教えてほしい
こちらは拙作「教えてあげる」の後日談です。
前作をお読みにならないと分からない内容となっております。
昨日、長年の天敵から青天の霹靂とも言える告白を受けた私、アンバー・ローズーー二十五歳独身ーーは、本日雇い主のオルティア伯爵未亡人と馬車の中にいた。
オルティア伯爵未亡人ことレディ・メアリー・マーチン様は、白銀の豊かな美しい髪が自慢の優しげな面立ちの貴婦人である。
小柄で幾分ふっくらとした体つきをされており、そこが彼女以外の家族との大きな相違でもあったのだが、もちろん私は彼女の体型の方を好ましく感じていた。いらぬ世話かもしれないが。
「それにしても今日は気持ちのよい晴天だわね。外出には最高の天気だと思わない、アンバー?」
私は意を決して横に座る彼女に目を向けた。
メアリー様は気にもしておられぬようだが、彼女の前には異質な空気を放つ存在が、これ見よがしにため息などをこぼしつつ、自身のアピールに励んでいる。それを視界に入れないよう振る舞うのは、なかなかどうして骨が折れるからだ。
「レディ、外出とおっしゃってもあの……」
濁し気味に答える私に、伯爵未亡人は軽やかな笑い声で返してきた。
「そうそう、外出の目的はデパートでの買い物だったわね。天候は関係なかったかしら」
「は、はあ……」
「時にあなたは何を見たい? 帽子なんかどう?」
「帽子ですか?」
どうやら未亡人は、目前の重たい空気を無視するつもりでおられるようだ。ならば私もそれにならうのみ。
彼女が被る、レースやリボンをふんだんにあしらった華やかなポークボンネットに視線を変える。
「レディには何でもお似合いですものね。最新の流行のものをお試しになるんですの?」
そう続けると、未亡人はくすくすと鈴が鳴るように笑い出した。
「いやだ! 私のじゃないわ。あなたのですよ」
「わ、私のですか?」
びっくりして大声を出せば未亡人は更に声を高くする。
「ええ、だってあなたときたら、いい加減時代遅れの地味なボンネットのままなんですもの! 気にならない方がおかしいでしょう?」
「こ、これは……」
「私が素敵なデザインのものを見繕ってあげますよ。期待していてちょうだい」
「ですが、レディ、私は……」
これ以上未亡人に甘える訳にはいかない。
私が慌てふためいて辞退を申し出ていると、剣呑な響きが割って入ってきた。
「いい加減にして下さい、お祖母様。ミス・アンバーがお困りなのがお分かりになりませんか?」
突然声を上げたのは、今まで散々存在を無視されてきたお坊ちゃまだ。
私の元生徒でありお父上を巡る長年のライバルーー誓って言うが私は彼の父親を特別慕っていたことはないーーでもあった、だが今は何だか分からない状況にいる相手でもある、オルティア伯爵家の嫡男ジェラルドお坊ちゃま十三歳である。
そう、この馬車の中には、私達女性陣の他にジェラルド坊っちゃまが乗っていたのだ。
輝くような金髪と生き生きと煌めく深緑の瞳を持つ、美しい顔立ちをした将来有望な少年。彼は完璧な外見とはまるで違うオーラを、先程から馬車の中に振りまいていた張本人でもある。
そして、信じられないかもしれないが私は、彼がネガティヴである原因に少なからず関与していた。そう、この私がだ。
「まあ、ジェラルド」
未亡人はやっとその存在に気がついたと言わんばかりに、目の前に座る少年に微笑みかけた。
「あなたったら、そんなに先生がお綺麗になるのが嫌なの? お母様を取られるような、そんな感じなのかしら」
「お祖母様!!」
は、母親ですか、私!?
軽い衝撃が脳内を駆け巡る。
ま、そうかもしれませんね。
亡くなられた伯爵夫人は十代で坊っちゃまを出産されたと言うから、ご存命だったとしてまだ三十そこそこ。言われてみればそう違いはない。
ああ、だけど、だけどレディ……。
訳の分からない恥ずかしさと居たたまれなさで私が一人悶絶していると、ジェラルドの叫び声が耳に入ってきた。
「先生に失礼です! 今の発言を訂正して下さい!」
見ると、彼の顔は真っ赤に染まってた。
私はつられて、益々熱くなる頬に手をやる。
ちょっと、どうしてあなたが赤くならなきゃいけないのよ……。
「先生はそんなお年じゃない……母親だなんて僕はちっとも……」
赤い顔で憤慨しつつモゴモゴと聞き取りにくい愚痴をこぼす孫を、未亡人は慈愛に満ちた笑顔のままさっくりと切り捨てた。
「そうよ、アンバーはそんなお年じゃないわよ。でも今のままだとそう見えてしまうってことが問題でしょう?」
問題? ーーと、言うかそう見えてるんですね?
私とジェラルドは揃って未亡人を見つめる。
「おほほ、あなた達、外を見てみなさいな」
メアリー様は広げた扇をパチンと閉じて、窓をコンコンとそれでつついた。
窓の向こうには往来を歩く人並みが見えた。
工業化が進み豊かになった都市には、大勢の人間が集まって来る。
活気に溢れた街角には近代的な商店が立ち並ぶ一方、昔ながらの物売りの声も飛び交い、買い物を済ませた上流家庭の貴婦人やその荷物を運ぶ使用人、それから物乞いなのかその後をついて歩く子供などの、それこそ老若男女、様々な層の人間で溢れかえっていた。
美しく着飾った令嬢が、介添人と共に人待ち顔で通りにいる。何やら気分を害しているらしく酷く顔をしかめて、横にいるシャペロンに当り散らしてるようだった。
「ほら、あの娘をご覧なさい。見かけばかりに拘ってオツムの方は空っぽのようだわね。ここが公衆の面前だということがすっぽり抜け落ちている。だから恥ずかしげもなくヒステリックに騒ぎ立てているんですよ。けれどね、あんな娘が社交の場には当たり前のようにいるのよ。オツムの足りないバカ娘ばかりがね」
嘆かわしいことよと呟いて、伯爵未亡人は頭を奮った。
坊っちゃまの女性蔑視は、案外この方から受け継がれたものかもしれない。
「でも、あなたは違うわ、アンバー。あなたには品性と教養、細やかな女性らしい気配りと、全てが備わってると私は思うのよ。それはとても貴重なものなのですよ。特に私達の周りではね。惜しむらくは外見だけ。それだけなんだから」
「が、外見、ですか?」
軽い眩暈を覚えながら問い直した。
確かに、適齢期に求婚が一件もなかった私の外見が、著しく劣っているのは疑いようもない事実である。
前方から刺すような視線を感じて顔を向けた。ジェラルドが頬をいっそう紅潮させ、私をじっと睨んでいる。
ちょ、ちょっと……何なのその顔!
彼の怒りの矛先は、やっぱり私……なのかしら?
何も知らない伯爵未亡人は、私達二人の間にある微妙な空気に気づかないらしい。気づかれても困るけど。
「私はね、アンバーにあんなバカ娘達に負けて欲しくないのよ。あなたもそう思うでしょう、ジェラルド?」
「おっしゃる意味が分かりませんが、お祖母様」
「あらだって、あなただってアンバーを慕ってたじゃないの。私にコンパニオンの話を振ってきたのは、他ならぬあなただったんだから」
「それが何か?」
ジェラルドはイライラしたように、つっけんどんに言い返す。赤味を帯びたその頬が段々と強張ってくるのが分かる。彼は何を怒っているのか。
「何かって、アンバーをお母様のように慕っていたのでしょう? 問題はジョナサンね、あの子は昔から見掛け倒しのバカ娘に弱いから」
「お祖母様、何の話ですか?」
「だから、ジョナサンよ。あなたのお父様の、遊んでばかりのオルティア伯爵! 私はね、堅実なアンバーは、少しも落ち着こうとしないジョナサンに、ちょうどよいと思っていたの。あなたもそう思わない、ジェラルド?」
「僕は全然思いません!!」
揺れる馬車の中でいきなり立ち上がろうとしたジェラルドは、屋根に酷く頭を打ちつけ弾みで元の座席に倒れ込んだ。
び、びっくりした、何……? 今凄い音がしたんだけど……。
「ど、どうしたのよジェラルド、心臓が止まるかと思ったじゃない!?」
私と同じで驚いた伯爵未亡人が抗議するも、ジェラルドはこちらをチラッと一瞥したのみで、何事もなかったかのように座り直す。
その間何の言い訳もなし。頭を打ったのに痛いとも言わない、強情なんだから。
「驚かせてしまい、申し訳ございません」
彼は痛がる素振りも見せず、平然と謝罪を口にした。
「ですが先生を父とお似合いなどと、あまりにも失礼かと思います。お祖母様らしくありません」
「失礼ってジョナサンは腐っても伯爵なのよ? アンバーにとってもまたとない良縁でしょう」
話が変な方向に進んで行く。私は密かに焦っていた。
当事者を除け者にして何を討論してるのだろう、このお二方は……。
「良縁でしょうか? 先生は未婚の女性ですよ。僕のような大きな息子のいる男に嫁ぐなど……」
「あら、あなたはその気があったんじゃなかったの? だからアンバーを引き止めたんだとばっかり、私は……」
「その件でしたら、僕は純粋にお祖母様と先生なら相性が良いかと思っただけです。それよりも、本日は外出のついでとは言え、学校まで送って下さりありがとうございました」
強引に話題を変えた孫に、未亡人は訝しげに眉を寄せた。
「そうだ! ねえ、ジェラルド。あなたはどうして帰って来たのよ?」
グッと一瞬詰まった様子を見せた少年は、次の瞬間にはふてぶてしいまでの不遜な表情で言い切った。
「言語学の授業で近世文学について論文を発表しなければならなくなり、やむを得ずその時代の作品にお詳しいミス・アンバーにご尽力頂きたく、戻って参りました」
あまりの大嘘に私は呆気に取られたが、坊っちゃまは素知らぬ顔だ。
でも一連のやり取りで私にも分かったことがある。
彼は私に伯爵未亡人はスパイだと告げてきたけれど、それは酷く危ういものでしかなかったってことだった。
「なるほどね。だけど、随分簡単に学校が外泊許可を出したじゃない。ジョナサンの頃はそれはもう厳しくて、なかなか家には帰って来なかったのに」
「それなら、祖母が危篤と伝えました」
「ま、まあ〜、何ですって!?」
しらっと爆弾発言をかました孫を伯爵未亡人は眉を吊り上げ凝視していたが、フフッと噴き出したあと表情を和らげ笑い出す。
「ジェラルド、私を勝手に殺さないでちょうだい」
涙をこぼしながら笑い声を上げる祖母に、さすがの悪戯少年も神妙な顔つきで俯いた。
「ごめんなさい、お祖母様。学校に戻りましたらすぐに訂正をしておきます」
「いいの? 恐ろしい罰が待ってるかもしれなくてよ」
「仕方ありません。甘んじて受けておきます」
馬車が止まった。
ジェラルドは伯爵未亡人と抱き合い別れの挨拶をする。
「お祖母様、この度はお目にかかれて嬉しかったです。お体に気をつけられて、またお元気なお姿を見せて下さい」
「あなたもね、ジェラルド。次に特別戻って来る時はジョナサンを病気にするのですよ。いいこと?」
「はい、分かりました」
恥じらいつつも微笑んで頷くジェラルドは、次に私へと視線を変える。
彼がごく自然に手を差し出してきたから、私も知らずその上に自分の手を乗せていた。
「ミス・アンバー、お体には充分お気をつけ下さい。またお会い出来る日を楽しみにしています」
何だろう、随分含みのある言い回しだ。
「坊っちゃまも、お元気で。沢山の勉学に励んで下さいませね」
私がそう応えると、彼は困ったように笑い繋いだ手をぎゅっと握りしめてきた。ちょ、ちょっと!
「先生、今度お会いした時は僕に答えを教えて下さい」
「こ、答え?」
な、何よ?
「昨日質問した問いに対する答えです。あなたの答えを楽しみにしています」
「えっ? あっーー!」
それって、あの告白のーー?
動転してパニックになっている私の手に、ジェラルドはチュッと素早く口づけを落として、軽やかな身のこなしで馬車から降りて行く。
「では、また! 親愛なるお祖母様と先生!」
ジェラルドは眩しい笑顔を見せたあと、クルリと踵を返した。
陽光に輝く金髪が、弾むように飛び跳ね雑踏の中に消えて行くのを、私は放心したようにいつまでも見送っていた。