柳とワイシャツ。それより手首。
春風にふかれてそのさらさらとした黄緑色の葉っぱをゆらしながら太陽の光を集めて今日も元気に光合成をおこなっている川沿いの柳の木の幹にもたれかかり、いつものように「ザ・クール」のつもりでいる柳川くんのワイシャツは、真新しかった。
「おい、柳川」
立花さんはその変化にすぐに気がつき、相も変わらずニヤニヤ顔で川沿いの柳の木の幹に身をもたせかけている状態を「ザ・クール」だと勘違いしている柳川くんをからかった。
「どうした、マエカケを変えたのか」
「マエカケじゃないよ、これ。おニューのワイシャツだよ」
「前のは ――」
「マエカケじゃないって」
「いや、だから……、前のはどうした?」
「前の? あ、前のはね、襟のところがダメになっちゃってたからさ」
「なるほど。お好み焼きソースでもぶっかけたんだな」
「だから、マエカケじゃないってば」
「ザ・クール」のつもりから一転していつものようにアヒルのくちばしの先を作ってふくれてみせる柳川くんをひとしきり楽しんだ立花さんは、
「あ、ケムシ」
「えっ、わっ、どこっ……?!」
というふうにやってこのやり取りにオチをつけると、いきなり柳川くんの手首をつかんで川沿いの道をかけだした。
「ちょっと、立花さんっ」
「なんだ、柳川」
「今日、学校だよね」
「それがどうした」
「だって僕ら、学校ではまだ……」
肩車に手つなぎデート、新年最初の手作りガトーショコラのことまで、柳川くんと立花さんの友達以上な関係(ニアリーイコール恋人)を裏づける数々の事実が、もはや学校中に知らぬ者はないというくらいまで拡散されていることに薄々ではなくほぼ完全に気がついていながらも、じつはいまだにお互いのコンセンサスがうやむやで整っていないという認識の柳川くんと立花さんは、学校では「恋人ではない認識です、そういったふうに記憶しております」で通そうと暗黙のうちに決めていたのだった。
「いくらなんでも、みんなの前に手をつないで行くっていうのは、さ」
「手じゃない、手首だ」
「いや、だって……掌もちょっと」
「嫌なら手袋くらいしとけ」
「いや、だって……春、だよ。手袋なんかしてたら、ねえ」
「とにかくっ」
立花さんが急に止まったために、なんだかんだで立花さんと一緒に風を切って走ることを楽しんでいた柳川くんはつんのめって、それでも手首は離されないものだから、柳川くんは手首と腕と肩にものすごい痛みを感じたのだけれども、「ザ・クール」のふりを決めこんで「あいたたた」とは言わずに立花さんのほうへと顔を向けてこうきいた。
「どうしたの、急に」
すると、季節外れの紅葉のように紅い顔をした立花さんは、バクバクの心臓のために乱れた呼吸を整えきらないうちに、こう言った。
「あんたの手首は呪われている」
「え」
「あんたの手首は、呪われている」
「え、なに、春の呪い?」
「ジュブツスーハイだ」
「……いやいや、フェティシズム違いだよ。いわゆるフェチってのは、呪物崇拝じゃなくって、どっちかっていうと、こう……なんというか……」
「言うなっ、恥ずかしい」
「ご、ごめん」
「春の柳は、人を惑わせるんだ……ってことにしとけ」
「なにそれ、って、あーいたたたたっ……、ひねった、ちょっとストップーぅっ……」
―― 黄緑色の柳の葉はそよそよとゆれ、川の水はさらさらと流れ……そのさまは、ちょっと変わった二人の恋人を応援しているようにも、バカにして笑っているようにも見えたのでした……
……そんなことを日記に書き残したのを姉貴に見つかった立花さんの弟くんは、のちにこっぴどい目に遭ったとか、遭わなかったとか。