前編 花の代わりに、閉じ込めたい
アンリさま主催、冬の恋企画「キスで結ぶ冬の恋」参加作品です。
前中後編、全3話です。
右瞼の端に熱をもたらすの。
あなたのものなの、ここは。
目に映るのは、細長い瓶に閉じ込められた枯れた花たちの羅列。
「寒いねぇ、ごめんなさいね、もうすぐ暖房効いてくるからねー」
例えマイナスな内容でもいつも楽しそうに話すのは、幼子を持つママを対象に児童館で月一回手作り教室を開催している女性、妙子さんだ。
「今日のアシスタントは美奈ちゃんですー」
前列のテーブル付近に立っている美奈さんは、にこりと会釈した。
「今日初めての方もいるわよね。私ね、女性がいつ離婚してもいいように下の名前で呼ぶようにしてるの」
例えそうだとしてもその説明いるだろうか、という同じ疑問が月に一回浮かんでは、生温い集まりの空間に溶けてゆく。
私はふと、部屋の半分を占めるジョイントマット上にいる娘に目をやった。
三歳の娘佳乃は、友達と一緒に色ガムテープで巻かれた新聞紙の竿とフェルトで作られた魚で魚釣りをしていた。
部屋の片隅に設置されている空気清浄器は、斜め上の壁に張ってあるイベントのお知らせ用紙をそよがせている。
害もなく益もない日々。
「すみませーん……」
一人の綺麗な女性が、佳乃と同じぐらいの年の女の子の手をひいて入り口に立っていた。
「はいはい、どうぞどうぞ、予約されてる方ですか?」
美奈さんが受付テーブルに足を急がせる。
見たことのない顔だな、と思った。
ゆるやかに巻かれた栗色の髪を優しくひとつに束ね、その隙間から丸いシルバーのピアスが揺れる。
同い年ぐらい……三十ちょっとかな?
手作りフェルトバッチに油性ペンで母子それぞれの名前を書く作業を終えて、その女性は私の左隣のパイプ椅子に座った。
お互い微笑み、会釈をする。
女の子の方はそろりそろりと子供が集まる方に向かう。
「あのー……、私引っ越してきたばかりで」
妙子さんと美奈さんが、今日手作りする予定のハーバリウムの見本を何本か配り始めた。
「そうなんですか。どちらから」
ハーバリウムとは、ブリザードフラワーやドライフラワーをミネラルオイルにつけて瓶詰めしたもの。
二十センチほどの細長い瓶で作られるのが主流なようだ。
「勢川です……、あ、どうも」
前の席から私たちが受け取ったハーバリウムは、ピンクと紫色の中間色を纏った幾つものアザミが瓶の上から下までを優雅に占めていた。
傾けてみると、瓶の上の方で空気泡は動くのにアザミは微動だにしない。
「こちらにはどうして……?」
聞いてもいい件かどうか分からない時は、言葉を濁す。
「あ、家を……建てまして。主人の地元に帰って来たんです」
『地元』という言葉に、私は顔を数ミリあげた。
「私、ずっとここに住んでるんですよ」
ほんの些細な好奇心が湧いた。
地中からふわっと突然湧き出た泉のような。
「ご主人の地元は……、中学はどちらですか?」
「あ、ありがとうございました」
私の問いに反応する前に、彼女は見本のハーバリウムを回収しに来た美奈さんに渡した。
「なんかすみません、会って間もないのに」
ちょっと食い気味に聞いてしまったことに自嘲する。
「いえいえ」
ふんわり笑う人だ。
「田丸中だと聞いてます」
「あ、一緒です」
ピコン
話しの流れを切る通知音。
徐に、足元のバッグからスマートフォンを取り出してパパのLINEの画面を開いた。
『来月、牧原たちとスノボ行っていい?』
またか。
これは許しを乞う文面ではない。
決定事項。
いつだって自由だ、あの人は。
「次回も来て頂ける方は、帰る前に用紙に名前を記入していってくださいねー」
妙子さんのいつもの言葉が響く時間。
あの会話の後、彼女の子どもが席に戻って来て一緒にハーバリウムを作り始めたので、話しの流れが元に戻ることはなかった。
私たちはただただ暖かい部屋で好みのドライフラワーを選び、細長い瓶に詰めて、液体を流し込んだ。
「あ、バッチ、一応返却することになってるんですよ」
女の子の手をひいて出て行こうとする彼女に声をかける。
「あ、そうなんですね。ありがとうございます」
ふんわり笑い、忘れていたかのように左胸につけられたバッチを栗色の髪を優しくはらって取ろうとした。
どうしてだろう、その手元に目が吸い寄せられる。
粉雪を思わせるような淡い白色のネイルが施された手で、バッチを受付のテーブルに置いた。
『小林』
眠っていた記憶が、ここから去り行く彼女を必死でどうにか捕まえようと。
「あ、あのっ」
彼女は半分こちらを振り向く。
「また、ここ、児童館……来ますよね?」
彼女は。
「はい、明日にでも」
また、ふんわり笑った。
下手くそな英語で歌われてるのに、好きだ。
「なぁ」
いつも甘さを押し売ってくるキャラメルポップコーンが、好きだ。
「なーあ」
あなたが好きだ。
「まだ描いてんの?」
ベッドに横たわり携帯を触るのに飽きた彼が、こちらに言葉を投げかける。
セーラー服姿の私はベッドの側面に背中をつけながら、カラーの油性ペンで絵を描いていた。
彼の中学の卒業アルバム、最後の寄せ書きのページ全体に。
「だって真っ白だったんだよ?」
「俺の周りで寄せ書きするヤツなんか、いなかったっつーの」
彼の部屋にはいつものように、がらがら声のロックバンドの曲が流れている。
最初は違和感があった曲も今では耳触りがいい。
二人でまったりのお供には、電子レンジで弾けさせるポップコーンにキャラメルソースがけが定番だ。
「ほら?どーお?」
歳がひとつ違いの私たちは、一年ぐらい前に偶然コンビニで再会した。
再会と言っても、『確か、同じ中学だったよな?』と彼が発言するぐらいの顔見知りレベルだったのだけれど。
「うわっ、めっちゃピンクじゃん」
私が彼に向かって広げたページには、桜の花びらを一枚ずつ描いた木が生い茂る。
ただ、もう季節は春を終えようとしていた。
「希望のページにしてみました」
我ながら訳の分からないこと言ってしまったと、恥ずかしくなり目をつぶる。
そして開けると、彼はまた携帯を見ていた。
流れていた曲が終わり、一瞬まばらな雨の音が耳に届く。
そう、雨の日は、場合によっては、彼の仕事の現場がお休みになる。
高校を卒業してすぐに家業を継いだ彼は、もう社会人になっていた。
「子供」
「え?」
何か言いかけ、なおも携帯から目を離さずに何かを考えているようだ。
「子供産まれたって」
「誰にっ?」
彼は赤ちゃんの写メをこちらに向けた。
「石田」
「ほおー……。すごいね。可愛いね」
存じ上げない名前だけど。とにかく……
「友達、赤ちゃん生まれすぎじゃない?」
「おい、二人目だろ、石田入れて」
今の私には関係ない世界ですよと言わんばかりに、立ち上がろうとしたその時。
ぐいっ
引っ張られたのは、セーラーの襟に咲く白いスカーフ。
「俺らは?」
繰り返される薄っぺらい英語がのるメロディ。
鼻をくすぐる甘い食べ物が存在した匂い。
私を欲する彼。
「私、もう予備校行く時間だから」
パッと離される手。
「もう、そんな時間か」
時間はまぁそうだけど、子供なんて、ふふ、どうして今私が、子供を。
ドア付近にある姿見鏡で、乱れたスカーフを整えた。
スカーフも襟を通っていればいいってもんじゃない、ちゃんとふんわりさせる角度があるの。
角度が。
不意に彼が後ろから現れ、私の肩から鎖骨にかけて両腕をまわし。
「ずっとここにいればいいのに」
そう言って、右瞼の端にキスをした。
リビングでは、先日作ったハーバリウムが細長い影を落としている。
花の代わりに、あれを。
あの姿見鏡に映る、右瞼の端にキスをするあなたと、右瞼の端にキスをされる私を。
花の代わりに、細い瓶に閉じ込めることができるのなら。
いつでも眺めることができるのに。