成績発表 2
前三話をちょいちょい改稿してたりします。すいませぬ。
彼はゆっくりと目を覚ます。
最初に目に入ったのは真っ白な壁。
これといって特徴もないが、見慣れすぎてすぐそれとわかる、学院第二医務室の天井だった。
彼──スティーブン・ウォーウルフはすぐに現状の把握に努める。
(また、倒れたのか……)
ぶっちゃけ日常茶飯事であるのでそこはあまり気にしない。
ベッドから身を起そうとする、しかしふっと力が抜け再びボスっと柔らかなベッドに体が埋まる。
体が活動限界に近かったのは覚えているが、眠っている間に完全に鈍ってしまっているのを感じた。
まだ、まともには動けそうにない。
「そうだ、時間……」
とりあえず今一番重要なのは日時の把握。
自分は何日ほど眠っていたのかを調べねばなるまい。
ベッドの横の時計に手を伸ばす、カレンダー機能付きの優れものだ、時間のずれも少ない。
そして手に取った時計を見てスティーブンは愕然とした。
「おいおい嘘だろ……五日も寝てたって……」
青帝杯で倒された日から五日の時が経っていた、今はもう成績も確定し今年度の序列表が発表されている時間ではないか。
あまりの時の流れの速さ、自身の不甲斐なさ、そしてあまりにも膨大(当社比)な機会損失に寝起きながら頭痛がする。
「くそ、一週間あればどれだけの事ができると思ってるんだ……」
戦闘訓練、試験勉強、武器整備、道具作成、人脈形成、情報収集、等々。
一分一秒が勝負の今、無駄とまでは言わないが、あまりにも非効率だ。
早く、速く動かねばならない。
眠っている暇はないと、体に鞭打って起き上がり──
「あら、もう起きたのね。おはよう、私のスティー。調子はどう?」
刹那、スティーブンの時間が止まった。
ベッドの端にちょこんと座る雪色の少女。
視覚から得られる情報を、脳が受け取り、咀嚼し、理解するのに数秒。
次の瞬間に、頭の中で大音量の警報が鳴らされる。
心臓は早鐘を打ち、視線は宙を彷徨い、手足は震え、口は言葉を紡ごうとしてはガチガチと歯を鳴らすことしかできない。
一気にぶり出た冷や汗が、頬を伝って滴り落ちる。
冷静になれと理性が促し、今すぐ逃げろと本能が叫ぶ。
さながら身に寸鉄すら帯びずに餓えたドラゴンに出くわしてしまった時のような緊張感と重圧感。
「どうしたの? 起きてる?」
彼女──アナスタシア・ブレイクは読んでいた本を閉じ、小さく手を振る。
彼女の首ではプラチナの真新しいタグがゆらゆらと揺れていた。
「ああ、おはよう……ナーシャ……」
心を落ち着け、軋む体をゆっくりと動かして起き上がる。
「大丈夫? まだ顔色が悪いわ、目つきも悪いし」
「……それは平常運転だ」
頭痛に耐えるような表情で答える。
「体の方は大丈夫?」
「……大丈夫」
「嘘ね、先生は二週間は安静にしてろって言っていたもの。いい加減に死ぬぞ、とも言っていたわね。良い機会だからちゃんと休みなさい」
「………」
反論ができなかった。
「でも、眠ってばかりでも暇でしょう? 気晴らしに遊びに出かけるぐらいなら先生も許してくれるわ」
「遊び……」
はてさて、最後に遊びに行ったのはいつだったか。
適度な息抜きは業務効率の上昇に繋がるということは理解しているが、何かやってないと落ち着かない性分ゆえに遊びに行くのは気が引けていた。
「そう、具体的には明日の休みは私のショッピングに付き合うとか……ね?」
アナスタシアが首を傾げながら良い笑顔でそう言う。
最初からそれが目的だったのかと、スティーブンは嘆息する。
「お誘いは嬉しいけど、僕はちょっと用事があってね……」
十中八九が荷物持ち。
そうでなくとも、いつぞやアナスタシアの買い物に付き合っていたら唐突にランジェリーショップに一人取り残されて半泣きになったことをスティーブンは忘れていなかった。
「あら? 五日間も眠っていたあなたを付きっきりで看病してあげたのは誰だったかしらね?」
「ぐぬっ……」
そこを突かれると弱い。
状況証拠から判断すれば、不甲斐なく倒れた男とそれを甲斐甲斐しく看病する美少女という構図。
正直そんな殊勝な女じゃないだろと思う気持ちもあるが、ここで否定してもし間違っていたら後が怖い。
「………はぁ」
ほっと息を吐く。
冷静に考えれば、役得だ、役得のはずだ。
どうせ体もまだまともに動かない。
「わかった……行くよ。荷物持ちにでもなんにでも使うといい」
肩を竦めて、降参するように両手を上げる。
凝り固まった筋肉を動かすとちょっと痛かったのは内緒だ。
「それなら良かったわ、約束よ。絶対ですからね。……嬉しいわ、今からとっても楽しみね」
「……そうかい」
スティーブンは照れ臭くなりそっぽを向いて言う。
彼女に落ち着いた口調ながらも花の咲くような笑みで微笑まれたら、男ならばそう悪い気がするはずもない。
魔術科の首席であり学園一の才媛。
誰もが羨む美貌を持つ深窓の令嬢。
多くの者がアタックしては華麗にスルーされるかハートをブレイクされる、一種のアイドル的存在。
幼き頃から共にいる気心の知れた友人。
普通ならば断わる理由もない。
ただちょっと今メンタルと時間の余裕がなくて、劣等感に苛まれているだけだ。
「もう一度言うわ、約束よ」
「わかってるよ」
「絶対なのよ」
「わかってるって」
「契約書を──」
「絶対に約束は守るから! 破ったら何でも言うこと聞くから!」
「え? ほんとっ!?」
「え、あ、いや、その……」
アナスタシアの目がキラキラと輝いた。
スティーブンは頭は既に醒めていたと思っていたがそうでもなかったらしい。
今更口をつぐんでももう遅い、言質は彼女の手に渡った。
「どうしましょう、正直破ってもらった方が後々の為に良いかもしれないわね……まあいいわ、はいこれ」
「あ、はい……」
前半は小声で言いながら、アナスタシアは綴じられた書類をスティーブンに渡す。
それを訝し気に受け取ったスティーブンの顔が、温度を失った。
渡された書類は、今年度の騎士科の等級表だった。
「…………………………」
「先に渡すとあなたは絶対無茶をすると思ったの」
その懸念は正しい。
スティーブンは今すぐに修練場へと繰り出したい気持ちに駆られている。
しかし、一度瞳を閉じる。
「ふーっ……」
そして、自嘲気味に笑う。
確かにショックだった。
しかし、想定外であったかと問われればそれは違う。
わかっていたことだ、実力差なんて自分が一番よくわかっている。
セラ・アオイの時にも言ったではないか、まだすべてが終わったわけではない、チャンスはあと三年。
時間は残されている、足りないものも理解している。
諦めるにはまだ早すぎる。
「ゴールド到達、おめでとう。これでようやく、気兼ねなく一緒にいれるわね」
アナスタシアはポケットから取り出した真新しい金色のタグを渡す。
受け取ったそれに彫られた銘はスティーブン・ウォーウルフ。
その横には等級筆頭を表す龍の紋様。
「ああそうか……筆頭だったんだな、僕は」
プラチナに届かなかったことばかりに意識が向いて、かなり順位が伸びていたことを忘れていた。
ゴールド筆頭。
それはつまり、凡人の最高到達点。
それを名誉と捉えるか否かは人それぞれであり、スティーブンとしてはかなりの悔しさが滲むものでもある。
ただそれでも間違いなく優秀さの証明、努力がある程度認められたというのはやはり嬉しいもので、嬉しいやら悲しいやらが混ざり合いスティーブンはなんだか微妙な表情になる。
「今回も届かなかったな……」
目の前の幼馴染の少女の首元にはプラチナのそれが揺れているのだから、感情は一層複雑さを増す。
「あと一つじゃない、あなたならできるわ」
「気軽に言ってくれるな。あと一つが宇宙より遠い」
渡された等級表を手慰みにいじりながら言う。
「正直、勝算なんて一つもない……」
どうしたって、桁が違う。
『──でも、負ける気もない』
二人の声がきれいに揃う。
一人は驚いたように目を見開き、一人は勝ち誇ったように笑みを浮かべる。
「いつも言っているものね?」
「くそ、見てろよ……次こそは勝つ……」
「ええ、頑張ってね。私のかわいいスティー。……そうそう明日の約束、破ってもいいけど忘れないでね」
そう言うとアナスタシアはまだ寝ているようにと釘を刺し、緩んだ顔で保健室を出ていった。
音のなくなった部屋でスティーブンはベッドに体を委ねる。
何をするでもなく白い天井へ手を伸ばす。
当然ながら、届かない。
「近いのに、遠いよなぁ……」
ぽつりと、呟いた。