だ、帰投したら謹慎処分は免れないぞ」
「……そう」
頭では先の単騎突撃は無謀だと分かっていた、なのに、抑えようのない衝動が体を突き動かしているのだ。
───────一刻も早く、神の元へ
───────早く、彼女の元へ
誘われている、でなければどうしてこうも自然と足が動き、敵に向かっていけるだろう。
「……しっかりしなよ、嬢ちゃん」
肩に手を置かれて我に返ると、いつのまにかツヴァイたちはエレベーター横の階段を登っていた。
「謹慎がショック……って訳でもなさそうだな、“アワビ”でもやったか?」
微かに酒の匂いを漂わせたゼクスが不敵な笑みを浮かべながら茶化す。
「……一発キメたい気分」
「そりゃあいい、帰ったらやろうぜ……背中は任せな、嬢ちゃんはもう十分働いたからよ! 嬢ちゃんが敵を軒並みやってくれたから“行軍”はスムーズだったんだぜ? 結果オーライってやつさ、頑張ろうぜ」
アサルトライフルを肩に担いでゼクスはサムズアップした、晴れるような笑顔とともに。
「頑張ろう……ゼクス」
───────感謝の気持ちを込めて返した言葉には、私の胸に去来した申し訳なさも滲んでいた。
◇
「目標は次の階です! 撃ち下ろし来ます!」
ドライの呼びかけで素早く壁の裏に回った直後、容赦なく弾幕が張られた。
耳をつんざく銃声、砕けて飛び散る床材。
現在私たちツヴァイ班総勢六人は、神の遺体が安置されている階のすぐそこまで来ているが、敵が上階に陣取っていてやむなく踊り場で立ち往生している。
「下から来たら厄介だ、アインスとフンフは下を警戒しろ、予定より早いが“外部隊”に攻撃許可を出す」
フンフと共に、私はツヴァイに返事をすることなく階下にアサルトライフルを向けた。
トップレールに取り付けられたホロサイトを覗きながらツヴァイの言葉を反芻する。
本作戦における私たちの役目は二つある、神の遺体の回収と“陽動”だ。
予定では神の遺体を回収したら外部に待機している攻撃部隊が総攻撃を加え、私たち執行部隊の逃走を援護するはずだったが、先に外部から攻撃することで戦力を分散させるつもりだろう。
敵情調査はドライにより綿密に行われていたが、動けなくなったのが階段というのが運が悪かった、回収後の脱出が少し難しくなったといえる。
「……アインス、二人来ている」
フンフの警告で意識を階下の敵に向ける。
ツヴァイに次ぐベテラン隊員なだけはあり、微かな足音から敵の接近を察知したらしい。
フンフは腰から下げられた長さ二十センチメートルほどの筒を踊り場に向けて投げ下ろした。
小さく澄んだ金属音が響き、大型のバルーンバリケードが展開する。
「これで暫くは持つだろう、外部隊の攻撃を待つぞ」
───────こっちにおいで
フンフの声が、銃声が、遠ざかっていく。
───────どうしたの? “エリカ”
誰? 誰? 誰?
───────エリカはとっても強いから、こっちに来れるでしょ?
あんな数に突っ込んだら私は───
───────あはは! もう、早くおいでよ
「……ンス、 アインス! 大丈夫か!?」
早く行かないと。
───────死んじゃう
肩に置かれていた手を振り払って、私は駆けだした。
自分でも自殺に等しいことは理解出来る、なのに、勝手に足が動く。
床が揺れる、外の部隊の攻撃だろう。
弾幕が途切れた。
階段を駆け登る。
───────死ぬ、死ぬ、死ぬ……
───────死なないよ?
上階の床を踏む。
敵兵の驚愕が黒いバイザー越しに伝わってくる、その鼻っ面に彼氏の銃口を向けて
いち
にい
さん
し
ご
ろく
なな
バイザーが割れちゃったね。
ふうせんがわれるおとがしてはしりだす。
ぐんぐん世界が加速する。
かける、かける。
鉄の扉を蹴り開けた。
いまいくね。
大きなホールの中央に。
───────わたしが
貴女がいた。
───────ぎんいろのかみに
美を極めたような肉体。
「ようやく会えたね、エリカ」
───────わたしがめをひらく
遺体が話す。
「もう、眠らなくていいんだよ」
───────わたしをかかえると
私は駆けだした。
◇
爆音と共に、床が振動する。
たたらを踏んだその矢先、先輩が階段を駆け登り始めた。
「先輩!? まずいですよ隊長!」
上階に着くやいなや七人いた敵兵全員の頭を一瞬で吹っ飛ばし、先輩は神のいるであろう上階の奥へと姿を消した。
隊長はこの事態が起きていてなお、いつも通り落ち着いて告げる。
「……ヘリを呼ぶ」
これはあのまま先輩が神の遺体を持ってくるということだろうか? しかし流石に先輩といえども一人では難しいだろう。
後を追うべきか考え始めた時、破裂音と共に“後方から”銃声が聞こえた。
「フンフさん!?」
ゼクスの呼号、振り返ると血を流したフンフさんが倒れている。
後方の階段は先輩とフンフさんが見ていたはず、先輩が持ち場を離れたことで生まれた隙を突かれたのか。
「手当します! ゼクスさん! 階段下を見ていてください!」
「アハ公……フンフさんを頼んだぞ」
そう告げたゼクスの声は弱々しい。
フンフさんを射線が通らないよう踊り場の奥に引きずっていき、容態を確認する。
息はあるが複数箇所に銃弾を受けている、応急手当でどうにかなるような損傷ではない。
「隊長……ヘリとの合流までどのくらいかかりますか」
「ヘリの到着にはある程度かかるだろう、問題はフンフを抱えて最上階に上がる時間があるかどうかだろう?」
「とにかく手当します……専門じゃないですけど」
まずは止血のためメディックキットから止血ジェルを取り出し、患部に塗布した。
顎骨が折れているためハンドタオルを首にまきつけて固定し、壁によりかからせる。
「下のやつは始末した……フンフさんはどうだ?」
「息はあります、止血もしました、問題は脳に受けたダメージがどの程度かによります」
「そうか……」
ゼクスは怒りを露わにしながら、そう呟いた。
◇
乱れた息が抱えた女性の銀髪を揺らす。
「ようやく会えたね」
“どちら”が言っているのか、わからない。
「エリカ……」
「私は……アインス、エリカだか誰だか知らないけど、一緒に来てもらうから……っ!」
鉄扉を蹴破り、眼前に現れた二人の敵を屠るべく引き金に指をかける。
二度の銃声が響いた後、遺体は微笑みながら言った。
「ずっといっしょ、ずっといっしょだからね」