始まり、微睡みの淵にて
私はきっと、“自由”になりたいのだろう。
その結果が生涯の束縛であったとしても、私は戦いの渦中に身を置く決意をした。
私は、“自由”になりたかった。
あの暗闇に縛られて、私はそれを諦めたはずなのに。
私は、“自由”になりたい。
棺の中、薄れゆく意識の中で、最後に沸き起こったのは、決して成されることの無い切実な望みで。
頬に一筋、涙が流れた。
◆
雨が降っていた。
無数の氷柱から滴るように、冷たく。
藍の空に摩天楼が煌々と輝き、煌びやかな像が河口にほど近い港の海面に反射している。
白波が摩天楼の像を溶かしながら、一隻の船が河口に入った。
船の中には、沈黙を貫く漆黒のバトルドレスを着た男達が四人、そして───────
「……きろ、アインス……起きろ!」
肩を大きく揺さぶられ、まどろみの淵から引き上げられた。
「よく眠れたか嬢ちゃんよ? 目標地点までもう一キロを切った、そろそろおねんねの時間は終わって───────「もう起きたから、黙って操舵に集中して、ゼクス」
最悪の目覚めだ、静寂とは程遠いエンジンの駆動音といい、目覚めた直後に浴びせられるデリカシーの欠けらも無い言葉といい。
「ドライはもう準備が出来ている、あとは作戦通り、“神の遺体”を奪還するだけだ……準備しろ」
隊長のツヴァイが、無骨で飾りっけのないハンドガン【Mk57 GPHG v11】にマガジンを入れながら言った。
「はいはい、“隊長”」
私の言葉にツヴァイはこちらを見て片眉を上げると、何も言うことなく甲板へ出ていった。
横たわっていた床から鈍痛を訴える頭を持ち上げると、枕替わりにしていたウエストバックパックを腰につけ、床に放られていたハンドガンをレッグホルスターに収める。
「先輩、大丈夫ですか?」
年の割には少し幼く見える顔、バトルドレス越しにもわかる引き締まった体───────後輩隊員のアハトに声をかけられた。
「……別に、問題ないけど」
「それならいいんですけど、“彼氏”さん、忘れないでくださいよ」
そう言いながらアハトは、傍らの床に転がっているアサルトライフル【M4T8】を指した。
「……忘れるわけないじゃない」
“彼氏”のスリングを肩から掛けて、チャージングハンドルを軽く引くと金色のケースが鈍く輝いた。
「あと先輩、“遺書”出してないですよね? 毎度のことですけど、遺書の提出は……」
遺書?
頭が酒瓶で殴られたように痛んだ。
「もう……大丈夫なんですか?祖国の今後を大きく左右する作戦だって隊長が何度も……もう、今回“も”内緒ですからね!」
すぐ目の前で発されているはずの言葉が遠く感じる。
船が薄暗かったことが幸いして後輩に苦悶の表情───────浮かべていたかは自分でも分からないが───────は見られずに済んだ。
傍らの椅子に深く座り、大気を肺に流し込みながら震える左手でバックパックを開く。
そしてグシャグシャになった紙切れを取り出し───────
「はーっ……ふーっ……むぐっ……」
全くの無意識のうちに、丸めた紙を口にねじ込んでいた。
「ぐっ……ごっ……」
ねばっこく口にまとわりつく感覚、堪えがたい吐き気に襲われて私はすぐに紙を吐き出した。
「……何やってんだろ……私」
糸を引く唾液を拭いながら、風の掠れるような声で呟く。
気分を落ち着かせようと左の袖口に指を這わせたが、そこにあるはずの感触がない。
───────そうだった、あれは確か。
「フンフ、“あれ”返してくれない?」
船室の隅で腕を組み、俯いていた男がこちらを向く。
月明かりも遮られた船室で、やけに輝く茶色の双眸と目が合った。
「……もう“あんなこと”には使うんじゃないぞ……ほら」
ほうられたフォールディングナイフが放物線を描いて、吸い込まれるように私の左手に収まった。
目を閉じて握り締めると、激しい動悸が収まっていくのがわかる。
いつまでそうしていただろう、耳朶に取り付けられた小型無線が鼓膜を振動させ、間延びした声を伝えた。
「あー? あー? 聞こえますかー? まもなく目的地に到着しまーす」
「ゼクス、なんで全体無線で話すのよ」
「わりぃな嬢ちゃん、間違えた」
そうおどけた調子で言われ、ため息を吐きながら無線をオフにする。
まもなく船室のドアが開けられる音と共に篠突く雨が容赦なく降り込み、しとどに濡れた大男が船室に入ってきた。
大男───隊長のツヴァイは、濡れた短髪についた水滴をさっと払い、1つ咳払いをすると
「各員装備を再度点検し、潜入に備えろ、栄誉あるPSEF の名に恥じない戦いを期待する……まもなく、第四次神奪還作戦を開始する」
◇
眉間に一発、倒れる。
また眉間に一発、倒れない。
───────血が蛍光緑、戦術アンドロイド。
知覚すると同時に急所である腹部にニ発。
二つ先の通路から複数の足音、グレネードのピンを抜いて投擲、金属扉の陰に隠れる。
爆音、爆発に耐えた二体のアンドロイドに立て続けに二発ずつ撃ち込む。
すうっと力が抜けたように倒れた屍を踏み越えて進もうとすると、まだ息がある人間が一人、迷わず頭に一発、念を入れてもう一発。
ここまでで随分無駄撃ちしてしまった、マグキャッチを押してマガジンをリリースし、自重で落下したマガジンをバックパックに差し込んで新しいマガジンを叩き込む。
船から降りるなり他の隊員を置いて単騎突撃、どう考えても気が触れている、どうして自分はこんなことをしているのか。
───────呼ばれているのだ。
前にも味わったこの感覚、しきりになにかが私を呼び寄せる感覚、私はこの感覚に支配されると衝動を抑えきれなくなる。
施設の構造は事前に資料で把握していた、目標の“神”の遺体が安置されているのは施設の中心部で、通路の突き当たりを右に行けば直通のエレベーターがある。
息を吸うと鼻腔を満たす芳しい硝煙と血の香りに、自然と口角が上がった。
“彼氏”の冷たい表面を撫でて、コンバットブーツを鳴らしながら、次の戦いへと歩みを進める。
私は、戦いの渦中でしか生きられないのだ。
それでこそ、私。
それでこそ、アインスなのだ。